そして、決戦の舞台へ その7

 オミカゲ様は血の混じった唾を吐くと、口元を拭って『地均し』を睨み上げた。

 野趣溢れた仕草だというのに、そこにも気品の様なものが漂っている。

 身に付けた教養の差、生きた年月の差を感じて、やはり自分とは別人だなと思い直した。


 絶望に顔を歪ませ蒼白だった顔色も、今では興奮で朱く火照っている。

 胸に当てた治癒術の光は強く輝き、身体を支えていた隊士達を退かして立ち上がった。

 同じくオミカゲ様を支えていた女官の一人は、ミレイユのお付きだった咲桜だと分かり、思わず懐かしさが募る。


 だが、感慨に耽る事はいつでも出来るのだ。

 ミレイユもまた『地均し』を睨み付けながら、隣に立つオミカゲ様へ、作戦の概要を説明し始めた。


「まず、やりたい事は魔術を撃ち込む事だが、一つ仕掛けが要る」

「五百のエルフと我が隊士ら、それらを含めても……飽和が可能かは賭けになるであろうな。失敗すれば破滅と同義よ。仕掛けが必要なのは理解できる……が、更なる援軍の当てでもあるのか?」


 オミカゲ様はエルフが全員出揃っても残っている孔へ、視線を移しながら言う。

 そういう事じゃない、とミレイユは首を振りながら答えた。


「刻印魔術の事は覚えてるか? あれを使う」

「だがあれは……、魔術士未満を魔術士へと押し上げるものでしかなかったろう。実力ある者が身に付けたとて、むしろ枷である思うていたが……」

「その認識は正しい。しかし、今回はそれが役に立つ」


 ミレイユは自分の背中を親指で差しながら言った。

 不審な目付きは当然で、当時のオミカゲ様が価値なしと判断したなら、深く興味を示さなかったとしても仕方ない。


 多くの場合、無詠唱で使える魔術という意味で効果的な刻印だが、同等以上の事が出来たオミカゲ様からすると、魅力的には映らなかった事は否めない。

 以降、それ以上深く知ろうとせずにいたからこそ、今の様な発現なのだろうが、刻印には刻印でしか扱えない魔術というものもあった。

 そしてだからこそ、有用な刻印がある事も知らなかったのだろう。


 既存の兵力で確実な飽和が出来なくとも、『求血』の刻印を用いる事で、それが可能になる筈だ、とミレイユは見ていた。

 ただし、これには発動までに時間が掛かり、そして全てが自動化されている刻印だからこそ、自分で最適な調整をする事ができない。


 刻印へ籠められた魔力に応じて、『求血』は溜め込む魔力容量を最大化させる。

 これが溜まり切る事で爆発し、溜め込んだ魔力以上の威力をぶつける、という効果なのだ。

 非常にリスクを伴うが、爆発すれば間違いなく飽和させる事が出来るだろう。


「とにかく、私を信じろ。これから使う刻印は、敵にダメージを与えない。それどころか、それ以降、敵に放つ魔術を吸収して、傷の一つも与られなくなる」

「駄目ではないか」

「いいや、この場合は不利になるばかりとも限らない。魔術を打ち込もうと、飽和させるだけの魔力を溜め込めなければ、無為に帰すからな。それは同時に、鎧甲に吸収される魔力は生まれない事を意味する」


 オミカゲ様は一応の納得を見せたが、だからどうした、という表情を向けて来る。

 ミレイユはそれに頷きながら続けた。


「敵に利を与えない、という効果だけでも意味があるだろう? そして、飽和させる事が出来たなら、その倍以上の威力を与えてやれる。謂わば、負けの無いギャンブルだ」

「なるほど……、それは良い。そして溜め込んだ分の、倍の威力か……。これから我らが放つ術、その全てを集約させた威力、それが倍にしてやれると……」


 得心した顔で頷くオミカゲ様に、ミレイユは尚も頷いてやる。


「元より鎧甲が持つ吸収効果を飽和させられなければ、ダメージが通らないのは同じ事だ。仮に『求血』の方が失敗しても、失うのは自分たちの魔力だけで済む」

「なるほど、飽和するまで溜め込む事は骨であろうが、利は大きい。……その為に必要な時間や魔力量は?」

「分からない」

「……は?」


 オミカゲ様の口から呆けた声が聞こえて、ミレイユは申し訳なく思いつつ渋面を浮かべる。

 それを試す機会を、ここまでの道中で一度でも使っていればと思っていたのだが、あの刻印は十全な味方のサポートがあって初めて出来る事だ。


 アキラという壁役がいたとしても、神々相手は基本的に不利な戦いの連続だった。

 起死回生の手段と使えるものではあったが、同時に自分をより不利な状況へ追い込む手段でもある。

 窮地にあって使うには、リスクばかりが高くて、これまでは使う機会がなかったのだ。


「試すつもりはあったし、やるとするなら最古の四竜を相手に、と考えていたんだが……。その機会も消えてしまったからな……」

「そなたがあちらで何をして来たのか、非常に興味が湧いてきた……が、今は置いておこう。ともあれ、運頼みの神頼みで挑むしかない、という事か」

「運はともかく。神ならここに、頼りになるのがいる。何とかなるだろうさ」


 オミカゲ様は意外そうな顔を向けると、次いで照れくさそうな、或いは誇り高そうな顔付きで笑った。

 何とも忙しない百面相を見せている間に、隊士達の中でも突如現れた見慣れぬ者エルフ達が、味方であると理解したようだ。

 動揺は見られるが、戦闘続行に問題はない様に思える。


 『地均し』の攻勢は、現在一時、鳴りを潜めていた。

 しかし、それはエネルギーを溜め込む時間であったり、何かインターバルが必要な攻撃であったのかもしれない。


 攻撃された者は普通、自衛ばかりでなく反撃にも転じるのが基本で、巨体に対してはまず遠距離攻撃を仕掛けようとする。

 そして、その場合、多くが魔力を伴う攻撃を選ぶのだ。


 かつてユミルが推察したように、攻撃される事、魔力を吸収する事を前提とした運用が『地均し』であるのなら、攻撃の合間が長い事にも説明がつく。

 ならば、大人しくしている今が態勢を立て直すチャンスだった。


「……大丈夫か、走って動けるか?」

「老人扱いするでない」

「老人でなくとも、怪我人だろう」


 オミカゲ様は、ミレイユの気遣いに鼻を鳴らす。

 今ではすっかり出血の止まった胸を、さらりと撫でた。


 最早、心配される謂れはない、と誇示したからには、ミレイユも余り過度に気に掛けるのを止める。

 直前に見たオミカゲ様の弱々しい姿を見て、つい出した優しさだったが、あるいは不遜であったかもしれない。

 ミレイユは意識を切り替え、改めて『地均し』を本格的に見据えた。


「じゃあ、その他諸々、総指揮は任せていいな? 私が連れて来たからには、エルフの面倒は自分で見るが、多分それ以上の余裕はない」

「構わぬが……、それほど刻印の扱いは難しいのか? そなたともあろう者が、たかがその程度の余裕しかないなどと……」


 ミレイユはこれには答えず、曖昧に頷くに留めた。

 自分と同程度の事は出来ると思っているオミカゲ様には分からないだろうが、今のミレイユは魔力の扱いに難がある。


 素直に伝えても良かったかもしれないが、どうにもオミカゲ様の前だと強がりたい気持ちが勝ってしまう。

 弱みを見せたくないと思ってしまい、だから答える事なく刻印に魔力を通した。


 慣れるまで扱いが難しい、という話は聞いていたが、それは魔力制御を得意とする者には当て嵌まらない。

 刻印に対して、一本の糸を引くように、僅かな魔力を流してやれば良いだけだ。


 それで自動化された魔術が発動する。

 後は正しい指向性を制御してやるだけで問題なかった。


 ミレイユは、隊士達が築く防壁を迂回し、エルフとアヴェリン達が待つ前線へと戻りながら、刻印の魔術を放つ。

 それは拳大の大きさの光球となって飛んで行くと、『地均し』と触れるより前に拡散して消えた。


 ――失敗したか……?

 あるいは、この魔術効果すら鎧甲に吸収されたか……。

 やはり、一度くらい事前に動作確認をしておくべきだった。


 そこまで入念な準備をしていなかった自分に歯噛みして、作戦に大幅な修正が必要だと思考を回転させていると、光球はただ消えた訳ではないと、『地均し』の異変で気付いた。


 正確には、『地均し』の周辺に光の粒子が渦巻くように揺蕩たゆたっている。

 質量が巨大過ぎる余り、術の適応範囲を作るのに時間が掛かっているのかもしれない。

 術が使われる想定として、あそこまでの大質量を考慮に入れられていないのは納得で、掛ける対象の分析などを、あの粒子が成しているのだろう。


 全体を覆う事は出来ているものの、あまりに希薄になり過ぎている所為で、術が正常に発動していないかに思えてしまう。

 だが、その光球が広く散布しているからこそ、見えないだけだったようだ。

 ミレイユはエルフ達の傍らに立つと、大きく声を張り上げた。


「――皆、よく来てくれた! 見ての通りだ、敵は巨大! そして強大だ! あのゴーレムに対し、持てる限りの魔術を放つ事こそ、諸君の役目だ! 効果が無くとも打ち込み続けろ! 私が望むのはそれだけだ!」

「オォ! オォ! オォォォォ!」


 強大な敵を前にしても、見知らぬ世界に投げ出されても、尚エルフ達の戦意は高かった。

 中には年若い者も多かったが、中年に見える者もまた多い。


 それらはヴァレネオと同年代で、そういう者達は例外なく、二百年前共に戦った者達だ。

 再び戦場を共に出来る興奮に溢れていて、臆する気配は微塵もなかった。


「防護についてはこちらでやる! ただ攻撃せよ! 敵の鎧が剥がれるまで、ひたすら攻撃を続けろ!」

「オォォォォッ!」

「制御始めろ! ――打ち方始め!」


 ミレイユの号令を元に、エルフ達が制御を始めた。

 それぞれが得意の魔術を使用するので、その手に集まる燐光の色はそれぞれ違う。


 彼らの魔術だけでは、限界まで振り絞ったところで、おそらく飽和まで持っていけない。

 しかし、エルフらと隊士達――そして隙が許すなら、ミレイユ達が力を合わせる魔術は、必ず鎧甲を打ち砕く筈だ。


 これもまた確証あってやる事ではない。

 だが、これで駄目だというのなら、何をしても無理だと思う。

 ミレイユはエルフ達、隊士達、そして最も頼りなる仲間たちを見つめた。


 ――これで駄目というのなら、返って諦めが付く。

 ミレイユは自嘲にも似た笑みを浮かべたが、同時に彼らの表情を見て、大丈夫だという確信が持てた。

 何の根拠もない確信だが、今はその気持ちに身を委ねたかった。


 エルフ達の攻撃が始まるのと同時、『地均し』からも攻撃が放たれた。

 目の部分に相当する、巨大なレンズから放たれる極太の光線だったが、それをルチアと共に防護壁を築いてエルフ達を守る。


 防護壁と光線が接触すると、まるで鉄同士をぶつけあったかのような重厚な音が鳴り響いた。

 かつて、オミカゲ様一人で受け切った事もある攻撃だから、二人がかりなら平気と思った。

 しかし、どこかオミカゲ様を甘く見ていたのか、予想に反して想像以上に重い。


「く……ぁっ、これ、ほど……っ!」

「ミレイさん!」


 楽な攻撃と侮るつもりはなかったが、余りの威力に身体が押された。

 腕を突っぱり続ける事も難しく、ルチアも同じく防護壁を苦しそうな顔で張っている。

 顔を向け、声を掛ける程度の余裕はある。だが結局、その程度が限界らしかった。


 互いに顔を歪め、歯を食いしばって耐えていると、横合いから隊士達の理術が飛んで行く。

 今はとにかく、一撃でも多くの魔術をぶつけるのが優先だ。

 それをありがたく思いながら、全く足りていないとも思ってしまう。


 エルフ兵は攻勢魔術士ばかりで構成されているし、他を用意できる余裕がなかったとはいえ、今は無い物ねだりをしたくなる。

 ――いつまで耐えられるか。


 それが問題だった。

 寿命の問題もある。


 防御ばかりに魔力を使いすぎても、攻撃へ転じる際にカラとなっていては意味がない。

 支援術を使える隊士は、結界術士の方に持っていかれた筈だし、そこから再度引っ張って来させるのも難しいだろう。


 光線の圧力が増し、更に押し込まれそうなった時、ミレイユの頭上を飛び越えて、一つの魔術が『地均し』へと突き刺さった。

 特大の光球は接触と同時に吸収されてしまったので、爆発などの影響が出る事こそなかったが、それでも大きさ相応の衝撃は与えられたようだ。


 『地均し』の身体が押された事で僅かに傾き、光線もミレイユ達をそれ、地面を抉った。

 目標から外れた為か、光線も一度放出が止まる。

 一拍の間を置いて、『地均し』の両脇付近が機械的に開くと、盛大に蒸気を発して元に戻る。


 忌々しい気持ちで睨み付けていると、ミレイユ達の直上から、オミカゲ様が宙に浮いて滑る様に近付いてきた。

 先程の特大の光球も、きっとオミカゲ様がやった事だろう。


 それほどの術者は、そもそも彼女以外にいない。

 ミレイユは防護壁を維持しながら、見える範囲へ勝手に近付いてきたオミカゲ様へと、倦怠感で重く感じる口を開いた。

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