命の使い道 その5

 大体、ミレイユたちを打破し得る、精強な軍隊を用意したところで、まず逃げ出す公算の方が高い。

 あくまで見据えている目的は、エルフや森を救う事ではなく、神々を討ち倒す事だ。最低でも、現世への派兵やミレイユから手を引かせる事を、確約させてやる必要がある。


 そして何より大きな目的がループからの脱却で、最悪の事態になろうと、これだけでも完遂しようと考えている。神々が待っているだけでは、ミレイユは決してそれを諦めないし、戦力を集めていようと、逃げて再起を図るだけだ。


 神々の目的が、ミレイユをループという時の牢獄に閉じ込めてしまう事であるのなら、ミレイユの時間を浪費させているだけで、それは叶わない筈なのだ。

 ミレイユを昇神させないつもりでいるなら、むしろ長時間の拘束は不利益の方が大きい。


 今回は完全にミレイユのミスだが、最低でも一年の間にエルフ達の洗脳が解ける。

 解ける事が、即座の昇神を意味しないものの、あえて放置するには怖い懸念だ。


 それを理解していない筈がない。

 だから神々の沈黙が不気味だったし、腑に落ちない。そしてそれは、待たされている時間ずっと考えていた事でもあった。

 ……だが、結局答えは出なかった。


 一体何をすれば、ミレイユはループし直す事を選択するのか。

 オミカゲ様とミレイユとでは、辿った流れが全く違うから参考にはならないが、どうすれば神々と対峙し、そして打ち負ける結果になるのだろうか。


 今ルヴァイルとインギェムが姿を見せているのは例外的な状況だし、それは全く参考にならない。

 もしかすると、本当の大神を除く、残りの神全てが結集でもして、ミレイユを襲撃するのだろうか。


 確かにそれなら敗退しそうではあるが、神々は指し手に違いない。余程の事がなければ、盤上の駒として下りて来ないと見ていた。

 あるとすれば、それこそ最後の仕掛けとして、ミレイユに偽の情報を与える時くらいでなければならないだろう。


 だが、神の襲撃にそれほど時間が必要とは思えない。足のみ揃えるだけの事に、何か月も時間が必要だと言われても、腑に落ちないとしか言えなかった。


 その表情が顔に出ていたのだろう、ルヴァイルは気遣わしい顔で頷いて口を開く。


「森の民に虐殺が起こり……、それを貴女が防げなかったとして、だから逃げ出すだけで終わるとは思っていません。敵意を漲らせ、如何なる手段を持ってしても報復しようとするのは、目に見えています」

「正しい分析が出来ているようで何よりだ。だから、不自然な沈黙と時間稼ぎが、攻撃の準備じゃないと睨んでる。かといって、攻め込まれた場合の為に、防備を厚くする準備をしているとも思えない。神々としては、一度として姿を見せたくない筈だ。あるとすれば、それはが出来る時だけ」

「貴女もまた、正しい分析が出来ているようで何よりです」


 ルヴァイルが俯くようにして頷き、それからミレイユの胸を見た。胸というより、みぞおち辺りを注目しているようでもあり、不思議に思いながらも続きを促す。


「はぐらかさないで教えろ」

「えぇ……。神々が求める最上の結末は、不戦勝です。見られず、触れられず、負けを悟って自ら逃げ出す。そういう結末を求めています」

「随分と都合の良い、甘い考えでいることだな。おめでたい頭の奴らしかいないのか? 最初から逃がすつもりでいるのなら、連れ戻さず放っておけと言いたいんだがな」


 ルヴァイルは苦く笑って首を振った。


「いっそ、そうであったら良かったのですが……。しかし、貴女を贄として消費したい者、鍵として利用したい者とが取り合っているので、そうもいかなかった。本当に強い敵愾心を持つのか、あったとして付け入る隙はあるのか、その確認をせずに、納得する者たちでもありませんでしたので」

「つまりそれが、カリューシーの役割だった、って訳だな」


 インギェムが口を挟んで捕捉してきて、ミレイユは唸りながらルヴァイルへ顔を向ける。


「あれに、そんな役割があったのか? 自分で好き勝手にやった結果、私達にちょっかいを掛けて反感を買ったのだと思っていた……」


 ルヴァイルは当然だ、とでも言うように、鷹揚に頷く。


「貴女も良くご存知の筈では? 大神とは、自分の望む様に転がすのが大好きなのです。そして自分の真意は悟らせない。カリューシーが自分の意志で行ったのは事実ですよ。そして、それを軽く焚き付けてやるだけで実行するだろう、という予測は事前にされていたものでした」

「だが、焚き付けたところで勝てる筈ないとも理解してたんじゃないのか? 小神は既に一柱倒した事があったし、それに匹敵する、世界の危機となるドラゴンすら討伐しているんだ。実力の程を理解していない筈がないだろう」

「そうですね。貴女はその様に望まれ、その様に調整された素体です。カリューシーが勝つとは思っていませんでしたし、情報を抜き取られたとしても、その真意にまで辿り着く事はないと思っています。……妾の様な、裏切り者がいない限りは」


 ミレイユは小さく頷く。

 実際、彼の言葉に嘘がなかった以上、その言葉を鵜呑みにするしかなかった。

 神々の真意など知らず、そしてカリューシーが飛び込み参加して来たのも、彼が観ているだけでは飽き足らない、と思ったからだ。


 だがその実、焚き付けられた小神カリューシーは、複数の役割を持たされていた。

 贄として利用するのが一つ、そしてミレイユの敵意の程を調べる、秤としての役割が一つ。

 そして、実際の対応を見て、やはりルヴァイルの提言は正しかったと確認できた事だろう。


「まぁ……、神々からすれば敢えて危ない橋を利用する事はない、といったところか。調整素体は実際、それなりの成果を示した。今度はもっと上手くやればいい。奴らからすれば、ルヴァイルの提言の裏付けが取れるし、捨て置くだけは出来なかったものを、確認できたから満足という訳か……」

「そうです。本来は反逆出来ない思考調整をされている筈ですが、ゲルミルの一族が傍にいるなら、抜け道を使ったかもしれない、と理解してますから」

「そこまで正確に推測できるものなのか? それとも、お前が繰り返す時の中では絶対に行う事だから、と提言したから通ったのか?」


 ルヴァイルは少し難しそうに考え込んで、それから顔を上げて言った。


「貴女がそれを選択する確率は高いものの、絶対ではない。確率的には九割を超えますが、もしも眷属化していないなら、選べる選択肢は増える。それを確認する意味もあります」

「なるほど……。捨て置くには惜しいと考えるなら、そして出来る手段を持つのなら、確認しないで訳にもいかないと」

「はい。なので次の素体に期待しよう……そういう話が、次の会合で出てきます。貴女は素体の最高傑作たらんと造られ、だが同時に試作品でもあった。問題点の洗い出しが出来たのなら、それはそれで有意義です」


 盛大な舌打ちが横から聞こえ、見ればアヴェリンが苛立たし気に腕を組んでいた。口出しも極力しないように、と心掛けているが、瞼を閉じた眉間には深いシワが刻まれている。

 組んだ腕にも力が籠もり、二の腕が盛り上がっている。拳の形は見えないが、きっと握り込められているに違いない。


 ミレイユはモルモットに過ぎなかった。

 その様に造ったからこそ、神にも引けを取らない存在となったが、都合よく転ばないと分かれば捨てるだけ。ただし、この素体は油断がならないだけでなく、手を出せば指を食い千切るだけでなく、命まで奪う。


 理解が進む程に、ミレイユの処理方法に困ったのではないか、という気がする。

 放置する事だけは出来ないが、触るのは怖い。


 だから結局、触らぬ神に祟りなし、とでもするつもりだったのか。

 何しろ、素体はミレイユが最後の一体ではなく、それどころか試作品と聞いたばかりだ。試作というからには、正式型を作る予定があるという事だ。


「破綻が近くにあり、時間は有限……。そして、次の素体を活用すれば、全てを一足飛びに解決する手段が手に入る訳だな。あらゆる願いを叶える『鍵』。今度こそ、自分達の思惑通りに動く鍵だ。神魂のストックも十分ある。……時間さえ稼げれば、どうにかなるって算段か」

「えぇ……。ですが、神魂を使って延命派もいますし、鍵への執着が捨てられない神もいる。思惑が異なり、勝手に暴走しないよう、上手く取り纏めて同時進行しているのが現状です。その上で、妾が裏切るかもしれない可能性に気付いています」


 よくよく周りと先が見えてる神だ。

 カリューシーがミレイユを見て、神らしい奴、と言った台詞には呆れが存分に含まれていたが、今のミレイユも似たような気持ちだった。


 そして実際、単に強いというだけでは超えられない壁を、策を弄して十重二十重に築いていた。

 冥土の土産として勝ち誇る場面ですら、そこに欺瞞を混ぜて自ら罠に掛かるよう誘導していた。

 そこにルヴァイルからの思惑も重ねれば、最早ミレイユ一人でどうにかなる問題ではない。


 ミレイユは重く溜め息を吐いて、今更ながら何に戦いを挑んでいたかを理解して頭痛がした。

 単に倒せばケリが付く、そういう相手が懐かしい、といつか愚痴った事もあった。その時も実感していたものだったが、今こうして思い返せば、その思いが一層強くなる。


 頭痛は鈍痛となって後頭部に重い痛みを残し続けたが、いつまでも痛がっている訳にもいかない。一向に楽にならず、熱さえ感じて来たところで、ルヴァイルからの不自然な視線を感じて顔を上げた。


「……どうした?」

「いえ、辛そうだな、と……」

「そんなのね……、あんな話聞かされた後じゃ、無理もないって話でしょ」


 ユミルから揶揄する様な視線が飛んできて、ミレイユも頷く。頭を左右に振ろうとしたが、鈍痛が響いて来そうだったので止め、もう一度溜め息を落として再開させる。

 先程、自分で話していて、一つ疑問に思う事があった。


「何故、カリューシーだったんだ?」

「……と、言うのは?」

「様子見としてぶつけるのなら、小神である必要はあったのか? 抜き取られて困る情報を持っていないとはいえ、眷属化して味方にするという手はあった。どうにも不安が勝るから利用しない事に決めたが、懸念は残った筈だ」

「理由は……、聞いていたのでは?」

「あぁ、神魂を必要としていたんだろう? 誰かを贄とするのなら、その時白羽の矢が立ったのが、カリューシーだった。眷属化の懸念は拭えなかったし、だからそれより前に仕留める必要もあっただろうが、危ない橋を渡る程か?」


 カリューシーは自身の死を受け入れていた。恩がある、とも言っていたし、終わりを長引かせるつもりもなかったようだった。

 しかしそれなら、尚のこと処刑の様に殺してやる必要がない。盛大な見送りやパーティを開け、などと言うつもりはないが、まるで野良犬を殺処分するかのような有様だった。


 そこまでしてやる必要があったのか、と思う。

 あれではまるで、見せしめだ。

 そう思って、ハタと思い当たる。

 ――まさか、本当に……?


「小神にしても、あの場を見るなり、確認する方法はあった、という事か? 好き勝手やったカリューシー、同じ様な事をすればこうなる、という様な……」

「やっぱり、貴女は実に鋭く油断がならない。よく見えるものですね」


 ルヴァイルは喜ぶべきか、迷う様な素振りを見せてから頷いた。


「大神と小神が対等の様に見えるのは、下界の中だけで良い。今回は、私と小神に対する有効な一手として、そして貴女への偵察と神魂の確保を目的として、カリューシーがけしかけられました」

「……これだから、神々を相手にするのは疲れる。そして、そのカリューシーの命を奪ったのがお前の手の者だったのは、神々の間では踏み絵として利用されたからか?」

「そうやって即座に理解できる貴女も大概ですよ」


 今度こそルヴァイルは困った笑顔を向けて頷いた。


「えぇ……。妾からすると大神の意志に沿うつもりがあるという、そのパフォーマンスでしかありませんが。それだけを見れば、裏切りの懸念も少しは和らげる事が出来るでしょう」

「だが実際は、今回の会合を開く為の、橋渡しとして利用したんだな」

「私は実際、奸計などの類は得意でありません。しかし、繰り返し見てきたから、見える穴もあるという訳です。それだけの事をしても、決して油断できない相手ではありますが……」

「まぁ、そうだろうな……」


 油断するつもりなどなく、慢心もないと思っていたが、結局今まで手玉に取られていた。

 後の先を取るつもりでいたし、手の内を読み切って反撃するつもりでもいた。簡単ではないが、出来る筈だと思っていた。


 だが、相手はその上を行っていたと、今更ながら分かった。

 ――それを、認めない訳にはいかなかった。

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