脅威拡大 その8

 理力の変化は劇的だった。

 七生は身体を試すように動かしながら疾走する。


 まず瞬発力が違う。

 踏み出し、蹴り込み、地面から反発される力が雲泥の差で、身体が羽のように軽い。今まではまるで枷を嵌められていたかのように感じ、そしてそれは初めて理力を扱って動いた時の事を連想させた。


 理力を伴う運動と一般人の運動も、また雲泥といって良い差がある。

 その差が今まさに、自分の身体で起こっていた。

 七生は漣と紫都のように新たな理術を授けられた訳ではない。癖を矯正され、より良い運用法を直接教示頂いただけだ。時間にしても一分ほどしか掛からなかったように思う。


 だが、それだけで飛躍的な制御力の向上を見た。

 改めて神に対する畏敬の念を覚える。人に理力を授ける機会は一度しかないのだと思っていたが、あるいはこれだけの力を与える事を懸念しての事だったのかもしれない、と思い直す。


 ――まるで麻薬だ。

 自分が何でも出来る万能感を得たように、錯覚してしまいそうになる。

 それ程までに能力の上がり幅が異常だった。しかもこれは自らが培い、鍛え上げてきた土台の上に与えられたものだという。


 鍛錬を怠った事はなかったが、同時に頭打ちだとも思っていた。周囲の御由緒家を見ても、力量の差はあっても僅かなもので、その中で突出していたのは姉ぐらいのものだった。

 だからこれ以上は才能の差だと思いこんでいたのだが、全く違うと証明されてしまった。


 御子神様は師が悪い、と仰っていた。

 素直に肯定できないものだったが、これを知ると消極的にではあっても肯定しない訳にはいかないだろう。そしてこれを他にも教える意思があるとしたら――。


 これからの強敵とも十分渡り合える。

 七生は確信を持って全身に力を込めた。敵は既に目前まで迫り、自分が今まで感じた事もない速さで接近して行く。


 お互いが手を伸ばせば、届く距離に凱人もいた。

 目配せすれば、相手からも頷きが返ってきた。幾度となく繰り返して来たこと、お互いにやりたい事は判っている。


 従属神の御二方は、七生達の接近を察知すると同時に攻撃を止めていた。

 今は鬼と相対する形だが、既に臨戦態勢は解いていて、一人は腕組すらしている。とりあえずの壁役として残っていたのだろうと察し、通り過ぎざま目礼して謝意を示した。


 鬼もこちらの動きに気がついて、その巨大な腕を振り上げてくる。


「――凱人!」

「応!!」


 七生の呼びかけに応えて凱人が前に出る。

 両手の大籠手を前に翳し、両腕をピッタリと閉じて防御を固めた。今までは頼りになり、そして四腕鬼には為す術もなかった防御法だったが、今なら通用する筈、と祈るような気持ちで後に続く。


 まずこの一撃を受け止められるのか、それが鍵になる。

 七生自身、新たに扱えるようになった力に酔っていた部分はあった。凱人も同様、今の自分なら大丈夫という自信があるのだろう。


 ――だが、もしそれが単なる過信だったら。

 背筋をひやりとしたものが通り抜ける。任せて大丈夫なのか、後方の支援と交えてから戦術を見直した方が良いのではないか。


 今更ながらの後悔が湧いてくる。

 しかし冷静になるには遅すぎ、凱人は拳を受け止めようと前傾姿勢を取った。もはや逃げるよう声を掛けても逆効果にしかならない。


 七生も腹を括って刀を構える。

 今は成功する事だけを考えるしかない。


 鬼の拳が凱人に刺さる。

 ドゴン、という思い衝撃音が聞こえた。凱人の身体が横へ流される。駄目か、と思った瞬間、それが攻撃を受け流した動きだと分かった。


 凱人は攻撃をいなしながら、身体を回転させてその衝撃を逃したのだ。

 巨拳は方向が逸れ凱人のすぐ傍へ突き刺さる。その瞬間を見逃す七生ではなかった。


「ハイィィィ、ヤッ!」


 腕が伸び切った肘目掛けて、七生は刀を振り下ろす。

 その巨体故、腕の大きさも長さも尋常ではない。一振りで切断できるものでもないが、腱を切断できれば身動きを封じる事は出来る。

 問題は、あの鉄皮に刃が通るか、という事だったが――。


 その心配は杞憂に終わった。

 七生の刃はそれまでが嘘であったかのように、あっさりと皮を引き裂き、筋肉を貫いて腱を切断した。あまりに簡単すぎて、そもそも外したかと思った程だった。


「ゴォォォォオオオ!」


 四腕鬼が腕を抑えて雄叫びを上げる。

 痛みを堪えきれず、他の二本の腕を闇雲に振り回した。七生はそれを余裕をもって回避し、凱人も同様に躱し、あるいはいなして捌いていく。


 距離を取ったところで、紫都からの支援が飛んできた。

 今までも使ってきた、自身の周囲に防御膜を張る理術だが、その厚みに大きな差がある。上位の理術を与えると御子神様は言っていたが、その効果はより顕著に現れているようだ。

 薄皮のような膜が、今では指一本の厚みがある。


「二人とも速すぎ。途中で支援かけようと思ってたのに、まるで追い付けなかった」

「気が逸り過ぎだろ。何とかなってるみたいだけどよ」


 七生は自省するつもりで頭を下げた。

 言われるまでもなく、これは七生が悪い。紫都の多彩な支援があるなら、あのような博打をするにしても、もっと安全にやれていた筈なのだから。


「対処に問題がないってんなら、上手いことやってくれ。弱らせてくれりゃ、俺がでかいの一発打ち込んでやる」

「それで倒せる?」

「分からんが、刀一本突き刺して倒せる相手じゃないだろ。口の中にでもかましてやりゃ、一発で済むと思うがな……」

「いいわ、じゃあそうして」


 七生は凱人に目配せして、着いてこいと言うかのように腕を振る。

 その前に紫都から更なる支援が飛んだ。


「これは?」

「スタミナがより早く回復する。速度上昇もあるけど、今はしない方がいいと思う。まだ自分の新しい速さにも慣れてない時に使うのは危険」

「そうだな。必要になる場面があれば、使って貰うかもしれん」


 紫都は首肯を持って応え、凱人にも同様の支援理術が飛ぶ。

 それと同時に二人は駆け出す。

 四腕鬼は怒りの形相で七生を睨み付け、腕の仕返しをしようと狙いを付けてくる。七生はそれを俊敏に躱し、また別方向から来た巨拳には凱人が受け流して守っている。


 それを頼もしく見ながら、漣は制御を開始した。

 今までとは難度が違うから、その制御にも慎重になる。だが扱える筈だと与えられた理術、その期待に応えたいという気持ちが強い。


 だったとしても、まず目標が定まらなければ撃ち様もなかった。


「そうしろって言ってもよ、口を開ける瞬間なんてそうねぇぞ……!」


 腕を振り回す関係で顔の位置は大きくブレる。左右に動くだけでなく、上下にも激しく動いた。

 同じ場所に立っている訳でもないし、翻弄する二人に向けて身体を動かすせいで、そもそも口を狙えない。同じ場所に立っている都合上、狙われたなら制御を解除して逃げに徹する必要もあるだろう。


 敵の猛攻を躱しながら制御を続けられるほど、この理術は甘くないのだ。

 タイミングがあったとしても、果たして撃てる瞬間制御が終了しているか、という問題もあった。

 そうこうしてると、四腕鬼の目が漣達を捉える。


「マズい……!」


 棒立ちの二人見つけて、鬼が放って置く筈もなかった。

 制御を止めるにしてもスイッチを切るように終わらせる訳にはいかない。例えるなら、坂道でトロッコを押し上げているようなものだ。頂上につけば後は手を離せば敵に向かって落ちていくが、それより前に離したら自分が轢かれてしまうだけ。

 安全に手を離そうと思えば、段階を踏まねばならない。


「大丈夫、任せて」


 紫都がそう言って、手を前に翳す。

 漣が制御している間に、紫都も制御していたらしく、即座に理術が展開された。

 眼の前に光の壁が築かれ、レンガを重ねるように積み上がっていく。それは半円形を描きながら形作られ、瞬く間に二人の周囲をきれいに覆ってしまった。


「すげぇな……」


 漣の呟きに耳を貸さず、紫都は制御に集中する。最終的に半透明なレンガドームに包まれ、四腕鬼の拳を跳ね除けた。

 単純な四角形でなく半円形なのは、その衝撃を分散させる為で、それが更にこのドームを強固にしている。


 そのドームを壊そうと躍起になって殴りつけている鬼に対し、先に動いたのは凱人だった。

 下から掬い上げるかのように殴りつけ、顎が跳ね上がる。その瞬間を見逃さず、七生が顎の付け根辺りを切り裂く。それで顎を支える腱が切れ、鬼の口がだらしなく垂れ下がった。


「――今よ、やって!」


 七生の声を拾って、漣も理術を放とうとして紫都を見る。この壁を解除しろというつもりで視線を送ったのだが、紫都は首を横に振って鬼目掛けて指を差す。


「大丈夫、内側からはすり抜ける!」

「そうかよ!」


 漣は渦巻く力を解き放ち、頭上に見える口の奥目掛けて炎の塊を撃ち込んだ。

 直径一メートル程の巨大な火球だった。今までは精々握り拳程度の大きさしかなかった事を思えば、その質量の変化は顕著だが、その真価は大きさではない。


 喉奥へ吸い込まれるように着弾すると、火球は握り拳よりも小さく収縮する。

 次の瞬間にはその巨大な頭すら吹き飛ばす、巨大な爆発が巻き起こった。


 紫都はそれを予期して念動力で七生と凱人を回収していたが、一歩及ばず二人は爆風に押し出される。紫都は一瞬だけドームの一部を開くと、そこへ押し込まれるようにして、二人がドームの中に入ってきた。

 入室しきったかを確認するより早くドームの一部分が閉まり、そして熱烈な閃光と爆発音が辺りを震わす。

 ドームの中は爆発の余波を受けていないとはいえ、その巨大爆発が目前で巻き起こって平静ではいられなかった。


 爆発は一瞬だったが、それが巻き起こす旋風と衝撃はすぐには止まない。

 上半身を失って背後へ倒れ込む四腕鬼を見つめた後、誰もが呆然としてそれを見つめる。余りの威力、余りの衝撃に思考が追いつかなかった。

 しかしそれが十秒も経つと認識も追いつくもので、七生は漣に食って掛かった。


「あんた何てもん使ってんのよ!? 紫都が機転利かせてくれなかったら、私達巻き添えくらってたってこと!?」

「いや、俺もそんな威力あると思わなくて……」

「知っときなさいよ、自分の術でしょうが!」

「加減が分からなかったんだよ! 全力込めなきゃ倒せないかもしれねぇって思ったんだ!」


 漣も負けじと言い返すが、命の危機とあっては七生も黙っていられない。

 危うく仲間に殺されかけたとあっては憤る気持ちも分かるが、今回ばかりは大目に見ない訳にはいかないだろう。


「何しても、紫都には助けられた。ありがとうな」

「……ん。でも分かった。なんでオミカゲ様は強力な理術を今まで人に与えなかったのか」

「そうだな……。あのような力、本来なら人には分不相応だろう。大砲のように運搬が難しいというものでもない。身一つが巨大な砲身となるなら、自由に使える人間は脅威と成り得る」


 だが、その解禁を許す程、今回の鬼は強力だった。そうせざるを得なかった、という事なのだろう。その力を与えられた者は、その高い能力故に、力を振るうことにより強い責任を持たねばならない。


 それは何も漣だけの話ではない。

 七生にしても凱人にしても、この力を十全に発揮すれば、もはや止められる人間が存在しないという程、隔絶した力を得た。

 元より御由緒家はその力を振るう事をオミカゲ様に許されたものと認識しているから、私利私欲で使う者はいないが、もしもという事はある。誇示する事も安易に振るう事も許さない、それを強く戒めた。


 紫都が防壁を解くと、遠くから歓声が聞こえてきた。

 倒れ伏していた隊士達が起き上がり、笑顔で勝利を祝っている。爆発の余波も隊士達までは被害を出すような事もなかったらしく、鬼に吹き飛ばされた時のようにはなっていない。


「御子神様は……!?」


 周囲を見渡しても姿が見当たらない。従属神の姿もまた見えなかった。

 問題視していた孔も既になく、やるべき事をやって帰ってしまったのだと悟った。

 見上げれば結界に罅が入り、次いで乾いた音を立てて割れた。


 終わったか、と誰もが肩で息をつく。

 長い夜だった。前代未聞の百鬼夜行。もう終わりかもしれないと思い、そして神の助力で切り抜けた。何にしても、今だけは笑って肩を叩き合って許される筈だ。


 手を振りながら駆けつけてくる隊士達へ手を振り返し、七生達もまた顔を綻ばせて彼らを迎え入れた。

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