そして、決戦の舞台へ その5

 一声だけでも言葉を掛けようとし、動きを止める。

 ここよりは決戦の舞台で、そして決死の舞台でもあった。

 生きて帰れる保障はなく、生き残っても五体満足でいられる保障もない。


 こういう時、良い上官は士気を高める言葉などを投げかけるのだろうが、生憎、ミレイユは口が上手いとお世辞にも言えなかった。


「こういう時、何か気の利いた事を言うべきなんだろうが……」

「別にいいわよ、そんなの。覚悟なんて既に済ませてるし」


 そうだな、と困ったように笑って頷いて、ミレイユは誰より一歩引いた位置に立つ、アキラへと目を移した。

 その立ち位置こそが、彼の思うパーティの位置付けで、誰より頼りないと思っている心の現れの様に見えた。


 緊張の度合いも誰より高く、意気込みも強すぎるように思う。

 こういう兵は戦場で何度も見てきたが、大抵が実力を発揮できないか、発揮するまでに手痛い傷を負ったりもする。

 デイアートの戦場において、手傷程度は授業料代わりだが、あの敵に対して同じ理屈が通じるとは思えない。


「アキラ、あまり構えるな。今からそれだと、実戦まで保たないぞ」

「は、はいっ! 分かってるんですが……、これからオミカゲ様と、仲間たちを助けに行くんだと思うと! どうにも落ち着かないと言いますか……!」

「そうだな……。お前にとっては、仲間も気掛かりだったろうな」


 ミレイユにとってはオミカゲ様と、彼女が守って来た世界を救ってやりたい、という気持ちが強く、そこの生きる人々にまで視野に入れていなかった。

 しかしアキラからすると、共に同じ釜の飯を食った仲間たちが居て、そして奴らに対し奮闘していると知っているのだ。


 その彼らを見捨てたような形になっていたし、そこへ戻って力を振るう事は、様々な思いが去来してしまうものだろう。

 個人的に親しい人物が、あちらの世界にミレイユは持たない。

 だから同じ気持ちを共有できないが、御子神の生活を通じて顔見知りになった者達を思えば、それらを救ってやりたいと思う気持ちはあった。


「じゃあ、早いところ、その気掛かりを解消させてやらないとな」


 そう言ってアキラに笑みを向け、次いでヴァレネオとテオに向けて、一度だけ手を振ると、孔に向かって身を投じる。

 奥に向かって引っ張られる感覚があり、それに身を任せると、呆気なく孔の中へと侵入してしまう。

 そうして改めて観察すると、かつてオミカゲ様によって押し込まれた時と同様、孔の中は暗く、何も見えない空間が広がっている。


 ただ遥か向こう側に、針を刺した様な小さな白い点が見えるだけだ。

 後ろを振り返れば、アヴェリンがすぐ後ろに着いて来ていて、間にルチアとユミル、最後尾にはアキラがいた。


 それを確認してから、心の中で数を数える。

 最初は小さな光点に過ぎなかった向こう側の孔も、一つ数える毎に大きさを増していった。

 浮遊感に身を任せる以外、何もできない時間だったが、数をしっかりと覚えておく必要があると思えば、暇と感じていられない。


 ミレイユが六十を数えた時、目前に見えていた孔が急速に拡大したかのように感じた。

 実際には、それだけ高速で動いていただけに過ぎないのだろうが、視界が白一色に染まった瞬間、浮遊感を失い身を投げ出される。


 慌てて体勢を立て直し、床をけたたましく蹴って転倒を防いだ。

 すぐにやって来るアヴェリン達を思い、横にどけながら素早く周囲を観察する。

 すると、そこには見慣れた――そして酷く懐かしい、アキラの部屋の中だと分かった。

 ソファーやテーブル、冷蔵庫に台所……それら一つ一つに目をやって、改めて間違いないと実感する。


 そうやって一度気付いてしまえば、空気も質感も、何もかも違う気がして来た。

 そして実際、何もかも違うのだろう。

 ミレイユが感慨に耽っている間に、アヴェリン達がやって来た。


 それぞれ突然の接地感に戸惑いつつ、それでも転ぶような無様を晒さず、上手く着地する。

 アキラまでそれは例外ではなく、見慣れた景色に感動の面持ちを見せていた。


 窓の外は明るく、まだ朝方だと分かる陽の位置だった。

 室内の時計は午前八時を指しており、ルヴァイルに指示したとおりなら、『地均し』が出現した時間付近を目標地点としてやって来た筈だ。


 やろうと思えば、どの時間、タイミングでも可能な帰還だったが、オミカゲ様がミレイユをデイアートへ送還しようとするより前に、介入する事は出来ない。

 そうしてしまえば歴史を変えてしまう事になり、時間の破綻が生まれてしまうかもしれなかった。


 だから、それより前に到着したところで、歴史を歪める様な出来事は起こしてはならない。

 例えば、ミレイユが送還されるより前に結界内へ入る、などがそれに当たる。


 現在の状況を頭の中で整理したのは、窓の外の光景と、現実のすり合わせをしたかったからだ。

 まだ暗い時間に辿り着くと思っていたのに、窓の外が明るいなど想像していなかった。

 だが、結界内で戦っていた時間は長く、それこそ夜通しと言って良いほど長い間、常に戦闘続きだった。


 戦う事に集中し過ぎていたミレイユは気付かなかったが、その間に夜が明け、とうに朝を迎えていたという事らしい。

 意外に思ったが、それと同時に納得もしている。

 あの日は本当に、長い一日だった。そして本当に長い時間、戦ってもいたのだ。


 溜め息を吐くつもりで息を吸い、そこで空気感が違うと気付いた。

 だが、その違いは異世界との違いを顕著に感じたというだけでなく、空気の冷たさも同時に感じたからだった。マナの滞留を感じられない、というだけの理由ではない。


 ドーワの背に乗っていた時と良く似た空気感でありつつも、やはり基本としてマナが存在しない世界は感じられるものが随分違う。

 ともあれ、帰って来た事には違いない。


 あるいは、二度とこの地を踏めない、と覚悟していただけに、その感慨もひとしおだ。

 同様の感慨は、その表情からアキラも浮かべていると分かったが、いつまでも感激させておく事は出来なかった。


 ミレイユはアヴェリン達の間を縫って入り、箱庭を手に取って個人空間へ仕舞い込む。

 今もエルフ兵達は、ミレイユの合図を待って待機している筈だ。

 戦場へ送られると自覚している彼らにも、長く待つだけの緊張をさせているのは忍びない。


「ユミル、幻術を。ルチア、支援を頼めるか。ここから神宮まで一気に行く」

「了解よ」

「お任せです」


 二人からの返事に首肯して、アヴェリンに先行するよう首を動かす。

 その後にミレイユも続き、アキラを伴い部屋を出ようと踵を返した。

 そこでふと気が付いて足元へ視線を移す。床は土まみれの汚れまみれで、思わず気不味い気持ちにさせられた。


 だが、そこに文句を言う状況でないのはアキラも承知の上で、だから苦笑する反応だけ見せて、先を促すように掌を外へと向ける。

 それに頷き返して、ミレイユは無言のまま外へ出た。


 アパートの二階から見えるのは、隣の住宅の壁や屋根だったが、その上に乗る雪を見て今の季節を思い出した。

 冬の日差しは優し気だが、風は冷たい。


 まだ冬は始まったばかり、年末近いクリスマスシーズンに起きたのが、あの氾濫だった。

 雲は薄く拡がり、暗雲とまで言わずとも灰色の空に見える。

 寒さについては散々、標高の高い山を越えて来たから慣れたものだが、不意打ちで食らわされた寒さには、思わず面食らってしまう。


 階段を降りて雪と水溜まりが半分ずつのアスファルトを見て、ミレイユはうんざりした気持ちになった。

 汚れる事は覚悟しなくてはならないし、今は急ぐべき時だ。

 アキラの方を見ると、どうやら故郷の見慣れた風景に感じ入っているらしく、泣き笑いのような表情を浮かべている。


 しかし、ミレイユの視線に気付くと顔を引き締め、魔力の制御を始めた。

 それを見ながら、ミレイユはまた別の感慨を浮かべていた。

 ――かつて、これと良く似た状況があった。


 その時のアキラは全くの素人で、魔物が出たと思しき目標地点へ、走って行く事すら困難だった。

 ただの凡人で、ミレイユ達に付いて行く事も出来ず、荷物の様に運ばれるしかなかった。

 だが今は……今となっては、それに置いて行かれまいと魔力を強い制御で練り込む始末だ。


 当初、思い描いていたものとは、まるで違う事になってしまったが――。

 アキラは誰かを守れるだけの強さを、身に付ける事が出来たようだ。

 ミレイユが口角を僅かに持ち上げ、アキラの姿を見つめていると、本人は居心地悪そうに身体を揺らした。


「あの……、ミレイユ様。僕の制御、何か悪かったですかね……」

「いいや、見違えたと思っていただけだ。どうやら、担いで運ばなくても済みそうだな」

「――ブフォ!」


 ルチアが思わず吹き出して、笑いながら支援魔術を全員に掛けていく。

 ユミルも笑いつつも呆れた様子で、同様に幻術で姿を隠していった。


「余裕があるのは結構ですコト。アキラの緊張も、少しは解れたかしらね……?」

「あ……。ミレイユ様……、その為に……?」


 情けない顔で抗議しようとしていた顔が、ユミルの一言で感激したものに変わる。

 気に掛けてくれた事を喜ぶ顔でもあったが、それを後ろからアヴェリンが叩く。

 手首のスナップが聞いていた所為なのか、実に小気味よい音を耳が拾った。


「お前の緊張ぶりを、ただ見ていられなくなっただけだろう。気負い過ぎるな、と言われたろうに、全く改善が見られないから、ミレイ様が気を使う事になる。戦場に向かうのも初めてではなかろうに、魔力だけに囚われず、もう少し自分自身を制御しろ」

「う、うぅ……。すみません、師匠」


 これもまたいつもの光景に頬を綻ばせていると、ルチア達の魔術も掛け終わった様だ。

 ユミルが早く行け、と手を振っているので、アヴェリンに目配せして先行させる。

 そうしてアキラを自分の後ろに立たせると、ミレイユもアヴェリンを追って走り出した。


 後ろに立たせたのは、一応護衛の為と、もしも付いて来られなくとも、ユミルがフォローしてくれるのを期待してだ。

 だが実際は、そんな心配は必要なかった。


 後ろからユミルが怒声を上げたり、揶揄する声は聞こえないという事は、それはつまりアキラも上手くやれているという事だった。

 直前に見せた魔力制御、そして走る事については以前から一定の評価をされていたアキラだ。

 今更、心配する必要はなさそうだった。


 車道を走り、車を追い越し、時に飛び越え突き進むのも、今更驚嘆するに値しない。

 途中、何度かアヴェリンがアキラを気にして背後を振り返る場面もあったが、問題ないと見る度に速度を上げていき、最終的にはスポーツカーも顔負けの速度を出すまでになっていた。


 車であれば曲がりきれない直角カーブも、魔力を駆使する走りなら問題ない。

 時にユミルが防護壁を築いて足場代わりにしたりと、上手くフォローしてくれるので、一度も立ち止まることなく疾駆できた。


 本来ならバスと電車で一時間は掛かる道程を、このメンバーが能力を駆使すると、十五分未満というごく短時間で到着してしまった。

 外から見る御影神宮は、参拝に向かうには早い時間だというのに、鳥居をくぐる者達の姿がチラホラと見える。


 この時間は朝参りには遅すぎ、観光を含め、行動するには早すぎる時間だ。

 それでも参道には、疎らな人で溢れている。その顔には笑顔が溢れ、オミカゲ様に対する信奉の強さが窺えた。


 この先の奥宮では、今も奮闘が続けられている筈だし、結界の破壊も遠からず起きようとしていた。

 彼らの笑顔を見たミレイユは、果たしてこのまま捨て置いて、結界内へ侵入して良いものか迷う。


「……まずいな」

「おっ、と! ……どうされました?」


 参道を前にした大鳥居を前にして、ミレイユは緩やかに動きを止めた。

 それにつられて、すぐ後ろを付いて来ていたアキラ達も足を緩めて止まる。

 アヴェリンは一拍遅れてその動きに気付き、すぐに引き換えしては、ミレイユの横で立ち止まった。


 ミレイユは大鳥居の向こうと、そしてそれより手前に広がる商店などを順に見渡してから、参拝者を目で追いながら言う。


「……あの時、『地均し』の巨体や攻撃で、結界は破壊寸前まで追い込まれているように見えた。結界術士も良く堪えてくれたろうが、やはり時間の問題だろう。これから戦闘が本格化する事、そしてエルフ兵五百を招き入れて戦闘する事を考えると、結界の維持は不可能と考えるべきだ」

「それは……、そうかもしれません。でも、危険と判断してるなら、既に本庁から警戒を呼び掛けているのではないでしょうか」


 アキラが当然の反論を出して来て、ミレイユもそれに頷く。

 本当に危機感を持っているなら、無駄に終わると分かっていても、警戒警報など発するだろう。


 オミカゲ様が直接戦闘に関わっている事といい、火急の事態だと認識している筈だ。

 ミレイユが頭の端でそう考えていると、アキラが憂いた顔で憂い声を出す。


「あるいは、ですけど……。もしかすると、結界神話を今も信じているから、かもしれません」

「あぁ……。あの日までは一度として魔物を取り逃した事も、破られた事もないというアレか」

「はい。その上で、オミカゲ様のお出ましです。何もかも、無事に終わると思っているのではないでしょうか。或いは、それに縋りたいのかもしれませんけど……」

「何にしても、オミカゲへの信頼が最悪の事態は起こらない、と思わせてしまっている、か……」


 往々にして、神宮の人間には良くある事だった。

 オミカゲ様という神格を、あまりに強く思い過ぎて、その思いが行き過ぎる、という事が。

 奥宮の中に電化製品を持ち込ませないのもその一つで、神に相応しくないものは排除する傾向があった。


 夜間に敵が忍び込んで来る、それを警戒するのに用意したのも篝火だけだ。

 理力や理術があるのだから、他に用意すべきものなどない、という理屈かもしれないが、万全の準備とは言い難い。


 現代の進んだ科学技術なら、それ以外にも多く警戒に役立つものはある。

 それさえも、神の住まう場所に相応しくないという理由で、使う事を許さなかった。


 下手に肥大化させたプライドが、神宮内には蔓延っているのだ。

 忌々しく思いながら、ミレイユは今も通り過ぎていく一組の参拝者を、忸怩たる思いをさせつつ目で追った。

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