真実と新事実 その3

 ドーワが力強く宣言してくれたとおり、一声上げるなり他のドラゴンもいきり立って咆哮を上げた。

ミレイユは促されるままドーラの頭に足を掛け、そのまま首を伝って背中へ回る。


 アヴェリン達もそれに続き翼の付け根、人にとっては肩甲骨に当たる部分で立ち止まり、その間に座らせて貰った。

 ドーラが長い首をもたげて、肩越しにこちらへ顔を向ける。


「このまま向かえば良いのかい? あいつらだって馬鹿じゃない。すぐに見つかっちまうよ」

「……そうだな。ところで、ドラゴンが姿を取り戻した事は、既に知られていると思うか?」

「さぁて……、まだ半日と経ってないんだからね。『遺物』を使った事は察知できたとして、その効果まで確認する事は難しい。何をしたか、どう変化したのか、傍目で見てちゃ分からないもんだ。わたしらドラゴンを、常に監視してるとも思えないしねぇ……」

「そうなのか?」


 ドラゴンは小神にとって天敵だ。それを知っているなら、監視の目は緩められないように思う。

 しかし、ドーワの瞳には自信に満ちた輝きが放っていた。


「何の為に大人しくしてたと思うんだい。何千年もわたしらが動きを見せなかったのは、時機が訪れた時、奴らに慢心を抱かせておく為だ。いずれは気付くだろうが、いま暫く猶予がある」

「なるほど……。じゃあ、その猶予の間に済ませてしまうとしよう。神々の目を潜って行くには、こちらにも用意があって……」


 言いながら、ミレイユは今も大人しく肩に留まる鳥、ホワソウに目を向けた。

 夜ならば鳥目で飛べないのではないかと思うのだが、日がすっかり暮れた今となっても、眠ることなくミレイユを見返してくる。

 光る眼からは理性すら感じられ、問題なく使命を果たせる、と告げているようですらあった。


「フィーフィッ」

「こいつが案内役を務める。監視の薄い場所や死角を先導してくれる手筈になっているから、神々の住処への急襲を容易にさせてくれるだろう」

「そうなのかい……。しかし、何でまたそんなものを? まるで神々の中に、裏切り者がいるかのようだが……」

「そうだ、裏切り者がいる。世界の終焉に抗う方法は、神々の間でも割れたらしく、その一つとして選んだのが大神の復活だ。当然、自らの命はないと理解しつつも、大神に全ての解決を託すつもりらしい」


 ドーワは鼻で笑い、それから大きく首を巡らせて、他のドラゴンと視線を合わせる。

 思う事は様々なようだが、どれも嘲笑が混じっている事は共通していた。


「今更、自分達の不手際を棚に上げて、全てを任せようなんてねぇ。そんなの大神だって納得しないだろうが……、救出の功を持って助命嘆願するつもりじゃないって言うなら、まぁ良いかね」

「だから、ルヴァイルとインギェムの二柱は殺すな。そいつらには、大神の封印を解く手助けだけじゃなく、他の役割も担ってる。見つけたからといって、早々に食い殺されても困るんだ」

「……そうかい、その二柱だけで良いんだね?」

「あぁ、そうだ。他の神々と戦う時にも、合流して共闘できないよう、バラつかせるつもりでいるようだが……。こればかりは不特定要素が大きすぎて、絶対可能と保障できない。状況次第だが……各個撃破を狙おうと思ってる」


 ふむ、とドーワは頷き、それから顔を正面に戻して、翼を何度か羽ばたかせた。

 彼女が飛び立つ姿勢を見せると、他のドラゴンも続いて竜翼を動かし始める。

 それは最古の四竜だけに留まらず、周囲でミレイユ達の様子を見守っていたドラゴンも同様だった。


 ドーワが一際大きく翼をはためかすと、颶風が巻き起こって巨体が浮き上がる。

 ドラゴンがどれ程重いのかは知らないが、鳥のように翼を動かせば飛べるものではないらしく、その動きには微細な魔力制御が感じられた。


 翼はあくまで補助的役割で、魔力を伴い飛ぶのがドラゴン流らしい。

 一度浮き上がると、後はするすると重力を感じさせない動きで上昇し、もう一度翼をはためかせて横移動を開始した。


 雲海の上を徐々に速度を上げながら飛び、竜の谷があっという間に後方へ流れて見えなくなる。

 雲海が後ろに流れていく速さを見れば、どれ程の速度が出ているのか分かろうというものだが、不思議と風の抵抗は感じなかった。


 風が髪を揺らさないほど無風ではないが、乗用車に乗って窓を開けている程度で済んでいる。

 飛行速度を考えれば異常な事態だが、これも魔力を使って飛行している事の恩恵であるかもしれない。


「こんなにも空が近い……。竜の谷へ降り立った時、雲海を下に見た際にも思いましたが、これはその時以上の感動です」

「そうね……。荘厳で、美しいわ。世界の終焉が近いとは、これを見てると全く感じないわね」


 ルチアとユミルが共に笑みを交わし合い、後ろへ流れていく雲や、遠く見える空孔を眺めては微笑む。

 月明かりが雲を照らし、風の流れる音以外耳に入らない世界は、確かに美しい。


 空が近いせいで空孔もよりハッキリと視認でき、だからそれが確かに傷の類だと確認できた。

 実際に間近で見るからこそ、よく分かる。

 これは確かに傷に違いなく、そして“世界”に付いた傷だ。


 例えばミレイユが所持していた『箱庭』の世界には、これ以上進めない、という透明な壁が存在している。

 どこまでも続く世界の様に思えるが、実際には見せかけの世界だった。


 それと同じ事が起きていて、その壁に傷がついているのだ。

 星が瞬かない本当の理由――。

 それは、この世界が”巨大な箱庭だから”に他ならない。

 それがアキラも疑問に感じていた、星のように見える、星とは違う空孔の正体だった。


「そういう事か……。歪な世界、維持する為の世界……。世界を惑星と考えていたから、色々と矛盾を感じていたが、そもそも惑星ではなかったんだ……」

「なるほど、箱庭……。世界を箱庭に見立てて好きにしてると思ってたけど、まさしく箱庭なんだから、そりゃ傲慢不遜にもなろうってもんよね」


 ユミルが機嫌悪く顔を顰め、吐き捨てる様に言う。

 だが、その感想も彼女の心情を思えば、まだ生易しい表現だろう。


 似た感情――唾棄する気持ちは、ミレイユにもある。

 アキラもそれに気付き、不安と恐怖を感じる表情で、ミレイユ達と空を見ていた。


 箱庭を作る技術があるのなら、それを使って自らを隠しているのではないか。

 いつだったか、その様に予想した事がある。ある意味で、それは事実だった訳だ。


 完全な虚構世界ではないにしろ、ミレイユが良く知る惑星をこそ世界と言うなら、これとて虚構みたいななものだろう。

 アキラは前方に雲の切れ間を発見すると、身を乗り出して下を見ようとしている。


「地球との違いから世界が違うんだと思ってましたけど、もっと根本的に違っていたんですね」

「そうだな……。惑星の維持といわれたら首を傾げるが、これを見ると理解できる」

「この世界で暮らす人は、それら一切を知らずに、今も生きているんですね。……そのうえ、世界の終焉が近付いている事も知らずに」


 今まで幾度となく、小神という贄を使って継続されて来た世界の筈だが、それも神ならぬ身には分からぬ事だ。

 むしろ世界が終ろうとする事など、知らぬ方が幸せには違いない。

 眼下を見下ろしながら思慮を巡らせていると、ドーワが含み笑いを隠そうともせず、首を大きく曲げて顔を向けてきた。


「ほら……。これから世界の歪さってヤツの、その一端が見えて来るよ。八神の傲慢さ、自己保身を体現した姿をね」

「傲慢、保身の体現……?」


 ミレイユの疑問にドーワは答えを返さぬまま、顔を正面に向ける。

 言うだけ言って黙りか、と不満にも思ったが、返答を拒否したからではない、とすぐに分かった。雲海が途切れ、地表の姿が見えると同時に、大瀑布の全貌も見えてくる。


 そこで目にしたのは、地球という惑星の形を知っていれば、到底理解できない光景だった。


「これは……」

「ちょっと、ちょっと……」

「え、何がどうなってるんです、これ!」


 誰もが唖然と歪な世界を凝視する。

 前知識がないルチアやユミルなどは、単に不可思議な形だという意味で驚愕していたが、アキラは到底信じる事が出来ずに驚嘆していた。


 それほど常軌を逸した光景が、目の前に広がっている。

 デイアート大陸については特に言及する箇所はない。

 南北に長く、東西はそれと比べて半分程の長さしかないが、特筆するほどおかしな部分ではなかった。


 ミレイユも思わず大きく顔を歪めたのは、大瀑布を含めた時の光景だ。

 大瀑布とは、地表からその滝口が見えないとされていた。

 あまりに高い位置にある所為でもあるし、滝壺へと打ち付ける水が常に吹き上がり、水蒸気の層が遮蔽効果を生み出していたからでもある。

 それが視界を遮って、上空の様子を隠していた。


 果たして、どれほど高い位置に滝口があるものか。

 それも不明な時点で、相当な高所にあるのだと誰もが想像していたが、実像は誰も確認できないでいた。

 だがこうしてドーワの背にいる今、見紛うことなく、それを確認できる。

 大瀑布の滝口は、見えなくて当然、雲の上にあったのだ。


 水の流れ落ちる先が、まるで雲海の上と錯覚してしまう程、その滝口は高所にある。

 元より常識の外にあった大瀑布だが、余りの巨大さに遠近感が狂う程だった。

 それだけでも驚嘆するには十分だが、アキラも驚いた本命はそこではなかった。


 いつかルチアが予想していたように、大陸の東側に大瀑布があるなら、西側にも同じく滝口があって、そこへ水が落ちて行っているのではないか、という予想は正解だった。

 この世界には端がある。


 今しがた確認できたように、世界は箱庭であり、明確な境界線があり、水の流れさえ不自然に遮られている。

 水の落ちる先が何処に消えているかは不明だが、それもまた、どこか異界へ通じているのかもしれない。


 そこから見えて来るこの世界は、例えるなら二段重ねのホールケーキみたいなものだ。

 大瀑布が二段目ケーキの壁であり、その上に神の住まう世界がある。そして、人々の世界は一段目のケーキだ。


 その世界が縦半分に割られ、箱の中に閉じ込められている。他に大陸はなく、滝上にも――二段目のケーキの世界にもまた、大陸の様な大きな陸地は存在しない。

 点々と島らしきものは確認できるが、多くの民が暮らせる地表というものは存在していなかった。


 この世界にデイアート大陸以外は存在しない、という部分については、どうやら真実だったようだが、それより他は全て秘匿されて来た。


 そして、同時に思う。

 この姿を隠したいからこそ、神々は空を奪い、飛ぶ事を禁じたのではないか。

 歪な世界、窮地にあり終わりを迎える世界、真実を覆うため用意された禁忌――。


 ミレイユは、その疑念を強く抱かずにはいられなかった。

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