一つの決着 その9

「大体、お前達はどうなんだ? 私なんかより、よほど詳しく知っている筈だろう。逆に聞かせてくれ。オスボリックはどういう神だ、策謀を巡らすタイプなのか?」

「物静かで、ろくに口を開かんし、何を考えているか分からんタイプだ。だから、あぁして聞いてたんだろ?」

「……ちょっと待て。何でお前が知らない事を、私が分かると思うんだ」


 呆れ果てた顔を隠そうともせず息を吐くと、インギェムは苦渋に満ちた顔のまま、当然の理を口にするように言う。


「だって、お前は何でも簡単に正解を導き出すじゃないか? ちょっとした言葉尻から、こっちが驚く様な洞察をしてくる。だったら、これだってちょっと考えれば分かるだろ?」

「……何を言ってるんだ。私がいつから全知全能になった? 分かる事は多いかも知れないが、分からない事の方が多いに決まってるだろ」

「だとしても、己らにも分からない事だろうと、お前なら分かると期待するから聞くんだよ」


 インギェムの理屈は無茶苦茶で、単なる願望を口にしているに過ぎない。

 無から有を作り出せる訳がないし、少ない情報から幾らでも正当を導き出せる程、有能になったつもりもない。


 そして、いつだって己一人で導き出して来た答えは多くなかった。

 ミレイユがルチアへ目配せすると、何を期待されているか察知して、捻った首をそのままに口を開く。


「まぁ……、オスポリックの性格云々を推量するのは、不毛なだけなので止めましょう」

「そうだな……」

「でも、生存説については、有り得ない話ではないと思います。いつだって、死亡を確定させるのは、その死体を見つけた時です。その理屈で言うと、大神は死んだと断定できない訳で……」

「聞いた時は思わず納得してしまったが、死骸から泥が生み出て、毒染みた呪いが発生する、というのも不可解な話だ。それとも、神の死体は長年放置すると、腐るだけじゃ済まないのか?」

「でもですよ、本当の意味での神は、今のところ見てないじゃないですか。全て素体を元にしている、謂わば偽神である訳で……。そして死亡すると、神魂という形で『遺物』に吸収されるまでがプロセスな訳ですよ。『神の死骸』が観測された前例はないと思うので、やはり確証は得られないと思います」


 ルチアから理路整然とした反論が得られて、ミレイユは唸って言葉を飲み込んだ。

 ルヴァイル達に目を向けると、気不味そうに目を逸らすばかりで、ろくな返答は期待できそうにない。

 そして、その反応から察するに、そこまで深く考える事なく、言われるままに信じてしまった、という事らしい。


「一応聞くが、魔力の強い死体などから、呪いが発生した前例は? 例えば、エルクセスとかそういう、他に類を見ない類いの……」

「知らないですね。私の知る限りにおいて、死体が腐る事で周りに実害が出る事はあっても、呪いという形で振り撒かれる事は無かった筈です」

「その辺は普通の動物と一緒な訳か……。ならば素体も、と同じ様に考える事は早計だとして……。では、神の遺骸も……と考えたところで、やはり結論は出ない訳だな」


 えぇ、とルチアは悔しげな顔をして頷く。


「確かな証拠とは、その事実を確定させた時のみ得られるものです。神の素体が神の肉体と酷似していると仮定できても、死体を確認できない以上、憶測以上の答えは出ませんし……。であるなら、やはり憶測で決めるしかないと思います」

「あの瘴気は、大神の死体から発生したものかどうか、か……?」

「はい。生物の理屈としては有り得ない話なんですよ。魔力ある肉体が腐る事で呪いが振り撒かれるなら、今頃エルフの森は呪いで充満してる事になりますし」

「だが、死体を放置する事、強い恨みを持つ場合、それが呪霊として生まれる事もある……そうだろう?」

「ですね。でも、瘴気なんてものが発生した事例は知りません。その辺りは、神々の方がより良く知っているのでは?」


 ルチアがルヴァイルへ水を向けると、一瞬戸惑った顔を見せつつも、毅然として見えるよう佇まいを正して頷く。


「え、えぇ……。呪霊発生の原因は、供養なく放置される事、強い魔力が強い恨みと結び付く事で生まれます。その際に周囲の生命を奪う事はありますが、瘴気の様な、毒とも呪いともつかないものが発生した事はありません」

「じゃあ、あの瘴気――瘴気と呼んでいるモノは何なのよ、って話になると思うんだけど」


 深い思考の没頭から帰って来たと思われるユミルが、指を一本突き付けながら言った。

 その指を突き付けられたルヴァイルは、困った顔をしてミレイユを見つめて来る。


「そんな顔されても困るんだが……。だが、私としては、瘴気という名で呼んだだけの、別物と見るべきだと思う。その本質と目的……となると、やはり分からないが」

「ラウアイクスの置き土産? 死ぬとなったら、全てを巻き込む為の……?」


 ううん、とユミルは自らの発言を、自分で否定して首を振る。


「違うわね。封じていたんですもの、制御できてない証拠だわ。だとしても、そんな厄物、身近に置きたいものかしら……?」

「ないと思うな……」


 ユミルの独り言の様な発言を拾い、インギェムもまた首を振った。


「オスボリックが自分の神処を離れたがらないのは、封印を堅持する為だった。大神を封じ続けるには必要な事と思ってたが、実際は違った。じゃあ、初めから瘴気を封じる為だったとして、という時の為に、そこまでして用意するものか……?」

「ちょおっと、考えられないわよねぇ……? じゃあ、瘴気は大神の置き土産って考えるとしっくり来るんだけど……」

「やはり、死んでいたと見るべき……そういう事か?」


 ミレイユが問うと、やはりユミルは首を横に振る。


「そうとは限らない。インギェムが言ったわね。。……ねぇ、死んでないとしたら、大神はどこにいるの?」

「存命であり、逃げおおせているなら、反撃してそうなものだ。ドーワも言っていたろう。封印を破るのに時間は掛かろうとも、百年掛けようと抜け出して、ドラゴンの姿を元に戻して逆襲するだろうと。……だが、現実にはそうなってない」

「でも、事実としてダンマリなのも確かなワケよね。だから、身内の筈のアンタらでさえ、大神は生きて封じられていると信じ込んでいた」


 ユミルが冷めた視線を向けると、二柱は痛いものを堪えるように顔を歪め、ややしてから頷いた。

 溜飲を下げる為にやった事ではないにしろ、ユミルそれで気を良くしたように笑み、それから続ける。


「アタシとしては、既に世界の何処にもいない、って説を推したいんだけど」

「死んだ訳でもないのに……? 文字通り、世界の外へ飛び出した、と言いたいのか? しかし、神だぞ。世界を超えられない、という理はどうした」

「……そうね。大神が死んで、代わりに瘴気が溢れた……そう考えると、実際説得力はあるのよね。でも、同時に言ってもいたじゃない。『移住計画』……、これがどうしても気になるのよ」

「大神もまた、ラウアイクスの様な性格をしていたとしたら、己の命を助ける為にこそ計画した筈……か。地上に住まう全ての命を無視するかどうか、そこまで分かった事ではないが……自己犠牲と献身が根底にある筈はない、と……」

「暴論かしらね?」


 その大神を、一度でも目にした事のないミレイユには分からぬ事だ。

 仮に似通った性格をしていたのだとしても、同一ではないだろう。


 世界を想像した神として、世界に住まう命に対して責任を持っていたかも知れず、そうとなれば己の身だけ助かれば良い、という暴論は破綻する。


 しかし、それは推測するしかない部分だった。

 会う事も出来ず、それを知ってた神々も死んだ。


 の神らは、ミレイユ達の目的を思えば捕虜として生け捕りにする訳にもいかず、生かしておく危険を考えると殺すしかなかった。


 仮に情報を聞き出す為に拘束したとしても、抜け出す危険性の方が高く、御し切る自信もないとなれば、下手な欲を出さない方が正解だ。

 生け捕りは大きな実力差があって成立するものでもあるから、ミレイユ達には荷が勝ちすぎた、という理由もある。


 ルヴァイル達は大神と出会った事はあるにしろ、接触回数が極端に少なく、だから記憶にもない上、印象すら残っていない。

 大神にとっても興味の対象外だったのか、失敗作に用は無い、という判断からか、とにかく二柱に訊いても実のある話は聞けそうもなかった。


 そこまで考えて、大神を良く知る者が、すぐ近くにいる事を思い出す。

 前方に集中して速度を出しているドーワへ、ミレイユは大きく声を張り上げた。


「――おい、ドーワ! 少し話を聞かせてくれ! 大神はどういう奴だった!」

「……なんだい。急ぐとなると、あまり後ろ向けないんだがね」

「そこはすまないが、少しだけだ。大神とはどういう奴らだった? もしかしたら、未だ存命の可能性もあるんだが!」

「有り得ない、って言いたいがねぇ。……何をどう考えたら、そんな発想になるんだい……」


 ドーワが鎌首をもたげて後ろを振り返り、呆れ果てた目と声を向けて来た。

 顔を後ろに向けた事で若干速度が落ちたが、話の内容もまた重要だ。


 聞いてくれる余力があるというなら、今の内に済ませておきたかった。

 ドーワは少し考える仕草を見せたが、すぐに口を開く。


「大神の御方々が、その御身一つで逃げ出すだろうか、と言われたら、ないと答えるね。そもそも、摂理の問題で不可能、という話だよ」

「それは分かってるが……。そうか、大神でもそれは変わらないか。偽神だから無理ではなく、同様に大神もまた不可能だと……」

「それに、御身一つで世界を飛び越えてどうする。神である以上、願力が無くては存在できない。神を拝み奉る信者なくして、神としての存在を維持できるもんか」


 それは新しい視点だった。

 神として存在する――昇神する時に必要なのも、信仰という願力だ。


 そして、神はそれを力の源とする。

 ならば、それが全くなければ存在として維持できない、という理屈も理解できる気がした。


「じゃあ、やはり既に世界を飛び出している、という説は否定して良さそうだな。ならば、何処かに隠れているのか? 世界の破滅を目前にしても、沈黙を守っているのは不自然さしか感じないんだが……」

「あるいは、沈黙する事しか出来ない可能性もあるねぇ」


 ドーワが思案するように目を細め、どういう事かと言葉を待つ。


「もしかしたら、封印自体を自ら行っていたのかもしれないよ。肉体を捨て去り、魂すらも何処かへ閉じ込もっているとしたら……それもまた、一種の封印だろうさ」

「そんな事が出来るのか? いや、創造神なら、何が出来ても不思議じゃないが……」


 封じられたのではなく、自らを封じて最悪を避ける。

 それは有り得る事なのかもしれなかった。


 ミレイユは少し考えてみる。

 叛逆され、打倒されたとして、その場で拘束されたものの、封印自体は後回しにされたとしたら――。

 ドーワが口にした、肉体を捨て去るという事が本当に可能であるなら、実行していても不思議ではない。


「もはや逃げ切れない、封じられるしかない、という状況なら……? 物理的に逃げられなくとも、神魂だけ逃げ出す事が可能な状況なら……? やるかもしれない。……さながら、蜥蜴の尻尾切りのように、肉体を捨てて逃げた……、かも」

「可能性の話さね。無論、神魂は『遺物』へ吸収されてしまう事になるだろうから、何か手は打っていたと思うがね」

「逃れる手段があるというのか……。本当にそんな手段があるなら、八神としても真似したと思うが」

「全く同じものを、同じ精度で用意できなかっただけじゃないかね。神を名乗るとはいえ、得意不得意があり、そのうえ出来る事は限られる。大体、そのを知っていたとも限らない……」


 確かに、ミレイユは一度ならず、その多才を神の口から褒められた。

 神々は強力な権能を持ち、頑丈さも折り紙付きだが、何でも出来る存在ではない。

 方法如何によっては真似できない、という指摘は正しいように思う。


 だが、それならば、どういう方法なら可能だと言うのか。

 ドーワがそれを知っているというなら、聞いておかねばならなかった。

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