決闘演舞 その7
そのエルフとて、オズロワーナへ近づく事は、それだけでリスクになると分からぬ筈もない。
しかし彼女は、それでもミレイユの森へと逃げ込むしかない、と判断していた。それだけ一筋縄でいかない戦力が揃っているからだろうし、最早自分の知る村や街で、エルフは暮らして行けないと悟ったからだろう。
「一種の駆け込み寺として機能しているのが、現在のミレイユの森としての形だからではないか。動かないというより、動けないというのが前提にあるんだと思う。他にも暮らしていけなくなったエルフが、最後の手段、一縷の希望として森を目指してくるのなら、受け皿として残らざるを得ない……のかもしれない」
「それは、確かに……十分に有り得る話です」
ルチアは深妙な顔付きで頷いた。
始まりの理由としては、ルチアが言ったとおり、墓守めいた理由であったかもしれない。しかし時間と共に、初期の理由や動機付けなどは、幾らでも変わってしまうものだ。
今もエルフがミレイユの森を捨てて、遠く離れたエルフが元々住んでいた森へ退避しないのは、これからも逃げて来る同胞を見捨てられないからではないか。
そして森へ逃げ込んで来るからには、食料や財産も多く持ち出す事は難しかった筈だ。
その彼らも到着したばかりは疲れ果て、更にはすぐに動けるだけの食料も持っていないだろう。その避難民の食料は確保できるのだろうか。
確保する為に食料生産したとして、その間にも避難民が増えているなら、抱え込む人数次第でやはり身動きが取れなくなる。
悪い事ばかりが重なっていると思いたくないが、追い詰められたら流石に逃げ出す決断は下すだろう。その段階でないのだとすれば、エルフ迫害の政策が強まったのは、もしかしたらつい最近の事なのかもしれない。
でなければ、そもそもエルフが人間の村で暮らしていた筈もなかった。
本格化したから――そしてオズロワーナより離れていたから、その実施も遅れてやって来た。
そういう事なのかもしれない。
ミレイユが頭の中で考えを整理していると、やはりこくんとユミルは首を傾ける。
「……だからさ、結局そのエルフ達を手助けしたいって理由があって、森に行こうって言うんじゃないの? 別に好きで苦労を背負い込もうとするなとか言わないから、素直に理由を言いなさいな」
「私に責任があるならまだしも、単に再び逆襲にあって支配者層から転落したっていうなら、それはそういうものだと認めるしかない。神々がそれを力で奪う事を是として認めているのだから、守れないのは自己責任だろう」
「……そうね? 一度オズロワーナを攻め落としただけで、助力は十分と言える。それが原因で、なんて言われたら堪らないもの」
「言いませんよ……」
ルチアから非難する視線を向けられて、初めから本気でなかったユミルは、ごめんと言うように手を上下に振った。
それから改めて、ミレイユへ顔を向けてくる。
「だからさ、何で行くのかって話なの。理由によっては反対するかもしれないけど、とりあえず言われてみなければ反対も出来ないし」
「反対だと? ミレイ様の為す事に文句を付けると言うのか」
アヴェリンが剣呑な視線を向けたが、ユミルは事もなげに頷く。
「言うわよ? この子はアタシ達を頼りにするって言ったの。それはつまり、忠言や提言には耳を貸すってコトじゃないのよ。これは決定事項を伝える場じゃなくて、相談をされてる段階なんだから。無駄に思えたら、反対意見出すのがアタシの役目だと思ってるけど」
「む、ぅ……」
ユミルにそう言われてしまえば、アヴェリンにも返す言葉がないらしい。
ミレイユにしても、その言葉は正に求めていたものだ。ミレイユ一人の考えが、全て正当とは思っていない。間違いがあるなら、とりあえず追従するより反対意見を貰える方が有り難い。
ミレイユは感謝を示す視線を向けてから、見せつけるように指を一本立てた。
「勿論、同情や義憤で行くというのではない。邸宅には強力な武具があった。それを敵には渡せない。あれらは私達の命を十分に奪い得るものだ」
「いやいや、アンタ……さっき何を聞いてたのよ。とっくに使われて、保管なんかされてる筈ないじゃないの」
「確かにそうだ。そう言っていた」
ミレイユは一度言葉を切って、立てた指を仕舞い拳を握る。
「だが、ルチアが言うように墓守に徹していた場合は? 消耗品はともかく、形として残る物はどうだ?」
「邸宅という形ある物を守ろうとするなら、その中で保管されれていた武具も、出来るだけ保全しようとする……かもしれません。あくまで、かもです」
言葉だけでなく、口調にも自信の無さが表れていたが、そんなものは当然だろう。
発見したその年や、直近ならばまだしも、二百年もの時が経過していて、それでも有効と知りつつ使わない方がどうかしているのだ。
「オズロワーナから襲撃がある度、対抗するのに使われるとして、それでそのまま返さないものかな……」
「借りている、という
「それも有り得るが、戦士への褒美を忘れているぞ。十分な戦働きをしたのなら、褒美として優れた武具を下賜するのは、良くある事だ」
エルフ達はアヴェリンの言うような戦士の風習を持っていないだろうが、長い時の間、戦の功労者が出なかったとは思えない。
その時、強力な武具に魅入られ、それを欲した者がいたとしても不思議ではなかった。
「なるほど、アヴェリンの言うことは一理あるな。それがもし褒美の品として使われているなら、邸宅から消えていても妥当な理由に思える。既に持ち主がいるなら、返せとも言えないしな……」
「二百年ぶりにひょっこり帰って来て、それ返せっていうのは……まぁ、心情的に受け入れ難いでしょうねぇ」
ユミルが呆れたような困ったような顔で言うと、ミレイユもそれには同意して苦笑する。
「エルフは私の顔を覚えているだろうから、無理をして無理を通せない事もないだろうが……」
「でもやっぱり、面白くはないワケよ。返したくないって言われたら、さてどうすんのって話でしょ」
「それは……、困るな。だが敵の手にさえ渡らないのなら、それで目的は達成しているとも言えるし……」
「まぁ、今の今まで敵の手に渡っていないなら、神やその勢力にしても、別にそれほど大事に見ていないってコトだろうしねぇ……」
ユミルも何とも言えない表情で、腕を組みながら天井を見た。
ミレイユはこの世界から逃げ出し、全てを捨てて帰還した身だから、今更返せと言う資格はない。長い間、有効的に活用してきたというのなら、これからも使って貰えば良い。
それだけの事を言う権利もある。
武具は強力で、神から直接下賜された品だから、今更自分の手で使うには抵抗がある。
箱庭がそうであったように、どのような仕掛けがあるか分からないからだ。
「問題なのは、それが単に強力な武具という理由ではなく、神によって作られた武具である、という点だ。だから、それを敵となる相手に使われるのも怖い。どのような効果が飛び出すものか分からないしな……」
「あぁ、それならむしろ納得というか、回収するのを支持するわ。使うべきものが使えば、本気でミレイユ殺しが出来るとしても不思議じゃないし……、アンタが身に付けたなら、もしかすると何ならかの手段で傀儡化する可能性だってある」
「――ならば、すぐにでも森へ向かわねば!」
アヴェリンが必死な形相で立ち上がる。
手に持てる物だけ持って飛び出そうとさえしそうで、ミレイユはまず落ち着くよう、肩に手を置き座らせた。
「だから、その為にどの程度の食料を持っていけば良いか、という話に戻る訳だ。装備の回収、あるいは破棄。それを目的に森へ向かう。誰か異存ある者は?」
「ないない。……っていうか、考えただけでゾッとするわ。今も無防備に、神がアンタに下賜した装備がどっかにあんの? ハッキリ言って悪夢でしょ」
「ですね。アヴェリンが言ったみたいに、もしも戦の功労者として武具を与えられていても、強制的に取り上げるくらいで良いと思いますよ。強弁して奪っても許されるぐらい、危険な代物です」
二人からの賛同も得られて、とりあえずの方針は固まった。
だが、ミレイユの森を外から見ただけでは、その踏破と邸宅まで辿り着くのに、何日掛かるものか見当も付かない。
森の規模を考えれば、直線的に進むだけなら一日程度だろうと思われるが、エルフの住む森だ。そのような単純な道など、用意されていないだろう。
魔術的作為のある迷路が出来ているのは当然で、罠が張り巡らされていても、何ら不思議ではない。
許しを得た者ならものの数時間と掛からず進めて、逆なら膨大な時間が掛かる、というエルフの森は、事実かつて存在したのだ。
「そう考えると、森の中でひと月過ごす事も視野に入れた方が良さそうです。食料はまた明日、朝一番で買い付ける事にしますよ」
「あぁ、よろしく頼む。……こうしてみると、食料の再確認をして正解だったな。お陰で、こうして改めて補充し直す事が出来る」
提案したのはルチアだから、それに直接褒め言葉を贈ったような形だ。
ルチアはこそばゆいような笑みを浮かべて頷いた。
そのやり取りを見ながら、居ても立っても居られない、と忙しなく動き出したのはアヴェリンだった。事の重大さを知るに当たり、とにかく黙って座っていられなくなってしまったようだ。
ミレイユは再びアヴェリンの、今度は両肩に手を置いて座らせた。
「急いても仕方ない。気付いてしまってからには私も焦りはあるが、だが明日はアキラにも朝にギルドで会おうと約束している。……恐らく、ひと月単位での別れになるだろう。一声くらい掛けてやらねば、捨てられたと勘違いさせるぞ」
「それは……そうですが、別に後でも……」
ミレイユは肩に手を置いたまま、アヴェリンの顔を覗き込むように見つめる。
「一応は認めた相手だ、それなりの礼は尽くさねば。それに、見捨てられたと思えば、居ない間の鍛練にも身が入らないだろう。いざ連れて旅立とうとして、腑抜けて何もかも投げ出したアイツが出てきたら、私はきっと後悔するぞ」
「では、言伝を残して……」
「そんな雑な扱いされたなら、アタシは体よく逃げられたって思うわね」
小さく鼻を鳴らして言うユミルに、アヴェリンの息が詰まる。
ミレイユはその肩を優しく擦って、そこから離れた。
「奪われる価値があるのなら、この二百年の間に機会は幾らでもあった。焦ったところで仕方ない。だが、まだ森に残っているなら、神々にとって唯一無二の価値はない。幾らでも代わりはある、という認識になる」
「そう……、そうですね。一度は与えたくらいですし、きっと作ろうと思えば他にも作れるのでしょうし……」
「そういう意味じゃ、回収したところで無意味かもしれませんね?」
ルチアが床に広げていた保存食を仕舞いながら言うと、ユミルが煩そうに手を振った。
「それとこれとは話が別でしょ。使われて困るものが二つと三つとがあるなら、せめて二つの方を選ぶでしょうよ。千も万もあるのなら、確かに言ってる事は正解だけど」
「実際、あると思いますか? 千や万は言い過ぎでも、十くらいはあっても不思議じゃないと言いますか……」
「出来るのか、という話なら、可能だとしか言えないけど……やらないでしょうね」
出てきた言葉は意外なもので、ルチアは手を止め、きょとんとした顔を返した。
しかし、ミレイユにはその理由が何となく理解できる。結局、神が作るものというのは、槌を鉄に打ち付けて製造するようなものではない。
つまりは、それが理由だろう。
そして実際、それが正解だとユミルの口から語られた。
「神が下賜する武具っていうのは、神力を使って作るのだから、作った分だけ神の力が減るのよ。だから一つならまだしも、量産しようっていうつもりが最初から無い。多分、神ひと柱につき、地上に一つあれば、それで十分って考えるんじゃない? 仮に増やしたとしても、ひと柱につき三個もない。その予想には余程、自信があるわ」
「なるほど……、弱体化と引き換えですか。それなら確かに控えるでしょうね。でも、神々は信徒から信仰を受け取って、それで強化される訳じゃないですか? それなら増やした分を使えば良いような……」
「そして、武具を追加で作らない神がいれば、それだけの差が両者の間に生まれるワケね。……そんなの耐えられると思う?」
実に納得できる答えに、ルチアは何度も頷いて作業を開始した。
最悪の事態は起こらないのだと納得して、アヴェリンも肩の力を抜く。自らもルチアの仕事の手伝いを再開し、ミレイユはそれらを眺めながら息をついた。
邸宅の中には無いにしろ、森の中で受け継がれている可能性はある。
だが同時に、そうではない可能性がある事にも気付いていた。最悪の想定、推測に推測を重ねた結果に過ぎない。
しかしミレイユは、悪い方向ばかりを考えても仕方がないと、盗掘の予想を努めて外へ追い出した。
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