混迷の真実、明瞭な虚栄 その7

 咲桜が恐縮しきった顔を上げ、ミレイユはどうしたものかと首をひねる。

 そもそもどうして来たのか、どういうつもりなのか、という疑問が脳裏を掠めた。オミカゲ様という立場にあって、用事があるなら呼びつけるのが当然で、自ら足を運ぶ事などしない筈だ。


 咲桜が見せる動揺も、恐らくそれが原因だろう。何事かあれば、一声上げるだけで周りの者がそれを叶えるべく行動する。女官の数が多いのは、何も掃除をさせる為だけにいる訳ではない。

 オミカゲ様の手足の代わりとなるべく存在しているのだ。御子神と認定されているミレイユでさえその扱いなのだから、当の神への扱いなど推して知ろうというものである。


 とはいえ、いつまでも部屋の前で待たせるのも無作法というものだろう。

 ひと目すら合わさず帰らせるのも難しい。呼び付ける無礼を慮って自ら足を運んだつもりなのか、それとも対面を断れないよう自ら足を運んだのか、これでは判断できない。


 迷ってユミルへ顔を向けると、好きにしろとでも言うように頷いた。アヴェリンへ向けても同じ事。そもそも彼女については、外敵ならまだしも、そうでないならミレイユの意見を尊重する。

 この場で伺う事ではなかったかもしれない。

 数秒考えた末、外へ顔を向けて口を開いた。


「咲桜、部屋の中へお通ししろ」

「畏まりました」


 一礼して去っていく背中を見ていると、ユミルも同じように目を向けて呟くように言う。


「ちょっと意外ね。まだ会いたくないとか言って、門前払いでもするかと思ったわ」

「正直、それは少し思ったが。わざわざ部屋まで来たんだ、茶ぐらい出してやらねば」

「まるで自分が家主みたいな言い分ね?」

「……まぁ、あながち間違っていないだろう」


 ミレイユが小さく笑うと、ユミルも笑って頷こうとし――その先にオミカゲ様の姿を認めて表情を硬くさせる。

 アヴェリンもベッドから立ち上がり、一応の警戒を見せた。とはいえ敵愾心のようなものは見えない。出そうとしては、その表情を見て毒気が抜かれたかのようだ。


 オミカゲ様の表情は常にあるような平坦なものではなく、眩しいものを見るように目が細められていた。そこには若干の申し訳なさと、出会えた喜びのようなものが見える。


 ミレイユもベッドサイドに座ったままでは拙かろうと立ち上がり、先導されて来る前に小卓の方へと移動を済ませる。この場合、上座はどちらに譲るべきなのか、と考えている内に、オミカゲ様が近くまで来て立ち止まった。


 咲桜は横へずれて一礼し、元の待機場所へ戻っていく。

 そちらへは一瞥もくれる事なく一歩だけ前へ出て、オミカゲ様は口を開いた。


「最初に、顔を合わせてくれた事に感謝しよう。まず無視されるだろうと思っておった」

「じゃあ何で来たんだ……。足を運ばせたとあって門前払いなどしたら、それこそ問題になるんじゃないのか」

「他の誰かならばそうであろうが、そなただけは別である。そのように周囲には言い含めてある故な」


 だからと言って、いきなり訪ねてくるのはマナー違反ではなかろうか。

 普通は先触れがあるものだろう。ミレイユに本日の予定などないし、明日もある訳ではない。だから、それを理由に断る事はないとはいえ、来訪は事前に伝えるものだ。

 騙し討ちを受けたような気分になって、ミレイユは歓迎する気になどなれなかったが、ともかくもやって来てしまったものは仕方がない。


 ミレイユが椅子を勧めようとする前に、オミカゲ様はユミルとアヴェリンへ交互に顔を向ける。


「ここよりはミレイユと二人で話をしようと思う。席を外して貰いたい」

「へぇ……、アタシたちに聞かれちゃ困るって?」


 ユミルは鼻白んで腕を組んだ。臨戦態勢のような気配すら発して、梃子でも動かないとでも言うかのようだった。しかし、それをミレイユが止めた。


「ユミル、いいんだ。聞いてみるだけ聞いてみる。そうするだけの理由があるから、こうしてやって来たんだろうしな」

「あの日、あの場で言えない内容だってコト? ますます怪しいわね」

「ミレイ様がそうせよ、と仰るならそうしますが……」


 流石のアヴェリンもオミカゲ様の申し出には懐疑的な様子だった。訝しんではミレイユの傍で盾になる位置まで移動する。

 それを宥めて退室に同意させるのは骨だったが、ともかく不安と警戒を抱いたまま部屋を出ていこうとする。その背に向けて、ミレイユは声を放った。


「盗み聞きはするなよ、お前は確かそんな術を持っていただろう」

「はいはい、お任せあれ」


 返事だけは良いが適切な返事ではないな、と胡乱な目線でユミルを見送り、そしてぞんざいに手を振ってユミルは去っていく。やはり心配な目線で未練がましく見てくるアヴェリンへ手を振って、襖が閉められるのを確認する。

 それから改めて、オミカゲ様と対面した。


 この部屋の主は自分だが、客人をもてなす立場というのも違う。むしろ自分が客人の立場なのだから、上座に座るのは避けようと、そこに最も近い席へ座る。

 しかしオミカゲ様も上座は避けて対面へ座ってしまい、座り直した方が良いのかと上座へと目を向けたが、小さな笑い声で引き戻された。


「いや、よい。この場で、そういう面倒な作法は無しにしよう」

「まぁ、お前がそう言うなら別にいいが」


 うむ、と頷いたオミカゲ様はチラリと小さく笑みを浮かべる。


「やはりそなたを御子としたのは正解であった。直接会いに行くと言ったら、快く送り出してくれた。これが他人であったら、遥かに面倒な手続きを踏まねばならないところであった」

「それは良かったな……。まさかとは思うが、御子神認定させたのは、それが本命とは言わないよな?」

「無論そうではない。便利な立場を与えたかっただけである。それが相互に作用するよう期待したのも事実であるが」


 どこまで信じて良いのか分からず、それで曖昧に頷いて会話が止まる。何をどう切り出そうか迷っていると、咲桜がお茶を持って現れた。

 二人に対して完璧な給仕を終えると一礼し、自らもまた部屋から出ていく。何かを言われる前に望むことが出来るのは、流石に神宮で仕える女官といったところだった。


 ミレイユがお茶に一口つけると、それを待っていたかのようにオミカゲ様が口を開く。


「そなたにも申し訳ないと思ったのだが、しかしあの場で話せなかったというのは事実なのだ。お互いのみが知るべき事であるからな」

「アヴェリンは元より、他の者だって命じれば漏らしたりしないと思うが」

「だが我は聞かれたくなかったし、知られたくないと判断した。もしそなたが話しても良いと思ったとしても、胸に秘めておれ。少なくとも、現世におる間はな」


 重々しい口調には、問答無用で頷かせる迫力があった。

 それだけで今から言う内容が、とんでもない厄種だと分かる。しかしミレイユが知っておくべき内容だと判断したなら、それを聞かないという判断もまた出来なかった。


 とはいえ正直なところ、まだ会談で聞いた内容の整理も出来てない状態で、畳み掛けるような事はしないで欲しいというのも本音だった。

 しかし、オミカゲ様が話すつもりなら聞くしかない。

 思いっきり顔を顰めて見てやれば、あやすような口調で赤い瞳をキラリと光らせ言ってきた。


「そのような顔するでない。意図的に話さなかった事について、そなたなら察しが付くのではないか?」

「何だ、ルチアの話は出てきたのに、アヴェリン達には全く触れなかった事か……?」


 オミカゲ様の変化は劇的だった。

 途端くたびれたように顔が下を向く。溜め息を吐いた後、平坦な表情は変わらぬまま、疲れたような雰囲気を放って首を振った。

 その心情と表情の乖離に違和感を覚える。出来る事が出来ない、出来て当然の表現を封じられているかのように感じられた。


「……正に。辛いが、それについても話さねばならない。だが、今はそれより先に、そなたの事を話す。――即ち、何故そなたが神々によって狙われるのか、その意味を」

「確かにそれは気になっていた部分だ。どうせろくでもない理由だろうと思っていた……だが、それは皆には話せないのか?」

「心に留めておくべきであろうな。まずは聞け」


 オミカゲ様が身体を持ち直して背筋を伸ばすと、ミレイユも釣られたように背を伸ばす。そうして続く言葉を待った。


「今となってはどう感じているのか、我は忘れてしまったが……。そなた、ミレイユとして過ごす事に違和感は覚えぬか?」

「なに?」

「言っている意味が分からぬか? そなたはかつてよりミレイユではなかった筈だ。日本で生まれ育った名前は別にあったろう」


 言われて、当然ながらに思い当たる事がある。

 ごく自然、ごく当然と思い、違和感の一欠片すら覚えずいたが、ミレイユには元となる一人の男の人生があった。理解しているつもりだったが、その事は頭から抜け落ちたようですらあり、どこか他人事のように感じている。

 まるで男として生きた人生こそが偽物で、ミレイユとして生きた数年の人生の方をリアルだと感じている。


 女性的身振り手振りも、自然な事だと受け入れていた。

 自身を鏡で見ても違和感はなく、何かがおかしいと引っかかるものすらなかった。その異常を改めて認識して顔が青くなる。


御影豊そなたは自宅でゲームをしていた。そしてクリアしたと思ったその瞬間、意識の暗転と共に今の身体へ乗り移っていた。ゲームで作成したアバターと同じ見た目になっていた、そうであろう?」

「……そうだ」

「何故だと思う」

「分かるものか。考えて分かるものでもないだろう……!」


 ミレイユは余裕なく頭を振る。考える事が怖かった。考える意味がないと分かっているから、それ以上考える必要がないと思えるから、全て締め出してしまいたかった。


「あるいは男として生きた人生こそ夢だったと思っておるやもしれぬが……、そなたは拉致されたのだ」

「拉致……? どういう意味だ」

「見た目ほど分かり易い拉致事件という訳ではない。魂そのものであり、肉体的な拉致ではなく、精神的な拉致である。そうして、神の素体へ移し入れられた」

「この……、この身体にか?」


 ミレイユは自分の身体を見下ろしながら両手を広げる。

 均整の取れた肉体、女性的起伏を持ちつつ筋肉も程よく付き、そして人間とは思えぬ魔力総量を持つ。容姿の美醜については御影豊としての趣味が現われているが、かといって己の容姿に頓着した事がなかった事を思い出す。


 違和感というなら、それが違和感だろう。

 己の理想を体現した容姿なのに、それについて見惚れる事もなければ気に掛ける事すらしていない。あるがまま受け入れて、それ以上の感想など湧いて来なかった。

 ――その、違和感。


「不都合な考えは生まないよう、調整されておるのよ。ある種の思考誘導がされておる。自由意志を剥奪しておらんのは余裕のつもりか、それとも出来ないだけなのか、あるいはそこまですると汚染になると判断したのか、そこまでは分からぬが……」

「この肉体に宿った時点で、何かをさせるつもりでいたというのか?」

「然様。そして、それを見事裏切ってくれたから、このような面倒事へ発展したとも言える」


 ミレイユは頭が痛くなる思いで――実際痛みを感じて、額に手を当てた。

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