第七章
孔を抜けた先は その1
その時アキラが最初に思った事は、このままではもう二度と会えなくなる、という危機感だった。それが真実なのかは分からない。ただ、仕方ないと座視して待つ事だけはしたくなかった。
何かに急き立てられるように駆け出し、血塗れのオミカゲ様へ精一杯の謝罪をしつつ、その横を通り過ぎて孔へと入った。
「申し訳ありません、お許しを――!」
幾条にも走る光線を前に見て、その後を追うように――置いて行かれまいと足を動かした。ミレイユ達四人全員が入った事で、急速に閉じ始める孔へと、アキラは頭から飛び込み入り込む。
光線は孔までは入らず、それを避けるように不自然な曲がり方で地面に着弾しては消えた。
孔の中は実に不思議な空間で、音もなければ光もなかった。
遠くに針の穴程の光が漏れており、それがどこかへ繋がっている事を示していたが、それ以外は何一つない。ただ、時折星の瞬きのような光が、後ろに流れていくのが見えていった。
遠くに見える光以外、特に見えるものがないとはいえ、分かっている事もある。
それは遠い前方にミレイユたち四人がいる事と、そして凄まじい速さで移動しているという事だ。体感的な速度から推し量っても、車で走る以上――新幹線かそれ以上の速さで移動している、という感じがする。
――いつまで続くんだ、この孔は。
『孔』とは、鬼が出て来る地獄の入り口で、そして鬼どもが跳梁跋扈する暗黒の世界――そういうものだろうと長らく信じられてきた。
孔は遠くからしか見る事はなかったし、鬼が出て来るのは間違いないので、その話を頭から信じていたし、だから穴に入れば戦闘があると覚悟してもいた。
だが実際は、何者も存在せず、形らしい物も存在せず、ただ暗い中を移動させられるだけだ。
まるでパイプの中に入り込み、水と共に押し流されているような錯覚を覚える。
――だが、とアキラは気を引き締めた。
孔の中に鬼が棲んでいる訳ではないにしろ、鬼の棲む世界に繋がる孔ではある筈だ。遠く見えるミレイユ達の更に奥、その光る点の先には鬼が犇めいているに違いない。
彼女達が遅れを取るとも気を抜くとも思えないから、アキラが気に掛けるべきは自分の安否だけだ。つい先程まで、鬼の氾濫を目の当たりにした身としては、あの中へ自ら飛び込むような真似が、自殺と変わらぬ愚行だと理解している。
――それでも。
彼女達は身を守れるだろうが、アキラだけは別だ。
それでも現世に逗まるという選択だけは、不思議と思いつかなかった。考えるより身体が動いた、と表現する方が正しい。
このままでは二度と会えなくなるより、孔の向こうで死ぬ方がマシだった。
後先考えない能無しと誹りを受けても、かつて着いてくるなと諌められたとしても、だから仕方ないと、自分に言い訳して見送りたくなかった。
後悔したくないだけ、という子供じみた感情で動いた訳ではない。
アキラの実力から言って、彼女達に付いていく事は迷惑になるだけだと理解しているからだ。だから許されるなら、どのような命令でも従うつもりでいた。
同行を許されるとしたら、アキラが平身低頭願った程度では駄目で、その覚悟も示す必要があるだろう。
それが何かはまだ漠然としていて頭に浮かばないが、何しろ考える時間なら沢山ある。
見るべき風景などもない暗い世界だ。考える以外に、やる事もない。
そう思っていると、終わりは唐突に訪れた。
小さな点としか見えていなかった光が眼前に広がり、眩しいと思うと同時に外へ放り出される。
突然身体が宙を舞って、草ばかりが生えた地面が迫った。咄嗟に受け身を取って衝撃を逃しながら転がり、そうして顔を上げる。
そこにはアキラの知らない、見た事もない景色が広がっていた。
既に日が落ちて長い時間が経っていた筈なのに、孔の外は明るく、昼を少し過ぎたばかりのように思える。陽射しは柔らかく、まるで春のように暖かな風がアキラの髪を撫でた。
呆然としたまま周囲を見渡す。
生えるがままになっている雑草の背は高く、アキラの膝丈程もあり、そして疎らに木と岩がある以外には、目に入るものは何もない。
いると思っていた鬼の姿もなく、それどころか襲い掛かって来そうな獣の姿すらない。空には一羽の鳥が飛んでいたが、それもすぐに見えなくなった。
ここが日本でない事だけは確かだった。
季節も時間も、まるで違う。
それだけでなく、空気までもが違う気がした。言葉で言い表す事は出来ないが、違うというだけは分かる。ふと下生えの草を見つめて、そこに何か――もしかしたらマナが流れているのかもしれない、と当たりを付けた。
アキラは理力を感じ取る力に長けていないが、それでも微弱な何かを内包しているというだけは理解出来る。もしこれが、ミレイユ達の言っていた汎ゆるものにマナが内包している、という事を意味するなら、その微弱な何かこそがマナなのかもしれない。
そしてそれは、現世では決して見られなかったものだ。
霊地とされる場所でも、草一本にすらマナが宿るなどという事はなかった。だとすれば、ここが別世界であると否が応でも認識してしまう。
むしろ、それ以外ないのだと実感してしまった。
ミレイユ達は少し離れた場所に立っていて、その様子には尋常ならざる気配を感じる。そう思ったのもつかの間、即座にミレイユから異変が起きた。
頭を掻き毟ったかと思えば、絶叫しながら魔力を開放する。
普通、何か術を使う際には己の持つ魔力を外に出して使うと言うが、それが可視化できる程の量となるのは実に稀だ。
学園にいた誰もが、同じ事は出来ないだろう。
可視化出来るだけの魔力を外に出すというのは、それだけ膨大な魔力を持つというだけではなく、多くを無駄にしてしまう事にもなるからだ。
普通、十の力で理術が行使できるとして、百を出す者はいない。
いるとしたら、それはとんでもない初心者で、かつ力の使い方を知らない愚か者と言う事になる。あるいは単に大魔術を使おうとしても同じような現象が起こるが、ミレイユがしているのは魔術制御ではない。
感情に任せた魔力の開放とでも見るべきで、あまりに危うい行為としか見えなかった。
だがそれをアヴェリンを初め、誰も止めようとはしない。
天を衝く程の、そして地面を抉る程の膨大な魔力だから、近付くだけで危険だと分かるが、それが原因ではないだろう。
感情のままに吐き出す姿を、それと分かって見つめているようでもある。それが必要だと思って見守っているのかもしれない。
アキラには、オミカゲ様とミレイユの間でどのような会話がされたのか知らないし、この世界に送られるに至った理由も知らない。
だが感情的にならざるを得ない何かがあるのだとは、あの慟哭から理解できる。……せざるを得ない悲しみを、そこから感じ取れた。
――ミレイユ様……。
アキラからして身も竦む程の魔力を放出しているが、そこに恐怖は感じない。地面を抉り破壊の爪痕を残しながら拡大する青白く光る柱だが、破壊するつもりで放出している訳ではないと分かるからだ。
アヴェリン達が付かず離れずの距離を保っているのも、その証拠だろう。
だが何より意外なのは、あのように感情を露わにするミレイユの姿だった。彼女が莫大な力を持ちつつ、それを表に出さないようにしている、というのは分かっていた。
使いたくないとか、ひけらかしたくないと言う理由とは違う気がしたが、そこは別にどうでも良い。
その力を保全しつつ、泰然とした姿を見せる。
それがアキラの知るミレイユの姿で、そしてどこか皮肉げな笑みを見せる人、というイメージだ。一言で言えば強い人で、それは単純な力だけでなく、精神的な面も含んでいる。
アヴェリンやユミルといった一癖も二癖もある人達を率いれるだけでなく、それらに敬意を持って接せられるというのは、単なる武力を持つだけでは不可能だろう。
彼女にはそれをされるだけの根拠を持っているのだ。
アキラがそのように現実逃避にも似た考えを巡らせていると、唐突に始まった魔力の放出は、始まった時と同様、唐突に終わりを迎えた。
糸が切れたように倒れたミレイユを、アヴェリンが目にも止まらぬ速さで動いて受け止める。被った帽子の所為で、ミレイユの顔色も分からないが、アヴェリンに抱き留められる姿はひどく小さく見えた。
恐る恐る、その姿を見守るルチアとユミルへと近付いていく。
足音を忍ばせても気づかれると分かっているし、そもそも下生えを掻き分けて近付くので音を隠すも何もない。
だから幾らも近づかない内に、二人に気づかれた。
そしてユミルは片眉を上げて腕を組み、それから背中に回していたフードを被って、呆れたように息を吐いてきた。
「何しに来たの、アンタ……」
「えぇ、はい……。それは言われるだろうと思ってました」
「観覧車の中でも言われた筈だけどね。アタシ達が現世から離れる事になろうとも、アンタは付いてくるなって」
「はい、確かに言われました」
「……ま、いいわ」
「え……?」
てっきり苦言や、あるいは罵詈雑言が飛んで来ると思っていただけに、そのアッサリとした引きの良さは意外でしかなかった。
ルチアも一瞥だけ向けただけで、何を言うでもない。
ミレイユを抱き起こしたアヴェリンへと視線を向け、そしてユミルも組んだ腕を解いて顎をしゃくった。
「まずは移動が先決ね。このままだと何が来るものだか分からないもの」
「えぇっと、何で……、何が来るんです?」
「何でって、あの馬鹿みたいに放出された魔力を感知すれば、誰だって様子見に来るわよ。魔物ぐらいなら可愛いものだけど、それ以外だと厄介だしね」
魔物だけでも十分厄介ではないのか、と思ったが声には出さなかった。
だが魔物より厄介だというものが何にしろ、そんなものには遭遇したくないという気持ちは一緒だ。恐らく苦言に対しても後回しにされただけで、安全な場所で再開されるのだろうし、その時は師匠たるアヴェリンからも更なる苦言を呈されるだろう。
それを思えば心が重いが、それを覚悟しての後追いでもあった。
アキラは殊更こちらを無視するように動き出したアヴェリンの背を見送り、そして後を追って歩き出した二人の、更に後を追って歩き始めた。
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