混迷の真実、明瞭な虚栄 その9
いよいよか、とミレイユは改めて心構えを新たにした。
昨日あの場で意図的に話さなかった事――アヴェリンとユミルの行末を口にしなかった理由は、それが決して愉快なものにはならなかったからだと想像がつく。
オミカゲ様が見せる表情も、それに拍車を掛けた。
ミレイユは我慢が出来ず、何かを説明しようとしたオミカゲ様よりも先に口を開く。
「あの場にいたのが一千華だけ――もっと言えば昼食会など要人が集まる場にも、ユミルらしき者がいなかったのは不自然だと思っていた。アヴェリンはどうあっても寿命を迎えていたろうが、ユミルは別の筈だ。……沈んだ表情と関係あるか?」
「大いにある……が、それは話したくない。話せぬ訳ではないのだが、心に重く圧し掛かり、口に出すのを躊躇わせるのよ……」
「何もかも説明するつもりで来たんじゃないのか。それを今更……」
咎めるように詰め寄ろうとしたところで、オミカゲ様は緩慢に首を左右に振る。沈んだ表情は、それを申し訳ないと物語っていたが、詳しく説明できるものでもないとも語っていた。
幾ら脅すような真似をしたところで、口を開くものではないだろう。
不快感が胃を締め上がるのを感じて腕を組み、そうして顎をしゃくって次を促す。
「じゃあ何なら話せるんだ。アヴェリンの事も無理か?」
「それもまた、我の心を重くさせるな……。己の無力感で死にたくなるが、何もかも話さぬという訳にもいくまいか……。それに、知っておくべき事もある」
そう言って顔を上げたオミカゲ様の両眼には、決意めいた光と哀願のような光が混在していた。
「我が最初に帰還したばかりの事だ。そのあらましは既に話したであろう」
「まぁ……、そうだな。実際の所は想像する他ないが、既に魔物が地上を蹂躙していたんだろう?」
「うむ、小物であろうと現代兵器は通用しないが故な。警察も軍隊も、その脅威に対して無力であったろう事は想像に難くない。我が降り立った地点は、蹂躙し尽くした後の場所であったようだ。人の気配もなく、廃墟と廃屋、倒れた電柱に罅割れたアスファルト、インフラが死亡した町がそこにあった」
聞いた当時にも思った事だ。
その光景を前にして、思った事は何だったろう。まず真っ先に思うのは転移先の間違いだと、『機構』の不具合を疑うことだったと思う。
そうでなければ、目の前に広がる廃墟が現実だとは到底受け入れられない。
だが、実際は違った訳だ。
「仲間が後を追ってやって来たのは、そなたと同じよ。四人で廃墟を彷徨い、町から一度足を踏み出せば、そこには魔物たちが闊歩している世界だった。既に人はどこぞへ避難した後か、それとも全て被害にあった後なのか、そこまでは分からない」
「シェルターくらい用意されてあったんじゃないのか。お前の立場なら、それが出来た筈だろう」
「……かもしれぬ。いずれにせよ、前周の……というと語弊もあろうが、前周の我がどういう行いの果てにそうなったかまでは分からぬ事」
そうなのか、と首を捻って、そうかもしれない、と思い直す。
インフラもなく、人も見当たらず、ラジオの一つも手に入らなかったとしたら、情報を得る手段など皆無に等しかったろう。果たして前周がオミカゲ様のような地位を築いていたのか、あるいは全く違う手段でアプローチしていたのかも、知る手段がなかったのかもしれない。
「そうして前周ミレイユに遭遇したのも帰還初日の事だった」
「ボロ負けしたんだったか」
「……そなたはもう少し、言葉を選ぶ事を覚えよ。ついでに配慮もな」
ミレイユがチラリと笑みを見せると、それにつられてオミカゲ様は疲れたように首を振った。小さく、あるかなしかの笑みを浮かべたが、それもすぐに儚い笑みへと変わってしまう。あるいは、自嘲の笑みのつもりであったかもしれない。
「今だから分かるが……というより、当時としては全くの意味不明であったが、自分とよく似た姿を持つ敵が襲ってきたと思ったものよ」
「それは……うん。不思議でも何でもないが、……しかし相手はどうやって説明したんだ?」
「あれは説明とは言わぬ。殴りつけながら、その合間に言いたい事を言っていただけ、というのが適切という気がするが……。我は相手の言い分の半分も理解しておらなんだ」
それはそうだろうな、とミレイユは内心で同意した。
唐突に襲い掛かって妄言を垂れ流す誰か、というのが正直な感想だろう。実情を知る今であれば、余程切羽詰まっていたのだろう、という予想も立つが、それにしたって酷い。
もう少しやりようもあったろうし、時間を掛ければ話の通じない相手という訳でもないと分かる筈だ。そもそも自分自身の事、それを分からぬ道理もない。
「だが当然ながら、相手の言い分を鵜呑みにする事は出来ぬ。そもそも帰還したばかりの事、即座にトンボ帰りする気もなかったでな。決死の反撃を試みたのだが……」
「まぁ、結果は言わなくていい」
ミレイユは茶化すように言ったが、しかしオミカゲ様は厳しい表情で頭を振った。
「――よいか、しかと心得よ。それが如何に困難な事であろうとも、アヴェリンはミレイユの意思を尊重し、それを叶えようと最大限の努力をする。時には、その最大限すら越えてな……。だから、使い所を間違えるな」
「それは……」
言われずとも分かっている事だ。
アヴェリンはその忠義心から時に諌めて来る事もあるが、基本的にはミレイユの意思を最優先として行動する。ドラゴンの頭に張り付き、目を逸らさせ行動を封じろ、と言っても遂行しようとする。
これが他の誰かなら――例え大陸随一の剣士だとしても、たった一人でやらせる事かと激昂するところだ。しかし、ミレイユが命じた事ならするし、死ぬことになろうと構わないと考える。
それが捨て駒としての扱いだろうと、ミレイユが生き延びるのに必要とあらば躊躇う事なくやるだろう。
そこまで考え、まさかと思いながらオミカゲ様へと目を合わせる。
その瞳には理解と同意、そして憐憫の色が窺えた。
「……然様。アヴェリンはその時に命を落とした。我の現世に留まりたいという願い、あるいは帰りたくないという願いを汲んでな。我以上の抵抗を試みた結果、殺すまで止まらないと悟った前周ミレイユに殺されたのよ」
オミカゲ様の深い溜め息に、ミレイユは言葉もない。
思わず固く目を瞑って、やるせない思いで息を吐いた。
「せめて遺体も共にと手を伸ばしたが、届かなかった。ただ一人、廃墟の中に遺して行くことになってしまった……。その忠義に最後まで報いてやる事ができなかった。悔やんでも悔やみきれぬ」
聞けば納得せざるを得ない。それは確かに後悔するだけでは足りないだろう。自分の我儘で死なせ、そして結局送り返される破目になった。その死の動揺もあったろう、万全な状態で抵抗できたとは思えない。
他の二人からの援護もあったろうが、四人で対抗できない相手に、三人では時間の問題だったかもしれない。
自嘲の笑みを浮かべながら、オミカゲ様は長い白髪を一房摘んだ。
「この髪もな……、気づけばこのようになっていた。我ながら、余程の衝撃を受けたらしい」
「うん……」
ミレイユとしても、その気持ちは良く分かる。
想像もつかないが、もし同じような事が起きれば、涙し嘆くだけでは到底足りない。ミレイユにとって、アヴェリンのみならず仲間の存在はそれほど大きい。
「大きな後悔だったが、それよりも更なる後悔は我が失敗した事よ。犠牲を出して、なお事を成せなかった……その後悔」
オミカゲ様の手は関節が白くなるほど握り締められている。
その形相も直視出来ないと思わせる壮絶なもので、むしろ自戒に潰されていないのが不思議なほどだった。
だが、それがふと幕を下ろすようにストンと消える。
平坦な表情になって、話を続けた。
「送還されたばかりの我は荒れていた。とにかく荒れた。もう一度日本に帰りたくて仕方がなかった。やり直すというのなら、あの惨劇を防ぎたいというのが本心だった。……だが結果として、それも無理だった訳だが」
「掛ける言葉が見つからんよ……」
オミカゲ様はそれには応えず、首を横へ振る。
「……後悔だ。何より救えないのが、何一つ理解してなかったが故に、機会を悉く不意にした事よ。何も為せず、何も救えず、ただ逃げ帰ってきただけ。魔物の脅威を現世に持ち出して、それすら完全に防ぐ事すら出来ていない」
「だが、それも決して無意味な事じゃなかったろうが」
「解決の先送り、渡すバトンを保持できただけの話。何一つ解決に近付いてはいない」
「だが、お前に言われたように、前周ミレイユには神々を止めるよう言われて飛ばされたんじゃないのか? 何も為せずというが、本当に何一つ為した事はなかったのか?」
ミレイユの質問は彼女にとっては重いものだったらしく、肩を落として打ちひしがれた。
「細々としたものならあったろうな……。だがそれはごく局所的なものであって、大局的には意味がない。神にもまんまと逃げられ、為す術を失くし、万策尽きてやり直すしかなかった」
「アヴェリンがいなかったとしても、お前たち三人が事に当たって万策尽きるなんて事があるのか? あちらに敵しかいないという訳でもないだろう。協力して乗り越えて――」
言い掛けたミレイユの台詞を、オミカゲ様は手を振って遮った。
「そういう訳にもいかぬのよ。我が強大な力を持ち、多くの問題を解決できるというのが困りものでな……」
「解決能力が高いからと、困る事になるか? 普通、逆だろう」
「そうでもない。この場合、我が神の素体として完成を見ていたというのが問題でな……。人並み外れた能力は、それだけ他人に頼られる。頼み事の規模も、解決と共に大きくなっていくものだ」
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