そして、決戦の舞台へ その4

 ミレイユの前に揃い、この場に集ったエルフの数は五百に満たない。

 しかし、現世の基準に合わせた戦力として考えた時、実に頼れる援軍として映る。


 『地均し』が纏う鎧甲は魔力を吸収するが、同時に飽和量も存在する。

 ミレイユ、ルチア、ユミル、そしてオミカゲ様や隊士達を含めても不可能と思えたその量も、この五百が加わるなら可能となるだろう。


 隊士達を脆弱と言うつもりはないが、生まれ育った環境も、生物として種族としての差異も大きい。

 隊士達は決して諦めないという、所謂大和魂とでもいうべきものを持っているが、それだけで勝てる相手なら、オミカゲ様もミレイユを逃がす一手など選ばなかった。


 隊士達の実力を良く知るオミカゲ様が、ミレイユ達と共に戦おうとしなかった事実が、それを如実に物語っている。

 ミレイユは未だに、オミカゲ様が最後に見せた諦観の笑みを思い出せる。

 全てを諦め後に託し、自らの悲嘆を押し隠して謝罪を述べるかのような、あの表情は絶対に覆してやりたいと思っていた。


 オミカゲ様本来の望み――ループからの脱却という事なら、それは既に叶った。

 八神を討ち倒し、ミレイユを狙う魔の手を切った。

 ここで終わるなら、それはそれで、一つの解決として見る事が出来る。


 オミカゲ様を、現世を、地球を見捨てる決断をするなら解決だ。

 だが、それを認められないから、ここにこうして立っている。

 ミレイユは心の中で燃える、強い衝動に突き動かされていた。


 ――抗え、大神を挫け。

 当時は思いもしていなかったが、本当の意味での大神とは、『地均し』の中に隠れているかもしれない奴らの事だ。

 それとて確認してみるまで分からない事だが、ミレイユはきっとそこにいる、と認めてしまっている。


 そこにいないと確認できるまで、この強い情動は消えてくれないだろう。

 居ないと確認出来ても、トンボ返りするほど薄情にはなれないから、結局戦う事には変わりない。


 だが、オミカゲ様の諦観を覆せるなら、それはそれで意味のある事だった。

 自分の決意に意味を見出していると、後ろからインギェムから声が掛かる。


「……そいつらを送れば良いのか?」

「あぁ、そうだ。……だが、待てよ……」


 インギェムが孔を繋げられるのは『箱庭』に対してだ。

 そして今、箱庭はアキラが住んでいたアパートにある。

 そこから武装した兵がゾロゾロと出て来るのも問題だろうし、何より神宮までの距離をどうするか、という問題もあった。


 見慣れぬ土地、見慣れぬ町並みは戸惑うだけでは済まないだろうし、車道を避けて通るにも限界があり、車との衝突は避けられないように思えた。

 何より、アパートから行くとなれば、結構な距離がある故に、落伍する者は必ず出てくる。


 そして、箱庭の中にある、孔の場所にも問題があった。

 いくら事前に説明したといっても、地上から何百メートルも上空にある孔だ。

 落下地点に落葉の陣を張るとはいえ、数が数だけに、ここだけで傷を負う者は頻出するだろう。


 当然だが、誰しも落下経験がある訳でなく、ただ落下するだけでも、その距離故に必ずズレる。

 その補正を全員にしてやる事は不可能だった。

 それならば、もし可能なら箱庭の外へ、直接出して貰った方がありがたい。

 少しは融通が利くなら良いのだが、と思いながら、ミレイユはインギェムに訊く。


「ところで提案なんだが、孔の出現位置は変えられないのか? 箱庭に開いた孔へ直接繋げるのではなく」

「あれは目印みたいなものだからな。直接そこに繋げる方が楽だが……まぁ、別でも可能だ。ただ、そう離れた所は無理だな」

「そういえば、いつだったかオミカゲ様から、箱庭が一度でもビーコンとしての役割を果たしたら、破壊したところで孔は出来ると言ってたが……」

「誰だよ、そんな適当なこと言った奴……。そりゃ権能を『装置』に組み込まれた場合の話だろ。己が自分でやるとなりゃ、箱庭みたいな目印ないとゼッタイ無理だね。基点となる場所を勝手に計算して再設定なんざ、やれたとしても頭が爆発しちまう」

「あ、あぁ……。それはすまなかった」


 その権能に深い造詣がないから確かな事は言えないが、何となくニュアンスで難しい計算が必要になりそうだ、という事だけは分かった。

 

「とにかく、箱庭があるんなら、そこを基点として多少ずらすのは難しくない。ただ、あまり離れると途端に制御が難しくなるからな……」

「具体的には、どの程度可能だ?」

「あの箱から両手を広げた範囲くらい、か……?」


 腕を組み、首を傾げながら言って来て、ミレイユは渋い顔で頷いた。


「大して変わらないじゃないか……という愚痴はともかく、箱庭の外に出せるのなら及第点だ。そこは間違いないんだな?」

「あぁ、違いない。孔に繋げるっていうのは、孔の位置を正確に把握するって事でもある。そして箱の場所が分かってるから、そこから多少ズラす位はやってやれる」

「それを聞いて安心した」


 依然として神宮まで距離がある、という問題は解決できていないが、何もないより遥かな進歩だ。

 そう考えて、神宮内にあった巨大な孔について思い至った。

 『地均し』を通す為に拡げた孔は、あの時あの瞬間は、まだ閉じていなかった筈だ。


 そこから出られるなら、話は早い。

 そう思って訊いてみたのだが、返って来たの否定の言葉だった。


「あれは己が開けた孔じゃないからな。己の権能を原理としているだけで、己そのものが作ったものじゃない。やってみた事がないから可能かどうかも分からんし、やったところで賭けになる上、失敗の可能性は凄く高い。……それに、回数制限がある事を忘れるなよ。無駄撃ちしたら、単純に損だ」

「そうだった、それもあったな……」


 魔力と同様、権能を使うにも制限は存在する。

 だが、それと同様に、時間と共に回復するものだ、とも言っていた。

 ミレイユ達が移動中に身体を休ませ、その八割程まで回復させたのだから、インギェムも同程度回復していると思い込んでいた。

 ……いたのだが、インギェムが言うには違うものらしい。


「そう簡単じゃないんだ、信心によって蓄える力だからな。ただ寝てるだけで回復するのは同じでも、その過程には大きく違いがある。……まぁ、魔力と違って時間が掛かるとでも思っておけ」

「……なるほど」


 信心に寄る、というのなら、つまり自らに向かって祈られる必要があるのだろう。

 信徒が朝の祈りをした時など、要所要所で蓄えられて行くものだとしたら、確かに体力の回復と同じように考える事は出来ない。


 信徒頼りになるのなら、信徒の数次第で常に回復するような状態を作れる気はするが、普段から熱心な活動をしてなかった二柱には、荷が重い話だろう。


 では、前回申告してきた二回までは使える、という約束と、三回目は確約できない、という話が今も継続されている事になる。

 ミレイユは難しく眉根を寄せて、息を吐いた。


 最初の想定では、まずミレイユ達だけ孔を通ってアパートに出現し、箱庭を手に持って神宮まで移動、そこで再び孔を開いて援軍を呼び入れる、という手順を考えていた。

 落伍者を出さずに、全ての援軍を間違いなく神宮へ運び入れるには、このプロセスで行くのが確実だ。


 参戦したエルフ達は戦勝後、元の世界に返してやらねばならないし、それを考えれば本当にギリギリの回数しか残されていない。

 余裕が欲しいと思えば、アパートの出現一つで済ませてしまいたいが……、やはり道中の不安は拭えなかった。


 神宮に辿り着く前から、多くの困難やトラブルを抱えるリスクがあり、それを権能一回で排除できると考えれば、割の良い取り引きと考えるべきなのかもしれない。


「どこで切るべきか、と漠然と考えていたが……、いきなり切る破目になったか……」

「つまり? どうして欲しい?」

「まず私達を送って貰う。そして箱庭を別の場所へ移した後、改めてエルフを送って貰いたい。……とすると、合図はどうしたものかな」

「箱の中にお前が何か魔力を撃ち込んでくれれば、それを感知できる。……できるが、これからお前が通るのと同じだけの時間差で感知するから、そこは気を付けろ」


 なるほど、とミレイユは頷く。

 かつて通った時にも、一瞬で通り抜けた訳ではなかった。短い時間だったものの、そのタイムラグは大きい。時間は、よくよく数えておく必要があるだろう。


「……ちなみに、孔は箱の傍に開けられる、という話だったが、箱を持ち運べば孔も一緒に動かせたり……」

「そんなバカみたいな話あるかよ。開けてるのは空間に対してなんだから。箱を移す事が空間ごと移動してる事になるか? それがなるっていう事なら、可能って話になるが」

「あぁ、いや……悪かった。訊いてみただけだ」


 ミレイユにしてもどうせ無理、聞くだけなら損にならない、という軽い気持ちでの質問だった。

 返答にしても予想していた範疇で、まぁそうだろうな、という感慨しか浮かばない。

 そこへ、後ろから躊躇いがちにヴァレネオが声を掛けてくる。


「ミレイユ様、時を弁えず失礼を承知でお聞きしますが……。そちらの、見慣れぬ御二方は?」

「あぁ……、何といったものか」


 説明しないのも不義理だが、同時にそれを説明すると、非常に面倒な話になる。

 エルフと神々の確執は根が深い。

 ここに味方を残す事なく、二柱を置いて行く事は、厄介な事態を引き起こし兼ねなかった。

 だからミレイユは苦渋の決断として、今は伏せておくことに決めた。


「ヴァレネオ、今は何も聞くな。後で必ず説明する。だから、今は――今だけは、何かに気付いても、胸の奥に仕舞っておけ」

「ハッ……! ミレイユ様が、そう仰るなら……」

「うん、すまないな。――早速、頼んでいいか」


 ヴァレネオには一言の謝罪で済まし、それから改めてインギェムに目配せして、ルヴァイルにも協力を頼む。

 この作戦の肝には、彼女の権能と協力も必須だ。

 彼女が持つ『時量』の権能なしに孔を繋げるだけでは、破壊し尽くされた世界に降り立つだけになってしまう。


 インギェムが隣の部屋との境い目に、ひと一人が十分通れる孔を作り出すと、ルヴァイルがそれに手を添えて、何かを念じるように目を閉じる。

 ヴァレネオは驚愕した顔を見せると同時に、インギェム達が何者かの推測が立ったようだ。


 しかし、ミレイユの言い付けがあったので、それ以上の反応は見せない。

 胸の中に怒りや恨みが渦巻こうとも、それを表に出さない努力をしていた。


 孔が完全に開き切ると、ルヴァイルもどうぞ、と言うように掌を孔へ向ける。

 それで頷きと共に入ろうとしたのだが、その背に呼び止める声があった。

 振り返ってみると、そこには書類の山の間から、テオが顔を覗かせている。


「救援が必要なら直ぐに呼べ。フレンなんかは、声を掛ければ尻尾を振って駆け付けるだろうさ」

「ありがたいが……、そっちも大変じゃないのか」

「そりゃ大変だ。こっちの混乱だって収まってないんだ。手を貸せる余裕なんかない」

「だったら――」

「でも、お前には必要なんだろ? たった五百で足りるのか? 夢想の果ての最終目的、それが今なんじゃないのか?」

「お前、それをどこで……」


 ミレイユの声を遮って言った台詞には、テオの知り得ない情報が含まれていた。

 しかし、知っているというなら、それはヴァレネオから聞いたとしか考えられない。


 そして、顔を向けてみれば案の定、力強い首肯が返って来た。

 彼からすれば、森の民なら誰もが協力して当然、というつもりかもしれない。

 だが、苦労すると分かって人員を引き抜きたくないし、何より魔術士以外は盾役としか使いようがない。


 それも勝利には必要かもしれないが、死に役だ。素直に頼むのは気が引ける。

 だから、とにかくその場では曖昧に頷いておくしかなかった。


「気持ちはありがたく。……必要になったら呼ぶ」

「あぁ、そうしろ。そろそろ、一段落する奴らも出て来るだろう。元気が有り余ってる奴は抑えとく」

「何やら急に貫禄が出てきたな」

「元からあったわ!」


 揶揄してやれば、あっという間に元の顔が曝け出される。

 周りの文官からも驚いた表情が向けられて、意外な一面を見たかの様な反応を見せた。


 もしかしたら、テオは必死に王たらんと、己の出来る事に邁進し、その為に仮面を被っていただけなのかもしれない。

 悪いことをしたか、と眉尻を掻きながら苦笑し、ミレイユは孔の前で改めて、アヴェリン達に向き直った。

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