孔を抜けた先は その3
その場所は、樹木が生い茂る森の中にあって平地になっている場所だった。
地面には湿った土は勿論、枯れて砕けた枝なども散乱しており、倒木も多くある。だが十人ほど纏まった数が立っても手狭に感じない程の広さがある。
樹木のないスペースだからと思って見上げても、枝が広く伸び、葉も生い茂っているので空は見えない。葉の隙間から薄っすらと見える限りでは雲は出ていないようだが、月明かりが差し込むからと、そこから推測したに過ぎなかった。
アヴェリンはミレイユを大事そうに抱きかかえたまま、倒木を適当に蹴り飛ばして外側に転がす。小石を蹴り飛ばすような動作で、太い幹が転がっていく様に今更驚きはしないが、しかしいつ見ても現実離れした光景だとは思った。
そうして更に二本の倒木を転がすと、それで良い塩梅に寛げるスペースが出来上がる。
ユミルが倒木の一つに腰掛けると、周囲から枯葉や枯草を魔術で引っ張ってくる。そうして自分から少し離れたスペースに小さな山を作り出した。
ルチアは手近に落ちている石や木を組み合わせて、足の付いた焚き火台を作り出すと、自身の魔力を変性させてコーティングするように纏わせた。
一瞬だけキラリと表面を輝かせ、握った拳の甲側でコンコンと叩いて強度を確かめると、それでユミルの用意した枯草などを持っていく。
そして自身が途中拾っていた枝などを三角錐の形で組み上げると、ユミルへ指先で手招きしてから台を指す。
ユミルも心得たもので、それだけで指先を向けて雷を放つと、パチリと音を立てて火が燻り始めた。ルチアが軽く息を吹きかければ、それだけで火勢が増してすぐに枝へと火が燃え移り、そして小枝より少しずつ太い枝を追加で乗せていく。
その火を熾すまでの手際の良さを見れば、やはり旅慣れた様子を感じさせた。
旅をしていれば野営は当然で、この程度の事は必須技能なのだろう。以前、まだミレイユ達と出会ったばかりの頃、肉を捌けない事に侮られるような、失望されたような目で見られたが、このように野営するなら獲った獲物をその場で解体出来ないようでは死活問題だろう。
アキラも彼女らに付いていくつもりであるなら、その辺りは良く学習しておかなければならなかった。火を熾すのも、それを消さないように維持するのも、今後アキラが担う機会は多い筈だ。
その手際をしっかり見て、真似して実践できるようにならなければならない。
そういう気持ちでルチアの手付きを観察していると、火の傍に寝袋が敷かされた。
その上にはミレイユが寝かされ、何かを巻いて枕代わりにした物を置き、更にマントを重ねて上に羽織らせる。どれも丁重な手付きで済ませると、アヴェリンも倒木の一つに腰を下ろした。
こうして見ると、火を囲んで三つの倒木がコの字型に並んでいて、最初からそうするつもりで蹴飛ばしていたのだと気付いた。パチ、パチ、と小さく火の粉が弾ける音が聞こえ始めると、ルチアは更に薪になりそうな太さの木を取り出し、アヴェリンへ放った。
それを片手で受け取り、両手で持ち直す。
ナタでも取り出して薪にするのだろうと思っていると、そのまま紙を割くような仕草で薪を二つに割ってしまった。薪に出来る程の太さだし、割れ目が入っていた訳でもない。目を剥いて見ていると、それを更に幾度か割って薪に適した大きさにすると、それを焚き火へと投じた。
ぞんざいな手付きに見えるが、元の形を崩さない絶妙な力加減で、しかも適切な形で三角錐を維持するように投げたものだと分かる。
こういう所でも玄人っぽさが垣間見せて、アキラはキャンプ慣れした姿を惚れ惚れした顔付きで見ていた。
木を焦がす匂いが鼻をついて、つい頬を緩ませていると、アヴェリンがじろりと睨んではぶっきらぼうに口を開く。
「いつまでそうしているつもりだ、座れ」
「は、はい……」
肩身の狭い思いをしている所に、野営でも何一つ役立てる事が出来なくて、更に肩身の狭い思いをしていた。そんな状態だったので、アヴェリンのキツイ口調は心に刺さる。
言われたとおり、どこへ座ろうと見回して困ってしまう。
倒木は人が二人どころか、三人で座っても十分な長さを持っているが、誰と一緒に座るのかという問題が起きてくる。
一つの倒木に一人ずつ座っているから、誰かとペアになる事になるのだが、誰と一緒でも障りがある。それで焚き火近くへ、直座りしようとしたのだが、屈み込んだところでユミルから声を掛けられた。
「何でそこなのよ、何もアヴェリンだって地面で十分だ、なんて言わないでしょ。……こっち座りなさいな」
「……はい。では、失礼して……」
正直、ユミルの隣というのは気後れ以前に嫌な予感しかしないので断りたかったのだが、道中も声を掛けてくれたりと、気を遣ってくれたのもまた彼女だ。
それで誘われるまま、ひと一人分の間隔を開けて座ったのだが、それから特に会話が発生する事もない。ルチアが薪になる太さの木をアヴェリンへと放って、それを自分の傍に溜め込み、燃料にする大きさへと裂いていく。
その様子と、ちろちろと燃える火を見ながら、時折木の爆ぜる音を耳に聞いていた。
沈黙は苦に違いないが、それぞれには割り振られている仕事があるようで、それを理解して動いているからには、今更言葉にする必要がないくらい繰り返されて来たのだろう。
アヴェリンは薪の準備と火の管理、そしてルチアは焚き火台へ、更に鍋を設置して雪を生み出しては水に変えていっている。水に、というよりはお湯を沸かそうとしている様子で、そこにユミルが干し肉などを取り出して、食材を切って皿の上に盛ったりし始めた。
ユミルが料理などする様子は初めて見たので、それをまじまじと見つめてしまう。
いつも運ばれてくる料理を見ているだけか、あるいはワインを飲んでいるだけの姿しか知らない為、むしろそういった役目を担わされていないのだと思っていたくらいだ。
しかし食材は切るだけで、料理まではしないようだった。
むしろ、切るまでが仕事で、それ以上の事はしなくても良いらしい。しなくても良いのか、それともそれ以上させられないのかまでは知らないが、ルチアは受け取った食材を傍に置き、湧いたお湯を木製マグに移して、それぞれに回してくれる。
それにはアキラの分まで用意されていて、頭を下げながら感謝を告げた。
「すみません、ありがとうございます……」
ルチアから回されて、ユミルから受け取ったマグを口につける。
入っていたお湯は、
昼間は気温もあって暑いぐらいだったが、夜はそれなりに冷える。冷水より温めの水というのも嬉しい配慮だった。
「ルチア、もう一杯頼む」
「アタシも」
二人がお代わりを頼むなら、アキラも頼みたくなってしまう。
額を濡らすほど汗を掻いた訳でもなかったが、一口飲むと更に喉が乾いてしまうように感じる。かといって図々しく頼むのも気が引けて、どうにも自分から言い出せずにいると、ルチアの方から手を差し出してきた。
「え?」
「欲しいのでしょう? 早く回して下さい」
「はい、すみません……!」
恐縮して頭を下げながらユミルへと渡すと、ユミルが皮肉げな笑みを浮かべながらそれを受け取る。そして直ぐに返って来たマグをアキラに渡すと、呆れた口調で言ってきた。
「そんな物欲しそうな顔されたらね、そりゃルチアだって、ああ言うってモンでしょ。水を欲したら分け与える、それぐらいは常識だって知っておきなさい」
「えぇ、はい、すみません……。水は分け与えるって……、常識なんですか?」
「そうね、全くの見ず知らずの相手でも、欲する物が水ならば見返りを求めず与えるもの。それがこの世界の常識ではあるわね。最低限の相互互助、その取り決めが水の譲渡ってワケ」
「なるほど……」
アキラは今のところ、この世界について知っているのは、この森のみだ。
人が住んでいるとも思えない、この魔獣か魔物しかいない地で、人に出会うような偶然があるとは思えない。だが、それでも助けを求められ、それが水という要求であったなら応えなければならない、というのは理解できた。
だが同時に、疑問にも思う。
それが強盗の常套句になったりしないのだろうか。悪さをしようとする者は、付け入る手段があるなら必ずそれを利用しようとする。
水を求めて近付き、そして油断したところを襲撃する、そういう事を考えそうなものだった。
そんな事を考えてると、ユミルが嫌らしい笑みを向けながら言ってくる。
「アンタ、水を理由に油断させてどうこうするヤツいそうだな、とか考えたでしょ」
「……そんな分かり易い顔してましたか?」
「ええ、アンタって顔に出過ぎるから。――でも、そうね。それを理由に襲う者はいるか。そう聞かれたら、そりゃいるって答えるわよ」
「あ、やっぱりそうなんですね」
性悪説を唱えるつもりはないが、世の中は善意だけで回るものでもない。小賢しい者はどこにでもいる、とアヴェリンが言っていた事があるように、やはり最低限の相互互助ですら利用しようとする者もいるだろう。
「でも、それってバレなきゃやっても良いって言うのと同時に、バレたら酷い目に遭うってコトでもあるワケよ」
「悪人にも、モラルを気にする奴もいるって事ですか? 酷い目に遭いたくないから、そういう取り決めは守るとか?」
マフィアやギャングのような悪人は、上にいる人間ほど規律に厳しく、それを守ろうとするもの、と聞いた事はある。社会的地位も高い為に、鉄の掟のようなものを敷いて、それを部下に守らせようとする。
だが、得てして末端は暴走しがちだし、大きな組織に所属しないようなチンピラは、もっと好きにやりたい放題する。全てが全て、悪人なりの道理に従う者ばかりではないだろう、という気がした。
「そりゃあね、全てを敵に回す覚悟がなければ、やっちゃいけない。そういう常識もあるワケだから、おいそれと手を出せない手段でもあるのよね。それに、こういうのはバレるようになってるものなの」
「でも、法で縛られていないものですよね? そもそも悪事ってそういうものですし……、守る悪人なんているんですか?」
「襲った相手も皆殺しにすれば、どう近付いたかなんてバレないものね。でもね、その最低最悪の手段を使って悪事を働こうって奴は、つまり頭の中身が入ってない馬鹿って言う意味でもあるのよ」
「それは……」
そういうような気もする。
賢い者ならそもそも悪事など働かないだろうが、賢い極悪人なら、もっと別の手段を講じる事が出来るだろう。追い込まれて他に手段もない、という輩もいるのかもしれないが、それを選ばざるを得ない状況に陥った時点で、救いの目もない気がした。
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