混迷の真実、明瞭な虚栄 その2
オミカゲ様は目を開いて、ひたとミレイユと視線を合わせた。
「我が失敗したからと、その状態の日本へ戻る意味があったか? 失敗したから別の方法を選べと助言し、それで大神が手を引く結果になったとしよう。そこから一度滅んだ日本を再興する道も、確かにあったろうが……」
「それは……」
「そもそも我は、多くのことを教えられ、説得の果てに飛んだ訳でもなかった。むしろ強制送還に近い。最低限の説明のみで飛ばされた。その時のミレイユと対決の末、負けた結果飛ばされたのよ」
「負けたのか、お前……」
苦々しい顔を向けたミレイユに、オミカゲ様は消沈した様子で頷く。
「あの地獄のような世界で戦い続けてきたミレイユだ。何年戦ってきたのか想像も出来ぬが、しかしその実力は我の倍では利かぬものよ。到底対抗できるものではなかった」
「そこまでか……」
「ともかくな、あの時代へ戻るぐらいなら、やり直せないかと考えたのよ。魔物に蹂躙される世界を救いたかった、原因を作ったのは自分だった、その負債を取り消したかった。……起こる未来を阻止したかった」
「――それは違うわ」
鋭い口調で口を挟んだのはユミルだった。
大した興味もなく、大人しく聞いているとばかり思っていたので、この乱入には少々驚かされた。
「原因は大神であってアンタ達じゃない。帰って来なければ良かったというのは……、あるいは間違いじゃないかもね。でも、過ちは間違いなくアッチにあるのよ」
「……そうかもしれん」
ユミルがそうであったように、ミレイユもまた溜まりかねて声を上げた。
「お前の責任ではないだろう。自己弁護したい訳じゃないが、事実としてそうじゃないか。悪いのは大神の方だ」
「ああ……いや、きっとそうなのだろう。だが、だとしてもやる事は変わらぬのよ」
オミカゲ様は悲し気に微笑んだ後、ミレイユへと顔を向ける。
「確かにそうだ。原因が我にありと言うのは誤りだ。しかし結局のところ、世界の破滅は受け入れがたい。我が望むのは、あの豊かな暮らしが出来る社会へ帰ること。決して、魔境へ戻りたい訳ではなかった」
「それは、そうだな……」
ミレイユにしろ、帰還の理由は戦いのない世界、娯楽に満ちた世界、そして食料に困らない世界で自堕落に過ごす事だった。
再び何かしら働いて金銭を得ようとも考えていたが、どちらにしても豊かな現代日本へ帰りたいのであって、魔物が蔓延る世界ではない。
帰ったところで叶わないのなら、その意味もなかった。
「タイムパラドックスについては気にならなかったのか?」
「ならなかったな。あの世界が壊れるなら、むしろ本望といったところだった。賭けであったのは事実だが、結果は見てのとおりよ」
「しかし、それにしても相当な無茶だぞ……」
現代科学においても、時間の構造なぞ予想するしかない段階だ。
矛盾を生むことで宇宙が消滅するとかいう話を聞いた事があるし、そもそも時の流れは一本の川で、過去に戻る事すら歴史の一部だと解釈される場合もある。
改善するつもりがより酷い未来を作る事だってあるし、あるいは戻った結果が今の歴史を作る事になって、結局何一つ改善できない、という話だってある。
どれが正解か分からないのに、そこへ飛び込んで行くのは狂気の沙汰だ。
だが、もしかしてオミカゲ様は知っていたのだろうか。そうならない確信があったのだとしたら――。
「多元宇宙論を信じる訳ではないが、私を飛ばしたミレイユが言うには、失敗したら過去へ飛べと言っていた。そうする事で、また違う時間の流れが生まれるのだと知っていたんだろう」
「いわゆる枝分かれ式か……」
タイムトラベル理論には幾つもの論説があるが、所謂枝分かれ式とは過去に戻った時点で世界が分岐し元々いた世界と重ならない、という理論だ。
人間が一人増えようと、親殺しのパラドクスが起きようと、自分の存在が失われる訳ではない、という理屈だった。
「それが正解かは知らぬが、我らを取り巻くこの世界の時の流れは、螺旋式になっているのではないかと予想している」
「過去に戻るという流れが、本来一本の道をぐるぐると回してしまっているという事か?」
「――そう、しかし重ならない。一巡する大きさに隔たりがあったとしても、それは必ず上に向かって渦巻くように伸びていく。そしてミレイユは必ず、その一番上の流れに落ちてくるのだろう」
「ああ、枝分かれだと新たに別の世界が作られるのは確かだとして、その後にやって来る
そこまで言われて、ハタと気づく。
今まで頭の片隅に生まれていた違和感、その正体が掴めた気がした。
ミレイユが過去に戻り、枝分かれに別の時間軸を作ったとして、そこへ現代への帰還を望んだ最初のミレイユが帰ってくる。そうして、そのミレイユが異世界へ戻され、そこから過去の日本へ帰って来たという風に考えたなら――。
そして枝分かれが正確でなく、螺旋式になっているというオミカゲ様の言葉を信じるのなら、この時間はループしているという事になりはしないか。
ミレイユは愕然とした気持ちでオミカゲ様を見つめた。
ここに来て、既にミレイユが理解できる範疇を大きく超えている。だが、ここで逃げる訳にもいかなかった。
「ループしているのか、この時間軸は……」
「そうだろうと思っている。どこかでこの一巡が途切れるようなら、このループは既に破綻している筈だ。そうでない以上、螺旋構造上の時の流れが出来ていて、最初のミレイユは必ず新たに出来た時の流れに乗り、そして再び世界を渡るのだろう」
「そして失敗してやり直している訳か? だがな、おかしいと思わないのか?」
ミレイユは乱暴に前髪を掻き毟ってオミカゲ様を睨みつけた。
「いま私がそう思っているように、このループを一体何度繰り返せば気が済むんだ? ループを止めようと考える奴はいなかったのか。これは一体何度目のループだ」
「……さて、一体何度目になるのやら。仮に私を飛ばしたミレイユが最初だとして、二番目が我、そして三番目がそなた、となる訳だが……果たして本当にこれが三周目だと思うだろうか?」
「現実味のない話ではあるが、もしも本当に繰り返しているとして、このループがたった三回目だとは私も思わない」
ミレイユが苦々しい溜め息と共に頷くと、オミカゲ様もまた頷いた。
「無限に螺旋を描いて繰り返している可能性すらある」
「どうしてそんな事してるんだ。どこかで断ち切ろうと考える筈だろう。私が考えているなら、お前も同様に考えていた筈だ」
「一度でも成功してれば終わる螺旋だが、してない以上はいつも失敗しているか、あるいは情報の断絶が起きている。失伝するような事態が起きているのだろうな」
「……どういう意味だ?」
ミレイユは既にその予想もついていたが、しかし聞かずにはいられなかった。
予想が外れていて欲しい、自分の口から言うと現実になりそうだ、などという考えが頭をよぎる。
「我の時がそれに近そうだ。逼迫した状況、破綻した結界、蹂躙される世界。いつ最大まで拡大された孔が現れ、そなたを攫うか分からぬ状況、説明もなしに奪われるのが最悪の想定だ。そして、そうなるくらいなら……説明もなく奪われる前に送り返してしまえ、そう考えるミレイユがいてもおかしくない」
「それで断絶、そして失伝か……。しかし、説明なしに送る意味があるのか?」
「ループ回数を数えられている場合なら、すでに引き返せないところに来ていると思うものかもしれぬ。今回で三回目と仮定しても、この時点で既に捨て置くには惜しい数字だ」
重い声で唸り、実際それには同意せざるを得なかった。
そこでもまた違和感を覚える。ここにも一つ、矛盾がありはしないか。
思い当たったミレイユの疑問より先に、ユミルが口を開く。
「なんか今の流れを聞いていると、既にウチの子が行く事になってるみたいじゃないの。……それとも行く気なの、アンタ?」
ユミルに見つめられ、渋面と共に顔を逸らす。
行きたいとは思わない。ミレイユはそもそも平穏な生活を求めてやって来た。それを捨て去りたいとは思っていない。
それに必ずミレイユが行かねばならない、という理由もない筈だ。
そしてそれこそ、ミレイユがオミカゲ様に訊かねばならない矛盾点だった。
「……なぁ、何で私を行かせたがるんだ? ループを断ち切るというなら、一度は渡ったお前が再び行けばいいんじゃないか?」
「そういう訳にはいかぬ。……よいか、ジレンマだ。神は世界を越えられぬ。信仰を得て力を獲得し、そして増して行く神だが、同時に世界に根ざすものでもある、そのように最初説明したろう。だから我が再び行く事はできないし、そしてそれがお前に行って欲しい理由だ」
ミレイユが唾吐くような思いで鼻を鳴らすと、オミカゲ様もまた苦虫を噛み潰したような顔をしていた。業腹な事ではあるのだろう、他の者で済むならそうするつもりもあったのかもしれない。
しかし、あちらの世界は過酷な世界だ。ミレイユの一割から二割程度の力量で、その世界を乗り越えて希望を叶えられるかといえば、無理だと判断するしかない。
ミレイユも確かに強いが無敵でもない。しかし誰より頼りになるのも確かだった。
そうと分かっていても素直に頷けるものではない。
ミレイユは一縷の望みをかけて、分かっていても聞かずにいられない質問をしてみた。
「お前は神を演じていたんじゃないのか? 本当に信仰を得て、そして神として力を奮っていたのか?」
「今更聞くことではあるまい。マナを生み出す、変換する、龍脈、霊地があるからと誰でも出来るものではないぞ」
「それは、そうかもしれないが……。精霊を使っていることだし、そこでどうにかしているとか……。だから神と見せているだけで、実際は違うのだと、そういう話になったりしないか?」
オミカゲ様はしばらくの間、呆れたようにミレイユを見つめ、それから盛大に息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます