一方的な闘争 その2

 アヴェリンは手に馴染む黒壇のメイスを握り締め、同じ素材の盾を半身に構えて腰を落とした。

 盾の上端が顎先に掛かるように持ち上げれば、攻撃できる部位をごく限定的にさせる事が出来る。イルヴィが持つ武器は槍なので、突く攻撃を主体とする相手ならば、より有効な構え方だった。


 攻撃を警戒しているように見えるだろうが、アヴェリンのこの構えはむしろ攻撃をする為にある。付与された術は、盾に受ける衝撃を限りなく小さくしてくれる逸品だ。

 ドラゴンの一撃さえ受け止められる容量を持ち、前衛として、ミレイユの盾として身構えるに、これ以上頼りになる物はない。


 アヴェリンは口を盾で隠しながら小さく笑む。

 手の中で転がしたメイスもまた、盾同様ミレイユに作って貰ったもので、これには二つの付与がされている。自らが扱うには木製らしく軽く感じるが、受ける相手からすると巨岩のように重く感じる、という効果がその一つだ。


 見せ掛けや錯覚という訳ではなく、実際それだけの重さが付与されている。アヴェリンが握れば軽くなるというだけで、もしも机の上などに置こうものなら即座に割れて、床板まで破壊して落下するだろう。


 その質量をぶつけられるというだけでなく、アヴェリンの膂力と魔力制御から繰り出される一撃は、比喩ではなく容易に岩をも打ち砕く。

 どのような鉱石よりも硬いと言われるドラゴンの骨すら、――今となっては一撃では無理だが――アヴェリンには砕く事が出来る。


 無論、その様な攻撃をイルヴィに打ち込めば只では済まない。

 だからアキラと鍛練していた時のように、程々に打たせて、程々に殴り付けて終わりにするつもりでいた。


 イルヴィはじりじりと距離を詰めながら、槍の柄を短く持って、間合いを容易に読ませぬよう工夫している。槍の攻撃は、外から見るのと対面して見るのとでは随分違う。

 それも握る者の力量次第だが、見切ったと判断したところから、更に拳一つ分は伸びて来るものだ。その間合いの妙というものを身に付けているからどうかが、槍士としての実力を量る秤となるだろう。


 イルヴィとしても、アキラに見せた実力が、その全てでもないのは間違いない。

 あのような決闘騒ぎで見せられる技は、誰に見せても構わないと割り切った上で使用する。真の実力や伏せ札は、あんな場所では見せないし、臭わせる事すらしない。


 それをこの場で見せるかどうかは分からないが、アヴェリンも一人の戦士として、敵の技を見たいという欲求が湧き上がる。

 見せてみろ、という挑発のつもりで、盾を構えたまま、無造作とも思える動きで接近する。


「――シッ!!」


 イルヴィが穂先を突き出し来るが、牽制のつもりの攻撃は軽い。

 そもそも急所は隠せているので、打ち込める場所がないのだ。まずは様子見で打つのは正しい判断だが、しかしそれは、明確な格上に対する攻撃としては不合格だった。


「フン……っ」


 つまらないものを見せられて、鼻を鳴らして穂先を正確に正面から受け止める。

 攻撃を逸らす為、盾は僅かに湾曲しているので、特に槍のような点攻撃を止めるのは難しい。だがアヴェリンは中心で受け止め、まるで平盾を扱うように前へ押し出す。

 槍から動揺する気配を感じるのと同時、腕と足に力を込めて更に押し出した。


「――チィッ!?」


 イルヴィも衝撃を受け流そうと身を逸したが、盾を更に押し込みながら足を踏み出す。それで一足飛びに接近し、イルヴィが咄嗟に構えた盾ごと殴り付けた。


「がっ、ハァ……!」


 避けようとしたが、身体をくの字に曲げて吹き飛んで行く。

 その足が地面に触れるより速く追い付き、盾の上から更に殴りつける。それで勢いを何倍にも増して吹き飛び、散乱していた木材へと突っ込んでいった。


 轟音を立ててぶつかりながら、木材を巻き込んで吹き飛び、何度も地面を転がりながら遠退いて行く。

 線を引くように土煙を上げ、倒れ伏したイルヴィはぴくりとも動かない。

 数秒黙って見ていると、後ろから実に暢気な声が上がった。


「あれはー……、死んだかしらねぇ?」

「死んではいない。ちゃんと手加減した」

「そう言って殺しそうになった奴、アタシ何度も見てるからね。ルチアいなかったら、ほんとに死んでた奴なんて、それこそ幾らでもいたでしょ。尋問する相手すら殺しそうになった事、これまで幾度あったか言ってみなさいな」

「……うるさい。まだ戦闘中だ、黙ってろ」


 話を強制的に断ち切ったが、分が悪いと見て終わらせた訳でもない。

 実際にイルヴィは立ち上がり、その顔に壮絶な笑みを浮かべているのだ。初めから勝てると思って挑んだ戦いではない。その実力を肌で感じたいからと挑んだ戦いだ。


 そして、今まさに実感している筈だった。

 自分では逆立ちしても勝てない相手と、今の一合で理解した筈だ。その上でどうするか、となるのだが、アヴェリンが良く知る戦士なら答えは一つだった。


 イルヴィは穂先を地面に突き刺すと、懐から水薬を取り出して口に含む。一本だけではない、合計三本を立て続けに飲み干した。

 傷を癒やすだけでなく、筋力の増強など、何かしらの強化水薬を飲んだらしい。空き瓶を投げ捨て、槍を握り返すと、まるで煙でも吐き出すように大きく息を吐いた。

 その瞳も爛々と輝き力が入る。


 次に足を踏み出した瞬間、一歩で離れた距離の半分まで到達し、次の一歩で槍の届く距離までやって来た。驚くべき速度だが、アヴェリンにとっては遅すぎる。

 速度を乗せて繰り出された一突は凄まじい。だが、それだけだ。アヴェリンは訳もなく捌いた。


 盾で下へと穂先を逃して、重心も前に来ていたので簡単に地面を噛んだ。そのまま踏んづけて攻撃を封じ、抜こうしようと体重を後ろに移動しようとしたところに、メイスを振り下ろした。


「ぐぅぅ……!?」


 流石にこれは読めいたのか、咄嗟に盾を持ち上げ防御したが、武器との衝突で身体が外へ逃げる。地面を踏み締め、踏ん張ろうとするが身体は流れ、その無防備になった腹に蹴りを叩き込んだ。


「ゴボハァ……っ!」


 口から胃液が飛び出し、吹き飛ぶ流れに合わせて軌跡を描く。

 吹き飛ばされたとはいえ、イルヴィは武器を手放す愚を犯しておらず、ダメージ自体も大きくはないようだ。着地した足取りは確かで、槍を握った手で口元を拭う。


 その瞳には未だに闘志が燃えており、その戦意にも衰えは些かも感じられない。それを確認して、小さく首を上下させる。

 ――この程度で参ってしまっては困る。

 アヴェリンは口元に、先程よりも深い笑みを浮かべた。


 アキラより力量が上の相手だ。それに比して振るう力は増しているが、そのぐらいのダメージなら、アキラであっても立ち上がって武器を構える。

 同郷、同族の戦士と言うなら、その程度は出来て当然、という認識だった。


 アヴェリンは改めてイルヴィの目を見つめる。

 そこには誰よりも自分は強い、という自負と、それを自己暗示させる力が籠もっている。それは悪い事ではない。相手が強いと分かっていても、だからと己を下に据えたままでは戦えない。


 嘘だろうと己を鼓舞して戦う事は、戦士として必要なことだった。

 そしてそれこそが、アヴェリンの心を締め付ける。それはほんの数年前、よく目にしていたものだった。


「お前は昔の私に良く似ているな……」


 元より独り言で、返答は期待していなかった。

 だが耳聡く拾ったイルヴィは、面白そうに口元を歪めた。そこには挑戦的な表情も浮かんでいる。


「へぇ、そうかい……。あんたみたいな奴と似てるっていうなら、アタシもそんなに捨てたもんじゃないね。似てるついでに、その強さも似てくれりゃ言う事ないんだけど」

「似るべきじゃないと思うがな。己の腕一つ、克己心一つで生きる事ほど、辛いものはないぞ」

「それが悪い事かね? 力を振るい、それが強く育ち、そして強い力から強い心が生まれる。その心があれば、何処でだって生きて行けるさ」

「そうはならないから、言ってやってるんだ」


 アヴェリンから出た言葉が意外だったのか、イルヴィは目を見開く。

 そして何かに気付いたかのように、ミレイユへと顔を向けた。


「あんた程の戦士が、誰かに忠誠を尽くすとはね。弱い奴は仕方ない。誰かを頭上に戴かなければ生きていけないもんだ。だが、あんたは違うだろ。誇りを捨ててまで、誰かに頭を垂れて生きていかなきゃならないほど、弱い戦士じゃなかった筈だ」

「ミレイ様は私より余程強いが……、しかし武力のみで伸し上がる領域には限界がある。特に孤独な強さでは限界が早い。お前の強さでは、その強さがある事を永遠に気付けない」

「抽象的で分かり難いったら無いね。あんたが今のアタシより強いのは認めるよ。だがアタシは、これで、このスタンスで強くなったんだ。このまま何処までも突き進んでやる。どこまでも、誰よりも、アンタよりも……! それがアタシには出来る!」


 イルヴィの瞳には、強さへの渇望が見えた。

 誰よりも強いという自負がある、と見たのは誤りだった。イルヴィは誰より強くなれると信じているから、今はまだ自分より強い者がいる事に耐えられる。むしろ強い奴を飛び越えていく喜びがある、と感じている。


 だがある時、唐突に気付く。

 目を覆い、耳を塞いでも、自分の実力に限界がある事に気付くのだ。それは誰かに師事しようと、無理な特訓を重ねようと越えられない壁だ。


「あぁ、私も同じだった。誰より強くなれると、信じて疑わなかった。同族にも、外の世界に目を向けても、私より優れた戦士はいなかったからな」

「確かにそれは、アタシと良く似てるみたいだ。……それで、自分の強さは守る強さだとか、思いやりだとか、陳腐なこと言い出さないで欲しいんだがねぇ」

「そうとは言わない。だが、強さの下地はそれぞれだ。私より低い武力だろうと、尊敬できる者はいる。単純に武力だけの話でもなく、本当に多くのものがな。それに目を向ける事が出来れば、お前の強さは新たな道を得られる、と忠告してやろう」

「アタシは今のあんたに、その道を感じているがね」

「単に同じ道の、遥か先が見えているだけだ。別ではない」


 これ以上は自分で気付くべき事だ。

 かつてアヴェリンが挫折したように、イルヴィも似た挫折をするかもしれない。アヴェリンと同じ様になる必要はないし、得られる気付きにも違いはあるだろう。


 孤独の強さは脆いものだ。

 今この場に彼女一人しか居ない事からも分かるように、パーティを組んだりはしていないのだろう。臨時に組む事はあっても、心を置ける仲間は居ないに違いない。


 ――アヴェリンには、ミレイユがいた。

 アヴェリンに挫折を感じさせたのもミレイユなら、別の道を見せてくれたのもミレイユだった。

 ミレイユは間違いなく強者で、誰しも羨むような力量を持ち、そのうえ見たものは大体模倣できる洞察力も備えている。


 その才能に、嫉妬しなかったと言えば嘘になる。

 だが彼女が振るう力は、常に誰かの為だった。己の空腹を満たす為、金銭を得ようと仕事をするのは当然だが、その仕事には常に誰かの願いを叶える事を根底にしていた。


 例え悪人のような相手でも、浮浪児の様な相手でも、別け隔てなく話を聞く。それは強者故の余裕だったろうが、同時に強者の義務として体現した行いだったように思う。

 力の先に名誉を求める冒険者とは、そこからが違う。

 そして時にはタダ同然で依頼を受ける。ミレイユに利己的な部分は確かにあるが、その根底には思いやりがあった。


 他人を見ていて強くなれるか、と自問した事もあった。

 だが同じ姿勢を崩さないミレイユに倣うようになると、己がどれだけ狭い世界で生きていたのかが分かった。その上、その道は楽ではなく、むしろ苦労の方が多い。


 だがアヴェリンが自身ではなく、ミレイユの為に武器を振るいたいと思った時、それまでとは比べ物にならない力が振るえるようになった。自己研鑽で行き着いた先、その壁の横には道があると、そこで初めて知った。


 壁に阻まれ進めないのではなく、進む道に気付けなかっただけだった。

 そしてミレイユの横に立ち、その行いを見るにつけ、尊崇の念が強まっていくのを感じ、自分の為ではなく、認めた相手に力を振るいたいと思った。

 そうして気付けば、アヴェリンはより強い力が振るえるようになっていた。


 それこそが己の本質だと分かった。

 イルヴィも同じだとは思わないが、己の道に気づけたなら、それが本当の実力を発揮できる力となる。アヴェリンの行動が助けになれば、それに越した事はない。


 ――いつもミレイユがそうしているように。

 アヴェリンは横目でミレイユを視界に入れ、ちらりと笑む。ほんの僅かな時間だけそうしていると、次にイルヴィへと向き直った。


 今は反発するような目を向けているイルヴィに、本当の実力差を教えてやるべく、アヴェリンはメイスを強く握り直した。

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