一方的な闘争 その4
ミレイユ達が例の草原まで帰って来た頃には、既に軍の先端が通り過ぎようとしていた。
その規模は大きく、総勢で最低でも二万は超えていると思われた。
最初から軍の先端を攻撃しようとは考えていない。奇襲を仕掛けるにしろ、一度の攻撃で全てを倒せるものではないからだ。
大規模魔術を使えばその限りではないものの、姿を隠しながら戦うという事は、つまりミレイユが大っぴらに魔術を使えない事を意味する。
デイアートに帰還した際、大袈裟に魔力を放ったので、その魔力波形はしっかりと記憶された筈だ。大規模な魔術を使うとなれば、練り込む魔力から、その波形がどうしても広く伝わってしまう。
ミレイユの関与を知らせたくないのは、神々だけでなく、エルフ達にとっても同様だ。
彼らの優れた感知能力からすれば、帰還の際にミレイユの魔力波形を感じ取っていても可笑しくなく、このような近場で波形を大きく広げてしまう魔術を使えば、一発でミレイユの関与が知られてしまう。
軍の派兵とその壊滅に、ミレイユが関わっていないと思われるには、中級以下の魔術の使用に留めなくてはならなかった。
ルチアやユミルにとってもそれは同様で、やはり当時から生きるエルフが残っていると考えなければならない以上、上級魔術を使わせられない。
その使い手から、ミレイユの存在に行き着く可能性が高いからだった。
ミレイユは目の前を通り過ぎていく軍を見据えながら、皮肉げな笑みを浮かべて一人ごちた。
「……なんとも酷い枷を付けての戦闘だな」
「ですが、完全な不意打ちならば、三割を削るのは難しくないでしょう」
ミレイユと同じく、幻術で姿を隠したアヴェリンが、横に膝を付きながら言った。それに頷きながら、やはり幻術で姿を消しているフラットロの背を撫でる。
ルチアとユミルはこの場にいない。立案した作戦が上手く運ぶなら、彼女らには追撃を仕掛けて貰わねばならなかった。その為、ユミル達はこの先で待機させていて、だからここには二人しかいない。
「兵たちの士気は高くない。隊列も整然としておらず、歩く姿からもやる気を感じられない……」
「――はい。当初の予定どおり、後列への攻撃を決行するべきかと」
アヴェリンからの賛同も得て、ミレイユは頷きを返した。
やる気の無さだけでなく、そこからは練度の低さも窺える。
流石に将のいる付近だけは別だったが、中列から後ろの兵たちの中には、欠伸を隠そうとすらしない者までいた。
これは将が纏められていないだけ、という理由もありそうで、軍を率いているのは名将ではなく、お飾り大将の可能性も出てきた。
そうとなれば、想定していない攻撃には滅法弱いだろう。軍の立て直しを計って反撃に移る技量などなく、それより逃亡を選ぶ公算は高く思えた。
「この場所が伏兵に適していない、と分かっているからこその、ああいう態度なのかもしれないが……。仮にいたとしても、斥候が数名いる程度、攻撃はないと高を括っているんだろう」
「そも前提としてエルフの戦い方は、森に立て籠もっての誘引戦術を基本としている、とユミルが聞き取っていました。数に劣るからこそ、地形を使わねば戦えないのでしょう」
群生した木々と深い森は、それだけで人数を活用した戦闘には不向きだ。
基本的に分断された小隊規模での戦闘を余儀なくされるし、命令の伝達も正確に伝えられない。
森の中は結界術や幻術を駆使されていて、直進するだけでは最奥には辿り着けない様になっているらしい。
それを思えば、これまでエルフが持ち堪えられて来た事にも納得できてしまう。
だが同時に、森への焼き討ちも幾度となく試されて来たものの、エルフもその対策をしっかり講じていて、これまで全て無駄に終わったらしい。
「二万以上という数字は、森を取り囲むには十分な数に思えるが、攻め込むには物足りない気もする。それとも、この数で十分という、攻略への打開策が見つかったのか?」
「そうでなくては進軍しない、と思ってしまいますが……。それこそ、何か良い刻印が行き渡ったのかもしれませんし、少数精鋭の特別な部隊を用意しているやもしれません」
その意見には頷けるものがあった。
冒険者がそうであるように、一部の飛び抜けた戦力というのは、下位の冒険者を千人束ねたところで勝てるものではない。
個の力量というものは、時として群に勝る。
それはミレイユ自身が体現している事でもあり、だから隠し玉があるとしても不思議ではなかった。なかったのだが――。
「そういう奴は見受けられないな……」
「そうですね。実力者の風格は、隠そうとして隠し通せるものではありません」
素人には隠せても、ミレイユ達ならば見抜けないという事はない。そして他と隔絶した実力者を置くのなら、護衛も兼ねて将の傍に配置すると考えるのが妥当だった。
しかし、前列も含めてそういった者は見つけられず、ならば未だ見ぬ後列にいるのかと思ったが、敢えてそこに配置する理由が思いつかなかった。
あるいはそれが正規兵でなかったり、身分卑しい者という偏向があるのなら、あり得るかもしれない話だが、それでもしっくりこない。
「いずれにしろ、最後尾まで見送ってから攻撃をするでは遅い。最低でも三割の損失を与えたいし、後列は全て排除しようと思えば、中列との境い目ぐらいを攻撃するのが良いだろう」
「であるならば、今が丁度良い塩梅ですが……。始めますか?」
アヴェリンの言葉には、緊張も気負いも無かった。目の前の数万を――引いては七千以上の兵を二人で相手する事を、全く問題と捉えていない。
そしてそれは、ミレイユもまた同じだった。
後列へ攻撃を仕掛けたとして、中列より前の軍がそのまま逃げるとは限らない。反転して攻撃してくるかもしれず、そうとなればユミル達の応援があるまで、二人で一軍を相手に取らなければならないのだ。
そのリスクはある。
だが、恐怖は感じなかった。この四人なら、一軍を相手にする程度、訳はないと理解しているからだ。幾つも想定できる不安要素さえ、一種の刺激でしかない。
それは傲慢ではなく、自負だった。これまで数多の死線を潜り抜けてきた、という自負が、その自信の源泉となっている。
腕の中で大人しくしていたフラットロが、開戦の気配を感じて、そわそわと首を巡らす。
その背を軽く二度叩いて自由にさせると、指先を後列の先頭部分へと向け、一声鋭く声を発した。
「――行け、暴れろ」
その一言で、フラットロとアヴェリンが矢のように飛び出す。
実際には矢どころか銃弾よりも速い速度だったし、アヴェリンなどは地面を蹴りつけた勢いだけで、爆発したように土煙を上げた。
突如草原で起きた爆発に似た衝撃が、陽動の働きをしてくれた。
後列の兵は勿論、中列以前の兵もがそちらに目を奪われ、そして直後にフラットロが後列へと着弾し大爆発を起こした。
それだけで軍を乱す混乱が起こる。
「何が起きた!!」
「伏兵か!?」
騒ぎ立てているものの、現状の把握は出来ていない。
普通なら一撃を与えた時点で、他の伏兵全員が身を起こして襲いかかるものだ。しかし未だに敵兵の姿は見えず、火の玉が一つ、自己をアピールするかのように頭上を旋回しているだけだ。
その爆発を何が起こしたのか分からずとも、爆心地から飛び出した火の玉が健在と分かれば、それを攻撃しない訳にもいかない。
「あれは何だ! 精霊か!?」
「だが、なぜ精霊が攻撃してくるんだ!!」
「あれは使役されてるんだ、近くにそれをさせてる奴がいる!!」
ミレイユは最初にいた位置から動かず、正しい分析に笑みを浮かべた。
見破った事に驚きはないが、混乱著しい部隊を宥めるではなく、敵へ視線を集中させてしまっているのはいただけない。
頭上で旋回する精霊に目を向けているせいで、同じく外回りから接近していたアヴェリンに気付くのが遅れた。
――そして、気付いた時にはもう趨勢は決まっていた。
「な、なんだぁ……!?」
「味方が、なんで!?」
「飛んでる……!?」
アヴェリンが薙ぎ払った一撃で、数百の兵が一度に吹き飛び、頭上を飛び越えては落ちていく。それはさながら人が穀物になったかのような粗雑さで、次々と打ち上がっては悲鳴と共に落ちてくる。
それに恐慌を来さない訳がない。
逃げようと思えば、どこへでも逃げられる場所だが、それより早く後列をすっぽりと囲むように炎が円を描いて囲む。
ミレイユが行使した中級魔術が、逃げ道を塞いだ所為だった。
後列にいた兵たちは更なる混乱で統率を完全に無くしたが、中列以前はどうするつもりか、と窺ってみれば、前進を急がせ逃げようとしている。
「逃げる方を選んだか……」
兵の数が多くなれば、それを戦闘運用するにも時間が掛かる。
単純に反転させれば戦えるものではないし、そもそも敵の正体は未だ不明で、しかも軍が相手ではない。鬨の声を上げて草原からエルフが姿を見せていたら、反攻作戦も取っていたかもしれないが、見える分では火の精霊と人影らしき何か一人しかいないのだ。
そして重い鎧を装備している兵を、いとも簡単に吹き飛ばす相手が何者なのか、それを確認せねば戦えなかったろう。
それを見極める為、そしてそれをする将が巻き込まれない為、まず距離を取るのは間違った判断ではない。
「その場で戦うつもりなら、尻に火をつけてやるつもりだったが……」
全軍相手を取るには荷が重いという訳ではないが、姿を露呈させずに戦うのは難しくなる。だから、そうなる前に逃げ出す理由を作ってやるつもりだったのだが、その心配をする必要もなくなった。
何者かが――恐らく将が、気炎を上げて付近の兵へ怒鳴りつける声が聞こえてくる。
元より頼りなかった隊列を、更に乱しながら前進して行くのを見送りつつ、ミレイユも残党狩りに参加しようと腰を上げた。
アヴェリンも未だ稲を刈るような気楽さで人を吹き飛ばしては、逃げようとして逃げ場のない兵たちを薙ぎ払っていく。
そこへフラットロも加わって、更に爆発を起こして残りの兵たちを蹂躙する。
「これは出番がないかもな……」
「――だったら相手して貰おうかい」
おや、とミレイユは声がした方へ顔を向ける。
そこには冒険者らしき男女が、油断なくこちらへ剣を向けていた。
何か用意があるのかも、と思っていたのは、もしかしたらこの者達かもしれない。
ミレイユ達が幻術で隠蔽されていたように、この者たちも似た手段で隊列を離れ、そして包囲から逃げ出していた、という事らしい。
そうでなくては、ミレイユがここまで接近を許す訳がない。
刻印を使う際には、魔術士特有の魔力波形も発せられないから、使用した魔術から何処に敵がいるかも察知できていなかった。
あって当然、という先入観が招いた失態だろう。
――しかし。
「不意を打てたものを、わざわざ声を掛けてまで注意を向けるとはな。……余裕のつもりか?」
「それはお互い様じゃない? 前衛を失った後衛が、ここまで接近されて何が出来るっていうの? さっさと逃げれば良いのにねぇ」
不敵に笑った二人に対し、ミレイユは鼻で笑って魔術の制御を始めた。
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