混迷の真実、明瞭な虚栄 その3
「縋りたい気持ちは分からないでもないがな。しかし、それでは不可能な事など幾らでもあるであろうが。龍脈を整えるのも、霊地から霊地へマナを流すのも、マナを生成するのも、人であっては出来ぬことよ」
「やろうと思えば、私は……」
「そうとも、お前ならば出来る。私が神として顕現できている時点で分かりそうなものであるが……。そしてこれこそが、最初に言った大神がお前を狙う理由でもある」
オミカゲ様がユミルへ流し目を送るが、ユミルはそれに決して目を合わせようとしない。
不思議に思いながらも、ミレイユはまさかと思いながら詰問するように口を開く。
「私が神の素体だとでも言うのか? この身体を神に差し出す為、そうする為に在るとでも?」
「細部は違うが、そのようなものである。お前は逃げたが、捨て置く事を良しと出来るほど変えの利くものでもなかったのだろう。だから、こうして世界を飛び越え次元を飛び越え、孔を開けては周囲の被害など考えず、そなたを取り戻そうとしている」
言っている事は理解できる。しかし、だから納得できるかと言えば、話は別だった。裏を確認取れるものでもないし、きっと嘘は言っていないのだろう。話の筋は通っているように思えたが、素直に頷く事も出来ない。
恨みがましい目をしながら、オミカゲ様へ憎まれ口を叩く。
意味がないと分かっていても、自分の感情をコントロールできなかった。
「お前を取り戻そうとしている、の間違いじゃないのか。私がそうだというなら、お前だって回収対象だろう」
「最初はそうであったろうが、この地で信仰を得て神となってからは対象外であろう。神は世界を越えられぬ。やる気や能力の問題ではなく、これは摂理の問題故に」
くそっ、と吐き捨て、ミレイユは再び額に手を当てうつむく。
よく磨かれている机はミレイユの顔を反射して見せてくる。情けないほど憔悴した表情が写っていた。これが本当に自分の顔かと疑ってしまう程だった。
逃げるように鏡面から視線を逸らし、そこでふと、思い付いた事がある。
「……ちょっと待て。じゃあ私を御子神として認定したのは拙いんじゃないのか。世界を渡れなくなるだろう?」
「だから公表せぬと言ったのではないか。あの場にいた全員がそなたの信徒になるかは分からぬが、たかが数十人の信奉を得たぐらいで神になれる訳なかろうよ」
「……あぁ、そういう事になるのか。実際は何人ぐらいがボーダーラインなんだ?」
「これは確実な数字とは言えないが、経験上三千人程度だという気がしておる。何しろ分かり易く光ったり、身体の構造の変化が起きるという事がないのでな」
ミレイユは胡乱な眼をして、オミカゲ様の頭髪に目を向けた。
同じ存在だというのなら、明らかに違う、しかしハッキリとした違いがそこにある。
「髪の毛はどうなんだ。見た目的に年齢の変化は見られないから、身体的成長や老化はないんだろう。だったら白髪はおかしくないか」
「これは神になる前のこと故な……、精神面で非常に強いストレスがかかれば、こうなる事もある」
オミカゲ様は目を伏せて己の指先に髪を絡めた。
螺旋を描いて巻かれた毛髪は、滑らかな動きで指から解けていく。
強いストレスにより一夜にして毛髪の色が白くなった、という話は実際に聞いた事がある。彼女もまたそれだけの衝撃を受ける何かが、その身に起きたのだと言うなら、そういう事もあったのかと納得する。
そしてこれは、不用意に聞いてはいけない問題だろう。
話さねばならない内容なら、オミカゲ様の口から語ってくれるだろうし、それまでは聞かない方がいいに決まっている。
そうして沈黙が続いた後のこと、オミカゲ様が再び口を開いた。
「ともかくも、神は世界を越えられぬ摂理がある。だから狙いは別に――今となっては別にあり、そしてそれが、結界の破綻を招いた原因ともなったのよ」
「どういう事だ? まだ隠し立てする何かがあるのか」
オミカゲ様は困ったように眉を下げて、小さく首を振った。
「いいや、言うタイミングを計っておっただけ。結界を維持できていた理由の一つに、我が神化したという部分もあると考えておる。ミレイユという素体を見失ってしまったのだな。だから座標が分からず、しかし曖昧なまま続けておった」
「だが、それなら何が理由で……あぁ、そうか……!」
何を言いたいのか理解して、ミレイユは頭を乱暴に搔きむしった。
「私がこの世界に帰還したから……! それで再び座標の確度を上げた訳か……!」
「うむ、千年の時は神にとって長いものではないが、無駄にして惜しいとも思わぬ時間だ。見つけたなら少々強引にもなってくる。結界も弱まり孔の拡大も容易になってきた。遂に廻って来た良い機会、と考えたやもしれぬ」
ミレイユは力なく頭から手を離し、重い溜息を吐きながら硬く目を瞑る。
気遣うようにアヴェリンがその肩に手を置き、ミレイユもまた自分の手をその上に重ねた。アヴェリンは何を言う訳でもなかったが、その手の平の温かさが、何よりの気遣いと感じられる。
そこへオミカゲ様の声が落ちてくる。
「混乱しておるな。……分かるとも、我も通った道故な」
「それは……」
「だが、そなたはまだ恵まれておる。敵が襲い掛かってくる状況でもなく、武力でもって押し付けられながら、相手の言いたい事だけ聞かされておる訳でもない」
確かにそれは今とは随分違った状況だろうが、恨みがましい目だけは抑えきれなかった。
オミカゲ様は平坦な声で続ける。
「――強制送還された訳でもない」
ミレイユは思わず息が詰まった。
その時の状況がどういうものであったか、ミレイユには想像も付かない。
しかし、世界が魔物に蹂躙されている状況というのは、己が目を疑うに十分だったろう。ミレイユはアパートの一室に帰ってきたが、自分の知る世界より少々違うという状況でしかなかった。
環境に大きな変化はなく、生活していくのに不便はなかっただろう。金銭を得る手段も幾らだってあったし、やろうと思えば、アキラの手助けがなくとも生活だって出来た。
だが、目の前にいるオミカゲ様は、何も分からぬ状況で打ち倒された。そして現状の理解を強制され、最低限の知識を与えた上で、問答無用で飛ばされたのだ。
その混乱はミレイユの比ではなかっただろう。
それを思えば、確かにミレイユは恵まれていた。
オミカゲ様という神が、その状況を作らぬように整え、そして
ミレイユはオミカゲ様が執念で動いている、と感じた。
それは決して間違いではなかった。オミカゲ様はこれまでのミレイユ達と、その失敗の回数を背負っている。そして自分もまたループを終わらせられない事実に歯噛みしているだろう。
また次代へ託すしかない事を悔いているかもしれない。
自分が同じ立場なら、間違いなくそうなる。
それが確信として胸の奥で渦巻いていた。
「一つ聞かせてくれ。どうして千年も前に帰還したんだ。そんなに昔まで戻る必要はあったのか」
「あるとも、――ジレンマよ」
ミレイユの不躾な態度にすら不満も見せず、快く頷いてオミカゲ様は続ける。
「結界の破綻がいつ起きたかは推測するしかないが、瓦礫が多く残っていた事を思えば十年以内、多く見積もって三十年以内だと思うた。だが確実性に欠ける故、その倍は最低限戻らねばならん。そうでなくては崩壊した世界へ帰還する事になる」
それを防ぐ為に過去へ戻ろうと考えたろうから、その理屈は分かる。だとしてもギリギリに戻ったところで意味はないだろう。どうせなら、それより前に戻った方が準備期間を設けられる。
「だが近代では信仰を得るには向いておらん。事実として奇跡を扱える者として信徒は得られようが、近代科学の発展と、広く信仰されて仏教がある故、新興宗教としての色が強く出るだろう。結界の自動展開も苦労する。電気を抑える事が出来たとしても、そこは事業家以上の立場は難しい。来る情報化社会で隠匿は難しくなる」
「魔物に襲われる人も、加速度的に増える訳か」
「神化による座標の目くらましにも苦労する事だろう。信徒を得て信仰を向けられて初めて至るものだから、そもそも神化すら出来ないかもしれぬ」
ミレイユはそれを聞きながら、難しい顔して額を叩く。
「だが、最初は十年に一度くらいのペースでしか孔がなかったんだろう? それぐらいなら何とかならないか?」
「結局一人で抑えきれる範囲を超えた時点で、そのペースはあまり意味がないのよ。抑えきれないのなら、やはり人手は必要になる」
「それも、単なる人ではなく、魔力持ちが必要か……」
然様、とオミカゲ様が頷いて続ける。
「御由緒家を始めとした魔力持ちを用意できたとしても、数を期待できない。手が足りなくなるのは目に見えているし、ミレイユの帰還と共に座標の確度が上がる事を思えば、その時点で抑えきれなくなる」
なるほど、とミレイユは顔を上げて、髪を手ぐしで直そうと試みながら、話の続きに耳を傾けた。
「ではそれより少し遡れば……三百年ほど前ならば、というと現実味がありそうに思えるが、信徒の数を簡単に増やせるか、という問題がある。時間は多く、現代までに増やせそうではあるが、しかし霊地の多くは既に使われており、そこから押し出して建立は難しい」
「結局マナ不足で困窮する破目になるか……」
「信仰の願力は結界の堅固にも影響する故、これを疎かには出来ぬ。魔力持ちの数も、やはり三百年では足りぬだろう」
手櫛で髪を綺麗に戻そうと悪戦苦闘するが上手くいかないもので、それでもしつこく手で梳かす。難しい顔をしながら、ミレイユは問いかけるように続けた。
「難しいものだな。だが、増えない足りないというのも仮定にすぎないんじゃないか?」
「いいや、この千年を生きて推移を見てきた事実と照らし合わせれば、大きく間違っていなかろうと思う。現代に近ければ近いほど、信徒の獲得は難しいとも考えるべきだ」
「ではいっそ、千年以上前に行くのはどうだ? 準備期間を長く取り、その分強化に充てるというのは」
良いアイディアに思えたが、オミカゲ様は首を横に振った。
「それでは一千華の寿命が足りぬ。結界は一千華頼みである以上、千年より前だと破綻が先にやってくる」
「他の誰かで代用できないのか」
「一千華と同じ力量を持つものか? 居らぬだろう」
「お前がやるのは?」
ミレイユの指摘はごく当然のものに思えたが、しかしオミカゲ様は苦笑して首を振った。
「お前はもう少し謙虚であったと思ったが……。我とて万能ではないし、他の誰より有用であろうが、しかし一千華に並ぶものではない」
「並び立てるレベルでなければいけないのか? 無理だというなら、例えば複数人で当たるというのはどうだ?」
ミレイユの意見は、オミカゲ様から情けないものを見るような視線で却下される。
「その程度の事、考えないでいる訳なかろうが。だが出来ていないという現実を見よ。我とて結界の重要性はよく理解しておる故、それに力を注ぐのはやぶさかでない。されど現実問題として、我は結界術に向いておらぬのよ」
「まぁ、それは私自身認めるところだが……。しかし、そうか……それ程なのか」
ミレイユは大仰に溜め息をついて首を振る。
「なるほど、考えた結果が今だという事は理解した」
「――ジレンマよ。千年よりも後なら結界が持たず、前であっても結界は元より他も付いて来ぬ。一年、二年を前に倒すのは有効かもしれぬが、それでも多くを遅らせる事はできぬ」
「ままならん、という訳か……」
ミレイユが重く息を吐いたところで、オミカゲ様は決意の籠った視線を向けて来る。まるで射抜くかのような鋭い視線だった。
執念だとミレイユが感じた、あの熱意が千年経っても摩耗する事なく渦巻いている。
「そなたには行ってもらわねばならん。今度こそ、これが最後だという思いで、我はその為にこの時代を築き上げた。その為の土台も整えたつもりだ」
「ああ……」
それについては心の底から感心するし、敬意を向けたい気持ちもある。
だが、それでも尚、決心が固まらない。やってやる、任せておけという奮わせるような思いが沸いて来る事はなかった。
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