追逃走破 その9
ミレイユがアヴェリンの現在位置へと移動した場所は、見覚えのない車道の真ん中だった。移動が完了した直後には見えていたアヴェリンの背も、今では既に遠くなっている。
移動中と分かっていたとはいえ、車道に降り立てば当然自分の脇を車が通り過ぎていく事になる。その事実を完全に失念していたミレイユは、今もまた通り過ぎていく車を見送りつつ地を蹴った。
「ちょっと、これ下手すれば車に轢かれてたじゃない」
ユミルの抗議も捨て去る勢いでミレイユは走る。
隠蔽魔術が効いているお陰で、車を追い越していっても不審に思うドライバーはいない。肩口に乗ったままでいるフラットロが、必死にしがみ付いている姿も目に映ってはいないようだ。
内向魔術を極めたアヴェリンの速さに追いつくのは、実際簡単な事ではない。
ミレイユは走り続けながら魔術を行使し、自らの身体能力を強化する。すぐ後ろを着いてくるユミルにも、同様の魔術を使ってやった。
それで一気に速度が増して、アヴェリン達の背が見えてくる。
ルチアに先導されて走るその後ろには、意外にもアキラが食い付いていた。必死な形相ではあるものの、あの速度に置いていかれる事なく走るというのは素直に賞賛してもいい。
予想外の収穫を見た気分で、ミレイユはアキラの隣に並ぶ。ギョッと顔を逸らすのと同時に、ホッとして顔を戻した。相変わらず表情の変化が忙しい奴だ、と思いながら、アキラにも魔術で支援してやる。
そうすると目に見えて表情が綻んでいき、安堵の息を吐いて礼を言ってきた。
「ありがとうございます、ミレイユ様」
「ああ……。お前、意外に足速いんだな」
「誰にでも、一つくらい取り柄があるものよね」
ミレイユの素直な褒め言葉も、ユミルの軽口にアキラが顔をムッと顰めた。
前方を見ると、十字路を曲がるアヴェリンが跳躍して電柱に手を回し、速度をそのまま維持して曲がっていくところだった。
ミレイユは感心すると共に呆れもしてしまう。
これだけの速度で走れば、問題は交通量の激しい現代の道路でどう曲がるかという点だった。下手をすれば玉突き事故になるので注意しなければならない。
それをああいう力業で曲がってしまうのだから、内向魔術士というものはつくづく侮れない。
アキラもアヴェリンに続いて同じ様に曲がるので、ミレイユも試しとやってみたのだが、童心に帰った気持ちになって若干楽しい。
ユミルは外向魔術士らしく、空中に長方形型の防御壁を張って、そこへ反射するように蹴りつけて十字路を曲がった。
「もっとスマートにやりなさいよ」
「ごもっとも」
それは言うとおりだと思うので、ミレイユは素直に頷いた。
前方にいたアヴェリンは、目的の黒いバンへ追いついたようだった。ルチアは空中に放り投げられたが、そのルチアは動揺した素振りなく着地した。
特に遅れるような事もなく、アヴェリンに数歩遅れて並走を続ける。
そこでアヴェリンは横合いから車を殴りつけ、横転させようとした。
「走行中にしなくてもいいでしょ」
「それも、ごもっとも」
ユミルが呆れるように言って、ミレイユが同意した。ちらりと見れば、アキラも引き攣った笑みを浮かべている。
車の車輪は道路から浮き上がり、数秒の方輪走行の後、再びタイヤが路面を噛む。タイヤの擦れる音と共に、バランスを立て直そうと車が蛇行した。
車内にいる誰かの叫ぶ声が聞こえる。それは突然ハンドルが取られた事に対してというより、何者かに襲われた事に対する悲鳴のように聞こえた。
男の一人が窓から身を乗り出して、明らかにアヴェリンを視界に収めている。攻撃された事で襲撃者を強く意識した為、隠蔽の魔術が途切れてしまったのかもしれない。
男は一度車内に顔を引っ込めると、今度は体ごと身を乗り出して、アヴェリンに拳銃を突き付けた。一拍の間の後に三度発砲されたが、そのどれもがアヴェリンが手の平で受け止めてしまう。
「――う、撃った!?」
「なんだ、映画のように派手な音は出ないんだな」
「言ってる場合ですか!?」
ミレイユの場違いな感想は、アキラの真っ当なツッコミで流された。
その間に車は信号を無視して急カーブし、アヴェリンから逃げ切ろうと暴走を始めた。
突然の暴走車に周りの車は混乱し、急ブレーキを踏んだり急ハンドルを切ったりで、事故は免れないように思えた。
「アヴェリンはそのまま行け! アキラ、お前もだ!」
「りょ、了解です!」
ユミルに目配せすると、心得たとその瞳が語っている。
ミレイユは一つを念動力で空中に浮かせ、電柱へぶつかる前に車を止めた。もう一つを自力で受け止め、後方に流されながらも慣性を弱めて停車させる。
ユミルはぶつかる前に防御壁を器用に並べ、衝撃を逃しながら走行させて安全な場所へ誘導させた。
怪我人はなく、大きな事故もない。
助けられた人々は何が起こったか分からないようだったが、とにかく無事で怪我もなく事故も防げた。それを確認し、ミレイユ達は再度走り出す。
「まぁね、そりゃこうなるわよ、って話よね」
「一撃で止められていれば違ったんだろうが……。手加減しすぎて止められなかったな、あれは。やり過ぎると殺してしまうし」
「殺すな、っていうアンタの命令を守った結果って?」
苦い顔で頷くと、前方にアヴェリン達と暴走する黒いバンが見えてきた。
今のところ、さっきのような事故はまだ起きていないようだが、それも時間の問題だろう。そう思っていると、おもむろにルチアが魔術の制御を始めた。
敏感に察知したアヴェリンが跳ねるように前方に飛び出し、バンを追い抜く。
アキラが目を白黒させている間に、ルチアは制御を完了し魔術を放出した。飛び出す青白い光はバンの足元――四つの車輪に当たり、急速に凍りついて制御を失う。
それを前方に回り込んだアヴェリンが掴んで止め、後ろに食らいついたアキラも動きを止めようと踏ん張る。
凍った車輪は地面との摩擦でゴリゴリと削られていったが、アヴェリンが抑えつけているお陰でその勢いが急速に失われていく。
その動きを完全に止めると、ご丁寧に車道の外側、路側帯へと車を移動させ、そこでようやく車から手放す。
車両の助手席側まで無造作に近づくと、中へ向かって握り拳を振りぬいた。
中にいる男を気絶させたと見え、ミレイユも速度を落として近付いていく。アヴェリンは続いて運転席側へ回り込み、そこにいた男も殴りつける。その一連の流れを無視するように、ルチアが後部ドアを開けて物色を始めた。
目的のものはすぐに見つかったようで、中央に紐が結ばれた随分と細長い桐箱を取り出す。
桐箱へと手を当てて暫し、幾度か頷いてにっこりと笑う。どうやら中にあるものが、魔力付与されたものだと探知したようだ。
戦利品を掲げるように持ち上げて、ミレイユへ振り返ると同時、横を通り過ぎたバイクが、それを掻っ攫って逃げていく。
「は……?」
「嘘でしょ?」
思わず呆然と見送ってしまい、走り去るテールランプを見送ってしまった。
事態を悟ったルチアが走り出そうとしたところ、ミレイユは手を挙げて止める。大声を上げつつ肩を上げ、頭の上でぐるぐると腕を回す。
「アヴェリン! ――追え!!」
名前を呼ばれて顔を向け、振り回す腕と号令と共に指差すバイクを見て、アヴェリンは弾かれたように走り出す。既に癖となったのか、アキラもそれに追従して走って行った。
バンの前まで辿り着いたミレイユは、項垂れるルチアの肩に手を置く。
「申し訳有りません、ミレイさん……」
「いや、仕方ない。あの状況で他に狙っている奴がいるとは思わないだろう」
「あれって、どこの勢力? 神宮の奴らが持っていった?」
ユミルが思案顔で首を傾げたが、それなら一つ、今もバンの運転席にいる男に聞けば分かる話だ。他に味方がいて、何らかのフォローをする為後方にいたのかどうか。
いたというならそれでいいし、いないというなら神宮勢力か、あるいは第三者という事になる。
ミレイユは今も錯乱した声が聞こえてくる運転席へと近付いていき、中にいる男を覗き見た。そこには頭を抱え、身を縮めて屈み込む男がいる。
車のドアは鍵が掛かっていたので、既にアヴェリンが割った窓から手を伸ばしロックを外す。ドアを開いてやれば、男は更に怯えた様子を見せた。
その様子に頓着せず、運転席から男を無理やり引きずり出して、路上に投げ捨てた。
男は怯える声を出すばかりで反撃らしいものも、抵抗らしい動きも見せない。怪訝に思いながらもルチアに監視を任せ、今も助手席でぐったりと気絶している男を見る。
唇は切れ、口の端から血を流し、頬には大きな打撲痕がある。完全に気絶しているようで、こちらは放って置いても良さそうに思えた。ただし無防備にさせておく意味もないので、何かしら拘束する必要はあるだろう。
「ユミル、こいつを拘束して逃げ出せないようにしておけ」
「見た感じ、必要だとは思えないけど……ま、やれと言うなら」
ミレイユの後ろにぴったりと寄り添うように立っていたユミルは、一つ頷いて処置にかかった。
それに頷き返して無抵抗の男へ向き直る。
髪は黒いが肌は白く、また顔の彫りが深い。怯えたように見返す目は青く、到底日本人のようには見えなかった。
尋問したいと思ったが、日本語は通じるだろうか。取引する為に派遣された人材というなら扱えても不思議ではないが、そもそも日本語はマイナー言語だ。
むしろ日本側のヤクザが英語を使って交渉していた、と考える方が自然かもしれない。
どうしたものか、と腕を組んで考える仕草を見せると、男の方から声を出してきた。
「あんたらサムライか? ニンジャか……!? だから日本人はデタラメだって忠告したのに!」
「あぁ……、言葉が通じ……」
錯乱しているようだが、男の言語は明快で、意思疎通に問題ないように思えた。しかしそこで、はたと動きが止まる。
――男の唇の動きと発する音が一致していない。
これはユミル達にも言える、使う言語と発する音の違いが修正されている際に発する現象だった。あるいは単に翻訳されていると見るべきか、それとも意思から言語に変換されていると見るべきか、それは分からない。
しかし、これは単に異世界言語を翻訳している訳ではなかった、という証拠とも思えた。
奇妙な発見は置いておいて、ミレイユは男に詰め寄る。
その頬を一発張って、襟首を掴んで持ち上げた。男の体格は良い。筋肉質で背も高く、体重が八十キロを下回っているとは思えない。それでも細腕のミレイユが軽々と持ち上げるものだから、男は驚愕と畏怖で顔が歪んだ。
「面倒だから素直に答えろ。あのバイクはお前の仲間か?」
「そ、そう……! そうだ!」
男は苦しげに呻きながらも素直に頷く。
「い、色々計画があったみたいだが、俺は知らない。下っ端なんだ、詳しいことは何も聞いてない! ただ、その色々の内容は全て、何としてもカタナだけは持ち帰れるようにする為だったみたいだ……!」
「なるほど。では、事態は厄介な方に動かずに済んだ訳か」
ミレイユは襟首から手を離して投げ捨てる。男はそのまま脱力し、尻から地面に落ちた。その額を軽く小突くと白目を剥いて気絶して、それでアヴェリンが消えた方を見据えた。
ルチアが顔色を伺いながら聞いてくる。
「アヴェリンを追いますか?」
「任せて問題ないと思うが……」ミレイユはちらりと、不安気なルチアの顔を見る。「機会があるなら挽回したいだろうな……」
「こっち終わったわよぉ」
ルチアの心情を敏感に察知したところで、処置を終えたらしいユミルが帰ってきた。そちらへ手招きしながら魔術の制御を始める。
「バンの後ろの座席にも、例の麻薬があるのを確認したわ」
「それじゃあ、後の事は御影本庁の奴らに任せよう。これだけの騒ぎ、すぐにでも見つけるだろう」
実際、周囲では暴走車が突然の、そして不自然な動きをして停止した事で野次馬が溢れている。今は魔術の隠蔽のお陰で、ミレイユ達の姿を明確に捉えている人達は少ないが、指差して付近の人へ興奮気味に声を出している人もいる。
長居するのも危険そうだった。
ミレイユは制御を早めて魔術を完成させる。手の平に紫の淡光が揺らめき、それを握るようにして解放した。
二人の肩に手を置くと、今は遠いバイクが消えた方向へ顔を向け、二人に向けて簡潔に告げた。
「――アヴェリンを追う」
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