実践 その1
箱庭から出て、アパートからも飛び出したところで、アキラの動きがはたと止まる。
アキラも装備を整えていて、その手には既に愛用と言って良い刀を袋に入れたまま握っている。
いつもならここから担ぎ上げられて運ばれていたのだが、今日は違うのではと思い至った。何しろ今のアキラには魔力がある。これの使い方次第で、今とは全く違った世界が見えるのは良く分かっている。
問題は、その使い方をよく分かっていない事だった。
既に全員が完全装備で揃っていて、今にもルチアが走り出そうとしている。
ユミルが全員に姿を隠蔽させる魔術をかけると、早速ルチアとアヴェリンが揃って走り出した。他の面々もそれに追従するように走り出し、それでアキラもそれに続いて走ろうとしたのだが、あっという間に置いていかれて見えなくなった。
「いや、これ、どうすればいいんですか……!」
もはや聞こえないと思っていたが、その声を敏感に拾ったミレイユが振り返る。呆れた表情というより、呆けた表情が魔女帽子の下から見えた。
立ち止まって手を顎に当て、どうしたものかと考える仕草を見せる。
ミレイユの異変に気づいたユミルが戻って来て、そしてアキラの姿を見て納得したように頷いてみせた。
「早くいらっしゃいな。魔力が満ちた身体で、どうしてそんなに遅いのよ」
「どうしてと言いたいのは、こちらの方なんですが!」
待たせてはならじと、ミレイユたち二人に追いついたアキラが息も絶え絶えに言った。
「使い方まで、聞いてませんよっ! 何も、教えて、貰って……ないんですからっ!」
「……内向魔術に、そんなのいらないでしょ」
「息を吸って吐くのに、説明がいるか?」
アキラの抗議にも、怪訝な表情で返されては、それ以上は何も言えない。
単純に自分が――自分のやり方が悪かったのかと思っても、別に腹に力を入れれば魔力が開放されるというような感覚もない。
アキラが自分の広げた両手を見て、そして腹や足まで視線を移しても、何かが湧き上がってくるというような感じはしなかった。
ルチアに教えてもらったマナの吸収法を試してみても同じ。やはり何も湧き上がるものはない。
「まぁ、こういうのはアヴェリンに聞くのが一番でしょ」
「そうだな、まずは追いつくことを優先するとしよう」
言うや否や、ミレイユは手早くアキラを肩に担ぐと走り出した。
身体が後ろ向きなせいで、後ろに続くユミルと顔を合わせるような格好になる。ユミルの嫌らしい笑みを見たくなくて顔を逸らせば、その顔に手を出して嫌がらせをしてくる。
それを手で振り払うように動けばミレイユから叱責が飛んでくるし、こうして担がれて移動するのは情けないやら申し訳ないやらで、とにかく早く目的地に着いてくれ、と切に願った。
それからしばらく後の事、着いた場所は病院の敷地内だった。
駐車場方面ではなく中庭のような場所で、三方を凹型に重なった病院の壁に囲まれている。普段は憩いの場にも使われているらしく、閉塞感はない。
壁に囲まれていると言っても、うち二つは吹き抜けになった部分もあって、一階と中庭が通り抜け出来るようにもなっていた。
先に待っていたルチアは結界に手を伸ばし、既に解析を始めていて、アヴェリンはその傍で油断なく周囲を警戒していた。
アキラが担がれている様子に、呆れた表情を隠しもせず溜め息をついて、アキラが降ろされたのを見てツカツカと近付いてくる。
アヴェリンは一礼して己の不備を詫び、そしてアキラの肩を掴んでミレイユから引き離す。そのまま結界付近まで連れてきて、ルチアの周囲を警戒しながらアキラに言った。
「それで、どうしてあんな事になっていた?」
「まだ魔力の使い方聞いてなかったからですよ。呼吸をするように扱える筈と言われて、僕自身困惑しています」
「ふむ……?」
力ない声でそういえば、そこからも困惑するような声が聞こえた。
アヴェリンはアキラに顔は向けない。その視線はルチアを中心に周囲へ向けられており、アヴェリンの背後にいるような形になるアキラには、その表情が見えなかった。
なかなか続く言葉をくれないアヴェリンに、焦れてアキラから問いかける。
「内向魔術は専門じゃないから、師匠に聞けと言われました。何か特別な方法ないんですか? スイッチを入れるというような……」
「すいっちとは何だ」
「えぇ……、何て言ったらいいんだろう。じゃあ、何かレバーを引くような感じ、みたいな?」
「ああ、そういう……」
アヴェリンはそれで納得を示したが、しかし返答は芳しいものではなかった。
「だが、ないな。身体を魔力で満たされた瞬間から、己の肉体を強化・活性化させるのが内向魔術だ。満たされた後、次に生成される過剰となる魔力を、即座に強化する力に変換する」
「じゃあ、既に僕は強化されていないとおかしい、って事ですか?」
アヴェリンは頷く。
「ミレイ様のマナを間近で受けただろう。あれで満たされていないというのは、お前の魔力総量的に有り得ない。バケツを満たすのに、給水塔の水を全てぶつけられたようなものだ。満たぬ道理がない」
「でもそれって……、じゃあ逆に満たされてなかった事になりませんか?」
「何故だ」
アヴェリンの苛立たし気な声に、アキラはアヴェリンが言った例を頭に思い描きながら説明した。
「だって、それだけの量を一度にぶつけられたんでしょう? まず満たされる事が条件なら、何というか、その反動で水が溢れてしまうような事、あるんじゃないでしょうか」
断続的にゆっくりと上から注がれたという訳ではない。どちらかと言うと鉄砲水に近い、瞬間的な――突発的なものに感じた。
アキラもマナの吸収法を習ったばかり。それを余すことなく身に受けて、糧にしようという発想は最初からない。むしろ咄嗟に身の危険を感じて蓋をするよう動くだろう。
その事を説明すると、アヴェリンは幾つか疑問はあるものの、納得するような仕草を見せた。
「あり得る話だ。突然噴出されたマナを、その身に受ける事は危険だと身体は分かっているものだが……。そうだな、そもそも蓋という概念が我々にはない。それが理由かもな」
「じゃあ……」
「うん、お前はまた、開けた蓋を閉めた。そう考えるのが自然かもしれん。ミレイ様に報告しろ、すぐに戦闘が始まる」
「わ、分かりました……!」
アキラは一礼してその場を反転すると、ミレイユに小走りに近づいていく。
そしてまた一礼してからミレイユの傍に寄ると、ユミルも近付いてきて内容を聞き取ろうとしてきた。特別邪魔する意図はないようなので好きなようにさせ、アキラは口を開く。
「師匠から聞いてきました。どうも、まだ僕の魔力は満たされていないらしいです」
「そんな事ある?」
ユミルが怪訝そうに言うのと、ミレイユが指を二本立てて手を挙げたのは同時だった。ユミルの方をちらりと見てから、アキラに視線を合わせる。どうやら、少しの間黙っていろという合図だったらしい。
ミレイユが頷いて見せるのを待ってから、アキラは続ける。
「まず、僕に蓋があったというのが問題らしくて、ミレイユ様のマナを身に受けた時、咄嗟に蓋を閉めて身を守ろうとしたのではないか、と。だから僕はまだ魔力が満ちておらず――」
「内向魔術も発動していない、という訳か」
ミレイユが眉根を寄せて、アキラを上から下まで矯めつ眇めつした。
眉間のシワは消えぬまま、ミレイユは手を伸ばしてアキラの肩に置く。ミレイユの身体から蒼い光が立ち昇るのが見えて、アキラは思わず身を固くした。
殆ど条件反射のようなものだったが、もう片方の手で腕を優しく叩かれ、緊張させた身体から力を抜く。
そして自分の体を貫くような、包むような不思議な感触が十秒ぐらい続き、頭がボーッとしてきたところでミレイユが手を放した。
蒼い光も消えていて、身体の奥底に一つ熱い玉のような存在を感じた。それがフツフツと唸りを上げるように、あるいは動き始めたエンジンのように、アキラの身体を震わせる。
これがもしかしたら、魔力というものなのかもしれない。
アキラが握りしめる刀までもが、震えたような気がした。
この動き始めた魔力を、アキラ自身持て余している。どう動けば正解なのか分からず、縋るような思いでミレイユを見つめると、困ったように笑ってアヴェリンを指さした。
「ほら、あとはアヴェリンに詳しい事を聞け」
「そ、そうします……!」
気を抜くと声まで震えてしまいそうな気がした。
ぎくしゃくとした足取りでアヴェリンの傍までやってくると、それを見たアヴェリンが腹を殴りつけて来て、身体をくの字に折り曲げる事になった。
「お、おごぉぉ……!?」
咄嗟の事に、何の反応も示せなかった。
力を込めていなかったせいもあり、防具を無視してアヴェリンの攻撃が内臓まで衝撃を伝え、身悶えしながら蹲る。悶絶する痛みはいつまでも続くと思われたが、それがある瞬間からキッパリとなくなる。
アキラは顔を上げて、アヴェリンと視線を合わせた。
いきなり何をするつもりだ、と言うべきか、これは一体どうしたのか、と聞くべきか。
判断に迷っていると、顎をしゃくって立ち上がるよう指示される。拒否したところで意味がないと分かっているので素直に立ち上がると、再び腹を殴りつけられた。
全くの警戒なしという訳ではなかったが、それでもやはりアッサリとアキラは殴られる。
しかし今度は、殴られて痛みはあっても蹲る事もない。それどころか拍子抜けする攻撃に眉を顰めてしまった程だ。明らかに手加減した攻撃を不審に思う。性格的に言って、アヴェリンはそう言った手加減を全くしない。理不尽に思える攻撃にも、いつも何か理由があるものだ。
アキラの動きを一部始終を見て、アヴェリンは幾度か頷いてルチアの方へ向き直った。
自分だけ納得して何の説明もなしか、と思ったが、次いでアヴェリンが口を開く。どうやら警戒の任務を、疎かにしたくないだけだったようだ。
「一度目と二度目、殴る強さは変えなかった。これがどういう事か分かるか?」
「……え、じゃあ、僕はいま魔術を使えているんですか!?」
「内向魔術は使おうと思って使うものじゃないからな。ミレイ様が呼吸を例えに使われただろう。やれとか止めろとか言われたところで、どうにもならん」
「じゃあ、突然殴られたのは……?」
アキラの恐る恐ると伺う姿勢に、アヴェリンはあからさまな嫌悪を滲ませた気配を発する。
彼女はへりくだる男性という存在が、とにかく嫌いだというのは最近分かりだした事だ。
アキラは姿勢を正して、腕を背後で組んで顎を引く。
機嫌を直したアヴェリンが、続きを説明してくれた。
「お前は明らかに身体の内で魔力を巡らせていた。しかし形にできず、持て余していた。そこを強制的に動かしてやった。防衛本能を刺激してやるのが、一番手っ取り早い」
「それで……痛みに強くなった、という事ですか?」
「それも間違いではないが、肉体の強度も増している。攻撃する場合でも、その恩恵を理解できるだろう。だが、完全ではない。それは実地で慣れろ」
なるほど、と言ってアキラは拳を握り締める。
それだけで実感できるものではなかったが、しかし同時に違いが出ている事も理解できた。
そこにアヴェリンが冷や水をかけるような発言をしてきた。
「友人との付き合いには気をつける事だな。気軽に肩を叩いてみろ、腫れ上がるような打撃を与える事になるぞ」
「え、そんなに!?」
「私がどれだけお前を繊細に扱っていたか、それで分かろうと言うものだ。まるで壊れ物を扱うように、綿で包んで罅すらいれずに殴るというのは、相当に神経をすり減らす行為だ」
手加減していた事は知っていた。
されて当然の実力差だと理解していたが、確かに魔力を持つ者と持たない者の差は、隔絶される程の差を生む。それもアヴェリン程の実力者となれば、アキラなど初撃で爆散していても大袈裟ではない。
考えてみれば、アヴェリンは一度も骨折させるような重い怪我をさせた事がなかった。
肩を打てば痛みで悶絶することは数えきれない程あるが、力加減を間違えれば、そのまま貫通していても不思議ではなかったのだ。
外向魔術は繊細だ、などと言っていたが、これだけ手加減できる時点で、アヴェリンもまた相当繊細に内向魔術を操れているとみえる。
思わず唸ってアヴェリンの横顔を見つめていると、結界の入り口が開く。
アヴェリンがルチアと立ち位置を入れ替わり、結界内部を油断なく警戒した。内部は既にルチアが精査している筈なのだが、だからといってアヴェリンが警戒しない理由にはならないらしい。
アヴェリンが振り返って、ミレイユに向かって無言で頷く。
ミレイユも同じく無言で首肯を返して、中に侵入するよう指示した。それでアヴェリンが踏み込み、次にルチアが入る。
この一連の動きは、ここ最近のルーティンだった。
そのすぐ後に、アキラとミレイユが共に入り、最後にユミルが入ってくる。
入った先で見たものは、結界内の風景としては異色なもの。ある筈の孔は既に閉じており、それはつまり全ての魔物が出現している事を意味する。
普段は弱い魔物を倒した辺りで追加で出てくるのが基本なのだが、本日は趣向を変えて来たらしい。
そこには既に、ゴブリンとトロールが二体ずつ徘徊していた。
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