命の使い道 その4
ユミルの顔には、してやったり、という満足げな笑みを浮かんでいた。話を一度中断してまで、あの契約を急がせたのはこの為だったのか。
最初から裏切るつもりなど無かったと思うが、これが楔として有効に働く事は間違いない。
ルヴァイルが先に提案した内容も、そつなく効果を発揮したと思うし、裏切りの意思がなければこそ問題ないと、軽く考えられるものだった。
しかし、この契約は単に裏切らないだけでなく、協力的であることを求められる。
あるいはミレイユの睨みに対し、真摯である必要がある。
元より半端な覚悟で決めた離反でないと理解しているが、ミレイユに対しても半端な覚悟でいて貰っては困るのだ。ルチアが抱いていた、最後にハシゴを外される懸念も、これで多くは回避できる。
ルヴァイルの最終的な目的――今も大神を名乗る不届きな輩を滅した後になって、もう用済みだとミレイユを見捨てる事だけは出来ない。
その大きな担保を手に入れた。――手に入れようとしている。
どうなの、とユミルが凄みを利かせて再度尋ねると、ルヴァイルは覚悟と意志を伴う瞳で首肯を返した。
「――良いでしょう。元より裏切るつもりもなく、そして出来うる限りの支援をするつもりでした。どこか甘く考えていた部分は認めましょう。後がないと言いつつ、覚悟が足りていませんでした。……その条件を呑みます」
「良いわね。ようやくアタシも、アンタを好きになれそうよ」
思ってもいない事を、嗜虐的な笑みを浮かべつつ言うと、ルヴァイルは大いに顔を歪めて視線を切った。その反応でユミルは、更に機嫌を良くして笑う。
インギェムも面白くなさそうにやり取りを見ていたが、ルヴァイルが認めた事ならば、と深く追求する事はしなかった。
面倒そうに耳の後ろを掻いて、自分の仕事を終わらせようと指一本を挙げる。
「それじゃ、始めて良いか? ……良いのか、ルヴァイル?」
「えぇ、構いません」
インギェムは未だに何かを言いたげにしていたが、鼻から盛大に息を吐き出し、ミレイユとルヴァイルの間に再び線を引く。
「ルヴァイルは裏切りを糾弾された時、持てる力全てで、大神の命を滅するよう、最大限努力しなければならない。誓うか?」
「……誓います」
「ミレイユはこの内容で認めるか?」
「認める」
ミレイユとルヴァイルの間に引いていた一本の線が実体化し、その両端が二人に結び付く。先程同様、接触と同時に脈動するように発光し、そして瞬きする間に消えていった。
「これで一人と一柱は、契約によって結ばれ繋ぎ止められた。……しかしまぁ、でっかい楔を打ち込まれたもんだ。そこまで譲ってやる必要あったかね。裏切るつもりもないとは聞いてたけど、こっちこそ大丈夫なのか?」
「裏を掻かれて、何かされるとでも?」
不承不承、渋々、嫌々ながら、その様な思いが声として聞こえてくるようだった。かつてこれ程、神に対して重い制約を求められた事など有っただろうか。
だが、それでも飲み込んだというなら、ルヴァイルに元より裏切るつもりなどなかった、と証明されたようなものだ。
「ミレイユの倫理観ならば良く理解しています。仲間の誰も欠落していない時のミレイユは、大変理知的で、冷静で、頼りになる。味方にするならば、これほど信用できる者も珍しい」
「随分、高く買ってるんだな」
「そうでなければ、協力や同盟を結ぼうなどと考えません」
そう言って、盛大に溜め息を吐いてから、気分を切り替えるように頭を軽く振る。
「まさか、こんな事まで課せられるとは思いませんでしたが、彼女の言うとおりです。……裏切るつもりなどないのだから、精々、互いに利用し利用される関係で事を成せば良いでしょう」
「そうよね? 精々、便利使いしてやろう、なんて考えるようじゃ、この先思いやられるってワケよ」
「そんなこと考えてませんが、……どういう事です」
ユミルの顔に浮かぶ嗜虐敵な笑みに不安を抱いたのか、あるいは不穏な台詞を聞き流せなかったのか、表情を暗くしたルヴァイルが尋ねた。
「いやねぇ、裏切りと察せられない程度には、アンタも働かないといけないのよ? なんかちょっと動き辛いから、とにかく上手くやってくれ、なんて指示したら、裏切り行為になるかもね?」
「……なる訳ないでしょう。詭計の得意な神がいると言いました。言葉の端から多くを察するミレイユを、傍で見ていた貴女なら分かる筈。こちらにもそういうのがいます。迂闊な行動は私達両方の首を締めるのだと、ミレイユとて理解してくれる事でしょう」
「それは勿論、ウチの子も分別がある。けれど、その理由が一度ならず三度も続いたら……、不審ってやつが首をもたげるかもね? 更に続けば、裏切り行為と言わないまでも、近いものを感じてしまうのが人間ってものよ。……どこまで我慢して貰えるか、大きな賭けになりそうよねぇ……?」
ルヴァイルの息が詰まる。そればかりでなく、うめき声すら漏れた。
わなわなと震える姿を見て、流石に哀れに思い、流石に黙り続けている訳にもいかなくなった。
「そんな顔しなくて良いぞ、ユミルは単に面白がって脅してるだけだ。私の忍耐は良くご存知なんだろう? 手綱の握り方、使い方も理解している筈じゃないか。悲観的になる事ないと思うんだがな」
「貴女は、時に考え過ぎるきらいがあります。自らの推論に取り憑かれることも珍しくありません。視え過ぎる上に理解し過ぎているから、そこに説得力を見つけると、それらを結び付けて考えがちです。その洞察力が、互いの首を締めるのだと理解すべきです」
なるほど、ミレイユを良く知というだけはあって、指摘は適格だ。
言うこと全て正鵠を得ている。ミレイユ自身、自覚あることだったので、改めて指摘されて身が引き締まる思いがした。
「なるほど、良く心掛けよう。程々に適当、そして締める所は締める。そのつもりでいるようにな。……なぁ、同盟者どの」
「えぇ、これを最後に。これで終わらせる。それを互いに思っているんですから、裏切りなんてありません。貴女の方こそ、利用するだけ利用して、後は捨て置こうなどと考えませんように」
「それこそ確認する必要のない事だろう。この世界は、大切な友の故郷だ、投げ捨てるような真似はしない」
互いに頷き、ミレイユの方から手を差し出す。
ルヴァイルはそれを不思議そうに見つめ、首を傾げた。握手の習慣は知っていても、それを自らへ差し出されるものとは理解できなかったらしい。
「ほら、握手だ。互いの合意が得られたなら、人の
「私は人間ではありませんが……、分かりました」
ルヴァイルはおずおずと手を差し出し、壊れ物に触れるよう、ミレイユの指先を握る。握り方そのものもぎこちなく、握手というより摘むかのようだった。
仕方ない、と苦笑して、ミレイユの方から形を整えてやって握り返し、軽く上下に振る。
その様子を目を丸くしながら見つめ、されるがままに手を振られた。
三度の上下を経て手が離れると、自らの掌を見つめ、それから子供のような笑みを浮かべた。
しばらく掌を見つめていたルヴァイルだったが、その後は大事な物のように胸に抱き、満足気に瞼を閉じる。何を思い、何を感じたのかは不明だが、新鮮な体験であったのは確かなようだ。
満足するまで待ってやっても良かったが、中にはシビレを切らした者もいる。
「さて、大変ご満足されたところで、話を進めてもよろしいかしらね?」
「え、えぇ……! はい、どうぞ……!」
ユミルの苛立ちが籠もった言葉に身体を跳ねさせ、手を太ももの上に戻したルヴァイルが、こくこくと首を上下させる。
それでミレイユの方から、一つ尋ねたい事があるのを思い出した。思い出した、というよりはいつ切り出そうか迷っていたものだ。
もしも裏切るつもりがあり、そして敢えて敵陣の中で上手く踊ってやるつもりでいたのなら、この質問はその試金石となる筈だった。
その返答次第で、腹の底まで読めるとまで言わないが、察する材料には出来る。淡い期待の一つとして、もしかするとボロを出すかもと思っていたのだが、既にその心配もない。
協調姿勢は最初から見せていたが、今となってはこちらが協力関係を強く握った形で落ち着いている。
だから、これからする質問は、幾らか気楽な感じで聞くことが出来た。
「――私に、まだ言ってない事があるだろう? 隠し事……ではないのかもしれないが。そしてそれは、神々が待ちの姿勢を取っている事と関係している、と見てる。……どうなんだ?」
「えぇ、隠す事ではありません。というよりは、話さなければならない事柄です。この時点で、それに気づけるミレイユは多くありませんが、ほぼ確信としているのは流石ですね」
ルヴァイルが見せる表情に翳りはなく、心からの賞賛だと分かる。頼もしい、と思っている様だし、指摘に対して誤魔化す素振りも見せない。
どうやら本心らしい、と判断しながら言葉を待った。
「神々が待ちの姿勢を取る理由、それはもうお分かりでしょう。手酷い反撃を受ける事を恐れていて、二の舞いになる事を避けようとしている。私の提言から、そうなる未来の確度は高いと理解している者は多いし、ミレイユへの接触禁止令も出ている。だから姿を見せようとしないし、森に留まっていて欲しいと思ってる」
「尤もらしく聞こえるが、それだけでは話が繋がらない。何故、私が時間を浪費する事で、相手の利となるんだ? 森を攻め落とす軍隊を用意すれば、最終的に私が逃げ出し、また『遺物』を使って再起を図ろうとするとでも? むしろ、神々に報復してやろうとする、とは考えないのか?」
その用意する軍隊の質にもよるだろうが、森を攻め落とすのは簡単な事ではない。現世で神宮を襲った程の大軍を再現すれば、確かにそれは可能となるだろう。
しかし、神々がしたいのはミレイユを滅する事ではないし、それにミレイユの目的は森の死守でもない。エルフも獣人も即座に見捨てるほど薄情ではないが、命を張って護り通すものでもないのは、神々も理解している筈だ。
それがミレイユの頭を悩ませた。
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