一つの決着 その3

 インギェムの権能により、ミレイユは神処の出入り口脇、最初送り出されたその場所に戻っていた。

 ドラゴンが暴れている場所は遠く、神処を守る衛兵なども見えないせいで、この周辺は比較的静かなものだ。

 ただ、遠くで何かが光ったり爆発が起こっていて、衝撃音が耳を震わせる感覚から、大規模な戦闘が巻き起こっているのは分かる。


 未だ激戦が続いているのは確かな様だった。

 それを遠くに見つめながら、ユミルは嘯くように言う。


「ドラゴン達は良くやっているようね」

「その様だ。神殺しとして用意された生物だけはある。……ただ、流石にその数は減らしているようだな」


 最初は百匹いた筈のドラゴンも、飛んでいる数は多く見受けられない。

 光源といえば、月明かりと地面を燃やす炎の照り返しぐらいだから、鮮明に見えている訳ではないものの、数を多く減らした事だけは判別できる。


 あの百匹も精鋭には違いなかったのだろうが、戦闘向きの神と戦うとなれば、討ち取られてしまった数も多いのだろう。

 今の状態が拮抗しているのか、それとも決壊しているのかも、ここからでは分からない。


 タサギルティスとブルーリアに手傷を与えられるとすれば、それはきっと最古の四竜くらいだろうし、その彼らが敗れていないからこその、爆発や衝撃音でもあるのだろう。


「不意打ちを食らわせるなら、彼らが存命の内にやりたいな」

「あるいは、待ち伏せという方法もありますが?」


 アヴェリンが控えめに提言して来て、ミレイユは少しの間考え込む。

 向こうの戦闘が終われば、当然彼らも報告の為に帰って来る。

 ミレイユ達との戦闘を察知しているなら、その応援に駆けつけようともするだろう。


 その時、例えば最奥の間への途中で待ち構えていれば……。

 待ち構えている者がユミルの用意した幻像で、その隙を突く形であれば……。

 可能性はありそうに思えたが、静まり返った神処や、兵達が姿を消している事、違和感の元は多くある筈だ。


 警戒せずに入って来るとは思えず、それならば未だドラゴンとの戦闘中、隠伏しての不意打ちの方が、成功する公算が高いように思える。

 ミレイユは首を横に振って、アヴェリンの案を却下した。


「状況によっては上手くいく可能性はあるが、不自然な状況や痕跡を消すことが難しい以上、あまり成功は見込めないと思う。ドラゴンとの戦闘が終わった後、気を抜いて帰って来るとも思えないしな……」

「まぁ、そうだな……」


 それに同意したのがインギェムで、続いてルヴァイルも頷いて補足する。


「色々と舐めた態度や傲慢さが目立つ二柱ですけど、そこまで間の抜けた行動は期待できません。全くなしと言い切れない程に、彼らの傲慢さは筋金入りですけど……やはり、確実性は劣るでしょう」

「お前達からそう言われたら、やはり戦闘中の急襲で仕留めるしかないな。――インギェム、お前のタイミングが肝だ。抜かるなよ」

「プレッシャーだね、どうにも」


 口では難しそうに言いつつも、その表情は笑っている。

 まるで、成功を疑っていないかのような口振りだった。


 実際、より難しい仕事をするのはミレイユ達だ。そこで失敗するようなら、孔を開くタイミングなど、どうであろうと関係ない。


 ミレイユは念押しするように一つ頷いてから、顎を上げて神処の屋根へと視線を向けた。

 そこには待機するよう指示していたドラゴンが、こちらを窺うように首を下ろしている。

 そちらへ大きく手を振ってやれば、大きく一度羽ばたきし、小さめの旋回で接近すると、颶風を伴って着地した。


 元々は戦闘要員として連れて来られたドラゴンだから、その体躯も立派で背中をも広い。

 全員が乗っても問題ない大きさだったが、神を乗せるのだけは嫌がった。


「ま、仕方ないさ。不倶戴天の敵を、背中に乗せちゃ気が気じゃないだろ。自前で飛ぶよ」

「そうだな、そうしてくれ。……というか、飛べるならドラゴンに乗ろうとするな。素直に飛べ」

「そう言うな。楽できるんなら、楽したいんだよ、己は」


 肩を竦めるインギェムに白い目を向けて、ミレイユ達はドラゴンに乗り込む。

 背骨から突き出すように出ている棘が、唯一掴まれる場所だった。

 快適な空の旅など期待してないが、座り心地の悪い竜の背は、何も掴まずに体勢を保持する事は難しい。


 飛び立つと更に揺れが増すので、ただ座る事さえ困難だった。

 ドーワの時は、これより更に背が広く、更に安定性も段違いだったので、ここまでの苦労はなかった。

 だが、一回り以上小さいサイズとなると、乗り心地にも大きく差が出て来るものらしい。


 無駄な知見が増えたところで、ドラゴンは大きく旋回しながら宙を舞う。

 未だ深い闇の中、見えるものは多くない。


 ただ、既に川の流れは途切れ、島と島を行き来できない大量の渦も消えていた。

 ラウアイクスの権能によって生み出されていた現象だったので、その死と同時に作用しなくなった様だ。

 そうとなれば、この水もいつまで存在するか分からず、そして浮島も長く存続できるものではないだろう。


 そして何より、この流れが失われた事により、戦闘中の神々がラウアイクスの死に勘付くかもしれない懸念が強まった。

 いくら暗く、月明かり程度しか光源がないとはいえ、遮るもののない月明かりは、川の流れを確認するには十分だ。


 激しい戦闘中なら、他に視線を向ける余裕はないかもしれないだろうから、今はそれに賭けて、いち早く不意打ちを成功させる必要があった。


 しかし、飛び上がって分かった事もある。

 爆発と発光する地域とは逆方向、水源と水流の元へ目を向けると、一つの島が完全に黒い何かに覆われていた。


 元から島があったと思えない有り様で、まるで泥の海に呑まれてしまっているかのように見える。

 所々で気泡が立って、弾けて消えては代わりに紫色のガスを吹き出していた。


 黒く変色している泥は粘性が強そうにも見え、蠢く様に、じくりじくりと範囲を拡大させて行っている。

 一つの浮島に辿り着いたと思うと、あっという間に範囲を広げ、汎ゆる物を腐らせ飲み込んでしまう。

 拡大速度は異常なほど速く、一つの島を飲み込むのに十分と掛かっていない。


 今ミレイユが飛び立ったラウアイクスの神処までは距離があるし、ドラゴン達が戦う舞台となっている浮島まで、更に距離がある。

 しかし、侵食速度を思えば、そう呑気に構えている事は出来そうになかった。


 恐らく、一時間と経たずにこの神域――天上世界は失われる。

 そして全てを飲み込めば、次は地上に落ちるだろう。

 崩れ落ちる世界と、黒泥に飲み込まれ腐らす世界、一体どちらが早いだろうか。


 予想以上の暗澹あんたんたる有り様に、ミレイユは顔を顰めずにいられない。

 隣に座って様子を窺っていたユミルも、大仰に溜め息を尽きながら言った。


「これはまた何とも……。世界の終わりって言われたら、素直に信じてしまいそうな光景ね」

「間違いではないだろう。あれが瘴気とやらを生み出し続けるなら、朝日を拝めず世界が終わる。神の多くを喪失した皺寄せは世界を瓦解させるだろうから、どちらが速いか、という話でもあるだろうが」

「恐ろしいコト、サラッと言わないでよ」


 ユミルが緊張を感じさせない笑みを向け、ミレイユも不敵に笑んで返した。


「そうさせない為に、悪あがきしてやろうって言うんだ。下界の様子はともかく、あれが落ちて襲う様なら結果は同じだ」

「目算ですが、一時間と掛からず滝口へ到着するでしょう。戦いに気を取られていたとしても、神々がそれまで気付かないなどあり得ません」


 横から口を挟んでアヴェリンが進言して来て、ミレイユは鷹揚な首肯で応える。


「そのとおりだな。正直、ここまで酷いとは予想していなかった。うかうかしていると、私たちまで巻き込まれる。チャンスは元より一度きりと思っていたが、これで絶対に失敗できなくなった」

「左様ですね、二度目のチャンスは訪れない。奴らも必死の抵抗を見せるでしょう。どれほど事態を正確に把握しているかはともかく、逃げ切る事に全力を傾けられたら……」

「ドラゴンの翼があっても、追い詰めるのは容易じゃないな。その時は、奴らを無視して『遺物』へ向かうしか無くなるが……」

「――その時は、神魂不足の懸念が拭えないのよね。『遺物』に辿り着けさえすれば勝利、とならないのが……全く、ままならないわ」


 ユミルがまたも大きく息を吐きながら、瘴気と戦闘を交互に見やる。

 そこへルチアが、小さく手を挙げて口を開いた。


「大事なのは連携でしょう。片方を上手くやれたとしても、片割れが逃げ出したのでは意味がありません。孔に投げ込まれたと分かれば、次から警戒も増すでしょうし、失敗確率も飛躍的に上昇する……。二柱を同時に、完全な不意打ちで仕留める必要があります」

「その為には……」


 ミレイユはチラリと、離れて並行して飛ぶインギェムへ目を向ける。

 ドラゴンの翼に当たらないだけ距離を離しているので、当然これまでの会話は聞こえていない。


 しかし、こちらに話し合いの意図がある、というメッセージは、その視線で気付いた様だ。

 ルヴァイルを伴って滑るように近付いて来ると、背には降りずに、会話には申し分ない距離で滞空した。


「呼んだか? 手順の確認か?」

「お察しのとおりだ。お前は孔は、あの泥の中にも生み出せるのか?」

「そうさなぁ……」


 インギェムは難しく眉間を歪ませ、ちらりと泥に向けて顔を向ける。

 暫く思案顔を見せたが、その反応は芳しくなかった。

 ミレイユは改めて、泥に指先を突き付けて言う。


「あの瘴気を生み出している泥、あの中に神どもを投げ入れるのは決定事項だ。なら、最初から孔の出口をあの中にしたい。――難しいか?」

「出来るかと思って、既にさっき試してみたんだが、止めておいた方がいいな」

「問題でもあったか」

「ありゃ、何でも腐らせる。単なる毒というより、呪いに近い性質かもしれない。孔まで侵食しようとしやがった。直ぐに閉じて孔そのものを消したから問題なかったが、あのまま続けていたら、ちょっと怖い事になってたかもしれない。……直上とかで我慢してくれんかね」


 インギェムの顔は深刻で、おぞましい物に身を震わせるような表情をしていた。

 孔から出た瞬間、機転を利かしたところで、逃げられない状態にしたかったので提案したに過ぎなかったので、強く望むものではない。


 ただ、相手によっては勢いよく殴り飛ばす事も出来ないから、提案してみたに過ぎなかった。

 最悪押し込む形になった場合でも、その全身を浸ける事が理想と思っていたのだが、確実に接触できる距離で孔を展開できるなら問題ない。


「分かった、それで良い。その瘴気は、触れるだけで即死する代物か?」

「触れる、の度合いにも寄るね。でも、全身どっぷり浸かれば、仮にすぐ飛び出したとしても、生き延びる時間が数秒伸びる程度だろう。それほど、深刻な腐敗だった」

「……なるほど。再生を使えるシオルアンが居ない今、問題にはならなそうだな。じゃあ、確実に瘴気の沼へ落とせる距離、そこに孔の出口を作ってくれ」


 新たな提案には、インギェムも臆する態度を見せず、気安い態度で頷いた。

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