御影神宮 その7

 武道守護の神徳があるのだから、境内に道場があるのは不思議な事でもなかった。

 看板から先に続く道には、その木造造りの道場が見えているが、戸は閉められ音も聞こえない。もし今も鍛練の最中なら、ここからでも罵声とも怒声とも取れない掛け声が響いている筈だ。


 オミカゲ様は武神としての側面を持ち、自ら発祥させた流派を持つ。

 御影源流と呼ばれる一太刀を用いた刀法で、それが千年もの間、こうして神の御膝下で受け継がれている。


 ミレイユは道場を視線の先に収めたまま、アキラに聞いてきた。


「そういえば、お前も道場に通っているんだったか。やはりオミカゲ流なのか?」

「ですね。僕が修めている流派は、あちらの源流から派生した別刀法ですけど。こうしたオミカゲ様を祖とする剣術は多くありまして、同時に廃れたり敗北の責任で道場を畳んだりで消えたものも数多くあります」


 ほぅ、とアヴェリンが何かを感じ入ったように頷いた。


「破れた責任を取って、流派を捨てるのか」

「今はもう、そういう話は聞きませんけどね。昔は腕試しだと他流派に乗り込んで、道場を潰すような振る舞いは良くあったらしいです」

「そうして生き残ったのが、今ある流派という事か?」


 アキラは頷き、道場を熱い視線で見つめた。


「中でも最も優れた流派を天下五源流と言います。源流を筆頭とした計五つの流派で、その中でも元祖たる源流は選ばれた人しか学ばせて貰えません。御前試合で認められれば、その道も拓けるんですけどね……」


 かつての熱意を想って、アキラは肩を落として溜め息を吐いた。

 今ではもうすっかり、そういう雰囲気ではなくなっている。


 ミレイユにとって、今まで敵でも味方でもなかったオミカゲ様は、敵寄りの方に気持ちが傾いているだろう。

 御前試合ともなれば、御簾越しとはいえオミカゲ様ご自身の目で、その剣術を見定めて頂ける。だというのに、今ではそれも叶いそうにない。


 だがそれは、何もミレイユの敵に成り得るから、という理由からではなかった。

 例えそうだとしてもアキラは今も強く信仰心を持っているし、オミカゲ様がマナのある地に住み、魔力を持っているのだとしても、だから敵対するというつもりはない。


 アキラはオミカゲ様が悪事を働いているとは微塵も思っていない。

 結界を生成をした上で敵を作っている、という考えをミレイユ達は持っているようだが、それならアキラは結界で敵を封じていると主張するのだ。


 結局、御前試合に出られないのは、アキラが魔術士になった事による。

 ここ数日で分かった事だが、どれほど気を付けて手加減しても、以前と同じような力量に擬態する事は不可能だった。それどころか、明らかに手加減が下手だと指摘されてしまった。


 元々才能がないと散々言われていたので、加減を抑える才能すらない事には驚きもしないが、道場を続けるのは難しくなった。

 幼稚園児に大人が殴りつけるような力量差があって、ふとした瞬間に殺してしまうような危険があるなら、やはり続けない方がいい、という結論に至ってしまう。

 それを考えると、アヴェリンの手加減は非常に上手かったのだと、改めて感じ入った程だ。


 だがもしこの先、手加減の仕方を身に着ける事ができたなら。

 もし安全に素人を殴れるようになれば、その時改めて再開すればいい、と指摘され、そのとおりだと思って現在は道場通いを休止している。

 道場の師範も、今は通えないという雑な理由に頷いてくれた。


「でもとりあえず、今の僕に魔術士でもない相手と試合なんて無理ですし……」

「まぁ、そうだな」


 アヴェリンがあっさりと頷いて、ミレイユも見ている視線の先を見つめた。

 やるせない思いでアキラも見る。


 長い年月の間、ここにあったと言われる道場だから、やはり風貌としてはオンボロに映る。しかし別に木の板が剥げていたり、屋根の瓦が飛んでいたりというような貧乏道場という雰囲気ではない。

 木の柱は磨き上げられ艶が見えるし、恐らく修繕なども多くしてきただろう壁にひび割れも見えない。オミカゲ様が擁する道場だから、そのような不始末をする筈もなく、周辺の雑草ですら綺麗に切り揃えられているので清潔感すら感じられた。


 単に保存されている文化財という訳ではなく、この時代まで長く続いているのには、やはり相応の理由があるのだ。

 

 ミレイユが道場を見ながら呟くように言った。


「それにしても、この神は慕われているようだな。時に信仰は建物にも現れる。この道場には親しみと信仰と両方が感じられる」

「それは……そうかもしれませんね。現在でも武道の世界では篤く信仰されていますし、多くの道場では『御影大明神』って掛軸が掲げられている事も多いんですよ」

「お前の道場でもか?」

「はい、そこはやっぱり、そうですね」


 幾らか興味があるのかと、アキラは道場と拝殿にまつわる蘊蓄を少々語ってみる事にした。


 この神宮は、『御影豊布都大己貴神』が高天原より現在の地に降臨し、その時に創建を行ったとされている。

 歴史書に曰く、オミカゲ様の神威は武家の世にあって花開き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された、とある。

 古くより神社とは朝廷からの崇敬の深い対象でもあり、その背景が武神としての神威を高め、また信仰の後押しとして働いたという。


 源頼朝から多くの社領が寄せられたというのは有名な話で、神宮には武家からの奉幣や所領の寄進が多くあった。現実に接触できる神とあれば、その熱心な優遇ぶりも当然というものだった。

 その反面、武家による神宮神職への進出や神領侵犯も度々行われていた。神宮経営に入り込んだことを発端としてオミカゲ様が怒り、遂にはその影響を完全に排斥したという話も残っている。


 これはパンフレットに載っていた話ではないが、歴史のちょっとしたマニアには良く知られた逸話だ。アキラがその話を披露すると、ミレイユはようやく笑みを見せた。


「そうか……。自分の神威を政治に利用されるとでも思ったのかね」

「オミカゲ様は早くから政教分離を唱えている方でしたから、ご自身の影響力を良く分かってらしたんだと思います」

「……うん。話を聞いたり、調べる分には、悪い神ではないんだよな……」


 ミレイユがしみじみと言って、アキラは力強く頷いた。


「古くから日本の民を慈しんで守護して下さる神様ですよ。悪いなんてある筈ありません」

「そうだな、何を考えてそんな事してるのか分からんが……」


 含みがある言い方に、アキラは胸の奥がちくりと痛んだ。

 悪気がないのは分かるし、その横顔から伺える悲哀さから何も言えなくなってしまったが、しかし誤解した思いで暴走して欲しくない、という気持ちだけは強く残った。


 ミレイユは道場に背を向けて、左を向く。

 既にそこでの用は済んだのだと、誰もが理解して同じ様にミレイユが見る林へ目を向けた。




 楼門に入ってからも参道は真っ直ぐ伸びて続いているが、しばらく進むと林道に変わる。

 その林の入口に、またも総赤漆塗りの鳥居が建っていて、そこで石畳が途切れている。この先も境内である事には変わりないが、また一つ別の神域として区別されるのだ。

 林を構成する樹々は背の高い木が多く、この場所からでは奥まで窺い知れない。


 境内の広さは約百ヘクタールもあり、このうち約六十ヘクタールは鬱蒼とした樹叢じゅそうが広がる。

 この樹叢は天然記念物に指定されていて、神宮の長い歴史を象徴するように巨木も多い。

 日本でも随一の常緑照葉樹林になっている事もあり、生息している植物は千種類にも及ぶという。


 パンフレットに書かれた内容を簡単に説明しながら、アキラたちは林の中を進む。虫や鳥の鳴き声が鼓膜を震わせ、ともすれば煩いくらいだったが、他の面々は気にした様子もない。

 日差しを遮り、空気も湿ったものを感じるから歩くのには適した場所だ。


 樹叢の中を進んでいくと、途中、道から逸れた小道が右側に伸びていた。

 小道と言っても大人五人が優に通れる道幅があって、横に二人並んで進めば行き帰りの通行の妨げにはならない。

 この先は何だろうと思って立て札を読んで見れば、そこには『狼園』と書かれていた。


 アキラは納得するように息を吐いたが、ミレイユには疑問に感じたようだ。


「しかし、狼園……? 狼を飼育しているとでも言うのか?」

「はい、そのとおりです」

「普通、神社で飼育するのは鹿とかじゃないのか」


 確かに多くの神社で神の使いとして鹿を飼育する神社は多い。しかしオミカゲ様と縁の深い動物は狼だと誰もが知っている。だから飼育するなら、当然狼という事になる。


「狼は肉食だろう。観光客なり参拝客が襲われる心配はないのか?」

「牙でも抜かれてるんじゃない?」


 アヴェリンの疑問にはユミルが答えたが、残念ながらどちらも違う。


「観光客が肉をくれると理解しているんじゃないのか。襲わずとも肉が食える訳だし、すっかり飼い慣らされているとか」

「なんと無様な。腑抜けた獣に生きる価値などあるものか」


 ミレイユの述べた見解は非常に正解に近かったが、しかし正答という訳でもなかった。

 これは別世界から来た住人であれば、答えが見つからない問題だろう。

 アキラは少し得意げになって答えを言った。


「飼い慣らされてるっていうのは、あながち間違っていないんですけど、でも違うんです。この狼園を支配しているのは八房様ですから。だからきっと、命令に従って襲うような事はしないんでしょう」

「また随分と古めかしい名前だが……、誰の事だ? ここの宮司か?」

「違います、神使です」


 それだけ言っても、やはりミレイユ達には理解できない言葉のようだった。

 ミレイユが記憶を探るように首を巡らせ、それからやはり困惑を隠せない声音で言ってきた。


「だから……、この先にいる狼が神使なんだろ? 神の使いだと崇めて神社内で飼育しているんじゃないのか?」

「いや、そういう意味じゃ勿論飼育されている狼も神使となるんですけど、そういう意味ではなく、神の眷属としての神使に八房様っていう神狼がいるんですよ」

「それもこの先にいるのか?」


 まさか、とアキラは手を振った。


「とても巨大な神狼様ですから。この樹叢一帯が八房様の神域で、基本的に人前には姿を現しません」

「巨大って……人の背丈ほどか?」

「いえいえ、もっとです。人の身の丈より二倍とも三倍とも言われてますよ」

「……そんな狼がこの世にいるか?」


 ミレイユの眼差しはサングラスの奥から分かる程に胡乱げだった。

 しかしアキラは断言して頷き、パンフレットのとあるページを開く。


「ここにもあるように、広く知られた話なんです。実際に見た事あるっていう人もいるんですから」

「写真があるならまだしも……絵じゃないか」


 ミレイユが指差すページには、確かに写真に収めた姿は描かれていない。

 しかし、その巨大な白い毛皮を見た事があると、多くの証言があるのも事実なのだ。

 過去よりオミカゲ様と共に戦い、多くの人々の安全と安眠を守って来た守護聖獣として、大変人気の高い神使でもある。それを題材にした映画も多くあり、そこには人を見下ろせるほど巨大な姿で描かれている。


 それを聞いたミレイユは、途端に興味を失って帽子のツバを摘むんで下げた。


「つまり映像に姿を引っ張られたって事だろ? 大きくはあるんだろうが、実際には現実的な巨体ってところで落ち着くんだろうさ」

「でも僕は信じています。きっと八房様は見上げるほど巨大な神狼なんだって……!」

「まぁ、信じるのは勝手よね」


 ユミルが言って、狼園に向かって歩き出す。

 どうやら彼女は見られるものなら見てみたい、と思ったらしい。

 飼育されているのは普通と変わらないサイズの狼な筈だから、見に行ってガッカリしないといいのだが……。


 そう思っていると、ユミルの後を追ってミレイユも動き出す。そうなれば全員が後を追うしかなくなるので、アキラもその背を追って歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る