そして、決戦の舞台へ その6

「私のこの顔は、参拝者達に言う事を聞かせるのに役立つだろうが、混乱の方が大きいかもしれない。何より、呼びかける程度では非効率で心許ない。……神宮の拝殿にも、誰かしら詰めている奴らがいる筈だから、そいつらにやってもらうか」

「警報を、ですか?」

「そうだな、出来るのならば周囲全域の住民に。仮にここでは無理でも、本庁へ連絡する手段くらいあるだろう。……出来る奴に発令してもらう」


 アキラは少し考え込んでから、何度も首を上下させる。


「現在、本庁でも火の車の様な忙しさだと思うので、即時発令も即座には難しいかもしれませんが……。でも、今の状況を把握している筈ですし、ミレイユ様の言葉なら従うと思いますよ!」

「……そうだといいが」


 アキラに頷き返して、アヴェリンへ先行する様に伝えた。

 参拝者の間を縫うように走り抜け、参道を越えて拝殿前に辿り着く。

 そこにはやはり多くの参拝者が詰め掛けており、各々祈りを捧げているようだ。そしてやはり、それらを見守る巫女の姿も見える。


 その腕を引っ張り、アヴェリンに持ち上げさせると、流石の巫女も目を白黒させてながら手足をバタつかせる。

 悲鳴を上げようとする彼女の口を塞ぎ、素早く拝殿の後ろまで連れて来て、他から隠れている事を確認した上で開放した。


 目を白黒させているのは相変わらずだが、神宮お付きの巫女ともなれば、当然制御技術は持っている。

 そこにいるのが何者か、というのもすぐに分かった様だ。


「お、な、何が……!? 御子神様、一体これはどうした事でしょうか!」

「いいか、良く聞け。奥宮に危機が迫っている。ここも危険だ。参拝者を今すぐ逃がせ」

「に、逃がせ……!? しかし、それは……」

「頼んでいるんじゃない。勅命だ」

「ちょ、勅……!」


 何を言われているか理解も出来ぬまま、更に混乱させられる事を言われ、巫女は助けを求めるように視線を彷徨わせる。

 だがそこにいるのは、全てミレイユの味方であり腹心だ。

 そして、事態を正確に把握している者達でもあるので、誰も口を挟まない。


「すぐに逃がせ。もうすぐ、ここは戦場になる。本庁にも連絡して、緊急避難警報とか、そういうものがあるのなら、すぐに発令してもらえ。私からの命令だと、勅があったと……!」

「し、しかし、お言葉ではございますが、勅の発令には正式な手順と文書にした勅令が必要で……」

「そんなもの、用意している暇がないから言ってるんだ。――いいか、急げ。一刻の猶予もない!」


 言うだけ言って肩を叩き、ミレイユはその場を後にする。

 すぐ後ろで悲鳴が上がるのを無視して、奥宮を遮る塀まで一足飛びに走り抜けた。

 そうしている間にも、個人空間の中から箱庭を取り出す。


 塀を仕切りとして結界が展開されている筈なので、そこを乗り越えればすぐに戦場だ。

 ならば『地均し』と相対するのも直ぐだろうし、そして、まずその鎧甲を破壊する事が最初の目標となる。

 吸収できる限界以上の魔力を打ち込み、飽和させ、破壊してやらねば、他には何も出来なかった。


 その手順を踏むにはエルフの存在は必須だったが、同時に『地均し』が行う攻撃も怖い。

 時間を多く掛けるだけ、兵の数も損ない、勝機は遠のくだろう。

 速戦即決が求められる場面だった。

 ミレイユは後ろを振り返り、ルチアへ尋ねる。


「結界の一部を割いて侵入するのに、どれくらい掛かる?」

「慣れた術式です。強固に展開しているとはいえ、三十秒と掛かりませんよ」


 それに頷くと、先行して解除しろ、とハンドサインを送る。

 ミレイユを追い抜いて行くのを横目で見ながら、ミレイユは箱庭の上蓋を開けて、中に向かって雑に魔力を解き放つ。


 破壊が目的ではないので、威力は抑えて、あくまで匂いを散布するようなイメージだった。

 これを感知したインギェムは、即座に孔を展開してくれる筈だ。

 幾らの猶予もないが、繰り返し結界に対しアプローチしていたルチアが言う事だ。疑う気持ちは皆無だった。


 そして宣言通り、三十秒と掛からず、ひと一人が通れる程の隙間を塀の上に作ると、こちらを振り返って手招きする。


 先にアヴェリンが入るのは、どんな時でも彼女の役目だ。

 それに続いてミレイユが入ると同時、手の中の箱庭が明滅を始めた。

 タイミング的に、孔が展開されるという合図だろう。


 狭い場所で出て来られても拙いし、『地均し』から遠い場所を選んでも、狙い撃ちにされて壊滅させられる恐れがある。

 それならば、いっそ近過ぎるぐらいの場所の方がマシかもしれない。


 手の中の明滅が強くなって、いよいよ持ち続けるのも怖くなった時、結界の中の惨状が顕になった。

 あの日、あの時、あのままの光景が目の前に広がっている。


 焼けて落ち窪んだ地面が晒され、綺麗に整えられていた庭は見る影もなく、魔物の死骸や残骸で溢れている。

 どこもかしも血臭がしていて、この世の地獄が顕現したかのようだった。

 そうして、遠くに向けた目の先には、オミカゲ様を守り、盾にならんと奮闘する隊士達の姿も見えた。


 ミレイユ達が侵入した地点は、幾条もの光線を放つ『地均し』と、それを守る隊士達の間だった。

 今まさにミレイユを送還し終わったところで、閉じようとしている孔の中へ、身を投じるアキラの姿も見える。


「間に合ったな、いいタイミングだ。――そして、全ては、ここからだ」


 ミレイユは光の収まった箱庭を、『地均し』とオミカゲ様の中間地点に投げ飛ばす。

 地面にぶつかり音を立てるかと思いきや、それを隠すかのように孔が展開し、みるみる内に拡がった。

 それなりに大人数を通す必要がある為か、ミレイユ達が使った時より幾分大きい。


 その孔の奥から、戦意を漲らせた魔力の奔流が発せられた。

 誰も彼もがやる気を溢れさせ、臆する者など誰一人いない、と主張するかのように昇り立つ。


 大変頼もしいが、孔から出て来るのは敵である、という先入観を持つ隊士達からすると、非常に恐ろしい存在として映るのではないだろうか。

 それが人と殆ど変わらない姿だとしても、戦意を漲らせた敵として、まず認識する危険がある。


「ミレイ様、事情を知らない隊士達は、あれを見て先制攻撃を仕掛けようとするやもしれません」

「……そうだな、確かに。敵の増援と判断する、か。事情の説明が必要だ。――アキラ、隊士達に味方だと説明してこい」

「了解です!」


 返事と同時に走り出し、オミカゲ様の盾となっている者達へと一直線に近付いていく。

 アキラと旧知の仲も居る筈だし、あれでとりあえず事情は理解するだろうが、それだけで十分とは言えなかった。

 ミレイユは次いで、アヴェリン達に視線を移す。


「お前たちは一応、孔かエルフ兵に攻撃が来ないか警戒だ。攻撃されてしまえば、エルフもやはり反撃するだろう。その事情を説明と、防御役も兼ねてな」

「良いけど、アンタは?」

「オミカゲへの説明も必要だ。愚痴めいた言いがかりの一つでも、言ってやらないと気が済まないしな」

「あら、そう。感動のご対面ってワケね。好きになさいな。けど、防ぎ切れる自信はないから、早く帰って来なさいね」

「そんな余裕もないのは、私が一番良く知ってる」


 ユミルと互いに笑みを交わし、傍を離れた。

 『地均し』と新たに出現した孔へ睨み付けるオミカゲ様へと近付いて行く。

 憎々しく、また忌々しく孔を見つめ、下唇を噛む姿は、これ以上は無理だと諦める寸前の様に見えた。


 そこへ隊士達が張っている防壁を回避する為、跳躍しつつ大回りし、それからオミカゲ様のすぐ傍で着地した。

 エルフが姿を見せ始めた孔を注視していたオミカゲ様は、ミレイユの接近にはまるで気付いていなかったらしい。

 すぐ傍で地を叩く音に、警戒心も顕に顔を上げ、そしてポカンと口を開ける。


「そ、そなた……? 何が、どうして……?」

「帰ったぞ」


 口の端を曲げて帽子を脱ぐと、今し方、閉じたばかりの孔とミレイユを交互に見返す。

 傍で治癒を施している隊士や、見知った顔の女官も、何が起きたか理解できない顔をして、二人の顔を見つめていた。


 流石のオミカゲ様も、この事態は想定していなかったらしく、まるで状況を把握できていない。

 血に濡れた腹は何箇所も穴が開いていて、口からも血を流しているから、その所為で頭の回りも悪いのだろうか。


「……何でいるのか、分からないのか?」

「分からぬ……、我は何を失敗した? 送還すら、満足に行えなかったか……?」


 オミカゲ様の顔は絶望に染まり、わなわなと震えて膝を付いた。

 その直前に、腹に穴を開けた攻撃を思っての事だろう。

 自らの胸と血に染まった両手を見て、全身を震わせ絶望している。


 なるほど、そういう勘違いをしても仕方がない。

 オミカゲ様にしても、横槍となる攻撃を胸に受け、腹に穴を開けられた状態で、絶対に失敗しない保障などなかっただろうから。


「われは、われは……っ! ゴホ! ゴボァ!」


 急に咳き込み、胸を押さえながら吐血する。

 その目は既に生を諦め、全てを放棄しようとしている様に見えた。

 最後の希望、己の全てを託した筈が、最後の最後、受けた傷で失敗したと思っている。


 下手な勘違いを、いつまでもさせておけない。

 ミレイユもまた、オミカゲ様の傍にしゃがみ込みながら、治癒術をその胸に当てながら言う。


「そうじゃない、やり遂げたんだ。ループを断ち切り、全てを救った」

「ループを断ち切り……? やり遂げ……、真か?」


 オミカゲ様の顔はみるみる歪んで、縋るように血に濡れた手を差し出して来る。

 ミレイユはその手を力強く握り、そしてそれ以上に強く頷いて見せる。


「本当だ。私はやり遂げた。――だが、全てというなら、この世界こそ放っておけない。私は……、お前もまた救いに、ここへ還って来た」

「お、おぉ……」


 オミカゲ様はその手をぶるぶると震わせ、もう片方の手ものろのろと伸ばし、希望に縋るような視線を向ける。

 それはまるで、幼子が母を求めて手を伸ばすかのようだった。

 放っておけず、その手もまた握って見つめ返し、安心させるよう、真実だと伝わるように微笑む。


 そうすると、オミカゲ様の両目に、みるみる内に涙が溜まった。

 ミレイユの手を引き込み、額に当て、祈るように頭を下げた。


「おぉ、オぉぉぉ……ッ!」


 それは嗚咽だった。

 感情の決壊、千年の労苦が報われたと理解した故の決壊だった。

 流れた涙が手に掛かり、それがまるで熱湯の様に熱い。


 ミレイユの手を握る力は強く、ともすれば握り潰されるかと思う程だったが、オミカゲ様の悲嘆を思えば、その程度どうという事はない。


 しかし、敵の攻撃も続き、そしてエルフ兵も全て孔から出てた事を確認したからには、いつまでも待っていてやる訳にはいかなかった。

 ミレイユは治癒術の制御を止めて、オミカゲ様の肩を叩く。


「帰って来たのは、あのデカブツに思い知らせてやる為だ。だから、エルフの兵も連れて来た」

「あぁ……、あぁ……! ……では、先の孔は……」

「私が開けさせた孔だ。鎧甲を破るには、飽和させるだけの魔力が必要……だろう?」


 オミカゲ様は、これには無言で何度も行う首肯で答えた。

 何かを言いたいが、それが言葉に出来ないのだ。その出せない気持ちは良く分かる。

 だから、ミレイユは改めて力強く宣言した。


「立て。構えろ。誰を敵に回したか教えてやれ。――反撃開始だ!」

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