混迷の真実、明瞭な虚栄 その1
「最近、結界の魔物が強くなって来た、という話は覚えておろうな? 何度も結界には入り込んでおった事だし、その実感もあったのではないか?」
「それは……」
確かにあった。
それは最初の話題として挙がった時にも思っていた事だ。
アキラを基準に考えた時、最初は魔力なしで戦えていたものの、僅かな間で魔力ありでなければ戦場に立てなくなる程だった。
アヴェリンのしごきで再び戦場に立てるようになったものの、つい最近ではミノタウロスすら出てきて、アキラが対抗するには厳しい展開になってきた。
千年もの間、拡大を阻止して来ていた事を思えば、この敵の強化具合は異常の一言に尽きた。敵が持つ魔力の大きさと、その戦闘力はイコールで考える事は出来ないが、指針とするには十分なものだ。
それを考えれば、孔の拡大は急速に広まっている証明ともいえる。
「……ああ、確かに魔物の強さの最低基準は上がってきている。インプの姿はすっかり消え失せ、今ではトロールが居て当然。最初とは雲泥の差だ」
「代替わりをすればいいと申したな?」
突然の話題転換に眉を顰め、そしてすぐに結界の事だと思い直す。転換ではなく、戻っただけだ。もう少し分かり易く言え、という気持ちで睨みつけると、オミカゲ様は自嘲気味に笑った。
単にミレイユへ謝罪するというものではなく、己の無力を悔いるような、悲し気な笑みだった。
「どうせ無理だと思って試してみたが、そうした矢先にこの現状がある。防げていない訳でもないし、これまでも
そこまで言ってオミカゲ様は、慚愧に堪えぬといった表情で顔を歪めた。
「結界の精度、あるいは厚さ、結界を構成するあらゆる要素に対し、その力量が足りておらぬのが理由であろうな。それと並ぶ実力を擁する者がおらぬ故に、このような事態になった。――いや、責めておるのではない。貧乏くじを引かされて、その者も参っている事であろうよ」
「それ程までに質の低下する事なんてあるのか? 千年保った方が奇跡だろう。それとも、そんな運任せの綱渡りをして来たとでも言うのか?」
オミカゲ様は首を振る。悲しげに、やるせなさを多分に含んだ動きだった。
八房から背を離し、座布団を手に取って立ち上がる。重い足取りで戻って来ては、最初にいた席へと座った。
そして改めて、傍らへ一言も発せずに座っていた老女へ片手を向ける。
「改めて紹介しよう。こちらの大宮司が、その結界を担っていた術士である」
「そういう事か……」
寿命というのは言葉通りの意味だった訳だ。
一人の才能ある術士の生命が尽きようとしている。この場に同席するには込み入った話を聞きすぎているとは思うが、結界を担う人物となれば、この世を護ってきた中核の一人として、参加する権利があると見做されても不思議ではない。
とはいえ、仮にそうだとしても、聞いて良い事以上の話を聞かされているようにも思う。そこまで評価している人物なのかと目を向けたのと同時、更なる衝撃の発言がミレイユを襲った。
「そして最初から、その本名を名乗らせなかった非礼を詫びよう。この者、我と共に千年を生きた友である」
「何……?」
ミレイユがその単語の意味を理解するより先に、一千華は一礼してから顔を上げ、その顔に儚げな笑みを浮かべた。
「千年、この時を待ち侘びていました。本当にお久しぶり……。今の名前はオミカゲ様より賜ったもの。私の本当の名は……ルチアです」
「なっ……!? ルチア!?」
ミレイユも相当に驚いたが、それより大きな反応を見せたのは、当のルチアだった。
ガタン、と音を立てて膝立になり、両手を机の上に乗せ、身体を前に出しては一千華を食い入るように見つめている。
お互いの目が合うと、凝視するようにルチアが眉間に力を入れる。
十秒もそうしていたかと思うと、やがて力尽きたように弱々しく座り直した。
「既視感はあったんです……。どこかで見た、どこか知っている感覚。でも、あり得ないと最初に除外した可能性が、まさか当たってるだなんて……」
「本当なの、ルチア? 間違いない?」
ユミルが伺うように聞いてみれば、ルチアは俯いたままコクンと頷く。
ミレイユもまたその老女を見てみれば、その瞳が良く似ていた。老いて皺だらけの顔面とはいえ、その面影は確かに残っている。
エルフの寿命は長い。
千年生きたとしても不思議ではなく、そしてルチア程に制御力を持つ魔術士も他にはいないだろう。というより、ルチアだからこそ結界をここまで堅固な術として生成できていた。
彼女の代わりを務められる人材が、他にいないと言われれば、むしろ納得しかしない。
そして同時に、この場でミレイユ達と同席できる身分である事も理解した。
この面子の中でどうしているのかと疑問に思ったものだが、むしろ彼女以上に同席して良い人物はいないだろう。
ミレイユは我知らず、口元を覆って重い溜め息を吐いた。
何と声を掛けて良いのか分からない。どういう表情をすれば良いのかも分からなかった。
一千華がルチアを見ながら、おっとりと笑って小首を傾げた。
「千年前のわたくしは、本当に小さくて……こんなにも頼りなく見えたかしらね」
「……私は非常に複雑な気分です」
「そうでしょうね。一目会いたいと願って、それを叶えてくれたオミカゲ様ですが、本当はそうするべきではなかったと理解しています」
ルチアは伏せていた顔を上げ、非難するような視線で見つめる。
「ここで素性を明かすのは、私に結界を継いで欲しいからですか。頼りない誰かより、私の方がよほど頼りになりますものね?」
「思い上がらないで下さい、小娘さん」
予想に反した強い非難を帯びた物言いに、ルチアのみならず他の面々も面食らった。
一千華は深いシワをくしゃりと曲げて、笑みを浮かべたまま続ける。
「他よりマシである事は確かでしょうけど、わたくしの千年の集大成、自分だからとそう簡単に真似できるとは思わない事です」
「でも、私は結界を解析できました。……そう、私の癖とよく似た術式、だから理解も早く、そして外からこじ開ける事だって出来た。だから……!」
「他よりマシだと認めると言ったでしょう。でも、それだけです。それだけで私の千年と並べるとは思わないで下さい」
厳しい口調で言われて、ルチアは悔しそうに顔を歪めてまた俯いた。
実際、それは事実ではあるのだろう。他より遥かにマシであっても、同様の効果を発揮するには研鑽が必要だ。そして、既に諦めを見せているという事は、その研鑽は結界の崩壊より早く終るものではないと理解している、という事になる。
「それを教えてどうするつもりだ。何が目的だ」
「もはや結界の崩壊は免れん。いずれ強大な魔物もやって来る事だろう。座標の確度が上がれば、孔の数も増えてくる筈。対処せず見捨てるつもりもないが……」
「共に戦えと言いたいのか? 少しでも破滅を遅らせる為、結界から出てくる敵を倒して回れと?」
ミレイユは眉間にシワを作り、頭が痛くなる思いで言った。
座して死を待つつもりもない。そうとなれば対処に身を投じるしかないだろう。御子神という立場は、自ら動くも人を使うも自由にやれる権力を与えてくれる手助けになる。
ミレイユは今更ながらに、なるほど、と感心すると共に呆れてしまう。
それを見越しての御子神認定だったか、と歯痒く思うが、有事の際には確かに有効な方法だった。
だが、オミカゲ様は首を横に振った。
「世界の破滅はいずれやってくるだろう……。日本は護れるやもしれんな。だがアジア全域となれば? 欧州まで広がれば? 海を超えた先は?」
「そこまで広がるのか? いや、そう考えればこそ、か……?」
「元より跳ね除けられるものではなかったのかもしれぬ。そうと願い、その為にこの力振るったものだったが無理だった。だから、そなたに頼むのだ。あちらに戻って大神を止めろとな」
ミレイユは突然の事で息が詰まった。それから重く息を吐く。身を屈めて肘を机に下ろし、それから額へ手を当てた。
ゆっくりと揉み解すように手を動かし、それから目だけを向けてオミカゲ様を見る。
「……言っていたな。お前もまた、あちらに飛ばされたのだと」
「然様」
「だが、こうしているという事は失敗したと見ていいのか?」
「まさしく。だから過去に飛んでやり直しを計った」
「そこが分からない」
ミレイユは視線を向けたまま額を揉む。
「何故過去へ飛ぶ必要があるんだ? それも千年という時間を。あちらに戻る直前に帰ってきて、何故失敗したかを伝えてやり直させる訳にはいかないのか?」
「それも解決の手段かもしれぬが……それで世界は救われぬ」
「されないのか?」
「されぬであろうな……」
オミカゲ様は遠い昔を思い出そうとしてか、天井付近に視線を向けた。それから重い溜め息を吐いて瞑目する。
「我が帰還した時の日本は、今のように恵まれた状態ではなかったのよ。既に結界は機能しておらず、日本は魔境と化していた。我は訳も分からず彷徨い、魔物が蔓延る日本を渡り歩いた。あれこそまさに、水際対策を失敗した末路であったろう」
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