追逃走破 その8
ユミルが倉庫内に身を忍ばせてみれば、中にいたのは年嵩の男が一人、そして腹心らしき男が二人だった。屋根の上から見たとおり、壁際に立っている男たちは屈強な身体を背広の中に詰め込んでいる。
そして不思議に思うのが、何に使うものか不明なお面らしきものを、誰もが腰にぶら下げていた。
壮年の男がヤクザのボスなのは間違いない。オヤジと特殊な呼ばれ方をするリーダーで、今回の取引へ直々に行くような熱の入り方らしい。
実際、取引の多くは組織の頭が直接顔を見せて動く事は珍しい。大抵は信頼できる部下など、組織の重要な役職につく者などに任せるものだ。
それでも今回、ヤクザのボスが動いたのは、取引相手が自分たちよりも余程の大物であったという事が一つ。もう一つに、誠意を見せる必要があり、今後も良い取り引き相手で有り続けたい事を印象づける為であったという。
共に連れている部下の数も少ないように見えるが、ゾロゾロと引き連れても、それはそれで相手を信用していないように取られてしまう。
伏兵はいるにしろ、好印象を持たせるなら表に出す人数は少ない方が良い、という判断だろう。
ボスは何事かをがなり立てて、壁際の男たちへ説教めいた事を言っているようだ。落ち着きなく左右に歩く傍らのテーブルには、麻薬らしきものが敷き詰められたケースがある。
「あれが取引に使う物ってコト……?」
それにしては無造作に置きすぎなような気もするし、更に言えば何か違和感がある。その違和感を咄嗟に言語化出来なくて、ユミルは物陰に身を隠したまま様子を探る。
少しずつ距離を縮めていくにつれ、その話し声も聞こえてきた。
オヤジと呼ばれるヤクザのボスの、吐き捨てるような怒鳴り声が壁際の男たちにぶつかる。
「くそっ! まだ腹の虫が収まらねぇ、約束の半分だと!? 駄目なら話は無しだと!? あの馬鹿息子がメンツ潰すから、こんな足元見られるような真似されなきゃならん!」
「オヤジ、落ち着いて……」
「落ち着けるか! あのマカロニ野郎ども、海外進出の足がかりに使うと分かってるから、あんな強気でいられる! 外でシノギ作ったら、あんな所は即捨てる!」
「分かってますって、今だけです。今だけ辛抱すれば……」
ユミルはその会話を聞きながら首を捻っていた。
今の遣り取りから推察すると、まるで取引が終了しているように聞こえる。しかし、取引時間は一時間後だと聞いていた。
ユミルが黙考を始めた時、男たちから聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「市蔵の兄貴からも、まだ連絡ありません。もしかしたらガサ入れでもあったんじゃ?」
「怪しい動きはあった。だから一時間、取引を早めたんだ。おい、市蔵に連絡してみろ」
それを聞いて、ユミルは自分の持っているスマホが、その市蔵の物だと思い出した。相手がコールするよりも早く、懐から取り出して握り締める。液晶はヒビ割れ、形も歪に圧し折れたが、その音が予想以上に大きく響いてしまい、男たちの注目を集めた。
ユミルは顔を皮肉げに歪める。
スマホから音を出させない為に、音を出させていては世話はない。
「――誰かいるのか!」
音を頼りに男たちが動くのを感じて、ユミルはこれ以上、隠れ続けるのは無意味だと判断した。予め施していた魔術を解放して、ユミルは更に奥へと引っ込む。影に隠れ、その姿を完璧に隠蔽させると、そこから観念したように両手を挙げて一つの影が歩み出てくる。
男たちは突然姿を現したユミルに驚愕したが、即座に脇下辺りへ手を入れて銃を取り出した。片手で扱えるハンドガンタイプで、ユミルはそれについて詳しくはないが、凄まじい速さで鉛玉を打ち出すものだとは知っている。
ユミルはそれに頓着せず、無防備を晒したまま近付いていく。
「えーっと、何だったかしら? 一時間、取引を早めたって?」
「何だコイツ、一人か!?」
「馬鹿野郎、お前! 一人で出てくる女を信用するな、使え!」
ボスが指示を飛ばすのと同時、全員が腰につけている仮面を顔に装着した。やけに目の部分が大きい、口元にノズルのような何かが着いた、奇妙な仮面だった。
それと同時に、足元に筒状の何かが転がってくる。武器のようにも見えないし、武器のつもりで投げたのなら、そもそも当てなくては意味がないだろう。
何のつもりだ、と首を傾けると、その筒から凄まじい勢いで煙が吹き出してくる。
視界を奪う為というなら、なるほど効果はあるかもしれない。煙を吸い込むと喉の奥に刺激があって、それでこの煙がどういうものか察しがついた。
ユミルは殊更苦しそうに身を屈め、盛大に咳をして見せる。
男たちが棒を片手に近付いて来て、そして屈んだ背中に一撃を加えた。それだけでは飽き足らず、更に一撃、止まることなく二人がかりで何度も棒を振り下ろす。
「オラ! やれ、やっちまえ!」
「くらえ、おら! オラ、てめぇコラ!」
煙が晴れるまで殴りつけ、すっかり消えた頃には、気絶し打ちのめされ、ボロボロになったユミルが出てきた。男たちはシュコーという、奇妙な呼吸音をさせながら肩で息をさせながらお互いを見つめる。
ボスは自慢気に二人へ目配せしながら尊大に笑う。
「な? だから言ったろうが。単身乗り込んでくるような女は、大抵神宮勢力だ。銃弾なんて意味がねぇ、だがガスならよ、アイツらも躱せねぇし効果も抜群よ」
「ええ、確かに……。でも勿体ねぇ、いい女だったのに」
「まぁな、だが良く見りゃ、コイツ……」ボスはユミルの顔を覗き込む。「誠二をやった女じゃねぇか。ま、そういう意味じゃ……やりたくもなかった仇、討ってやった事になるか」
背広の男二人は互いに困惑した様子を見せ、それから伺うように身を屈めた。
「でも、どうします。神宮勢力の女、こんなにしちまって……。すぐにでもコンクリに埋めて海に捨てますか?」
「それしかねぇな。何も見てない、知らないって事にするしかねぇ。このタマなら随分稼げただろうに、勿体ねぇ」
「海が近くて幸いでした、楽できますよ」
違いねぇ、と誰もが笑った時、男二人が突然膝から崩れ落ち、肩をぶつけながら床に転がる。顔に装着していたガスマスクも風に飛ばされたように吹き飛び、そして遠くで落下音が聞こえた。
身構えるのと同時、ボスの顔からもマスクが取れて遠くへ飛んでいく。
何が起こった、と思っていると、男たちの傍に、先程の女が無傷の姿で現れた。
両手で円を描くように広げていき、最後に天秤を模すような形で動きを止める。満面の笑みを浮かべて、明るい声音で高らかに言った。
「サプラ〜イズ!」
ボスはユミルが言っている意味が分からず、困惑した顔つきのまま銃を突きつける。床に倒れている筈のユミルを確認しようと視線を向けても、そこには何もいない。
先程確かに見たはずの顔、ぼろぼろに打ちのめされた身体、それがまるで魔法のように消えていた。
「あら、意味分からない? やっぱりねぇ……大体の人はこれ、喜んでくれないのよねぇ」
不思議ねぇ、と笑うユミルだが、しかし向けられた銃は何も飾りではない。
無防備に晒す頭と胸、腹めがけて銃弾が飛んでくる。
しかしそれは、左右へと俊敏に移動する事で難なく躱した。
一歩、二歩と無造作に近づき、ユミルは構えられた銃口をしげしげと眺める。そして、興味深そうに顎の下に手を当てた。
「へぇ、本当に速いのね。連射も効くし、便利なのかもね。当たればだけど」
「お、お前……、どうやって!?」
聞きたいのは銃弾を躱した方か、それともガスで倒れて打ちのめされた方か。
ガスの方は簡単で、そもそも姿を見せて接近させたのは幻影の方だ。煙の刺激から推察して咳き込んでみせたのも演技で、倒されて見せたのも演技だった。
満足した男どもを後ろから昏倒させて、姿を隠蔽させたまま仮面を剥ぎ取り捨てていった。同じ事をもう一度されたとしても、その程度の毒ではユミルに効果がない。
それは隠れていた場所にも流れ込んで来たガスから経験済みだった。
あれはユミルに効果がないものの、アヴェリンなどには通用する可能性はある。だから念の為と思い仮面を剥ぎ取って、反撃に移った。
銃弾の方はもっと簡単だ。
あれは確かに速かったが、あの程度ならユミル程度でも十分躱せる範疇でしかなかった。
「……んー、説明してもいいんだけど、そういうの今求めてないのよね。さっさと教えてほしいのは、こっちの方なのよ」
ユミルは一足飛びで接近し、ボスの首を掴み、力任せに持ち上げる。
足が地面から離れ、バタつかせるも意味はない。銃口をユミルの額に当てて引き金を引いたが、それすら銃口を額で逸らされ壁に弾痕を刻んだ。
ユミルは力任せにボスの顔を引き寄せ、その瞳を覗き込む。
「――ほら、何だって? 取引時間がどうだのと、詳しいコト話しなさいな」
ユミルは自身が遊び過ぎた事を自覚し後悔した。
思えば机の上にあったものが麻薬だった時点で気付くべきだった。ヤクザが用意するのは刀で、その代わりに受け取るのが麻薬という話だったのに。
それがここにある以上、取引は済んでいたと考えるのが妥当だ。
そして、倉庫に入る前に背後を通り過ぎていった黒いバン。
あれこそが取引相手であるイタリアンマフィアの車で、受け取った刀をどこかへ移動させる途中だった。車自体は目立たないよう、取引現場からは離して置いてあったらしい。
取引がまだ始まっていないと思っていたから、見逃してしまったのは仕方ないとはいえ、もう随分遠くまで移動した筈だ。
同じ港から船に乗り込み帰る訳ではなく、どこか別の場所から帰国するらしい、と情報を聞き出したが、それがどこかまでは知らされていなかった。
ユミルは盛大に舌打ちして、腹いせで男たちに軽めの電撃を何発も打ち込む。痛いし火傷もするが、命に別状はない。精々、気絶している時間が伸びるだけだ。
ユミルは倉庫の扉を力任せに開け放ち、外へ飛び出ると上空に向かって幻術を飛ばした。
いつかアキラに使ったような、派手な光と音が出るだけの見せかけの術だが、こういう場合には役に立つ。
二秒と待たずにアヴェリンがやって来て、そしてその背後にはミレイユも含め全員が揃っている。彼女を前に失敗を報告するのは気が引けるが、しかし言わない訳にもいかない。
「どうした、何があった」
「コイツら取引時間、ちょいとばかし早めてたのよ。襲撃したのを不審に思って、中止するより早めに終わらせて逃げようと思ったみたい。もう既に終えていて、相手もここから逃げ出してる」
「何だと?」
「ソイツらは黒いバンに乗ってる。車の後ろが開くようになってて、窓の部分が鏡みたいになってたわ」
ミレイユは難しそうに顔を顰めた。
「マジックミラーか。しかし、それだけじゃな……」
「探知しようにも、その黒いバンっていうのが私にも分かりませんし」
ルチアも困ったように眉根を寄せた。
しかしそこで、ユミルに閃くものがあった。
――まだ腹の虫が収まらねぇ、約束の半分だと!?
奴らは取引する物品の半分しか渡さなかった。元より約束の半分しか渡すつもりがなかったのか、それとも直前になって半分にしたのか、そこまでは分からない。
しかし、もし直前で半分だけ渡す事に決めたのなら、それはバンの中に残っているのではないか。
ユミルは倉庫の中に引き返し、麻薬を乱暴に掴み取って即座に元の場所に戻っていく。
「ルチア、取引相手の車には、これと同じ物が載っているかもしれない。これを元に探知するコトって出来ないかしら」
「もし載っているなら可能でしょうね」
言うや否や、ルチアは右手で麻薬に触れ、左に持った杖を空に掲げる。すると、杖の先に光が灯り、一つの方向を指し示した。
「当たりです」
「――アヴェリン!」
ルチアがしてやったりと笑みを浮かべるのと、ミレイユが名を呼ぶのは同時だった。
アヴェリンはルチアの腰に手を回し、持ち上げると同時に駆け出す。アキラはどうしたものかとアヴェリンとミレイユを交互に見返し、ミレイユが指を外に向ける事で後を追う。
ミレイユはユミルから麻薬を受け取り、魔術を使って倉庫の中へ放り込むと、小さく笑って目を合わせてきた。
「珍しくやらかしたじゃないか」
「ま、たまにはね。でも咄嗟の機転で乗り切ったでしょ?」
「そうだな、良くやった」
「もっと褒めなさいよ」
ユミルは頭をミレイユの胸に押し付け、グリグリと捻る。
それではいはい、と雑に頭を撫でると、ミレイユの肩口に乗ったフラットロが威嚇するような唸り声を上げた。
嫉妬しているのだと分かってその背を撫でながら、アキラにしたのと同じように指を外に向けた。
「それじゃ、後を追うという事でいいか?」
「楽な方でお願いね」
「じゃあ、お前は隠蔽を使ってくれ」
そう言ってミレイユは笑い、魔術の制御を始める。紫の光が手の平を纏い、次に拳を握った時、ユミルもまた魔術の制御を始めた。
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