追逃走破 その10
アキラは飛び出したアヴェリンを追って、車道外縁部を走っていた。
前方には黒いライダースーツを着てフルフェイスのヘルメットを被った男が、肩に刀の入った桐箱を掛けて走っている。
バイクは暴走していたバンよりも更に速く、そして車の間を縫うように走っていく。
前に車があれば減速していたバンと違い、そのような制限のないバイクに追いつくのは容易ではない。また、車が遮蔽物の代わりとなってしまうのも、追いつこうとする者にとっては厄介なものだった。
特にトラックは背が高く目標を見失いやすい。バイクもそれを狙って車線を変更しているのが分かった。
アキラはミレイユから身体強化の魔術を受けた。我ながらここまで強化されたのなら置いていかれる筈がない、と傲慢になっていた事実を認めない訳にはいかなかった。
アキラは間違いなく全力で走っている。
だというのにアヴェリンの背に――引いてはバイクに、追い縋るので精一杯だった。
バイカーの操縦技術は見事なものだった。
素人の目から見ても曲がれないと思う速度でも上手く体重移動して曲がっていく。途中、膨らみすぎて反対車線へはみ出し、あわや正面衝突という危うい場面はあったものの、今も百キロは優に超えるスピードで爆走している。
しかし、それだけの事をしても振り切れないというのは、バイカーにとっても恐怖だろう。
アキラ達は単純な脚力でバイクを追っているのだ。振り切れて当然の相手を振り切れないというのは、長く続ければそれだけでプレッシャーになる筈だ。
相手がミスをし転倒するか、それより前にスタミナが尽きてアキラ達が止まるか、そういう勝負になりそうだった。
いや、とアキラは思い直す。
アヴェリンの体力に限界があるとは思えない。今も車が邪魔で追い詰めきれないだけで、機会さえあれば止める事は出来るのだろう。
殺すな、という命令さえなければ、今にも蹴りつけてバイクを横転させていたかもしれない。
そう思っていると、不意にバイクが車線を変更した。
前方には車がなく妨害に使えそうな物もない。
何のつもりだ、と思っていると、どこか遠くから乾いた破裂音が聞こえた。
それと空気を切り裂く音を耳が拾うのは同時だった。何かがぶつかる音と共に、アヴェリンの首が後方に跳ねる。
まさか、と思い、同時に馬鹿な、と思った。
乾いた破裂音が銃声だったとするなら、今アヴェリンは狙撃されたという事になる。音と着弾は同時のように思えたので、何キロも離れた場所から狙撃された訳でもないと思う。
漫画かテレビで聞きかじった話によると、遠ければ遠いほど、着弾よりも音の方が遅く聞こえると言う。不規則に動く物体を数キロ離れた場所から撃ち抜くのは不可能だろうから、実際近くにいるのは自然な気がした。
それよりも、考えなくてはならないのはアヴェリンの方だった。
思わず現実逃避してしまったが、さしものアヴェリンも無事では済まないだろうと思ったのだが、首を元の位置に戻しながら問題なく走り続けている。
「何だ、一体……?」
「嘘でしょ!? ライフル弾くらって何だ、で済むわけ!?」
アヴェリンは直撃した箇所をさらりと撫で付け、不愉快な視線を前方やや上部へ向けた。そこには五階建てのビルがあって、その屋上に腹這いで何者かが銃口を向けているように見える。
バイクが不自然に車線を変更したのは、このスナイパーの射線を確保する為だったのだと、ようやく理解した。遮る物のない直線、ここで勝負を決めるつもりだったに違いない。
アキラはアヴェリンの背後にいるので傷の具合は分からないが、出血しているようには見えないし、傷口を押えるような素振りも見せていない。
内向魔術士は怪我に強いというような話を聞いた事があるが、その一端をまざまざと見せつけられたような気がした。
勿論アキラにライフル弾を跳ね返すような真似が出来るとは思えないので、今まで以上にアヴェリンの背後から出ないよう心掛け、足を動かす。
他にもスナイパーがいるのかどうかは分からないが、またどこか誘い込まれる前に決着をつける必要がある。
「師匠! これもう、どんな罠があるか分かりません! すぐにでも止めた方がいいです!」
「軟弱な事を言うな! 罠があれば食い破る! それだけの事ではないか!」
「それが出来るのは師匠だけです、僕は死にます!」
アヴェリンからの舌打ちが聞こえた。
情けない事を言っている自覚はあるが、同時に事実でもある。
ここまで用意周到にスナイパーを配置してあるなら、誘い込まれた場所に地雷があってもアキラは驚かない。そしてそれは、アヴェリンが無事である事は容易に想像できても、アキラは為す術もなく吹き飛ぶ未来しか見えない。
「だがまぁ、いつまでも追い駆けるだけでは埒が明かんか!」
バイクとの距離を詰めたアヴェリンに、更なるライフル弾が飛んできた。
直撃したのに止まらないなど、狙撃手からしても理解不能な現象だろう。外したと割り切って二発目を撃つのは当然の判断だったろうが、敵の存在を認識したアヴェリンに二度目は通じない。
アヴェリンはそれを手の平で受け止め、平然と弾を投げ捨てバイクを追う。チャリンと乾いた音を立てた弾丸を、アキラからしても有り得ないものを見るような目で追ってしまった。
肉眼でライフル弾を見切るような存在がいるとは、想像もしなかった。このような相手を敵に回したというなら、それは山賊団の百個ぐらい滅んで当然という気がしてくる。
ビルとの距離も近づき、射角の問題で狙いも付けられなくなった筈だ。
バイカーはどうにかして撒けないかと、狭い路地へと後輪を滑らせながら曲がっていく。アヴェリンはそこへ直角に近い角度で曲がって入っていき、アキラは両足で踏ん張り急ブレーキをかけ、それでも止まらず両手を使って減速してから追従する。
路地の中は狭く、車一台しか通れないだけの幅しかない。
しかしそれはバイクにとっては関係なく、アキラ達にとっては尚更関係なかった。
路地の奥には車が止まっていて、それが道を封鎖している。路地の片隅にはジャンプ台に利用できそうな板があって、箱を使って斜面を作っている事から考えても、予め用意されていた逃走ルートのようだ。
元より、追ってくるなら車だと予想して、こういう逃走ルートを用意してあったのだろう。スナイパーは殺害用ではなく、パンクさせる為に使うつもりであったかもしれない。
スナイパーがミスをして、それでも追いかけてくるようならこの仕掛で逃げ切るつもりだったのだろう。同じくバイクで追ってくる事は予想できたと見て、バイカーが通った後は板が外れて斜面が消えている。
「相手が予想以上に本気です! 用意周到すぎます!」
「だが、逃しはしない!」
アヴェリンが車を飛び越えたその瞬間、直上にミレイユ達が現れた。
埠頭に到着した時もそうだった。アヴェリンの直ぐ傍にミレイユとルチアが瞬間移動してきたとしか思えない仕方で登場したのだ。
そして、ここに現れたという事は、あちらの方が片付いたという事なのだろう。
ミレイユと視界が交わり、すぐ視線が外されてバイクの方へ向けられる。そしてミレイユの視線がアヴェリンとも交わる。一秒にも満たない、一瞬の意思疎通。
そして、直後の判断は速かった。
「引き剥がせ!」
ミレイユが一声かけてアヴェリンの背中に手を当てると、丸まるように縮めたその身体が弾丸のように飛び出していく。重力を無視した直線移動で、あっという間にバイクへ追いつき、バイカーの首を鷲掴む。
バイクから引き抜くように腕を振るうと、何の抵抗もないかのように、バイカーがバイクから引き剥がされた。
振るった勢いのまま手を離し、バイカーの身体が宙に浮く。
弧を描くように地面へ落下しようとしたところを、ミレイユが空中で器用に反転して足を伸ばす。
「――ユミル!」
「はいはい」
爪先辺りにユミルが足をかけると同時、回し蹴りの要領でユミルを蹴り飛ばした。
そのタイミングでユミル自身もミレイユの脚をカタパルト代わりに蹴り出し、バイカーが落下するより前で空中で捕まえる。
運転手を失ったバイクが横倒しで落下しそうになっているところを、制御の終えたルチアが魔術を放つ。霜の塊のようなものがバイクへ迫り、狭い路地の壁面を利用して左右から伸びた霜の柱で縫い留めた。
地上から一メートル程の高さで宙吊りになった物の上にアヴェリンが降り立ち、バイカーを捕まえたユミルもまた、危なげなく着地する。
そこに少し遅れて更に体勢を整えたミレイユが、ルチアを腕に抱きとめ、通路を塞ぐ車の上に着地する。車の屋根に乗った事で、ボゴンと鈍い音を立てた。
その、五秒に満たない出来事に、アキラは我も忘れて魅入ってしまった。
視線一つの遣り取りで、あそこまで動く事が出来るのか、という感動。
そして一声上げるだけで、あそこまで連携が出来るのか、という思い。
それらの気持ちが綯い交ぜになって、凄いものを見てしまった、と胸に熱いものを込み上げながら車の前で足を止めた。
ミレイユがルチアを腕から降ろし、アキラがいる方とは逆側に下りていく。アキラも車を飛び越えてその近くに立った。
アヴェリンとユミルもやって来て、暴れようとするバイカーに、ユミルがヘルメットの上から無造作に殴りつけた。激しい音が聞こえて、それでぐったりと動かなくなったバイカーを地面に落とす。
肩に括り付けるように下げてあった桐箱を、ようやく取り戻してユミルが重く溜め息を吐いた。
「全く、やれやれね……」
「随分と手こずらせてくれたが、まぁこんなものだろう」
「そこまでする価値あるのかしらねぇ」
アヴェリンが吐き捨てるように言って桐箱を睨み付け、ユミルはひょいひょいと箱を上げ下げさせて呆れたように言った。
一応中身を確認し、そこに刀がある事を確認する。付与された魔術も確認できて、間違いなく神宮勢力が神刀と呼ぶものだと分かった。
弛緩した空気が流れたが、そこに申し訳無さそうにルチアが頭を下げた。
「……ご迷惑おかけしました」
「さっきアヴェリンが言ったとおりだ、相手が一枚上手だったし用意周到だった。もしかすると、最初から取引はしないで奪うつもりですらあったかもしれない」
「襲撃者を想定していた、というより、そっちの方がずっと説得力ありますね」
アキラはミレイユの意見に賛成だった。
襲撃が有ると想定する事はあっても、だからといってスナイパーを取引現場から離れた場所に配置するものだろうか。明らかな逃走ルートを考慮しての配置だったように思うし、そうだとしたら最初から逃げるつもりがあったとしか思えない。
とはいえ、それは別にアキラ達にとってはどうでも良いことだ。
何にしてもあまりに疲れた。今日はずっと走り通しで、汗もかいたし喉も乾いた。危険な目にも何度となく遭った。
もう帰って寝てしまいたい気分だった。
「それじゃあ、目的も達成できたし、帰るとしよう」
「まぁね、結構楽しめたわよね」
ユミルの口調はどこまでも明るい。アヴェリンはそれにムッとした表情をして見つめ、ルチアは苦笑してそれを見つめる。
ミレイユからも苦笑する雰囲気が伝わって、それで全員が路地から出ようと足を踏み出した。
――その時だった。
一瞬にして辺りの雰囲気が一変した。
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