追逃走破 その7

 一人の男が埠頭内の隅にバンを停め、その傍らでタバコを吹かしていた。

 今日する取引の為にイタリアからやって来たマフィアで、名をブルーノという。ブルーノが所属するマフィアはイタリアの中でも名が売れている部類で、多くは麻薬取引で財を成した。


 今日来ているのも、その取引をする為で、その時間まで暇を潰しているところだった。

 日本人は時間にうるさいというのは良く聞く話で、電車などは一分と遅れずやって来るという狂気の沙汰を毎日しているらしい。

 そのような感想を抱くブルーノだから、普段なら時間をそこまで気にしない。十分、二十分、遅れて来ようと、それは挨拶みたいなものだ。


 だが、今回の取引は絶対に成功させろ、とボスから言い渡されている。

 相手の組織は日本でも指折りと言われる訳ではないものの、ボスの欲する物品を用意できると約束した唯一のヤクザだった。


 だからこうして、したくもないご機嫌取りの為に時間を気にしながら時間を潰していた。どこか歓楽街で時間を潰し、その為に遅刻するような事があれば、ブルーノはボスから直々に頭を撃ち抜くと脅されている。


 タバコから煙を大いに吸って、不味く感じる煙を吐く。

 タバコの灰を落とすとうるさいとの事で、舎弟のカリストロに持たされた携帯灰皿にフィルターまで短くなったタバコを押し付けた。


 車内を覗き込み、中で座ったままのカリストロに声を掛ける。


「おい、いま何時だ」

「約束の時間までなら、あと一時間切りました」

「まだ、そんなにあるのかよ……。うんざりするぜ」


 ブルーノはタバコをもう一本取り出して、口に咥えて火を付けた。

 そのブルーノの様子を見て、カリストロは怯えるような声を出す。


「ねぇ、アニキ……。今回のヤマ、本当に大丈夫なんですかね?」

「テメェは見てくれの割に、ホンット臆病だな」

「そうは言ってもですね……」


 ブルーノは尚も怯える様子を見せるカリストロへ、不機嫌に睨みつけた。

 ――不機嫌。

 そう、ブルーノの機嫌はすこぶる悪かった。今回のヤマを任された事も勿論、日本に来る事になったのも、日本人相手に取引するのも、何もかも気に食わなかった。


 特に気に食わないのは日本人だ。

 神の住まう国だとか言って、日本以外を見下すような馬鹿な国だ。

 何が選ばれた民だ、何が神の守護だ、そんな有りもしない物を、さも有るように振る舞って自分たちを騙して悦に浸っている。

 哀れな民族の癖して、商売相手としては対等に扱ってやらねばならない。


 豊かで犯罪も少なく、暮らしやすい国なのかもしれないが、スラムの一つもないような国が真っ当であるものか。そういう危険と隣合わせで生きるから、人は強くなれるのだ。

 スラムの肥溜めから這い上がったブルーノだからこそ、その気持ちは一層強かった。


 多くの国は神を持ち、宗教を持つ。多くが神の言葉を胸に刻み生きるが、決してそれのみを頼って生きるのではない。

 信仰は理解できる。しかし神に縋って生きる軟弱な日本人を、ブルーノは理解できないし、決して認めない。


 今も呑気な顔してブルーノの前を通り過ぎていく一人の日本人男性を、ブルーノは鼻を鳴らして見送った。

 それをカリストロは心配そうな顔で見つめる。


「……アニキ、そういう態度、誰彼構わずしないで下さいよ」

「何で日本人なんかに愛想良くしなきゃいけねぇんだよ、唾吐く位で丁度いいだろが」

「アニキ、日本人の怖さ知らないんですか?」

「あの呑気な馬鹿面晒してるような奴らの、どこを怖がれってんだ」


 ブルーノが敢えて小馬鹿にして煙を吐くと、カリストロは慌てたように手を伸ばし、結局すぐ元に戻した。

 そして言い聞かせるように口を開く。


「うちの曾祖父ちゃん、戦争行ったんですよ。日本人とも戦ったんです」

「あー? だから何だ、大層な話は俺も聞いたことあったがよ、どれも眉唾……信じられる根拠もねぇ」

「それが、曾祖父ちゃんは本当に見たって言うんですよ。ヨロイムシャっていうサムライらしいんですけど、それがとんでもない強さで。白兵戦は絶対するな、って厳命されてたらしいんです」

「あー、知ってるよ。日本のサムライな、何やっても死なねぇとか、サムライ悪魔だとか叫ばれたんだろ? 一人の人間が強いって言っても限度があるだろ」


 ブルーノはやはり鼻で笑った。タバコの煙をカリストロに吹きかけて、鬱陶しそうに手を振って咎めるように、あるいは諭すように言ってきた。


「それ本当らしいんです。サムライの中でもヨロイムシャっていうのが相当ヤバくて、それ倒すのに一個師団用意したっていうぐらいなんですから。銃弾は利かないし、銃剣突撃も逆に被害が増すぐらいで。戦車砲の一撃も、一発だけなら耐えたらしいです……!」

「ばっか、おめぇ!」ブルーノは吹き出して笑ってしまった。「そりゃ人間じゃねぇだろ。どうせカカシか何かにくくりつけたもんを、倒せないって勘違いしたってオチじゃねぇのか!」


 ブルーノは笑いすぎて目に涙すら浮かべたが、カリストロの表情は暗い。言葉にするほど真実味が増していったようで、自分の言葉に怖がっているかのようだった。


「ちょっと考えりゃ分かるだろうが。銃が効かない人間なんているか? たまたまヘルメットの当たり具合が良かったんだろ。運が良けりゃ二発三発食らっても生きてる事だってある」

「そして、そういうサムライこそ普通の人間のカッコしてるらしいです。ニンジャだってそうですよ、いつも影に隠れて悪いやつ見てるんですよ」


 ブルーノはようやく身を乗り出して、馬鹿を言う頭を殴りつけた。


「くだらねぇ事ばっか言ってんじゃねぇ! あの能天気な顔が、ンな事できるようなタマに見えるか? 神の加護だ? こんな小せぇ島国の神が一体なんだってんだ」

「ちょっと、やめてくださいよ! ヤバいですって!」

「何がヤバいだ、このタコ!」


 ブルーノはもう一発カリストロを殴りつけた。収まりがつかなくて、更にもう三発殴りつけたが、その間もなすがまま、顔の周りを腕で庇って痛みに耐えている。

 その身体は震えているように見えた。

 流石に妙だと思って、ブルーノは心持ち優しい声音で聞いてみる。


「なぁ、お前。一体どうしたんだ? ここ来る前は、楽しみにしてただろ、うぜぇくらいによ。何だって今は怯えてるんだよ」


 カリストロは怯えた目のままブルーノを見返す。言おうか言うまいか迷っている様子で、口を開こうとしては閉じてしまう。それが鬱陶しくて更に一発殴りつけた。


「いいから話せや!」

「うっ、はい……。今日、昼間時間あったんでジングー行ったんです」

「あー? どこよ、それ。日本の町の名前か?」

「いえ、教会みたいなものです。日本の神が奉られてて、場所によってジンジャとか名前変わるんですけど」

「あー、ジンジャな。病気治ったりするんだろ? 嘘クセェ」


 ブルーノはまたも鼻で笑ったが、カリストロはその腕を強い力で掴んだ。

 振り解こうとしても離さず、目を見れば血走ったものが浮かんでいた。


「そこで見たんです、親と一緒で子供の顔が真っ赤で、きっと風邪か何かやったんだろうなって。家で寝てろって思ったんですけど、ハイデンとか言う場所行って祈ったら、本当に顔色がケロっと良くなっちまってるんですよ!」

「お前、単細胞の馬鹿かよ! そういうのな、あたかも本当っぽく見せる為に雇ってる役者だよ。お前みたいな観光客が、わぁ本当にあったんだ! って思わせる為にな。そうやって日本人はインチキやってんだ、ずーっと!」


 ブルーノが吐き捨てるように言って手を振り解くと、そこに追いすがって更に腕を掴んでくる。


「違うんですよ、そいつら一人だけじゃなくて、もっといたんです。沢山いたんですよ!」

「だからなんだ、役者が沢山いちゃいけねぇのか!」

「まだあるんです。林の中で狼を飼ってて……」

「日本人は馬鹿ばっかりかよ! 狼なんて肉の味覚えさせたら、人間だって襲うだろうよ!」

「違うんです!」


 カリストロの力は尚も強くなり、ブルーノはその手を振りほどけない。目の血走り具合は異常で、口の端から唾を飛ばして言い募る。


「家みたいにでっけぇ狼が出てきたんですよ。白くて、デカくて、尻尾が八本もある! そこにいた奴ら全員、頭下げて神様に祈り捧げるみたいになって!」

「でかいからって神様かよ! ハリボテのセットとか、考えりゃ別に幾らでも方法あるだろ! お前遊園地ぐらい行ったことねぇのか!」


 いよいよテンションがおかしくなったカリストロの手を、遮二無二腕を振るって、その拘束から逃げ出す。ブルーノの息も荒くなって、皺になったスーツを伸ばすために撫で付ける。


「神々しいって、俺……初めて思って。神の威光とか全然分からなかったけど、自然に頭下がちまったんです。そうするのが自然だって思えて……。ああいう風に神様に守られてるんなら、そりゃ悪いことしねぇだろうなって……治安がいいのもおかしくねぇって」


 ブルーノは鼻で笑う。荒い息のままタバコを咥え、落ち着かない気分のまま煙を肺に送った。


「ああ、そうかい。それでブルっちまったか? 悪いことしてると、神様が罰しますって?」

「俺、曾祖父ちゃんの言葉、思い出しちまって……。日本人に関わるな、石を投げるな、雷落ちるぞって……」


 今にも泣き出しそうな声を出す舎弟が、今は心底煩わしかった。

 ブルーノも何度も足を踏み変え、左右を意味もなく見渡してタバコを吸う。舎弟の馬鹿が感染ってしまったかのように、心の落ち着きがどこかへ行ってしまった。


「お前がどう思おうと勝手だがな、取引は成功させなきゃ俺の頭に風穴が空く。いいか、何も難しいことはねぇ。渡すモン渡して、受け取るモン受け取る。それだけだ、五分で済む」

「ああ、でもアニキ……」

「でもじゃねぇよ。睨みを利かせろ、舐められるな。こっちが格上、あっちが格下だ。何も難しい事はねぇ。万が一に備えてスナイパーも用意してある。俺達が逃げるような破目になったら、追ってくる奴らは認識するより前に頭撃ち抜かれる事になる」


 ブルーノはタバコを投げ捨て、そして改めてカリストロの頭を叩く。舎弟を慰める為の痛みが伴わない程度の強さで、何度か叩いた。


「大丈夫だ、何の心配もねぇ。何の問題もなく帰って、ボスの機嫌が一つ良くなることしてやろうや」

「はい、アニキ……」


 ブルーノはもう一度軽く叩いて、頭を撫でくるつもりで左右に振る。

 カリストロもなすがまま、今はもう落ち着いた様子を見せるが、その心情はまだ荒れ狂っている最中だろう。取引まで時間があって良かった。

 取引がお陰で、急遽埠頭に待機する事になったが、これで何とかなりそうだ。


 ブルーノは改めてバンに背を預けて空を仰ぐ。

 日は傾き始め、夕方も近い。現在夕方五時十五分、少し早く向かっても日本人なら既に待っているかもしれない。

 ブルーノはブツの確認をする為、黒いバンの後部ドアに手をかける。一応周囲を確認した後、窓をマジックミラーで塞いだ両面開きのそれを、乱暴な手付きで開け放った。

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