詭計と疑心 その2

 ミレイユは数歩離れてこちらの様子を窺っていたアキラを、指先だけ動かして手招きする。

 スメラータには礼を言って、その入れ替わりでアキラを近付けると、声を潜めて告げた。


「……いいか。ここに貼られている森の偵察や斥候に関する依頼、あるいはそれに類するもの、全て探して確認しろ」

「分かりました。探して依頼を受諾すれば良いですか?」

「いいや、お前は……」


 受けるな、と口に出そうとして、言葉を止める。

 ボードの方へと顔を向け、目線を合わせぬまま続けた。


「……そうだな、お前は受けられるものがあるなら受けておけ。他に受ける者が出そうなら止めろ」

「止める……ですか。僕みたいな新参者が言ったところで、止めるものですかね?」

「期待は薄い。明確な理由なくして、言う事を聞く義理もない。……まず、止めないだろうな」


 それから思考を巡らす動きにつられるように、首も巡らせ冒険者たちを見つめる。

 どの顔にも邪気はない。単に日銭を得る為に、あるいは自己研鑽や栄光を求めて、依頼票を探す姿が目に映った。


 ギラつくような雰囲気を持つ者があっても、それは自分の栄達を夢見る故で、冒険者としてはむしろあるべき姿だと言えた。

 ミレイユの返答に、アキラは困ったように眉尻を下げる。


「それじゃあ、意味ないんじゃないでしょうか……」

「うん。だからお前が庇いたい奴、仲の良い奴、仲良くなりたい奴などに限定して、積極的に止めろ」

「えぇ……? そこまでして止める必要があるのに、僕は受けた方が良いんですか?」

「そうだ、受けるまでは良いが、遂行しようとするな。投げ出せ」


 ミレイユの言い分は理不尽な命令に違いなく、アキラの困惑度合いは更に増す。傍で聞いていたスメラータもまた、困惑した声を出した。

 しかし、意味のない事を言わないと理解しているアキラはまず頷き、それから理由を問うてくる。


「仰るとおりにします。……これについても、理由は聞かない方が良いですか?」

「いいや、流石にそれでは説得するのも無理だろうから教えておく。……これから、森の傍にいるだろう奴らを、私達が狩り出す事になるかもしれない。それに巻き込ませない為の措置だ」

「狩り……出し」


 アキラは同業者たちの今後を思って絶句し、それから同情するような視線を窓の外へ向けた。


「ミレイユ様たちが、冒険者たちを襲撃するって事ですか?」

「あぁ。恨みはないが、痛い目には遭ってもらう必要があるだろう。少なくとも、戦線復帰したいと思えなくなる程度には痛めつける」


 断言したミレイユの顔を見て、うわぁ、と引き攣った形で口が動いた。

 アヴェリンからの鋭い視線を受けて、慌てて佇まいを正して一礼する。


「は、はい、分かりました。力の及ぶ限り、森に関する依頼を、新たに受ける者が出ないよう努めます。……流石に、この理由は聞かない方が良いですよね?」

「そうだな、知らない方が良いだろう。そもそも杞憂の可能性もあって、結局そういう話にならない場合もある。その時は悪いが……」


 ミレイユが全てを言い終わる前に、アキラが首を横へ振る。


「いえ、大丈夫です。入ったばかりで傷つく名誉も外聞がありませんし。ただ、ミレイユ様のご無事だけお祈りしておきます」

「――お前に心配される様なヘマはしない」


 アヴェリンが堪り兼ねたように横から声を刺して、アキラもアヴェリンへ一礼する。


「師匠も……師匠にも、武運を祈ったところで要らぬ世話と言うんでしょうけど……」

「そうだな、要らぬ世話だ。我が行く道には、ミレイ様との栄光しかないからな」


 顎を上げて得意げに微笑む姿には、絶対の自信が浮かんでいる。

 つい悪い方へと考えてしまいがちのミレイユには、アヴェリンのこういう自信が必要だった。まるで心を陽が照らすように感じ、アヴェリンの笑みに誘われミレイユも笑む。


 アキラは眩しいものを見るように目を細め、それから改めて一礼した。


「では、どうぞお気を付けて。再びお目に掛かれる時には、きっとマシになったと思われるように努力します」

「うん。……そうだな、ただ、何一つ無いというのも味気ないか。お前がやる気になるかもしれない言葉を授けてやろう」

「はい……ッ」


 何かとんでもない試練や課題でも授けられるのではないかと、アキラは恐々とした表情で、固唾を飲んで見守る。


「あの『年輪』は中々良かった。硬度と回数を増やせるようなら、私が頼みにする機会もあるかもしれない。それを磨くと良い」

「……っ、は……。は……!」


 アキラは酸素の取り込み方を忘れたように口を開け閉めし、目を見開きながら顔を紅潮させた。

 言葉を紡げないままでいるアキラの、二の腕を軽く叩いて背を向ける。

 アヴェリンを伴い、ギルドの出口まで後少し、というところで、その背にアキラの声が届いた。


「精進します! 決して落胆させないよう、努力します!」


 ミレイユは振り返る事もせず、肩越しに手を振るぞんざいな態度でギルドを後にした。


 ――


 ギルドから出て、東区画からも出ようとしたところで、正面からやって来た少年がビクリと肩を震わせ立ち止まった。


 まだ十二、三歳と思しき幼い少年で、青い肌に黒い髪という出で立ちが珍しい。髪はボサボサで伸び放題、肌も汚れて姿格好も粗末な物で、浮浪児だと思わせた。

 その少年が、ミレイユを見るなりワナワナと震え始める。


「み、ミレイユ……!?」


 声に出した事で拙いと思ったのか、すぐに両手で口を塞ぎ、辺りへ機敏に視線を彷徨わせると、ミレイユが視線を向けると同時に逃げ去って行った。


 ミレイユは自身の姿を見下ろして、小さく手を広げる。

 改めて確認してみても、幻術は正常に働いているように感じられ、問題ないように思えた。

 アヴェリンも逃げていく少年を目で追い、腰を落としながら聞いてくる。


「捕らえますか?」

「……いや、いい。気にならないと言えば嘘になるが、まだ子供だ。あの迂闊さでは、密偵の類いでもないだろう。優れた魔力の持ち主には、この程度の幻術は見抜かれるものだしな……」


 初めから疑って見ているなら、魔力が低かろうと見抜けてしまうのが、この偽装幻術というものだ。だから普段から気にも留めない状況下であれば、ミレイユの本当の服装など見抜けるものではないし、見抜こうともしないものだ。


 それが少年には見抜けてしまったのなら、そこに意識を向けていた、という事にもなるのだが、あの年齢は色々と多感な時期だ。

 話ばかり恐ろしげに語られる魔王なども、耳に入れる機会も多いのかもしれない。


 密偵の手伝いをしているとしたら、あの迂闊さは致命的だろう。だから候補から外して良いだろう。それに、神々はそもそも捜すのではなく、炙り出そうとしている、と結論付けたばかりだ。


 今はむしろ、その考えについて、ユミル達の意見を聞きたい。

 珍しく未だ視線で少年を追うアヴェリンを呼び、南門広場へと急ぐ。そうして、既に買い出しも準備も全て万端整っている二人と合流し、街の外へと向かうつもりで関所に並んだ。


 門を潜ろうと思えば、出るのも入るのも金が掛かる。

 入る時ほど面倒ではないし、掛かる費用も微々たるものだが、この待ち時間は煩わしかった。単なる旅人ではなく、冒険者となれば――確かな身分の証明さえあれば――この面倒から解放されるから、加入だけでもしておくべきだったかもしれない。


 そうは思っても、どうせ無理だとかぶりを振った。加入してしまえば、それと同時に義務も生まれる。

 ギルドエンブレムは都合の良い証明書ではなく、関所の通行税が免除されるのは、依頼の報奨金から天引きされるからだ。だから一定数の依頼を受けること、そして複数回成功させる事が、一定期間内に必要となる。


 成功報告は受けたギルドでしか出来ないので、移動も多く一定の場所に居ないミレイユには、身分証として活用するには向かない方法なのだ。


 そして現在、スムーズに流れていく人波に続きながら、ミレイユは冒険者ギルドでスメラータから聞いた話と、自分の中で気付いた点とを二人に話していた。


 それまで黙って聞いていた二人は、話し終わるなり組んでいた腕を解き、傾けていた首を元に戻した。ルチアとユミルが目配せして、それからルチアが口を開く。


「……まぁ、考え過ぎではないかと思うんですけどね」

「お前はそう思うか」

「えぇ、だって事が急な変化を迎えたのは、三年ぐらい前なのでしょう? エルフにする事に対し憤りは感じますけど、それが餌だと言われても、正直……」

「あら、アタシはむしろ、だからこそって思ったけどね。二百年の空白について疑問があるんでしょうけど、別にそれは問題にはならないのよ。むしろ生け簀のつもりじゃない?」


 言いながら、ユミルは鼻の頭に皺を寄せて機嫌を悪くした。


「攻め落とすには戦力が不十分、それを逆手に取って維持していた、という気すらするわ。だから定期的に攻撃して、数の調整だけはしていたんじゃないの? 全滅は困る、でも増え過ぎても困る。そうして、いざ使える時を待っていても良いんだし」

「最初から攻め滅ぼすつもりはない、いざ活用できる時まで残すのが目的……。でも、森に住む以外のエルフにも攻撃を始めたのは? これって必要あります?」


 それについては、ミレイユとしても確信あって言える事は少ない。

 合流させない、というのも後付であり、無理にねじ込む理由付けでもある。ミレイユとは別件と、切り離して考えても良いのかもしれない。


「でも現状、何も行動しない事が、アタシ達への明確な損害に繋がるって部分を考えて欲しいワケ。相手方には、ルチアがいるってコトも当然知ってるワケよ。……見捨てられるかどうか、っていう心情的な部分もあるし、見捨てた場合パーティ内の不和が生まれるかもしれない。それがなくても、やはりエルフの助力は今後期待できない。こちらの不利しか発生しないのよね」

「……そういう悪辣さは、確かに神が好むところですが……」

「でしょ? これはいつ始動したかが問題になるんじゃなく、いつでも始動できるって部分にあるのよ。その時が来るまでお遊び程度に小突き回していれば良く、そして時が来たなら本格化させれば、後は食い付くかどうか期待するだけ」


 神々を良く知るユミルからすれば、その手法もまた良く知っている。

 彼女の考えでは、既にこれが神々の詭計と判断されていた。


「アンタの言うとおり、これは丁寧に用意された撒き餌で間違いない。よく見抜いてくれたわね。それでどうする? 罠と分かって飛び込む? ――あり得ないわ。アタシは反対よ」

「お前ならば、そう言うと思っていた……」


 ミレイユは重く息を吐き、人の流れに身を任せながら帽子のつばを下げた。

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