一方的な闘争 その5

「しかし今時、武器も持たずに刻印一本で勝負とはね……。一途と言うべきなのか、それとも禁欲的だとでも言えばいいのか?」

「もっと分かり易いのがあるでしょ。武器を扱う才能が無いってだけ」

「おっと、それがあった!」


 二人の表情には余裕の笑みが浮かんでいて、明らかに嘲笑の中に挑発を含んでいた。

 魔術を使うなら刻印ありき、という常識は良しとして、見せ札として刻む筈の刻印が見えるところに無い時点で、もう少し慎重になっても良さそうなものだ。


 それとも、事前に見せたあの『火円のアギト』が、使える魔術で最大規模のものだと思われたのか。それで底を知ったと看破したつもりなら、余りに早計だと呆れるしかなかった。

 あるいは、この距離まで接近すれば、何を仕掛けようと有利を取れると思っているかもしれない。実際、刻印の使用には蓄えた魔力を使用して発動する、という特性上、刻印の発光がまず目に入る。


 中級魔術でも上級魔術でも、その発動時間に差はないが、発動するまでには一瞬の隙は出来るものだ。全くの無反応、寸秒と掛からず発動できるものでもない。

 それならば、反応を見てからでも対処できる、という自信や自負があるのだろう。

 だが、その自信にわざわざ付き合ってやるつもりもなかった。


 ミレイユは、それこそ寸秒と掛からず制御を終えると、『念動力』で二人の動きを拘束した。

 刻印が発動する予兆は見えず、しかし手から魔力光が発せられたと思った時には、もう遅かった。


「――なっ!?」

「こ、こんな……、何で! 何が起きたの……!?」


 二人の動揺は顕著で、いっそ滑稽だった。

 完全に劣った相手と見下していて、そこからの反撃だった事もさることながら、更に今、身動き一つ出来ない事が信じられないようだ。


 顔や首筋に見える刻印が、どのような効果を発揮するかミレイユには分からないが、しかし彼らが自信を持つだけの、効果や威力はあるのだろう。

 イルヴィがそうであるように、腕に自身のある者は、ここぞという時に使ってこその刻印も持っている筈だ。


 今もそれを使って拘束から逃れようとしているのかもしれないが、刻印はただ光を発するだけで、拘束から抜け出す助けにはなっていない。


「ぬぐぁぁぁあああ!!!!」


 力いっぱい腕を広げようと試みているが、震える程度が関の山で、全く拘束から抜け出す気配は見えなかった。歯を剥き出しにして、額には血管が浮かぶほど力を込めているのだが、ミレイユが行っている拘束には、小指の爪ほどの大きさすら広げられていない。


「何だ、これは! どうなってるんだ、『念動力』じゃないのか!?」

「嘘でしょ!? あれって小さな物しか持ち上げられない、チンケな小手先の技じゃなかったの!?」


 男の驚愕に、女までつられて叫び出したが、その余興に付き合ってやるほど暇ではなかった。イルヴィを酒場で気絶させた時の様に、今度は逆側の左手で念動力を行使して、女の頭を素早く揺らす。

 それだけで脳震盪を起こし、爬虫類が上げるような泣き声で呻いて気絶してしまった。


「……なんだ、何をしたんだ!?」

「ご明察のとおりだ。『念動力』を使っただけだが」

「馬鹿な、そんな筈がない! あんなチンケな刻印で、この俺を拘束し続けられる筈が……!!」

「事実のみを受け止めろ。この場合、私が何の魔術を使ったかは重要か? まず無力化されている事実を見ろ。お前の相棒は既に意識を奪われているし、お前が抵抗すれば、その相棒にも危険が及ぶぞ」


 ミレイユが冷ややかな視線を向けると、男は息を詰めて顔を背けた。

 その向けた先には、相棒と見られる女冒険者の姿がある。力なく頭を下げ、脱力された身体が無理に持ち上げられている状態は、操り人形が動き出す直前のようにも見えた。


 男は憐憫の眼差しを向けた後、ミレイユへと向き直って敵意を剥き出しに吠える。


「――くそっ!! 呪われろ、呪われしまえ、くそったれ!」

「おっと、お行儀の悪い子がいるな。自分の立場を理解しているか? それとも、理解させて欲しいのか? 面倒事は増やさないで欲しいんだがな……」


 ミレイユが左手をわざとらしく持ち上げ、分かり易く蛇口を捻るように動かす。

 それと連動して女の右腕が持ち上がり、有り得ない方向へと曲げられ、ボキリという呆気ない音を立てて折れた。


「やめろぉぉぉおお!! やめやがれ、くそったれ!! この……ッ、絶対に後悔させてやるからな!!」

「……もう一本、追加だな」


 女の折れて垂れ下がった腕とは逆に、今度は左手を持ち上げ、また分かり易いように捻る動きを見せると、男は身体を前後に振ろうとする。


 拘束から抜け出そうと必死なのは分かるが、結局首から上が動いただけで、やはり抜け出す事は敵わない。

 男は憤怒の形相を浮かべ、ミレイユを睨みつけながら唾を飛ばした。


「やめろ!! この悪魔め! 身動きできない女をいたぶって、そんなに楽しいか! くそったれのくそ女め!!」

「お前の、その口の悪さが事態を悪化させてると理解できないか? お前は女が怪我する事に激高した。お前にとって価値ある存在だと示したんだ。お前が従順になるまで、私はこの悪逆をいつまで続けなきゃならない?」

「ふざけやがって……! ふざけやがって、このクソアマが!!」

「残念だ」


 ミレイユが顔色一つ、声音一つ変えずに手を捻って、それで女の腕が歪な方向へと折れた。

 気絶していても痛みは伝わるもので、苦しげな声が上がって、それからは途切れ途切れに呻き声が漏れ出す。


「やめろ、やめてくれ……! 何でこんな事されなきゃいけねぇんだ! 俺はお前の仇かよ!? 勝負を挑まれたら、勝つか敗けるかして、それで終わりで良かっただろ!」

「そうはいかない。お前に口を割らせなくてはいけないからな」

「なんだ、何を言ってる……!? 割らせるモンなんて持ってねぇ! 俺たちゃ会った事だってないだろうが!!」


 この男に限らず、ミレイユに冒険者の知り合いなど居ない。

 特に人間に関しては、その寿命から考えても居る筈がなかった。だからミレイユが聞きたい事は、男個人にではなく、その背景に対してだ。


「何で、お前はここにいる?」

「は……?」

「あぁ、今のは聞き方が悪かった。……冒険者のお前が、なぜ軍の中に紛れて行動しているのか聞いているんだ。まさか行く道が一緒だからと、その後ろについて歩いていた訳ではないんだろ?」

「なに言ってんだ……。俺が冒険者だって? 俺達はそんなんじゃないし、それならどこを歩いていようと勝手だ……」


 男の口調は力なく、また動揺が見え隠れしていた。

 切羽詰まった状況で、冷静にもなれなければ、上手い嘘をつけるものではない。こういった場合、有効なのは沈黙を貫く事だが、不興を買えば相棒が傷を負うとなれば、それも難しい。


 契約上、受けた依頼の内容を、勝手に話せないのは理解できる。

 だから口を割らせなくてはならないのだとしても、ここにユミルが居ない以上、ミレイユなりのやり方で聞き出すしかなかった。


「お前、名前は……?」

「……あ、うぅ……!」


 男は目を逸らしては、黙して語ろうとしない。

 一般的に自白を引き出そうとする場合、高圧的な態度は良くないという。その様な態度は返って心を閉ざしてしまい、質問すらままならず、更には嘘を吐いて逃れようとする。


 必要なのは、信頼関係と傾聴姿勢、そして互いの望みの合意を目指す事にある。だから、その前提で尋問しようとした場合、ミレイユのやり口は初手で最悪の方向に間違っていた。

 頑なになって口を閉じるのが関の山で、拘束はまだしも攻撃は早計だったと言える。


 だが、二人揃って好きに喋らせる状況だと、返って話は長引くし、望む結果を得る事も遅くなったろう。ミレイユにゆっくりと時間を掛けられない事情がある以上、無理にでも吐かせるしか方法はなかった。


 名前を聞き取るのが、信頼関係の第一歩、と聞いた事もある。

 だが、それを実践しようとするには遅すぎたし、そもそも間違いだったと今更気付いた。


「あぁ、いや、やはり名前は言わなくていい。……ところで、相棒は大事か?」

「……やめてくれ」

「私だってやりたくて、やってるんじゃない。出来るなら即座に二人とも気絶させて、この場を去りたかった」

「だったら、そうしてくれりゃ良かったろう……ッ!」


 男の声音には泣き声が混じっていて、懇願しているようですらある。

 だが、そうする事が出来るなら、最初からそうしているのだ。ミレイユが気になっているのは、軍の行進に冒険者が紛れている事にある。


 どこまでギルドが関わっているのか、どれほど国と癒着しているのか、そこを確認できる機会があるなら、逃す訳にはいかない。


 本来は独立独歩の姿勢が強いギルドである。

 それが国の下部組織のように動いていて、有望な冒険者を国の尖兵として使うつもりがあるというのなら、作戦を根底から変えなくてはならなくなる。

 鎧袖一触に出来るからと、適当に投げ出す事はできなかった。


「冒険者にとって、打撲、骨折、切り傷刺し傷は怪我の内には入らない。……そうだろう?」

「う、うぅ……!」

「傷は簡単に魔術で癒せる。元々傷があったなど、分からなくなるほど綺麗に治るものだ。今の傷だって、適切な処置があれば問題なく癒えるだろう」

「だから、何だ……。だからどれだけ傷付けてもいいって、そう言いたいのか……!?」


 信じられないものを見るような目付きで男は顔を向け、そしてミレイユは首を横へ振る。


「綺麗に治すには、適切な治癒をされなくてはならない。このまま、この女に『自然治癒』を掛けたらどうなると思う? 歪な形で治された腕は、以後、身体がそれを正常な状態だと誤認する。元の形に治すのは簡単ではなくなるぞ。冒険者は元より、日常生活もままならなくなる」

「馬鹿、馬鹿な……! そんな……、そんなこと……! 正気じゃない! 本気でやるつもりなのか!」

「やるかどうかは、お前の態度次第だ」

「いや、嘘だ……! ハッタリだ! 火炎の使う術、念動力、その二つを持ってて治癒の刻印まで持ってる筈がねぇ!」


 それは真実を見抜いたというよりは、そうであって欲しいという願望に聞こえた。

 実際、それに縋るしか、最早男に残された道はないのだろう。だが、ミレイユはあっさりと手の中に治癒の光を出現させ、見せびらかすように腕を振る。


 男の青褪めていた表情が、絶望に凍り付いたのが見えた。


「これが本当に『自然治癒』の光なのかどうか、お前には判断つかないだろう。物は試しだ、女に使ってみるか?」

「やめろ! やめて……くれ……」

「素直に話を聞かせるって事で良いんだな?」


 男の力なく垂れ下がった頭が、僅かに上下した。

 返事をする気力もなく、また目を合わせたくない、という気持ちの表れだろう。言質が取れたとなれば、ミレイユとしてはそこに文句を付けるつもりはなかった。


 実際、ミレイユにそこまでする気は無かったので、これでも強情に否定されたら困る事になっていた。あっさりと前言を翻せば、更に男を調子づかせる事になっていたろうし、自白を引き出すのは更に遅くなっていた。


 だが、そうはならなかった。

 安堵の息が分からないよう、こっそりと息を吐き、ミレイユは制御を解いて、手の中から治癒の光を消す。そうして腕を組み直して、男へ一歩近寄った。


 遠くでは相変わらず、フラットロによる爆音が響いていたが、打ち上がる人の数は随分と減った。『火円のアギト』の効果もそろそろ切れる頃だ。手早く済ませてしまわなくてはならない。

 ミレイユは尋問を開始するべく、男へ挑むような目付きで睨みつけた。

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