詭計と疑心 その1
ミレイユ達はギルドの中に入ると、依頼ボードの前へ歩を進めていく。
壁一面に貼り付けてある依頼票と、それを吟味する冒険者たちが溢れていたので、その後ろから眺めるに留めた。
依頼票は壁面に据えられたボードにだけあるのではなく、受付でも相談に応じて選んでくれるものだが、そちらもやはり混雑していて入って行けない。
無理をしてまで、その依頼について探りを入れている事を、公に知られるのは避けたかった。
とはいえ、このまま後ろで眺めるだけでは、いつまでも依頼票の吟味も出来ず、立ち尽くしている事になってしまう。
分け入って行こうかと思ったところで、横合いからスメラータが声を掛けてきた。
そちらへと振り向くと、元気の良すぎる挨拶と笑顔を向けてくる。
「おはよー! 昨日だけでも、みっちり基礎教えてもらったよ! いや、アタイも一緒に迎えようかと思ったんだけど、アキラが一人で待ってるっていうからさぁ。だから、アタイは何か目ぼしい依頼でもないかと物色してたんだけど」
軽快な挨拶もそこそこに、すぐ次から次へと言葉が口から突いて出て来る。忙しい、と素気なく振り払おうとしたのだが、スメラータの言葉は止まらない。
「いや、でも中々良い依頼ってのはないもんでさ。特にアキラはまだ低等級だからどうしてもねぇ……。それにしてもどうしたの、なんかおっかない雰囲気で入って来るし。……何かあった?」
「あったと言えばあったが、お前には――」
関係ない、と言おうとして、ミレイユは動きをハタ、と止める。
冒険者稼業を生業として、ここまで生きて来たスメラータだ。当然、その事情にはミレイユ達よりよほど詳しい。どこにあるのか、あるいは未だ残っているのか分からない物を探すより、訊いてみた方が早いと気付いた。
受付で聞けば、どこで話が漏れるか気が気でないものの、それとなくスメラータに聞くだけなら問題ないだろう。そう結論付けて、ミレイユは顔を依頼票へ向け直して問いかけた。
「……なぁ、スメラータ。近くの森で魔族がどうの、という話を聞いたんだが……、何でも割の良い仕事らしい。お前は何か知ってるか」
「あぁ、なに? アキラにその手の仕事やらせたいの? ……まぁ、初めて受ける依頼なら良い仕事かもね。ただ、実力的に物足りないと思うよ?」
思惑が漏れないよう、無表情のまま頷く。
全くの誤解でしかないが、そのまま弟子を慮っているだけ、と思われるなら、そちらの方が好都合だった。
「ま、アタイもそこまで詳しくないけどね。他の街で冒険者してたからさ、ここだけでしか受けられない、その手の依頼には詳しくないんだよ」
「……では、何か知ってる事は?」
「低位冒険者と、高位とで受けられる依頼に違いがあるって事かな? 目的はどっちも魔族を外に出さない事を主眼にしている事。アキラが受けられる方は、基本は偵察、斥候のみで、戦闘は不意遭遇した場合のみって感じかな」
スメラータが腕を組みながら首を大きく曲げ、天井付近へ視線を向けながら言う。
「高位冒険者は、近くに野営して積極的に狩り出したりするらしいよ。定期的に、そういう事やるみたいだね。なぁんで国の喧嘩に、アタイら冒険者を使ってるんだって思ってるけど。アホらし」
「国の喧嘩……? 依頼元はデルン王国なのか?」
「そう、だから金払いは良いみたい。互いの合意さえあれば、何でもやるのが冒険者とはいえ、これってギルドとしては問題だと思うんだけどねぇ」
困ったもんだ、と降参するようなポーズで肩を竦めた。
実際、ギルドは国に属するものとはいえ、一種の自治権を持っている。完全に傘下へ置かれた組織でもなければ、兵士の仕事を肩代わりするものでもない。
戦争になっても冒険者は徴兵を拒否できるが、これはそもそも国外へ籍を移す事を防ぐ対策も兼ねている。本人が志願すればその限りではないが、基本的に冒険者は兵として動く事を嫌うものだ。
ギルドとしても、それで国に調子付かれても困るので、実質的な兵として運用できないよう、それを阻止しようと動く。だから、武力要員として要請された依頼は、ギルドが跳ね除けるのが通例だった。
つまり、依頼票としてボードに貼られる前に、ギルドが握り潰すのが当然なのだ。それをしないとなれば、癒着があるのか、あるいは権力以上に強い力で抑えつけられているのか、そのどちらかと考える事が出来る。
都市の外から来たスメラータには、正しい認識が備わっているようなので、ここ二百年で変わったギルドの常識、という訳でもなさそうだ。
このデルンは、国を挙げてエルフとの敵対を後押ししている。
エルフ憎しでやっているにしも、ギルドさえ巻き込むやり方には疑問を覚えた。
その事を踏まえてスメラータに聞いてみれば、難しい顔をして返答があった。
「例の森に住む者は、魔族と呼び習わしているんだろう? つまり、エルフを。お前はそれを普通と思うか?」
「うぅん……、普通かと言われたら、まぁ普通と答えるかなぁ。嫌われてるからそう呼ばれてるのか、そう呼ばれてるから嫌われてるのかは知らないけど」
「……そこに、悪感情はない訳か?」
ミレイユが問うと、スメラータは再び腕を組んで考え込み始めた。
「まぁ……そうだねぇ、ないねぇ。だってアタイが暮らした街なんか、被害を受けた事なんかないし。蛇蝎の如く嫌われてるのは知ってるってだけで、害がないから別にって感じ」
「デルン王国内でも、オズロワーナから離れた場所では、普通に暮らしていたりすると聞くが」
「そうだねぇ……。だから割と最近じゃないかな、所謂エルフ狩りってのが始まったのは。ここニ、三年の話だよ。森への合流を防ぐ為に始めた事らしいけど、それで逆に合流する数が増えたとかって聞くね」
馬鹿だよね、と笑いながら、スメラータは依頼票へと目を向けた。
つまりそれで、予想以上に森へ戦力が集中した結果、冒険者すら借り出して森への警戒を強めている、というのが現状らしい。
そして国の兵隊が範囲を広げ、より遠くのエルフを狩り出すにつれ、森を警戒する為の兵員割れを起こしたのだろう。
狩り漏れた者が森へと向かうなら、それを迎え討つ役目を冒険者にやらせている、という訳だ。
村で暮らしているエルフと森のエルフであれば、どちらが手強いかなど言うまでもない。
兵は金が掛かる。育成だけでなく、装備一式を与えるのだって金は掛かるのだ。もし捕らえられ、あるいは殺されたなら、その装備も奪われる。
エルフがそのまま使うとは思えないが、鋳潰すなりして鏃など再利用するだろう。
どのような用途であれ、国からすれば損失になりつつ敵を強化する事になるので、どうせ失うなら少ない被害で済む冒険者を使った方が、安上がりという訳だ。
冒険者からすれば金払いが良い仕事に思えるのだろうが、体よく使われているだけに過ぎない。
とはいえ、傭兵とは元来そういうものなので、国に所属しない武力を顎で使うのは当然だった。
問題は、それをギルド側が容認している点だ。
「……ギルドは何を考えて、こんな横暴を許しているんだ?」
「さぁねぇ……。そこんところは、来たばかりのアタイには分からない事だよ。アタイが元いたところじゃ、国からの命令なんて知った事か、って尖ってたもんだけど」
スメラータは顎の下を指二本でなぞりながら、顎と一緒に視線を上へ向けた。
「やっぱり国のお膝元にあったら、強く抑えつけられて、言うこと聞くしかないとかなんじゃない? 報奨金を踏み倒されるならまだしも、金払いは悪くないんだし」
「依頼内容自体は、真っ当な部類だしな。別に悪事への加担を促すものでもなし……」
むしろ、国としての主張は、正義を成す為の前段階を任せる、ぐらいのつもりなのだろう。実際に戦争になったら戦うのは兵士の仕事、そこに冒険者を使わない。あくまで斥候、偵察が役目で、実力者には合流を防ぐ事だけ任せている。
それも既に戦争への加担として見るに十分だが、二百年もエルフ憎しで魔族呼びをしている相手になら、簡単なところの手助けくらいはやってしまうのかもしれない。
スメラータが言っていたように、普通ならギルドは跳ね除ける。
国の庇護下にある、という認識が薄いせいだ。職人気質が強く、己の腕一本でやって来たし、これからもやって行く、という気風に溢れているのが冒険者だ。
それを長年懐柔した結果で取り付けた、という事ならば、ミレイユから煩く言う事はない。
しかし、ここ数年、その勢いを増し始めた、という事に引っ掛かりを覚える。
ミレイユが帰還するより、だいぶ前から始まっているから、これはミレイユとは別件だと判断する事もできる。
単にエルフとの決着を考え、味方する者や背後からの襲撃を憂慮して、その事前行動と見る分には良い。
あるいはエルフという種そのものを、一網打尽にする目的である、というのなら、それも理解できなくはないのだ。
ミレイユが難しく考え込んでいると、右斜め後ろの定位置で見守っていたアヴェリンが、静かに前へ出て、顔を寄せながら小さく聞いてくる。
「……何か問題でもございましたか?」
「いや、つい考え込んでしまっただけだ。一つ一つは、別におかしい所はない。数年前から始まったエルフ狩り、ギルドへの懐柔、森へ逃げ込むエルフ。最後のは集結させられている、と見るべきか? 仮にそうなら、それはこの戦争で全ての決着をつける為? そういう事なら、やはり問題ない」
口に出して、ミレイユは慌てて手を振る。
「……いや、エルフが滅ぶ事を歓迎する訳でもないが。だが、これがもし作為的であったなら、一つ一つでは見えて来ず、これにミレイユという要素が含んだ場合なら……非常に用意周到な作戦があるように見えてくる」
「……考え過ぎ、と言うには、整い過ぎているように思えます」
「お前もそう思うか」
ミレイユは横目にアヴェリンを見ながら頷く。
神々が二百年のズレをどのように認識しているか分からないが、帰還する事は理解していた筈だ。もし、その時間のズレさえ理解していたら、ミレイユへと積極的に協力するであろうエルフは邪魔になる。
その為に準備をしていたというなら――神々が裏で糸を引いていたと言うなら、この用意周到さにも理解できてしまう。単にお粗末な王が、粗末な作戦を組み立てたように見えるのが、また鬱陶しい。
それが真実である可能性が十二分にあり、同時に、察知されても痛手ではないだろう。
エルフへの攻撃が失敗したところで問題にはならず、そして圧倒的不利な状況のエルフが持ち直すなら、そこにミレイユがいる可能性は高くなる。
――これは釣り餌だ。
ミレイユは思わず歯軋りする。
エルフは長命だから、未だ知り合いの誰かが存命である可能性は非常に高い。そこへ大規模な攻勢が見え隠れしているところで、果たして見捨てられるか、というところに悪辣さが見えた。
「どこにいるか分からず、捜し出す事も簡単でないなら、自らに出てきて貰えば良いという事だ。そして私は、その性分として、ルチアの家族がいるであろう森を見捨てられない」
「しかし、そこまで見抜いてみせたのです。ルチアに説明すれば、納得もしてくれましょう。――いえ、待って下さい。今回のコレに気付けたのは偶然の筈。そのまま事が運んだ可能性の方が高いのでは……。考え過ぎという線も……」
「それならそれで、私を支援するだろう最大の勢力を潰せるな。どちらに転んでも損はない、これはそういう狙いだろう」
アヴェリンは顔を上げ、そして唸り声まで上げて押し黙った。
ミレイユも帽子を深く被り直して思慮に耽る。
もしも先にエルフの所在を知り、そちらへ向かっていたのなら、やはり神々は単に攻勢を仕掛けるだけで良かった。しかし森から逸れ、エルフの事も知らないなら、冒険者ギルドを通すなりして、事情を知る事ができる。
神々にアキラの事など、視界に入っていないだろう。だが、よくよく考え直してみても、仮にアキラもエルフも思慮の外であれ、やはりミレイユはギルドに行っていたように思う。
実際に加入するかどうかはまた別だが、多く様変わりした中で、情報を得る一つの手段として訪れた可能性は非常に高かった。
そこでミレイユがこの件を知るかも運に任せる事になるが、やはり別に構わないのだ。
ミレイユに味方するというなら、それは将来の敵になり得る。
それを潰せるという事だし、気付かなくても他にも策は弄しているだろう。ならば二百年の間に潰しておけば良かったろう、と思うのだが――。
あるいは、これも遊び心の一つ、という事なのかもしれない。
この餌に食いつかなくても良い、という事だ。
気付けば良し、それでどうするか見物になる。気付けなくとも良し、ミレイユに味方する敵は減る。後で気付いたミレイユは、悔やみ涙するかもしれない。
遊び心というなら、それが見られれば面白いと、ほくそ笑んでいるのではないか。
苛立ちが募り、思わず鼻の頭にも皺が寄る。
そこへ再びアヴェリンが顔を寄せ、小声で囁いてきた。
「いずれにしても、まずはルチアに相談すべきかと」
「あぁ、ユミルにもな。考えすぎだと笑い飛ばすなり、献策をくれるなり、何か反応が返って来るだろう」
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