幕間 その1

 御影本庁とは、警察とも軍隊とも並ぶ国家の実力組織であり、権力行使をもって国家の治安を維持する組織で、社会の安全や秩序を守る責任を課されたオミカゲ様直下の執行機関である。


 その職務は多岐に渡るが、多くはオミカゲ様の意思を遂行する為にある。

 要職の多くを御由緒家が席巻しているのもそのせいで、神の血を受け継ぐ御家としてその職務を厳正な姿勢で取り組み、その威光をよすがとするからこそ不正もなく、全ての者の模範として立っている。


 阿由葉結希乃は、その日も自分の執務室で書類の整理をしていた。

 結希乃は若いが御由緒の一家、阿由葉家の長女であり、次期当主になる事が既に決まっている。今は保安課の課長という年齢に見合わない役職を授かっているが、それも当主となるからには通らねばならない道だった。


 現在、結希乃は一人だが、今も扉の向こうでは部下の多くが数々の事件に追われて動いている。喧騒とも怒号ともつかない声が扉越しから聞こえてくるのも、いつもの事だった。


 結希乃は一枚の書類を手に取り顔を顰めた。

 そこには五代目生霧会に関する調査結果が記載されている。予てより問題視されて来た暴力組織ではあった。しかしそれは警察組織で取り扱う問題でしかなく、御影本庁にこの案件が移されたのは、ひとえに神刀の売買があったからだ。


 神刀とは本来、金を出せば買えるというものではない。

 全ての神刀の所有権はオミカゲ様にあり、それを手にするという事は神の所有物を下賜される事を意味する。だから受け取った者は個人の所有物というより家の所有物とみなし、丁寧に扱う。

 人によっては自らの子よりも大事に扱うという話は、華族の笑い話として良く聞くものだ。


 それ故、金に困って売却しようものなら、個人ではなく一家の恥となる。

 爵位を持つ華族であっても、オミカゲ様は決してその地位を顧みたりしない。どれだけ高い爵位であったとしても、その誉に値すると見なさなければ下賜される事は決してない。


 権威を振りかざそうとしても、それは人の世にあって意味あるものであって、オミカゲ様は勿論、神職につく神宮勢力には意味がない。

 権威や大金を用いて交渉する事は人の世であっても尊ばれる事はないが、それを神職によって行えば神の怒りを買う。

 これは過去より実際に幾度もあり、そして実際に幾度も神雷によって罰を受けた者のいる事実が、それを物語っている。


 とはいえ、恥になると分かっていても、日本人同士が神刀の売買をする事は違法ではない。

 外国に対する譲渡、売買はれっきとした違法であり、持ち出しすら許可なしに行えば違法となる。今回、生霧会が入手した方法も、違法手段であるから問題になった。


「それにしても、汚い手を考えるわね……」


 結希乃の独白が全てだった。

 書類に目を通していけば、入手手段としては金銭売買、売った相手が反社会的組織である事を考えても、それ自体は違法ではない。


 問題はそれを手放した華族が、麻薬漬けにされたせいによる。

 麻薬を買う為欲しさに家財を売払い、そして遂には売る物がなくなり、最後に神刀すら手放した。

 全ては麻薬が欲しい為だったが、その麻薬を流していたのもまた、生霧会であると調査報告書には記載されている。


 結希乃はその悪辣さから思わず唇を噛みそうになり、慌てて口元を引き絞って誤魔化した。結希乃の持つ、小さい頃からの悪癖だった。


 そして結希乃はページを捲り、別の記載を読み始める。

 そこには麻薬の入手経路の一つとして、マフィアとの繋がりが書かれていた。今回の取引には金銭ではなく、入手した神刀を使うつもりであるという調査結果がある。


 これだけの情報を何故入手できたかと言えば、難しい事はない。神宮勢力には常人には扱えない力がある。それを上手に活用すれば、この程度の情報の入手は容易い。

 もしもこれを警察捜査に使えれば、と考えない事もない。

 しかしこの理術は全てオミカゲ様より与えられしものであって、私利私欲で扱う事は勿論、本庁案件以外で扱う事も禁じられている。


 例外は、オミカゲ様号令の元に行われた世界大戦における日本軍への助勢だった。

 その時ばかりは御由緒家にも勅命が下り、阿由葉家からも戦争に出た。結希乃の大婆様もその一人で、戦車砲の一撃を受けるまで散々に暴れたと聞く。

 大婆様一人に向けられる戦力が一個師団に登った事で戦場を撹乱し、多いに戦果へ貢献したという。日本軍内でさえ戦場伝説の類いだが、結希乃はそれが事実だと知っている。

 あの大婆様ならやるだろうな、という確信すらあった。


 齢九十に迫ろうというのに、未だにシャンと背筋を伸ばし鋭い眼光を持って和装に身を包む姿を思い起こして、結希乃は小さく苦笑した。


 思考が横滑りした事を自覚して、結希乃は眉根を寄せて書類を見つめる。

 何れにしろ、海外のマフィアとの取引は本日に行う予定であり、そして神刀が海外の手に渡る。新たに麻薬を手に入れれば、その手口に味をしめた生霧会は、同様の手口で神刀を手に入れようと考えるだろう。


 今回の取引が割の良いものなのかどうか、それは結希乃には分からない。

 しかし一度成功した手口は、必ずもう一度やる根拠になる。最低でも麻薬が町へとバラ撒かれる事を考えれば、神刀の海外侵出のみならず、麻薬の方も必ず阻止せねばならなかった。


「マフィアが神刀を手に入れてどうするつもりなんだか……。観賞用だなんて、可愛い目的じゃないでしょうし」


 結希乃自身も阿由葉家が下賜された物を所持しているが、実際それは強力な武器である事に違いない。

 斬鉄も可能である事に加え、何かしらの能力を発揮する。単純に神刀そのものに力が宿っている場合もあるが、真価を発揮するのは所持者に理力がある場合だ。

 資格ある者が持てば、神刀ごとに秘められた力を発揮する。

 だから例え一般人が持ったところで、美術品程度の価値しか生まれない。


 この神刀に関する事実は機密という訳ではないが、公然の秘密というほど明け透けに知られている訳でもない。

 もしもマフィアの目的が、単なる蒐集で趣味でしかないなら問題ない。

 しかし、これを軍部などに売り渡し、それを科学的に詳らかにさせる為だというなら、これは断固阻止しなければならない問題だ。


 海外に流出するという事は、それが目的だと考えて動かなければならず、そしてそれはオミカゲ様の威光に泥を塗る行為でもある。

 この案件が御影本庁に移されたのは、まさにそれが理由だった。


 結希乃は溜め息をついて書類を投げ出し、椅子の背もたれに体重を載せた。

 書類には最終報告と朱印がされてあって、そして取引が本日の夕方に行われると書かれて終わっていた。既にそれに向けて作戦は練られ、後は開始時間を待つのみだった。


 その時には構成員は全て捕獲し、生霧会の組長、霧島竜一郎も逮捕する。

 取引相手として現れるマフィアも当然逮捕し、一網打尽の予定だ。しかし裁判や身柄の引き渡しなど、外国との交渉は面倒な事になるだろう。

 その部分については結希乃の仕事ではないので、重く考える必要はないが、それでも溜め息だけは吐きたくなる。


 大きく息を吸った時、扉が焦った様子で叩かれて、吐くタイミングを逃した。

 一時息を止めてから、入ってくるよう指示を出す。


「――失礼します!」


 入室してきたのは小柄な女性で髪をボブカットにした、今年入庁した新人だった。

 名前は佐守さもり千歳ちとせ。生真面目で融通が利かないところはあるものの、どこまでも実直で仕事も早く、そして飲み込みも早く、ここ最近は目をかけている。


 一般人ながらその力を見出されたタイプで、これは毎年全国から何かしらの調査の元で発見される。多くの場合は剣術道場だが、彼女は変わり種で囲碁大会に出場した時、見出されてスカウトされた。

 囲碁はオミカゲ様とも縁の深い盤上遊戯ではあるものの、そこから見出されるケースは非常に珍しい。


 スカウトされた年はまだ高校生だったので、専用の学校に転校してもらい、そこで学業と訓練を受けた後、三年を過ごして卒業した。

 オミカゲ様への信仰心も高く、また結希乃――あるいは御由緒家に対する思慕も強い。

 結希乃としても可愛い後輩が出来て喜ばしく思っていた。


 未だ初々しい緊張感を見せる千歳に、結希乃は背もたれから身体を起こして柔らかく笑む。


「どうした、千歳」

「ハッ! 神宮に目標、甲ノ七が現れましたのは、ご報告があったかと思います!」


 甲ノ七とは、御影本庁内で使われる符号で、結界のある場所に現れては破壊して去って行くという謎の集団の事を指す。女が四人、男が一人というメンバーで、特に目的も不明であり出自すら不明という、四名の女性は強い警戒を持って監視している。


 特に理力を持っているというのが不可解で、自然発現するものではない以上、オミカゲ様による加護があったとしか思えないのだが、その強すぎる理力と所属不明である事から要警戒とされ、常にその動向を見守られている。


 特に悪さをしている訳ではないものの、結界への侵入は看過できるものではなく、その事も上部へ進言したのだが、さりとて梨の礫と切り捨てられた。

 ただ一つ、接触禁止命令が出ただけで、それ以上の措置を取られないのが不思議でならない。


 そして、その甲ノ七が朝早くに家を出て、御影神宮へと向かうつもりである、という報告は確かに本日朝デスクに着いた時点で聞いていた。


「そこからは、神宮内を観光しているようだ、という報告も受けていたけれど……」

「はい、仰るとおりです。ですが、そこから問題――いえ、問題ではなく、何と申しますか……」

「煮えきらないわね。問題にはならないけれど、事件でも起きたとか?」


 千歳はぶんぶんと首を縦に振る。


「や、八房様が、お姿を……!」

「なんですって?」

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