実践 その2
トロールは以前見たものと違いはなかったが、ゴブリンの方は少し違っていた。
頭に兜らしきもの、武器と盾らしきものを装備している。
らしきもの、というのは単純にそうとしか見えなかったからだ。人間がつけているのも見て自分たちも真似してみた、という風体で、とても防具としては機能していない。
帽子も盾も木製で、それ自体はいいのだが、防具としての強度は期待できそうにもなかった。兜というより、丁度いい大きさの木をくり抜いて被っているようなもので、今にもずり落ちてしまいそうな不安定感がある。
しかし武器は、おそらく拾ったか奪ったかした物らしい。
錆びて欠けているものの、斬りつけられれば怪我は免れないように見えた。
アキラは思わず生唾を飲み込んだが、他の面々は気楽なものだ。
特にユミルは敵を見るなりやる気を無くして、隣にいるルチアへ雑談のつもりか、何事かを話しかけている。
「それにしてもまぁ、よくこんな短時間で結界をこじ開けること。何かコツでもあるの?」
「いいえ、単に結界の設計思想が私とよく似ているんです。自分自身ならどうするかを考えてやれば、結構簡単なものでして」
「へぇ……? そういう事ってよくあるの?」
「結界を張る労力が割に合わないのもありますから、遭遇した経験はそれ程ないですけど。それを合わせて考えても、中々ない事だと思いますね」
端から見れば能天気としか思えない会話だったが、ミレイユもそれを咎める訳でもない。
本人も早々にいつもの椅子を作り出して、座ってしまっている。彼女が参加する事はないし、周りも参加させるつもりがないので言っても仕方ないが、アキラだけが緊張している状況というのは居心地が悪かった。
魔物は既にこちらの侵入に気づいていて、威嚇するように声を上げている。
ユミルはそれにやはり関心を示さずルチアと会話を続けているし、アヴェリンは相手にしても良いかどうかミレイユに目配せしている。
そこにミレイユからの指示が飛んだ。
「基本はアキラに任せよう」
「僕に!?」
トロールの攻撃は何度も見ている。結界内にある物が幾つも壊されてきたのはこの目で見てきた。中にはコンクリートの壁や自動車も含まれていて、それが一撃で破壊される様は目に焼き付いている。
絶対に自分では敵わない相手だと認識していたのに、それを任せると言われて動揺しない筈もなかった。
それにミレイユは頓着せず、まずアヴェリンに向かって言った。
「アキラの慣らしだ。トロール二体は引き付けて、合流させないようにしろ。まずゴブリンをやる」
「了解しました、お任せを」
既に突進を始めていたトロールを、軽快な動きで近付いて、左手に持った盾で殴りつけた。現実的には有り得ない、ゴムボールのような弾かれ方をしてトロールが逆方向に飛んでいく。
怯んだトロールにも同様に叩きつけ、ゴブリンと離れた位置で戦闘を開始した。
とはいえ、トロールはすっかり萎縮してしまってアヴェリンと距離を取るばかりで近付いてはいかない。あの一撃でどちらが格上か理解したらしい。
残されたゴブリンは、アヴェリンとトロールの動きを見て、動きを止めてしまっていた。
動いたものかどうか、お互いに顔を見合わせ困惑している。ひどく人間臭い動きに見えた。
アキラもまたどうしたものか身動ぎしていると、そこにユミルが振り返って手で示す。
早く行けという指示だと分かったが、とりあえずミレイユに顔を向けた。
「うん、アキラはゴブリンをやれ」
「やっぱり、その……弱い相手って認識でいいんですか?」
見るのは初めてではないが、警戒が必要な相手だと聞いた事がある。その詳しい内容までは聞いていないので、そう尋ねてみたのだが、返ってきたのは無言の肯定だけだった。
ミレイユはユミルを指さして、次いでアキラとゴブリンを指す。
それでユミルが嫌悪するように顔を歪め、それから観念したように溜め息を吐いた。
ユミルがアキラに着いてくるよう手を動かして歩き出す。
アキラはそれに慌てて追い掛け、刀を抜いた。
それに気づいたゴブリンは、手に持った錆びて刃こぼれした短剣を振り回して威嚇してくる。
「ユミルさん、あれって単に弱い敵じゃないんですよね?」
「あれは強くないと思うわよ。トロールに食われてなかったから、何か持ってるとは思うけど」
「食料とかですか? 餌付けできる知能があるとか?」
「お馬鹿。……その程度の強さはあるって事よ。トロールは雑食性、何だって食べるのよ。ゴブリンだって食べるけど、自分と同じかそれ以上に強いと分かれば諦める」
アキラは伺うようにゴブリン二体を見つめる。
「じゃあ、あれには少なくともトロールを追い返すだけの力があるってことですか?」
「そうなるわね。でも見たところ、あれはそれほど強い個体ではない。となると、単純に腕力で勝ったとは思えないから、何か隠し玉を持っている筈……」
「それって……?」
「さぁて、ね。魔術を使うタイプに見えないけど……んー、あの武器かしらね」
ユミルが指摘した武器を見ても、粗末な短剣としか目に映らない。あれが脅威になるとも、トロールを追い返す武器になるとも思えないが、ユミルが言うことなら、一応警戒しておくことにした。
「ま、最初は様子見に徹するのがいいわね。魔術じゃないなら道具を利用するタイプだろうから」
「分かりました!」
アキラは頷いて一歩を踏み出す。
ゴブリンも更に警戒を増して武器を振り回して威嚇してくる。威嚇と言うよりは見せびらかすような動きだったが、アキラは警戒を怠る事なく、円を描くように動いて距離を詰めた。
アキラが動けば敵も動く。
迂闊に近付いては来ない。武器を振るって威嚇を続け、近づくなと警告しているようにも見える。背後ではアヴェリンが盾を振るう音、そして何かが当たる大きな衝撃が耳に届く。
あちらはあちらで派手にやって、ミレイユのした指示を守っているらしい。
ゴブリンはそれを見て勝ち目がないと思ったのか、とにかく数を減らそうとしたのか、突撃を繰り出してきた。
動きは早いものではない。身長は百五十センチ程、歩幅も狭く、走り方も酷いものだ。距離を詰めさせない事も出来そうだったが、アキラは振るってくる短剣を脅威と認識した。
刀で弾いて遠くに飛ばそうと思い、無造作に振るわれた短剣を下から掬い上げるように斬り上げ、その刃と刃が接触した瞬間――。
アキラの方が吹き飛ばされた。
「――ンなっ!?」
「ぎゃっぎゃっぎゃ!!」
喜び、蔑むような声が煩わしい。
吹き飛ばされた先で転がり、受け身を取って即座に立ち上がる。アヴェリンの教えだ、武器も手放してはいない。
しかし凄まじい衝撃だった。
とても、子供のような細腕で繰り出された一撃とは思えない。魔力次第――内向魔術次第じゃ、筋肉量など簡単に覆すから一概には言えないが、ユミルが言っていた道具を使うタイプという言葉が気になる。
ゴブリンが接近してくるが、今度は迂闊に接触する訳にはいかない。
接近しようと試みる敵から、アキラは一定の距離を保って逃げる。攻撃手段が刀しかないアキラには、いつか近づくしかないのだが、様子見しろと言われた助言を守るつもりでいた。
観察していれば見えてくるものもある筈、と思っての事だったが、敵は賢く、アキラを挟み込むような形を取ってきた。
一方から逃げれば一方に近づく。
横へ逃げても、それに追従するように形を崩さない。
「様子見に徹するにはリスクが多すぎるか……」
そう判断したアキラは、思い切って前方のゴブリンに斬りかかった。
足を踏み出す一瞬、地を蹴って前方に身体を押し出す瞬間、アキラの視界が急速に狭まった。
周りが見えなくなったというより、前しか見えないという表現が合っているような気がした。聴覚も消え、目の前のゴブリンまでの距離が一瞬で縮まる。
それを自分がやったのだと認識したのは、二歩目でゴブリンの横を通り過ぎた後の事だった。
あまりの速さに自分自身が驚いている。その動きに対応できた事も、一歩目で転んでいない事にも驚いた。それに対応できるだけの対応が出来ていたという事でもある。
一瞬で通り過ぎただけの敵に、ゴブリンは意外に思いながら馬鹿にもしているようだった。戦いのイロハを知らないという意味では馬鹿にされても仕方なかったが、あの醜悪な顔で馬鹿にされるのも気に障る。
またゴブリンに挟まれるのは避けたかった。
あれは予想以上に神経を削られる行為だし、前後を同時に警戒する事は出来ない。
あの速度がもう一度出せれば、目の前のゴブリンをもう一体と合流される前に倒せる筈だ。
アキラは改めて刀を強く握り、正眼に構え、そして力を込めて地を蹴った。
またあの時のように視界が前方だけに固定され、周りが見えなくなる。迫るゴブリンの顔がゆっくりと驚愕に染まるのが見え、そして腕を横へ振り抜けば、あっさりとその首が宙に舞った。
その首が地に落ちるのと、もう一体のゴブリンが絶叫するのは同時だった。
隙を作った相手に容赦する余裕はない。
同じように地を蹴り二歩、それだけで間合いを詰め、同じように腕を振り抜く。
それで決着がついた。たった、それだけの事だった。
同様に首が地に落ち、首から血が吹き出す。
血に濡れないように離れながら、刀を一振りして血を落とす。それだけで綺麗に落ちる物でもないが、気分の問題だった。
見てみれば、ユミルが死んだゴブリンの死体から武器を指先で摘み上げている。
汚いものに触れるようなやり方だが、実際そのとおり、武器は血の海に浮かんでいた。
それをしげしげと眺めた後、後ろ手に投げて捨てる。彼女にとっては、それほど価値も興味も唆られぬ代物らしい。
「……それ、何だったんですか?」
「魔術秘具ね。衝撃の魔術が付与されていたみたい。元は非力な魔術士が護身用で用意したもの、かもしれないわね」
「間合いを離す為……ですかね?」
「多分ね。不意打ちなら、あるいは……ってトコロでしょうけど。もしかしたら、さっきのアンタみたいに、受け止めて弾こうと思う奴もいるかもしれないし?」
痛い所をつかれて、アキラは顔を歪めた。
しかし、あれは決して悪手という訳でもなかった筈だ。まさか組み敷いて武器を奪うなんてする訳がないし、そんな事する暇があったら喉を貫く。
武器を警戒しすぎるあまり、それを弾こうとしたのは確かだ。あるいは、そういう弾けるだけの技量を持つ戦士こそ、ああいう武器のカモになるのかもしれなかった。
「寝込みを襲われて奪われたか、あるいは間抜けにも盗まれたのか……。あの程度のゴブリンが持ってたなら、大方そんなトコでしょ」
「随分錆びてましたけど、それでも機能するものなんですか」
「それについては、よほど熟達した術士に頼んで付与してもらったんじゃないかしら。よく保った方だけど、あと一回でも使っていたら壊れて灰になっていたと思うわ」
「そうなんですね。でもまぁ、丁寧に扱うような奴らにも見えませんでしたしね……」
では、その一回を凌ぐ事が出来れば、もう少し楽に倒す事も出来たわけか。今更考えても仕方ないし、そういう相手をする機会もあまりなさそうだが、どちらにしても観察して分かる事でもない気がした。
「ま、それはともかく、お次はトロールよ。早く行きなさいな」
「え……もう、今すぐ、ですか?」
「別に疲れてないでしょ? 疲れていても行かせるけど」
確かに疲れてはいない。
武器を振るったのは二度、攻撃だって受けていない。万全に近い状態だが、しかし気持ちはどこか浮ついて落ち着きがない。このようなフワフワした気持ちで、あの強敵に立ち向かえるかどうか……。
「ま、敵を倒して浮つく気持ちも分かるけど、そうも言ってられないでしょ。力の使い方にも慣れ始めた今、とにかく使って動かすことを覚えなさい」
「……はい」
そう、これはアキラの実地訓練でもあるのだ。
普段アヴェリンに転がされている成果を、この場で発揮して自分はやれるんだと証明する場でもある。そしていずれ、他人を守れると胸を張って言えるようになる為の場所でもあるのだ。
アキラは何度か息を吐いて気を落ち着かせようと、うるさく鳴る鼓動を鎮めるよう呼吸する。一向に鎮まる気配がないので、仕方なく意を決して足を踏み出した。
前方にはアヴェリンとトロール二体。
あれ相手にどこまでやれるものか――。
アキラは改めて刀を握り直し、力を込めて地を蹴った。
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