追逃走破 その12

「うぅぅ……、はい!」


 アキラが刀を握り締めて走り出す。

 抜き身のまま接近するのは少しやり辛そうだが、ある程度近づいてから待ちの体勢に入れば良いだけだし、実際アキラもその選択をした。


 刀を正眼に構えて突進を待つ。

 そして衝突する直前、それを躱して一撃を加えるのかと思ったら、そのまま跳ね飛ばされて転がった。


「……何してるんだ」

「あらあら。煽てられたところで、駄目なものは駄目よねぇ」


 アヴェリンが白けた表情で鼻を鳴らし、ユミルも愉快そうに笑っては頬に手を当てる。実際アキラは、カウンターとして動こうとしていたのは見えていた。

 しかし疲労の蓄積は馬鹿にならなかったのか、動こうとした足が動かなかったのだ。ガクリと震えて膝を落としたと同時に、吹き飛ばされたのだ。


 しかし即座に起き上がり、武器を改めて構えた。

 あの一撃にも関わらず、武器を手放さず、また追撃より早く起き上がったのは褒めてやるべきだろう。しっかりと成長した部分が見えて、アキラの評価をまた一つ上げる。


 そうしていると、今度はミノタウロスが斧を振り上げ接近してきた。

 口から涎を巻き散らし、血走った目で雄叫びを上げる。威嚇のつもりだろうが、その程度で委縮するアキラではなかった。


 振り下ろされた斧を刀の峰で受け止め、力を外へ流して地面へ落とす。

 アスファルトへと盛大に食い込んだ斧を抜き取ろうとする、その一瞬の隙を突いて、その腕を切り落とした。


「ブボォォォォオオオ!!」

「今の頭が下がってたんだから、そのまま首を突くなり落とすなりすれば良かったじゃない」

「慎重すぎて仇になったな。暴れるだろうミノタウロスに、どう攻めるつもりだ」


 アヴェリンが眉を顰めて叱責するような台詞を吐いた時、アキラが更に動いた。

 顔を上げて絶叫する敵に対し、その膝頭を切り裂いて跪かせると、その腹を蹴って転ばせる。倒れたところへ跳躍し、刀を首めがけて振り下ろした。


 刀は刺さって太い首を切り裂いたが、両断する程ではなかった。峰の大部分は露出していて、刺さっているというより食い込んでいる程度でしかない。

 ミノタウロスは刀を抜こうと腕を振り回すが、そもそもその腕がない。アキラを突き飛ばそうとするも、短い腕ではそれも難しかった。


 アキラは刀の峰に両膝を乗せ、全体重をかけて切り落とす。

 それで切断面から血が噴き出し、慌ててその場から離れていく。肩で息をしているが、傷らしい傷も見えず完勝したと言える。

 泥臭い戦い方ではあったが、勝ちは勝ちだ。


「なるほどね、どうせ一撃で切り落とせないって判断したワケ。だから、ああして段階を踏んで倒したと」

「切り落とせん方が問題だ。アレの制御力なら、出来ない筈もない」


 アヴェリンがつまらなそうに吐き捨てたが、ミレイユの意見は違った。


「今日は精一杯働かせたという事実を除外してはいけない。アキラの魔力はもう残り少なかったろう。それで倒す為の算段をその場で組み立て、実際倒して見せた。なかなかうまく育成できてるじゃないか」

「まだまだ、ミレイ様にお褒め頂くには及びません」

「うん、では褒める事が出来るよう、よろしくやってやれ」

「仰せのままに」


 アヴェリンが恭しく一礼すると、アキラが足を引きずって帰って来る。

 精も魂も尽き果てたという風体だったが、今だけはそれを許してやらねばならない。あとは残りのミノタウロスを片付ければ終了だ。


 アキラがミレイユ達の元へ辿り着き、座り込んだのを見てからルチアへ顔を向けた。


「ルチア、頼めるか」

「勿論です、挽回の機会を頂けて感謝しますよ」


 ルチアが顔を綻ばせ、杖を両手で握って小さく掲げた。

 ミレイユは小さく笑って肩を竦め、何も分かっていない振りをする。それでルチアが更に笑みを深くして、前に進み出ては皆から離れて行く。


 アキラは立ち上がる体力が残っていないのか、座り込んだ体勢のまま刀を返して来た。頭を下げて横持ちで刀を捧げるように持ち上げるので、ミレイユはそれを受け取って一振りする。

 空気を切り裂く音がして、それで幾らも付いてなかった血糊が飛んでいく。

 その様を目を丸くしながらアキラが見つめていた。


「本当に武器を扱えるんですね……。僕の切り裂き音とは全く違う、そんな音が出せるんだ……」

「まぁ、少しはな。それより今は、あっちを見ておけ」


 ミレイユが指し示す方向にはルチアがいる。その更に奥には捉えられたミノタウロス達がいた。ミレイユの視線を受け取って、フラットロも拘束をやめて元の姿に戻る。

 怒り狂ったミノタウロス達が、その背を追って走り出した。

 それをおちょくるように動いてから、再びミレイユの腕の中に帰ってくる。


「ご苦労だったな、フラットロ」

「うん、楽しかった! 呼んでね、またすぐ! すぐだよ!」


 言うだけ言うと、ミレイユへ頬ずりして浮かび上がる。そして、まるで空中で壁にぶつかったかのように霧散して消えた。


 アキラがそれを茫然として見送った後、ルチアの方へ茫然としたままの顔を向ける。

 

「……そういえば、ルチアさんが戦うところ見るの初めてだ」

「まぁ、問題なく勝つから、そこは心配しなくていいわよ」


 ユミルが軽い口調で反応して、思案するかのように首を傾げた。

 それについてはアキラも疑っていないのか、素直に頷いてルチアの背中を見つめている。ユミルも同じく見つめた後、不意に思い付いたように声を上げた。


「ルチア〜、そいつの舌と角欲しいから、首から上は無傷で頼むわね〜!」


 何の気負いもなく杖を掲げ、そして杖を片手で持ち直し、空いた方の手で魔術の制御を始める。

 身体から立ち昇る魔力の奔流は、ルチアの魔力総量を示すだけでなく、多くの点穴がある事を示していた。その制御を整えている間に、ミノタウロスの突進もいよいよ無視できない距離まで近づいている。


「ユミルさん、いいんですか、あんな注文つけて。下手に倒す難易度上げなくても良いんじゃ……」

「別にあの程度の注文じゃ、あの子にとっては何の問題もないからね」

「そう……なんですか?」

「見てれば分かるわよ」


 ユミルは何をしても勝ちは揺るがないと見て、欠伸まで始める始末だ。アキラは心配そうに見つめるものの、ミレイユとしてもユミルの心境と大差ない。


 突進するミノタウロスとルチアの距離が縮まり、既に最初の半分まで接近している。

 ルチアは片手で握るには大きすぎる杖をタクトのように振るい、まるで指揮者のように杖を左へ、そして右へと緩やかな動きで振っていく。


 その一振りを繰り返す度、杖の先端から氷の刃が飛び出していく。刃といっても円錐形で、それが激しく動かす足甲に命中し、ミノタウロスを地面に縫い付けていく。

 一振りする毎に二発、それが正確に命中し、次々と敵を縫い付け転倒させた。


 そこへ制御が完了した魔術を解き放ち、光の奔流が呑み込んでいく。

 よく見ればそれは光ではない。光に反射して輝く氷の結晶の集合体だった。それが敵の体に付着するや否や、その部分が急速に凍っていく。


 転倒し、足も縫い付けられたミノタウロスに抗う術はなく、逃げる素振りを見せたり、斧を振るって遠ざけようとしたが、全て空を切るばかりだった。

 十秒も経たずに全ての敵、首から下全てが凍りつく。

 身動きしようとしても身を震わせるばかりで、口からは恐怖に振るえる吐息以外漏れない。


 ルチアが杖の石突きを地面に立てると、凍らされた胸部から巨大な氷柱が飛び出した。先端は鋭利に尖り、そして血に塗れている。

 四体全員が同時に口から血を吐き、僅かに持ち上がっていた頭も、それで力無く地に落ちた。


 何の気負いも自尊もなく、杖を持ち上げ両手で持ち直し、踵を返して帰ってくる。

 その表情にも、やはり何の感情も浮かんでいなかった。


「滅茶苦茶アッサリでしたね……」

「何もさせず、何も出来ず、そして倒すのが、あの子の流儀だからね」


 ユミルはと言えば、結界の消失が始まると同時に消えてしまう死体から、目的の錬金素材を採取しようと、小刻みにステップを踏みながら走っていく。

 途中、すれ違うルチアの頭を軽く撫でていったのは、注文通りにやってくれた友への労いのつもりか。


 ユミルが言ったとおり問題なく勝利したルチアを迎えながら、結界の消失を待つ。

 隣にいたアキラは、そのルチアを憧れと諦めの視線を向けながら零した。


「いま使った魔術も、きっと凄く難しい術なんでしょうね……」

「そうだな、足止めに使った方はそうでもないが。凍らせ、とどめを刺したのは上級魔術だ。つまり修得するまで、そして実際に使えるようになるまで、十年はかかるような代物だな……」

「うへぇ……! しかもそれ、自分の倍はデカい敵が四体襲ってくる状況で使ってるんですよね。制御に失敗したら、もちろん大変な目に遭うんでしょう?」

「当然だな。制御を失った魔術は、時に自分ばかりでなく周囲をも傷つける。あの魔術が自分に逆噴射するぐらいなら可愛いものだ」

「考えたくもないですね……。それを冷静に使えるってだけでも、ホント凄いです……」


 アキラはしみじみと首を振り、大きく息を吐き出しながら言った。

 気付いていなくて当然だが、ルチアが行っていた魔術制御は、単に魔術を使っていた訳ではなく、両手で別の魔術を制御して行使するという二重制御と呼ばれる技法だ。


 ミレイユもよくやるからアキラは気に留めてなかった可能性もあるが、普通両手で別々に魔術を制御するような真似は危険すぎてやらない。

 それでもルチアがそれをするのは非凡な才能があるから、というだけではなく、同じ系統の術では上手く行きやすい事による。


 これが仮に炎と氷というような属性違いであれば難易度は跳ね上がるし、攻勢魔術と治癒魔術というような、そもそも系統別の物を使うとなれば更に制御が複雑化する。

 不発すれば無防備に敵から攻撃を受ける事を考えれば、まず一人で戦う時には選ばない戦法だが、しかしそれでも成功させるからこそルチアなのだ。


 その事まで教えるのは止した方が良さそうだ、と思ったところで、採取を終えたユミルが戻って来て、そして結界に罅が入る。

 やれやれと息を吐きたい気持ちで割れるのを待っていると、結界の崩壊と共に、周囲の騒音が戻ってきた。


 それと同時の事だった。

 辺り全てが神宮勢力の兵で取り囲まれている事に気付く。


 アヴェリンが眉を上げてから獰猛に笑み、ユミルが呆れたように周囲を見回し、ルチアが無表情に無反応を貫いた。

 アキラは愕然として辺りを見回し、身体を震わせて事態が深刻化しているのを感じた。


 ここは車道で、そして結界内でもなかろうに、恐らく三百程がミレイユ達を取り囲んでいる。野次馬すら周囲にいないところを見ると、権威を使って住民を遠ざけているのかもしれない。


 その取り囲む兵の中から、一人の女が進み出てきた。

 ヤクザの事務所でも会った、阿由葉結希乃だった。

 車の走行音などは遠くから聞こえているというのに、やけに静かに感じられるのは周囲を交通規制でもしているせいだろう。

 取り囲む兵たちから、更に十歩近づいて来た結希乃が一喝した。


「神妙に願います! これより貴女方を拘束、連行します! 一切の抵抗をせず、大人しく捕縛されるよう!」

「……ふぅん?」

「どうなさいますか。逃げるも蹴散らすも自在かと思いますが」


 ユミルが鼻を鳴らし、アヴェリンが剣呑な目線で伺ってきた。

 結希乃を見れば、気丈に振る舞っていてもその肩が僅かに震えている。ミレイユ達が本気の抵抗をすれば、命がないと理解しているのだ。

 しかし、恐らくは大宮司、あるいはオミカゲの命令だからと、こうして懸命に仕事を果たそうとしている。


 ミレイユは考えるように顎の下に手を置いて、首を傾げた。

 返答のない事に、結希乃は焦れているようだ。周りの兵達の緊張感も高まっていく。


 そこで一つ、ミレイユは聞いてみる事にした。

 その返答次第では、相手の要求を呑んでも良いと思っている。


「聞きたい事がある」


 一瞬の間が合って返答があった。


「……どうぞ」

「お前は、私の不興を買うな、と命じられたんじゃなかったか? これは私の不興を買うと考えなかったのか?」

「それは考えないではありませんでした。ですが、命令ですので」


 緊迫した声の中に、決然としたものを感じ、ミレイユは傾げていた首を元に戻す。命令というなら、不興を買うな、という指令も命令だった筈だ。

 それを覆すというのなら、それは別命が下った事を意味しないか。


「命令……、命令ね。これの命令は誰からだ?」

「オミカゲ様による勅命です」

「大宮司ではなく?」

「はい、間違いなく、オミカゲ様による御神勅に寄るものです」


 なるほど、と頷いて、ミレイユはアヴェリン達に構えを解くように命じた。

 意外な表情を見せつつも、しかし異論を唱えず従う。アキラは心底安堵した表情で息を吐いていた。

 ミレイユは腕をおろし、結希乃をサングラス越しに見つめて静かに言った。


「お前の顔を立てよう。一先ず、言うことを聞こうじゃないか」

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