追逃走破 その11
それまであった喧騒や車の走行音が突然消え、地面に下ろした筈のバイカーも消えていた。
ミレイユは周囲を見回し、眉根を寄せる。
「結界か……」
「勘弁して下さいよ……」
アキラが情けない声を上げて、その場にへたり込んだ。今日一日、何かと精神的体力的消耗の激しかったアキラだから、そのような反応はむしろ当然だった。しかし、アヴェリンにとっては違ったらしい。
「不甲斐ない真似を見せるな! ここは戦場だぞ!」
その一言でアキラの顔付きが明らかに変わる。立ち上がり、シャンと背筋を伸ばしてアヴェリンの顔を見つめ顎を引く。
「申し訳ありません、弛んでいました!」
「それでいい」
アヴェリンも満足気に頷き、腕を組む。
戦場というのは間違いでないが、今日の所はアキラに出番はないだろう。何しろ未だに個人空間を展開できない上に、武器を携帯していない。このままでは戦えと言われても戦えまい。
しかしそれより前に考えなくてはならないのが、これが自然発生したものか、それとも人為的に発生したものか、という点だった。
タイミングを考えれば――。
「非常に作為的なものを感じるな」
「やっぱり?」
「ヤクザの事務所の時と同じだ。タイミングを計って展開したと考えるのが妥当だ」
ユミルの疑問に返答しながら、ミレイユは路地から離れて通りに出る。
そこで左右を見渡して見ても誰の姿もない。てっきり神宮勢力の兵隊が待ち構えていると思ったのだが、当てが外れた。
そして同時に、結界の堺がごく近くにある事にも気が付いた。
大きさとしては普段よく目にする範囲と違いがないように見える。別にそれはどうでも良いのだが、相手も作戦は変えてきたという事だろうか。
結界の境まで短ければ、それだけ速く脱出できるという事でもあるのだが。
どうにも不意に落ちない気持ちでいると、ふと気配を感じて通りの向こう、十字路部分が目についた。
「ちょっと、アレ……」
「ああ……」
そこには良く見慣れた孔がある。脈動するように動き、そして一際大きく開いたかと思うと、一つの魔物を吐き出してくる。
黒い体毛に覆われた、人より遥かに大きな獣人だった。
正確には頭だけが角の生えた牛であり、それ以外は人に近い体型をしている。筋骨隆々で、首から胸にかけて、そして下半身が体毛に覆われ、両手で抱える斧を持つ。目は血走り、歯ぎしりするように噛み締めた口の端からは、ダラダラと涎が垂れていた。
それが一匹、また一匹と、次々と吐き出していく。
それが遂に五匹に達した時、孔はやるべき事はやったと言わんばかりに、一度大きく脈動してから消えていった。
「これってどう見るべき? アタシ達ハメられた? それとも偶然?」
「さて、どっちだろうな……」
ユミルと緊張感のない会話をしていると、敵がこちらに気が付いた。斧を振り上げ、大口を開けては空を見上げて咆哮する。
「ブモォォォオオオ!!」
一匹が咆哮すれば、一匹、また一匹、更に一匹と咆哮を始める。猛り狂った闘牛のように、目を血走らせながら地面を足で搔く。
「ほら、アキラ。新しいお友達よ」
「――無理ですよ!」
ユミルが笑顔で手の平を向けた。
アキラは今にも突進を始めそうな魔物から目を逸して、胸の前で腕を交差しバツ印を作る。
「ホント無理ですって! 僕はいま武器なんて持ってないんですから! それに初めて見る相手な上に、とても戦える状態じゃないですし!」
「アヴェリンから何か一言は?」
腕を組んでいたアヴェリンは、そのままの姿勢で首を傾けた。
「確かに無手で挑めというには酷かもしれん」
「それじゃあ……!」
アキラは顔を綻ばせたが、続く言葉で表情が固まった。
「だが、あちらは五体いるんだ、とりあえず一体倒せればいいんじゃないのか」
「あら、出血大サービスね。……誰がどれだけ出血するかは置いといて」
敵とアキラを見比べながら言ったユミルの言い分に、ミレイユは思わず笑った。
そこへアキラが縋るように近付いてくる。
「いやいや、笑っている場合じゃないですよ! あんなのと戦ったら、あんなの……あれって何て名前の魔物なんですか?」
「見たとおりだ、ミノタウロスだな」
「絶対、強い奴じゃないですか!」
アキラの上げた悲嘆の声に、ミレイユは大いに頷く。
「お前がどれ程あれを知っているつもりかは置いといて、実際あれを倒せるかどうかが中級冒険者との境目になるだろう。五体まとめて倒せるようなら、上級者を名乗っていいぞ」
「無理ですって、武器もないのに!」
「……ならば、武器があれば挑むというのだな?」
アヴェリンが実に挑戦的な眼差しをしているのを見て、アキラは顔色を悪くした。己の失言を悟ったようだ。今の言い分では、まるで武器さえあれば敵に挑むかのように聞こえてしまう。
しかし、ミレイユの見立てではまだ一人で相手にする事は勿論、勝ちを拾う事すら怪しく思える。
それでもアヴェリンは弟子の限界を越えて、更なる挑戦を突き付けたいらしい。
ミレイユは、それをやんわりと制止した。
「他の四体が黙って見ているとは思えない。その懸念が拭えないなら無闇にぶつけるべきではないだろう」
「み、ミレイユ様……!」
胸の前で両手を組み合わせ、祈るように見上げてくるアキラはこのさい無視しておく。だが、そこへ予想外の闖入者が現れた。
「できるよ! 四匹くらい相手にできるよ!」
「へ……?」
アキラが間抜けな声を出す傍ら、ミレイユの肩に乗っていたフラットロが顔を突き出して言ってきた。その目にはやる気に満ちた表情と、期待する視線とがある。
「あんな奴ら簡単だ! 少しからかってやれば、すぐに追い回してくるもんね!」
「うん……、だが四体だ。一つ残らず注意を引くんだぞ、出来るか?」
「できるよ! 簡単にできるよ!」
「じゃあ、任せてみるか」
ミレイユが言うと、フラットロは飛び上がって空中を走り回った。ミレイユ達の頭上を一回りして、それからまたミレイユの腕の中に帰ってくる。
フラットロの機嫌は最高潮だが、それとは正反対に顔を青くさせたのはアキラだ。
「え、やるんですか、本当に? 武器もないのに!?」
「武器ならある」
ミレイユが手の平を上にして腕を伸ばすと、アキラに突き付けるような形で刀が出てくる。抜き身の刀身が光る一品で、それを器用に回転させて二本の指で刃を掴む。
柄をアキラへ差し出す形になり、アキラは刀とミレイユを交互に見比べた。
「見てないで早く受け取れ。持ち重りがするかもしれないが、そう違いはない。すぐに慣れるだろう」
「本当に? 本当にやらないといけないんですか……!?」
尚も食い下がろうとするアキラに、アヴェリンはその頭を鷲掴んで無理やり向かせる。
「私はお前に何を教えた? 疲れて動けない時だからとて、武器を振るわねばならない時もある。己の命を守るため、己の命より大事な物を守るためにな」
「ででで、でも……!」
珍しく抵抗の意志を崩さないアキラに、見兼ねたらしいユミルが笑って助言する。
「アンタね、前にも言ったじゃない。出来ない事をやれとは言わないのよ。やれるんだから、やってみなさいな」
「そ、そうですかね……?」
「まぁ、腕一本くらいは覚悟しておく必要あるでしょうけど」
「やっぱり、そういうやつだ……!」
アキラが嫌々と首を左右に振って拒絶を示すが、ミレイユは無理やりにでも刀を握らせる。頬を両側から掴むようにして軽く叩き、その目を正面から見据えた。
「――やれ。届かないとしても、明日届かせる為に動くんだ。死にはしない」
「う、う、はい……!」
顔を赤くして意気軒昂に頷くと、ミレイユも頷いてその手を放す。
フラットロが威嚇するようにアキラの近くを周回して、それからミレイユの方に向き直る。
「もういい? やっていい?」
「ああ、いいぞ。上手い事やってくれ」
ミレイユの一言で嬉しそうに飛び上がり、一直線に駆けていく。
見た目が小さな狼犬のようにしか見えないから微笑ましく思えるが、実際じゃれつかれる方はたまったものではないだろう。
アキラにも頼りなく見えたのか、恐る恐る聞いて来る。
「あの、大丈夫なんですか? その……あんまり強く見えないですし」
「あれは小精霊だから、確かに強くはない。それにミノタウロスは炎に対して強い抵抗を持つから、フラットロとは相性が悪い」
「あ、火の精霊なんだ……。え、でもそれじゃあ、やっぱり拙いんじゃ?」
「私の魔力を基礎にしているから、それだけでも単なる小精霊とは隔絶した強さを持つ。倒せはしないが負けもない。上手く引き付けるという意味では、願ってもない状況だ」
「そうなんですね……」
どこか意気消沈した様子を見せるアキラに、ミレイユは頷いて見せる。
「最近、とにかく離れたくなさそうにしてたしな。活躍する場が欲しかったんだろう。そういう意味でも良い塩梅だ」
「ですか……」
「それより早く行け。フラットロが早くも四体引き付けたぞ」
フラットロはその身体を渦巻き状の火柱に変え、四体のミノタウロスを拘束してしまった。しめ縄のようにも見える太い螺旋が、四体を締め上げて弄んでいる。
残った一体はどちらを相手にするべきか迷っているようだ。
仲間を拘束する精霊か、それとも沈静して見守るミレイユ達か。
迷った末、ミレイユ達を相手にする事に決めたようだ。突進する体勢を見せたので、アキラの背を叩いて送り出す。
「ほら、行け!」
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