奮戦 その4
刻印による魔術効果は、自動化されているからこそ誰もが便利に使える、というメリットがある。
本来は複雑な制御を行い、魔力を練り込み発動させる魔術は、発動までに時間が掛かる。
だから、短時間で発動する刻印は、それだけでも大きな恩恵として受け取られていた。
だが、自動化されるという事は、発動に際して術者の意志が反映されない、という意味でもある。
細かな調整をした上で発動させる事が出来ないだけでなく、魔力に応じた最大威力が常に発揮される、という構成になってもいる。
火炎球を前方に撃ち出す魔術でも、ミレイユが最大威力で使ったら人体など爆散して塵と消える。
無力化したい程度にして撃ち出す、という加減が出来ないのだ。
同じ事がミレイユの使った『求血』にも起きていて、本来なら飽和して破裂する基準が大幅に引き上げられてしまっていた。
蓄積した魔力を二倍の威力にして爆発させる、という効果を持つ刻印だが、時間内に飽和させられなければ消滅する、というデメリットもある。
規格外の規模になってしまった刻印だから、その内包規模もまた予測が付かない。
既に結構な魔術を撃ち込み、五百人のエルフとほぼ同数の隊士達がいて、それでも未だに飽和させられていない、というのは異常だった。
それこそまさに、ミレイユが持つ魔力の異常性を示すものかもしれないが、いずれにしてもこの局面では気ばかりが焦る。
オミカゲ様に止められ、ミレイユが魔術の手を休めている事も、その理由としてあったろう。
――自分が参加していれば、既に飽和させられていたかもしれない。
だが同時に、オミカゲ様が言った事も正しくはあるのだ。
鎧甲を破って終わりではなく、新たに魔物という脅威も増えた。
ドラゴンや巨人、エルクセスのような分かり易い強敵がいないのは慰めになっているが、それもいつまで続くか分からない。
アヴェリンだけでは数の増加を緩やかにする事しか出来ず、精霊二体の参戦は、そこに一定の余力を生んだ。
しかし、十分というには程遠い。まず間違いなく助けになっているし、アヴェリンもやり易くなったろうが、火に対する抵抗を持った相手には無力だ。
そうした相手はアヴェリンが優先して相手するのだが、必ず上手いこと相手に出来る状況を作れる訳でもない。
そうした時は、魔物の数を減らす速度が落ち、その数を増やしていく事になる。
最初は調和と衝突の権能で抑えつけられていた魔物も、今ではすっかりその本能を解き放ち、アヴェリンや精霊二体に飛び掛かる様になっている。
その殺意の暴風に晒されて、攻防を続ける緊張は、慣れていたとしても精神的、体力的に削られていくものだ。
今の戦力では足りず、更に追加が必要だ。
それを思えば、アキラを参戦した方が良いのではないか。
何もせず、ただ見ている事しか出来ず、一人の戦士を遊兵化させるぐらいなら、その方が遥かにマシだ。
ミレイユは顎先から汗を落としながら、胸を押さえていた手に力を込めた。
――今だけは大人しく……、言う事を聞いてくれ。
そう願っても、胸痛や頭痛はむしろ激しさを増すだけだ。
更に顔を顰めた時、背後から何者かが走ってくる足音が聞こえた。
顔を向ける余裕さえないミレイユは、ただ前方を睨みながら耳をそば立てていると、少し離れた所で足を止め、膝を付く音がした。
「阿由葉より、意見具申いたします!」
「――申せ」
聞き覚えのある声と名前に、見ずともそれが、結希乃だと察しが付いた。
オミカゲ様の返事は簡潔で、それ故に不機嫌そうに聞こえてしまう。
実際は違うとミレイユは分かるが、その返答で結希乃は緊張を増した様だ。
「鬼がこれ以上増える事を許しては、今後の展開に支障を来します。今の内に叩かねば、対処許容量を越えるでしょう。巨大な人型よりも、優先して攻撃すべきです!」
「その意見は正しい。あちらの狙いとしても、数さえ揃えば、それを持って圧殺するつもりであろうから。今はアヴェリンへ反撃が集中しているが、その内あぶれたモノどもが標的を変えてくるやもしれぬ。一度溢れたら、もう止まらないと見るべきであろう」
「でしたら――!」
「だが、戦力をどう抽出する。いつあぶれるか分からぬものだからこそ、攻勢理術士の傍から内向術士を外せられぬ。巨大な人型を『地均し』と呼称するが、あれの対処は最優先事項である。理術の矛先を鬼共へ向けること、
オミカゲ様が強い口調で言い渡すと、結希乃から了承の意と共に頭を下げる気配が伝わる。
奏上する相手が神となれば、意見が通らなくても不本意を表に出すものではないのだろうが、結希乃は一礼して去るのではなく、更に意見を重ねてきた。
「お許しを。既に戦力の抽出、部隊の再編成は済ませております」
「ふむ……?」
「攻勢理術士を最低限護れる数は残し、一部戦力を遊撃隊として運用します。鬼が後方を襲う事になれば、戦力を戻し防護に集中させるつもりです」
「……ならば、良かろう。遊撃部隊を差し向けよ。……が、生半な戦力では手に余ろう。御由緒家を中心とするしかなかろうが、そうとなれば、防護部隊に不安が残る」
許可はしたものの、懸念の追求をすれば、これにも結希乃は淀みない答えを返した。
「そこは、既に引退したお歴々へと、お任せしております。斬り込む体力はなくとも、短時間の防衛ならば十分任に耐える、という保障の言葉を頂戴しておりますれば。鬼が矛先を変えようとも、そこが崩れるより前に、遊撃部隊も合流し防護を固める事で、難を乗り切れる公算が高いと考えております」
「うむ……、よくぞ見てくれた。その様に致せ」
「ハハッ!」
返答の声が思わず上擦ってしまったのは、予期しなかった褒めの言葉があったからだろう。
結希乃は今度こそ一礼し、踵を返して去って行く。
それから幾らもせずに、斬り込み隊とでも言うべき遊撃部隊が、視界の端を通って行った。
御由緒家を中心にした部隊だから、当然ミレイユにも覚えのある面子ばかりだった。
結希乃の他に、七生、凱人の姿も見え、後は現役の隊士から選りすぐりのメンバーを十名ほど揃えたようだ。
彼らはまだ若いが、魔物を相手に多くの実戦経験を積んだ猛者でもある。
初見の敵も多かろうと、洗練されたチームワークを持つ者たちなら、凌げる可能性は十分あった。
ミレイユの前で護衛を任されたアキラが、その彼らを心配そうに眼で追っている。
アキラにとっては学友で、同じ釜の飯を食った仲でもあるから、遊撃隊として斬り込む彼らへの心配は一層強いだろう。
自分も共に戦えれば――、そう思っている
その時、先程結希乃がやって来た時の繰り返しの様に、駆け足の音が聞こえ、やはり同様の位置で足を止め膝を付く音がした。
ただ、今度来た者は激しく息を切らしていて、明らかに余裕がない様に思える。
誰かと思ったが、この場面で息を切らすほど急ぎで来る者は限られる。
それとなく気配を探ってみれば、それが咲桜だと分かった。
本来なら女官として、神の御前で弁えなければならない礼儀が幾つもあるのだろう。
荒い呼吸のまま対面する事も非礼に当たるのだろうが、今だけはそれを無視するつもりのようだ。
必死に取り繕いつつ、あまり功を奏さない様子で声を上げた。
「お、遅っ――ゴホ、ゴホ! 遅くなりまして申し訳ございません! はぁっはぁっ……、ご所望の箱詰め理力を、ここにお持ち致しました!」
「その物、御子神へと渡せ」
「ハッ! ただ、その……。既に蔵は空になっており、結界術士の方々から分けて頂いて来たのですが……、一つしか余裕がなく……!」
「一つ……。そうか、致し方なかろう。まずは渡せ」
「ハッ……、ハハッ!」
オミカゲ様の言葉に不機嫌さを感じ取ってか、やはり恐縮して頭を下げ、おずおずとミレイユの方へ近寄って来る。
だが別に、オミカゲ様は不機嫌な訳でないし、魔術を制御しながら話している所為で、やはり余裕がないだけだ。
今も放った魔術は、これで数えて十を越える筈だ。
一つ二つなら余裕を崩さないだろうが、これを連続で十を越えるとなれば、その余裕も剥がれ落ちて来る。
休み無く魔術を使い続けるというのは、心身ともに負担が掛かるものだし、オミカゲ様にとっては相当なブランクもあった筈なのだ。
だからと、ヘマをするオミカゲ様でもないだろうが、鷹揚とした態度を取る事までは出来ないらしい。
ミレイユは咲桜から受け取った箱詰め理力を掌に乗せ、それからどうすれば良いのかと、問い掛ける様な視線を向けた。
その視線を受け取った咲桜は、説明するより前に愕然とした表情をする。
まるで幽霊やゾンビでも見たかの様な顔だった。
それで自分の状態が、他者から見ても分かり易く酷いのだと理解した。
「……そんなに酷い顔をしているか、私は?」
「は……、いえ……、その……!」
「即答できないのが、返事みたいなものだな。大丈夫、自覚はある。……お前は防護術が使えるんだったか。私の事は良いから、必要な所へ助けに行け」
「しかし、御子神様の事も大事でございます!」
「そうだとしても、いま大事なのは、この大局を乗り越える事だ。後方に下がって指示を受けろ」
「はい……、畏まりました」
言いたい事はあっても、神からの命令だ。
どれほど意にそぐわない命令でも、お付きの女官として、これに従わない訳にはいかない。それこそ、オミカゲ様の命令でもなければ、ミレイユに従わなければならなかった。
それを期待しての事か、咲桜は縋る様な視線をオミカゲ様に向ける。
だが、その視線を受け取っても、彼女が欲する言葉をオミカゲ様は口にしなかった。
代わりに、ミレイユの手の中で溶ける様に消えていく箱詰めを、睨む様に見ながら言う。
「既に蔵の中身は全て放出……。その上、我の命でも一つしか融通できなかった事を思うに、結界の維持は限界と見るべきであろうな」
「むしろ、よく保った方だと褒めてやるべきだな……」
「一千華の努力あっての事であろうな。歯を食いしばって耐えている様が、目に浮かぶようだ……」
オミカゲ様は後悔と憐憫を混ぜたかのような息を細く吐き、それから更に強い練度で魔術制御を始める。
今までも決して手を抜いていた訳ではないだろうが、それでもまだ戦闘は続くと分かっていたからこそ、制限を設けて行使していた。
それを取り払って制御を始めたという事で、結界が
ミレイユにしても、魔力が戻った事で、少し余力を取り戻した。
とはいえ、それは魔力総量の一割程度の回復でしかなく、満たされた感じも全くしない。
だが、それでも楽になった様な気がしている。プラシーボ効果かもしれないが、今はそれが慰めになった。
ミレイユもまた制御しようとしたところで、オミカゲ様から制止の声が刺さる。
「――止めよ。『地均し』の鎧甲は、我が何としても剥ぎ落とす。そなたは次に備えておれ。その時になれば、少ない魔力で幾らでもやりようはあるだろう。その時まで――!」
最後まで言い終わるより前に、オミカゲ様の制御した魔術が解き放たれた。
両手で制御された、身の幅程に膨れ上がった雷電球が、『地均し』向かって突き進み、瞬きの間で接触する。
それもまた『地均し』を包み込む光球の群れに吸収され、……しかし何も起こらない。
一拍の間を置いて光球一つ一つが更に膨れ上がったかと思うと、次の瞬間には脈動を始めた。
――まさか、という期待が胸の奥で踊る。
「遂に、来たか……?」
その独白は、ミレイユとオミカゲ様、果たしてどちらのものだったか。
その声を引き金として、『地均し』を包み込んでいた膜が一層大きく光り輝く。
次の瞬間には、視界を白一色で塗り潰す、激しい爆発が巻き起こった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます