幕間 その2

 ――総力戦。

 オミカゲ様が仰っていた事に間違いはなかった。

 戦場にまで直接、箱詰め理力を届けるよう指示された時には、それを強く実感させられた。結界内で鮨詰のように溢れる鬼ども、吹き荒れる理力の嵐と、人の身の丈を優に超える異形が凄惨な姿となって屍を晒す。


 防壁によって鬼の進路を誘導しつつ、砲撃を加えるように多種多様の理術が撃ち込まれ、それさえ突き抜けてきた鬼を、武器を直接握った隊士達が連携を持って打ち倒す。


 ――まるで地獄の釜の蓋が開いたかのようだ。

 そうと形容するしかない光景が、目の前に広がっていた。


 隊士や御由緒家の事を、不甲斐ないと罵るような思いを抱いていた自分こそを、罵りたい衝動に駆られる。戦場に立った事のない咲桜が、その実態を知りもしないで悪態などつくものではない。


 あれ程の猛攻を受け、それでも退け続けて武器を振るう姿には感涙さえ浮かび上がりそうになる。己よりも遥かに巨大な敵に一歩も引かず、恫喝するような恐ろしい咆哮にも怯むことなく、傷を受けようと物ともせずに武器を振るい続けている。


 ――これが鬼と戦うと言う事。

 そして逃げ出さず戦い続けていられるのは、そこにオミカゲ様がいるから、という理由ばかりではない。オミカゲ様の威信を守る為、――それだけでもない。


 自分達が負ければ、この地獄が外に溢れると理解しているからだ。

 これを退けられない事、それは己の死よりも恥ずべき事だと理解しているからだろう。

 咲桜は決して粗雑な扱いをせぬよう心掛けながら、丁寧に箱詰め理力を手渡していく。


「どうぞ、こちらです! ――はい、手に持てば直ぐに効果を発揮します! 動けない方はこちらで使用致します!」


 テキパキと動き、隊士達へと手渡し、時に身動きできない程に疲弊した者たちへも献身的に対処していく。後方で暴れているヘラジカに良く似た巨大な怪物も倒れても、咲桜は歓声を上げたい気持ちを押し殺して役目を続けた。


 実際、強大であり巨大な鬼の一体が倒れた事は歓迎すべき事だが、目前には絶え間なく襲い掛かってくる鬼どももいる。防壁の内部で安全性が確保されている中で、気軽に喜びを上げられる状況でもなかった。


 だが、形勢が不利に動いていた状況での、大きな朗報であるのも確かだった。

 隊士達の中にも幾らか検が取れた雰囲気が流れる。


 咲桜は箱詰め理力を運ぶ係りだから、籠に入れた物を全て渡せば再び取りに戻らねばならない。それが役目だと分かっているから、咲桜は空になった籠を持って踵を返す。

 防壁を築くのは防衛の要で、そしてその使い手は幾らいても足りない筈だ。それを手伝いたいという欲求はあるが、断ち切るように走り出す。


 女官長にも言われた、無駄な役目など一つとしてない、という言葉を胸に刻んだからには、己の役目を弁えて従事するべきだと理解していた。

 今だけは普段の規律をかなぐり捨てて、走りに走って箱詰め理力を持って帰る。

 その途中、空に暗雲が立ち込め、そして幾らか経った後に、雨のような雷が降り注いだのが見えた。


 目も眩むような光と、耳をつんざく轟音。

 足を止めて跪きたくなる畏怖を必死に押し殺し、止めてしまった足を再開させる。


 オミカゲ様が敬われ、そして恐れられもする理由の一つ、雷神としての側面をこの場で顕現させたのだと、すぐに分かった。

 恐れ多いことに、戦場にてオミカゲ様が立っている。

 それが分かれば咲桜の足も速くなった。隊士達がその理力を取り戻せば、オミカゲ様のお役に立てる機会を取り戻す事になる。そしてそれは、今なにより欲せられる支援になる筈だった。


 だが、戦いは既に終着に至ったのだと、駆け付けた時に知れた。

 鬼の尽くはオミカゲ様の力に焼かれ、哀れな屍を晒している。持ってきた箱詰めが無駄になったのは惜しい事だが、誰の顔にも祝勝の笑顔が浮かんでいれば、そんな事はまさしく些末だ。


「オミカゲ様! オミカゲ様! オミカゲ様!」


 誰もが鬨の声を上げながらその御名を呼ぶのを見ていると、咲桜も同じように参加しながら、手を叩いて笑みを浮かべた。

 間違いなく未曾有の危機だった。

 奥宮に孔が出現しただけでなく、視界を埋め尽くすが如き鬼の出現は、この世の終わりを彷彿とさせた。


 だが、オミカゲ様がおわす限り、そのような最悪の事態は起こらない。

 それが、まざまざと証明されたような戦いだった。


「オミカゲ様……!」


 咲桜は誇りを持ってオミカゲ様のご尊顔を見上げる。

 己には戴ける神がおり、その神に信仰を捧げられるという喜びが、咲桜の胸いっぱいに広がった。オミカゲ様へ向ける信仰を改めているところに、御子神様の姿も見えた。


 普段と違い、神御衣すら身に着けていない、御子神として全く相応しい格好とも言えない。しかし戦場で、その御力を存分に発揮していただろうと言うのは、周りの反応から見て分かる。

 無粋な事は言いたくないが、後ほど苦言を呈しなければならない、と心中を改めていると、巨大な何かが現れた。


 咲桜は鬼の種類に詳しい訳でもないし、それについて深い知見を持つ訳でもない。

 しかし、それでもあれが邪悪なものだと理解できる。鬼というより人形めいた姿をしていて、動きもいっそ機械的だった。感情らしきものも感じられず、事前にインプットされた動きをなぞっているようにしか見えない。


 あまりに巨大である故に、結界内では立ち上がれない程だった。

 しかし巨大であるというのは、それ一つが武器だ。結界は押し退けて立ち上がろうとする巨大な敵に、結界も維持しようと必死に堅持する。罅が入り始め、本来は直線である筈の結界が撓んで歪んでしまっている。


 結界術士も必死だろうが、押し留め続けるのは簡単ではないだろう。

 オミカゲ様が、あれが外に出るのは最たる悪夢と仰るのも頷ける。結界の維持と、もし破られたなら、それに合わせた再展開を指示するのは当然と言えた。

 咲桜もまた指示されたとおり、結界神殿へと向かおうと思って、ふと足を止める。


 ――持ってきた箱詰め理力は、渡しておいた方が良いかもしれない。

 どうせ途中で寄ることになるのなら、こちらでも激戦が繰り広げられるのなら、同じく必要とされる筈だ。籠は戻れば用意できるから、咲桜はそのまま近くに置いてから奥御殿へ戻ろうと思った。


「こちらに置いておきます! 必要な方は随時ご利用下さい!」


 邪魔にならない場所を選んだが、少し見辛い場所だったかもしれない。

 しかし目に付く場所は、隊士の方々が交代で治療を受ける場所だったりするので、移動の際にも不都合が生じそうだった。時間もなく、咲桜としてもすぐに結界術士たちへの援助に向かいたかったので、深く考えもせず置いてしまう。


 そして、ようやく踵を返そうとした、その時だった。

 ズガァァン、という金属同士が打ち合うような音と、眩いばかりの閃光が弾ける。

 何事かと見れば、オミカゲ様が御子神様を庇うように防壁を築いて防御している。他の術士達もオミカゲ様を護るべく理術を行使するが、まるで役に立っていない。


 隊士達の術が悪いのではなく、敵の攻撃が強烈すぎるのだ。

 居ても立っても居られず、咲桜も駆け出してオミカゲ様を護ろうと防壁を展開する。たった一枚加わっただけでどうなるものでもないだろうが、しかし意味はあった。


 何重にもなっている防壁は即座に貫かれてしまうのだが、厚みだけはあるので全てを突破されるまでに数秒かかる。その数秒の間に貫かれた術は解除して、再度展開しているのだ。


「消耗は激しいだろうが構うな! オミカゲ様を御守りするのだ!」


 由井園の侑茉が声を上げ、それを手助けしている隊士達が声を上げた。

 咲桜もそれに参加しながら、箱詰め理術を置いてきてしまった事を激しく後悔する。あれが手元にあったなら、激しい消耗でも今暫く保たせる事が出来たろうに。


 だが、それより強い後悔は直ぐに訪れた。

 極大の光線は唐突に途切れ、そして代わりとなる小光線が、曲線を描いて防壁を回避しながらオミカゲ様を襲う。それにいち早く気付いた咲桜は、進路を妨害するように防壁を張ったが、全く意味を為さなかった。


 咲桜の作った防壁は紙のごとく一瞬の拮抗すら生まずに貫かれ、そしてそれがオミカゲ様の胸を貫く。

 咲桜は顔を真っ青にさせて、思わず叫んだ。


「――オミカゲ様!!」


 咲桜の声は届かない。

 それは別にどうでも良かった。ただ、オミカゲ様と御子神様の様子がおかしい。巨大な人型の後ろに佇む巨大な孔、それと同様に見える孔が御子神様の背後に空いていた。

 しかもそれは、どうやらオミカゲ様が開いたものであるらしいと分かると、なお意味不明だった。


 そして尚も襲い掛かる光線は、咲桜が再展開した防壁を全く意味も成さず貫いていく。悔しさに歯噛みする程に、己の無力さへ悪態をつく。


 ――何の為の防護術なの!

 何事かあった時、その万難から御守りする事を求められ、それを実行できると判断されたからこそ咲桜はこの御役目を授かった。傍付き女官というのは家名だけで就ける職ではない。

 職権、職務に見合うだけの実力あり、と認められたからこその傍付き女官なのだ。


 咲桜だけでなく、他の隊士も防壁を築いてオミカゲ様を守ろうとしているが、曲がりくねる光線が絶妙に避けてはオミカゲ様を貫く。

 悲鳴を飲み込んで必死に光線を遮れるよう、他の防壁と重なり合える位置を選んで術を行使するが、そのどれもを回避し或いは貫いて、オミカゲ様を攻撃してしまう。


「くそっ――!」


 奥宮の女官らしからぬ悪態まで口をついた。

 それでも光線は止まらない。どうにかしたいという気持ちばかりが空回りし、そして御子神様がオミカゲ様の手によって肩を押された。

 その手は宙を掻いて、更に襲い掛かる光線から、身を以て護ろうとしたアヴェリンによって孔の奥へと押し込まれる。他のお付きも二人に続いて孔へ入るのと同時、オミカゲ様の胸に、更なる光線が穴を開けた。


「オミカゲ様ッ!!」


 悲鳴は意味を為さず、オミカゲ様は膝をつく。

 それを絶望にも似た思いで見つめ、駆け寄ろうとしたところで誰かの影がオミカゲ様の横を素通りした。

 その時、オミカゲ様へ謝罪と悲哀を綯い交ぜにした表情で通り過ぎたのは見えた。

 しかし、それでもオミカゲ様を助けるのではなく、自ら孔の中へ飛び込んで行ったのは、怒りを通り越して呆れてしまう。


 御子神様を取り戻そうと、あるいは孔から引き上げようとでも考えたのかもしれないが、それよりもオミカゲ様を助けるのが、何より優先される事の筈。

 女顔をした隊士に呪詛にも似た悪態を、閉じていく孔の向こうへ向けつつ、オミカゲ様を介抱するべく急ぐ。その背も血で塗れて触れるのも憚られ、とにかく治癒できる誰かがいないかと周囲を見渡した。


「誰か! 治癒術を早く!」


 咲桜が声を張り上げるよりも早く、既に隊士の中から動いている者がいた。

 言い終わるよりも早く来て、傍に膝を付いて理術を使い始める。


 オミカゲ様は荒い息を吐き、青い顔をしていたが、自分自身でも理術を使って傷を癒そうとしていた。隊士よりも遥かに強力と分かる理術を行使しながら、その顔は巨大な敵へと向ける。

 咲桜も顔を向けて、驚きよりも先に絶望を感じた。


 巨大な孔は今にも閉じようと脈動させながら縮小していたが、それとは別に新たな孔が開き始めている。その大きさは閉じようとしている孔より遥かに小さいが、それでも既に人が十人は横に広がれる程までに拡大している。


 その孔からは明らかに強大と思える力が感じられ、そしてそれは一つではない事まで理解できた。……理解、出来てしまった。

 まだ、あの孔からやって来る。

 強大な力を持つ、複数の――それこそ百では利かない数の何かが来る。


 オミカゲ様の顔を見れば、下唇を噛みながら、その孔へ顔を歪ませて睨み付けていた。

 咲桜もまたその表情を見て、最早どうにもならないのだと悟り、同じように顔を歪ませる。

 そして今まさに、孔の向こうから複数の人影らしき姿が列を為して出てきたのを、確かに捉えた。

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