詭計と疑心 その3

 ミレイユの態度を見て、ユミルは諭し、言い聞かせるように言葉を続ける。


「アンタの気持ちも分かるけどね……。ルチアの身内が居るだろうってコトもある。普通は無視するもんじゃないでしょうよ。でも、誰が何の為に敷いた罠なのか、そこをよく考えて欲しいのよね」

「……分かってる。コレが本当に神々が用意した罠なら、抜け出すのも壊すのも、簡単じゃない事くらいはな」

「ご理解頂いて結構だわ。……そういうコトだから、ルチア……悪いけど」

「思うところが全くないと言えば、嘘になります。けれどこの場合、最も優先しなければいけないのはミレイさんの身柄です。捕らえられたら全てが台無し……、それは分かってますから」


 ルチアは悲しげに微笑み、ユミルの案に同意するよう頷いて見せた。

 その表情を見て、ミレイユは顔を歪める。


 何かを捨てて優先しなければならない事など無数にあるが、それが親族の命と引換えにさせなければならず、そしてそれをルチアに我慢させる、というのがミレイユには我慢ならなかった。


 何もかもを救うという、都合の良い手段が存在する事は実に少ない。皆無と言って良いのだろうが、簡単に諦めてしまうのも性に合わなかった。

 何か無いかと考えを巡らせている内に、アヴェリンが疑問を一つ投げ掛けて来る。


「しかし、邸宅の奥に眠っている武具、それらの確認はどうされます? 捨て置けない、という話だったのでは?」

「それは確かに、そうなんだよな……。全く、こうなると不都合な状況全てが、複雑に絡められた糸のような気がしてくる……。それこそが正に、狙いなんだろうが……」


 ミレイユは帽子を脱いで、乱暴に頭を掻き毟った。

 ルチアも流石に苛立ちを隠さず顔を顰めて、鼻の頭に指を添えて言った。


「丁寧に用意された罠、そして撒き餌ですか……。神具の存在が森へと意識を向けさせ、そして森に住む命を秤に掛けさせ、攻撃した時に姿を見せるかどうか試している。そして何より――」


 ルチアは鼻の頭に添えていた指を離し、次に口元を覆って尚大きく顔を歪める。


「どちらにしても、神々にとって損が無いように出来ているのが憎らしいです。私達にはどうあっても損になるというなら、損が少ない方を選べば良い、という話になるんでしょうけど……」

「つまりそれが、森には近寄らないって話になるんでしょ? 見殺しは気分が悪いわよ。助けてやりたいって気持ちも、アタシにだってある。でも、この子の所在を知られるのは、エルフの命と神具を秤にかけても尚、秘匿しておきたいコトじゃない?」


 ミレイユは再び重い息を吐いた。

 人波の流れに沿い、関所の出口も近くに見えるようになって来て、再び思考に没頭する。


 ユミルが言っている事にも、一理あるように思える。

 神々はミレイユの所在を見失っている。帰還と同時に、あれだけの魔力を放出してしまったから、凡その位置まで特定しているのは間違いないが、その後の足取りは森を通った事で隠せていた。


 もし見つけているというのなら、己の信用する信徒か何かを差し向ければ良いだけだ。

 帰還させる為だけに、あれ程の労力を掛けた神々だから、見つけた後もそれ相応の準備をしてあると考えた方が良い。


 姿を見せるのは悪手で、そしていずれ――それが可能かどうか未だ不明だが――神のねぐらへ襲撃する時には、その潜伏している状態が有利に働くだろう。

 神々は団結しないだろうが、命が関わる状況においては例外である可能性はある。


 その団結より前に、不意討ちで一柱仕留められるようでなければ話にならない。その為の潜伏であり、隠匿でもある。その利を自ら捨てるのは愚かな事だ。

 しかし――。


「私の良心が、見捨てる事を拒否している。本当に助ける事は不可能なのか、これは神の計略としての一つなのか、私はそれを確かめたい」

「それも分かるけどさぁ……。現実問題として、それが誰の発案かなんてどうやって知るの? 分かったとして、その時には手遅れっていう状態になってるかもしれない。下手な希望や憶測は、返って自分の首を締めるだけよ?」


 ユミルから重ねて諭すように言われ、ミレイユも渋々といった様子で頷く。

 それは分かっている。最も現実的で利の多い行動としては、このまま関所を抜けて森とは別方向へ移動する事だろう。


 ある程度の憶測を含めて、同時に打った手の一つがエルフに対する攻撃であって、それで特定できれば良しと考えているのか、それとも今後邪魔になる可能性が高いエルフを滅ぼすついでに打った一手なのかは分からない。


 スメラータが言っていた様に、単にデルン王国がエルフ憎しで行っていた政策の一つでしかなく、それを深読みしてしまっている可能性だってあった。

 考えれば考える程、深みに嵌ってしまう気がしてくる。


「神の奸計能力を肥大化して見る余り、無いことすら有るように見えているだけかも……」

「自分を騙すのはお止めなさい。アヴェリンにも言われたんでしょ? 状況が整い過ぎてる。アタシ達に対して、あまりに不利なこの状況が、単なる偶然で起こるワケないじゃない。自分自身で気付いておいて、どうしてそこで日和るのかしらね」

「そこがミレイ様の良いところだろう。必要とあらばどこまでも非情になれるが、しかしその根底には善性がある。なればこそ、簡単に諦めようとはしないのだ。――お前と違ってな」


 アヴェリンは指まで突き付けて、嘲るように言う。

 だが、その嘲りに黙っていられず、ユミルは同じような表情で口の端を上げつつ言い返した。


「いやいや、アンタ。勝った後のコト考えてなさ過ぎでしょ。この国の憲兵とやらが、あの程度の実力しかないんなら、アタシ達の介入で勝つのは簡単よ。それで所在がバレるのも、この際大目に見ましょ。……それで、次はどうなる?」

「……む、ぅ……。次か……」

「神々の狂信者、あるいは実力ある何者かに狙われ続けるコトになるのかしらね? 別にいいわよ、それぐらい。アンタだって望むところでしょ?」

「そう、だが……」


 反論らしい反論も言えず、言葉に窮しているアヴェリンへ、ユミルは畳み込むように続ける。


「網に掛かったからといって、それで都合よく巻き網漁の如く連れ去られたりしないわよ。こちらの抵抗なんて予想の上でしょう。だから一つの策として、アタシたち戦力を少しずつ剥ぐように、無力化して行くような方法を、取って来るんじゃないかと思うわ」

「戦力を削ぐっていうのは、つまり私を脱落させるとか、戦闘不能にさせるとか……そういう事ですか?」


 ルチアが自らを指差して尋ねると、ユミルは自信に満ち溢れた表情で頷いた。


「そうだと思うわ。簡単には行かないでしょうけど。でも四人から三人に減れば、それが二人になれば、一人残された状態なら……。そうして最後には、この子を連れ去るつもりでいるかもしれない」

「何故そう思う? 神造兵器を用いるなり、一気呵成に仕留めるなり、やれる事は多そうだが……」


 アヴェリンの疑問に一応の頷きは見せたが、しかしユミルの答えは否定だった。


「だけど、そう単純な手を使わないのが、神ってモンなのよ。世界を盤面に見立てて遊んでいるんだから、胡乱な方法さえ、それが最終的に望みが叶うなら採用する。本当にコトを急ぐんなら、幾らでも大胆な手を使って来るんでしょうけど、奴らからすれば既に詰みが見えた状況でしょ?」

「だから『遊ぶ』という訳ですか……。すぐに終わらせてしまうより、どうせなら遊んだ上で勝ちを拾おうとする。そして、所在が知られたらまず行われる事が、私達パーティの解体、ないし離脱狙いだと……」


 ルチアが不愉快そうに柳眉を顰め、口を手で覆った。その視線は宙を向いていたが、まるで虫を見るかのような蔑む目が浮かんでいる。


「森へ向かわねば、あるいは私がパーティを抜けるとか、不和を呼ぶとか思われているんですかね?」

「どうかしら? むしろそこは、どうでも良いと思っていそうね。そうなれば面白いと思っていそうだけど、期待一割、落胆九割って所でしょ。奴らの狙いは参戦させるコトにこそ、あるんでしょうから」

「それはそうでしょうね」


 ルチアが歴然で明白だ、とでも言わんばかりに頷くと、ユミルは軽く笑って手を振る。


「いやいや、そうじゃなくてさ。本命としては、参戦させた上で、勝たせてやるコトが目的だと思うのよ。他の狙いは全部オマケで……この子が参戦した上で、勝利を握らせるコトに意味がある」

「敗けるつもりで森を攻撃するのだと? ……いえ、ミレイさんが参戦せねば、そのまま勝てば良く、参戦するなら敗けるだけの戦力しか用意していない、と言う事ですか……?」

「そう、実際のところは知らないけど、それに近い事になってそう。……ねぇ、この子の助力した上でエルフが勝つと、一体どうなると思う?」

「それは当然、喜ぶでしょうね。再会の喜び、勝利の喜び、それだけでなく勿論――」


 言いかけて、ルチアの言葉が止まった。

 気付いてはいけない不都合を知ったような顔付きで、ミレイユへ顔を向けては凝視してくる。

 ルチアは喘ぐように、途切れ途切れの声音で続けた。


「そう、そうですよ……。感謝を向けるだけでなく、窮地に駆けつけ勝利を与えてくれたミレイさんに、それ以上の感情を向けます。一度ならず二度までも助けてくれた、という事実を元に、より強く尊崇の念を向けるでしょう。信奉を失っているなら取り戻し、持っているなら尚強める……」

「それってつまりさぁ……、この子が昇神に至る可能性が高まるってコトでしょ? この世界に根ざしてしまえば、もう逃げられない。そして最終的に仲間を削って孤立させる。――これこそが、本当の狙いって思うんだけど……、アンタはどう思う?」


 ユミルに顔を向けられて、ミレイユは顰めっ面を晒しながら、口の端から息を吐いた。

 流石に見苦しく感じて、帽子を被り直してツバを下げる。そうしながら、またも重い溜息を吐いた。


 ユミルの予想は的確だろう。

 そもそも助けられない状況ではなく、手の届く範囲。最初から助けさせる事が目的で、エルフを目標に据えるのは、それが叶えば信仰に良く似た感情を向けると知っているからだ。


 万全に育った神の素体は、数多の信仰を向けられる事で昇神し、小神へと至る。実際に同じ事をして、神へと至ったオミカゲ様という例があるから、それは間違いのない事実だ。

 神々はミレイユを捕獲する事が目的であると同時に、小神へ至らせる事が目的でもある。神器を用いて自発的に至る筈がないと理解している神々は、周りを利用して昇神させようと考えた、という推測は正しい様に思える。


「それならば……」


 アヴェリンが何かを発言しようとして、咄嗟に口を噤んだ。

 何を言いたいのか、言うつもりだったのか理解できる。だが、ルチアがいる中で、それを口にするのは憚られる。


 そんなアヴェリンを見て、当のルチアが気にするな、とでも言うように頭を振った。全員を見渡してから毅然とした表情で言う。


「私に気遣う必要はありません。神の手の内を読んで、その上で不利が大きいと分かって望むのは馬鹿がする事ですよ。私達は感謝する気持ちで、ミレイさんに毒を投げ付ける形になるところでした。そうなる前に気付かせてくれたのですから、何の問題もありません」

「あぁ、だが……」

「良いんです。エルフ達も……きっと知れば後悔するでしょう。失意のままに亡くなろうとも、毒を投げずに済んだと安堵する筈です。だから……」


 ルチアが最後まで言う事を許さず、ミレイユは手を振って止めた。

 怒りと嘆きを綯い交ぜにした感情をルチアへ向ける。その感情はルチアやエルフ達から生まれたものだが、向ける先は彼女たちではない。


 ミレイユはルチアの瞳の奥に神々を見た。

 何もかもを利用し、弄ぼうとする者への怒りが湧いてくる。


「お前の言いたい気持ちは良く分かった。その献身にも嬉しく思う。だが……だからこそ、私は言いたい。――エルフ達を助ける。それを許してくれ」


 ユミルの呆れた溜め息が隣から聞こえる。

 何かを言おうとするのを止めると、批判的な視線がミレイユを射抜く。だが目の前で、ようやく関所の順番が回ってきた。

 そちらが先だ、と視線を返せば、ユミルは苦虫を噛み潰した様な表情で頷いた。

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