反撃開始 その3
「……凱人、まだだ! 終わってない!」
会心の手応えがあったのは、傍目に見ても良く分かる。凱人に顔に勝利の笑みが浮かんだ瞬間、アキラは嫌な予感がして声を上げた。
敵の強さは未知数だが、四椀鬼より強い敵である事は違いないのだ。魔力量が高ければ、それだけ防御膜も固くなる。単純な皮膚の厚さや頑強さでは一歩どころか何歩でも譲るのだろうが、しかしあれで倒せたと油断するのは危険だと思った。
術に傾倒する者ほど、その肉体的強度は低くなるものだ。
それは術の習得難度を考えれば、自然と肉体の鍛練には時間を割けないからだが、それをカバー出来るのも魔力総量なのだ。そちらを伸ばせば、余剰分が肉体を強化してくれる。
それはつまり、相手の魔力量を上回れなければ、攻撃の多くは通らない、という事にもなるのだ。アヴェリンと同じように考えるのは危険だが、彼女がアキラの刀を怖がらないのは、アキラ程度に傷つけられないと確信しているからだ。
だから鍛練の時間でも真剣を使っている。
もしも肌を切り裂くと知っていたら、刃を潰した別の刀を用意するだろう。
エルゲルンの魔力量を、果たして貫通するほどにダメージを与えられたのか?
先程まで見せていた姿を見せれば、決定打を与えたように思える。身体をくの字に曲げていた事など、演技のようには見えなかった。
だからこその確信だろうが、エルゲルンは何もかも利用しようとするのだ。自分のやられ姿を利用する事ぐらい、考えそうなものだ。
凱人が笑みを浮かべた表情から、アキラを不思議に見るようなものに変わり……そして唐突に表情が固まる。
そして視線が下に向かい、信じ難いものを見るように表情が崩れた。
「……馬鹿な」
凱人の腹からは、漣の時と同様、サーベルが生えている。
背中から突き刺され、その切っ先が覗いているのだ。
「凱人ぉぉ!!!」
アキラは刀を持ち上げ、一瞬で肉薄すると、エルゲルン目掛けて刀を振り下ろす。敵は素直に引き下がって、また姿を消した。腹からサーベルを抜かれ、血が流れ出す。
アキラはそこに手を当て、崩れ落ちる前に肩を支えた。
「すまん……、油断した」
「いいんだ、喋らなくていい。すぐ防壁の外に……!」
「いやいや、許さないよ」
声が聞こえると同時、空を切る音が聞こえて身を捩った。
だが凱人を抱えたままでは十分に動くことが出来ず、左肩を斬り裂かれ、逃げ出そうにも逃げ出せず、更に痛めつけるように何度も凱人とアキラを切り刻む。
「アァァアアア!!」
その斬撃を必死に避け、どうにか逃げられないかと背中を向け、そして力の限りを振り絞り地を蹴った。
だがろくに考えず周りも見ていなかった所為で、向かう先には鏡像がいる。
今も刀を振り回す、七生と結希乃の鏡像だった。躱せない事を悟り、アキラは凱人を投げ飛ばす。十分に反動を付けられなかったので距離は出なかったが、斬撃からは逃がす事ができた。
その直後、二人の鏡像に正面から斬り裂かれる。
胸に縦二本、横に三本、そして無事な方の右腕にも二本斬られた。斬撃から少しでも遠のこうと、身体を反らしていたのが幸いした。どれも防具を斬り裂いたが、十分に貫通せず、身体の表面をなぞっただけだ。
血は出ているかもしれないが、深刻な傷でない事は感触で分かった。
アキラは転がるように逃げ出して、向かった先でエルゲルンに遭う。
本物かどうかを考える必要はなかった。その腹を突き刺し、そして来るだろう反撃に備えて即座に引いた。そしてやはり、その場を風切り音が過ぎていく。
「……ふぅーん、ま、これはさっき見せたしな。あんまり馬鹿にするもんでもないか」
「なぜ……」
エルゲルンの様子は実に気楽なもので、その表情にも焦りは見えない。
さっきは追い詰めたと思ったし、その確信を持ったのは凱人だけではなかった。だが、仮にあの攻撃で倒したというのなら、今も七生と結希乃が相手する鏡像は消えていなければおかしい。
そしてあの時、咄嗟に声を掛けたのは、その鏡像が未だに視界の外に映っていたからだ。頭で理解するより、その違和感があったから、咄嗟に声が出たのだろう。
どこかつまらなそうに見つめてくる、目の前にいるエルゲルンは、あまりに自然体だった。
凱人からあれだけの攻撃を受けて、全くの無傷というのも考えたくはない。これにも何かタネがある、そう思っていると、変わらぬ気楽な調子で両手を上げる。
「んー、言ってもいいけどな。でもあんまり手の内晒すってのもなぁ、勝手に気づけって感じだよな。まぁでも、簡単に言えば変わり身ってだけだ。俺の姿をおっ被せた別人を殴っていただけ。……な、タネを聞いちまうと単純なモンだろ?」
だがそれなら、一体いつ入れ替わったのか、という問題が起きる。
殴り付けた直前に入れ替わったにしても、付近に入れ替わる人物などいなかった筈だ。防壁内にはこの五人以外誰もいなかったし、誰も立ち入れなかった。
そう考えて、幾つか例外があったのを思い付いた。
漣を外に逃がす時に防壁が開いたが、その瞬間、誰かを連れ出していたとしたら。姿を隠したエルゲルンが直接乗り込んだのか、それとも念動力で攫いつつ透明化させたのかは分からない。
だが、それなら説明も付く。
それとも、もっと早い段階――防壁を張られるよりも前に一名透明にして確保していたのだろうか。気絶し倒れていた隊士は沢山いた。その誰か一人を見失っていたとしても、それはアキラ達には分からなかっただろう。
どちらも有り得そうだが、今となってはその方法を探る事に意味はない。
聞けば話してくれそうでもあるが、聞いたところで怒りが沸き起こるだけだろう。本人が自身の口から言ったとおりだ、こちらの神経を逆撫でする意図もあるだろうから、余計に聞く気はしなかった。
「……何でオミカゲ様を狙うんだ」
アキラはいっそ関係ない事を訊いてみた。
世間話がしたい訳ではない。視界の端、エルゲルンの死角で防壁の外へ移動しようとする凱人への助力になればと思っての事だった。
時間を稼げば凱人は逃げ
エルゲルンはアキラの質問に肩を竦めて視線を逸した。
「さぁてねぇ。そこは知った事じゃないし、知らされてもいないしな。……まぁでも、俺の勝手な予想じゃ、時空孔を塞ごうとして、それが叶いそうになったから本腰入れたのかと思うがね」
「孔を……塞ぐ?」
鬼との争いは千年続く戦いだと学園で習った。
鬼は孔を通じて別の世界からやって来ているというのが通説で、だから奴らを
その孔を封じる手段は、過去幾度も試みられて来たし、逆に孔を通って向こう側へ行こうとした事もあったようだが、その尽くが失敗で終わっている。
だから孔は封じる事も出来ないし、出現する鬼に対し常に後手で対応しなければならない。隊士にとっては、そういうものだという認識だった。
だがそれに封印の目が出ていたというのは、アキラにしても青天の霹靂だった。
ミレイユに近しいとはいえ一人の隊士でしかないから、そのような事実があったとしても知らせる事でもないかもしれないが、それが実現したならどれ程良かったか。
ミレイユ――もっと言えば、最近ルチアが何かやっていた事は知っていた。観覧車で話していた内容は、アキラにはまるで理解できなかったが、今その事実が浮かび上がって来ると、その意味も分かってくる。
彼女はその封印にもう一歩のところまで手を掛けていた。
間に合うかどうか、という瀬戸際であるとも言っていたが、無茶無謀なものでもないと考えていたようだ。最悪の事態として、孔の向こうへ帰った上で元凶を叩くとも考えていたが、足掻く価値のある所まで漕ぎ着けていたのだろう。
だが、封じられて困る側からすると、今回のような凶行に走る理由には十分だった訳だ。
そう考えて、ふと思う。
封印に際し、オミカゲ様の助力が無かっとは思わないが、封印の執行を阻止したいなら……狙いは別にあるような気がした。
観覧車での話を聞いていた感じでは、その中核を成すのはルチアのようだった。
だから狙いがルチアの抹殺というのなら分かるが、ここでオミカゲ様を優先的に狙うというのに違和感を覚える。無論、結界だけでなく、全ての中核はオミカゲ様だ。
だから狙う、というのも十分理に適っている。
狙いが一つではない、こちらに来たからには多くの作戦目標がある――。
様々な理由があっての行動かもしれないから、あまり疑問に思っても仕方ないのかもしれない。
それにエルゲルンは嘘つきでもある。その話の内容と真偽をどこまで信じて良いものか。聞いた話はあくまで聞いたまま報告し、それ以上はアキラが考えるべきではないだろう。
「ま、そもそもの目的は神っぽい奴を連れて行く事だと思うしな。それなのに塞がれちゃ堪らねぇんだろ」
「……連れて行く、だと?」
我ながら底冷えのする声だと、他人事のように思った。
オミカゲ様を連れ去る、それを理解した瞬間、頭の奥がカッと熱く燃え上がり、胸の奥から力が湧き上がった。
エルゲルンは絶対にこの場から逃してはならぬ敵、この場で仕留めるべき敵だと認識し、殺人への忌避もどこかへ飛んでいく。
しかし、それと同時に冷静な部分が警笛を慣らす。
それが、時間稼ぎを忘れるな、凱人が防壁に行き着くまで注意を逸らせ、と言っていた。
刀の柄を握る腕がぶるぶると振るえ、憎しみを込めた視線のみがエルゲルンへ向けられる。視線の一薙ぎで断ち切れるなら、とうにエルゲルンは二つに割れているだろう。
そこへ、そんな視線を向けられても、あくまで調子を崩さないエルゲルンが、面倒そうに頭を掻きながら言う。
「……なぁ、なんで俺がこんな無駄話してやってると思う? お前はどうせ死ぬからか? 冥土への土産のつもりかって? ――そうかもしれねぇな。だがよ、時間稼ぎしてるつもりなのは、別にお前だけじゃねぇんだぜ?」
その一言でハッとなった。
仲間は別に凱人だけではない。今もなお、奮闘している阿由葉姉妹もいる。刀を打ち鳴らす音が聞こえていたのに、気づけばそれも消えている。
二人の方へ顔を向ければ、満身創痍で体中を刀傷だらけにしていた。
防具も最早、その機能を喪失していて血の染みがない場所を探すのが難しい程だった。だが、それでも二人は歯を食いしばって立っている。
倒れないのが最後の矜持だと言っているようだった。
肩で息をし目は虚ろ、倒れていないのが不思議な程で、戦闘続行は不可能に思えた。
その二人を囲うように、変わらず鏡像が同じ格好で立っている。そして、鏡像は何をするでもなく自然と砕ける。それを見届けて、姉妹はとうとう膝をつき倒れてしまった。
「……ま、大したもんだ。良くやったと思うぜ? そこんとこは素直にそう思ってんだ。――さて、トドメを刺すのは慈悲か、それとも哀れみか? お前はどう思う?」
エルゲルンの鏡像が一体、二人の傍に現れた。
本体が腕を上げれば、鏡像も同じ様に腕を上げる。振り下ろす位置には倒れ伏した二人の姿があった。それを視界に収めた瞬間、アキラの身体が勝手に動く。
――決して、その腕を振り下ろさせてはならない。
「ウォォォアアアア!!!」
雄叫びと共に疾駆し一瞬で肉薄すると、刀を下から掬い上げるように斬り上げる。
エルゲルンのサーベルを、アキラの一刀が振り下ろされる前に受け止めた。
憎悪を持って向き合うアキラと、愉悦を持って嗤うエルゲルン、双方の視線が交わる。鍔迫り合いをしながら、互いに押し合い拮抗が生まれた。
アキラは鋭い呼気と共に腕を振るい、エルゲルンの身体を持ち上げ突き飛ばす。
――距離を開けられてはいけない。
後ろへ下がる動きに合わせてアキラも肉薄し、決して逃がす素振りを許さない。最早頼りになる仲間はおらず、アキラの孤独な戦いが始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます