再会と別れ その5

「お前の仲間を思う気持ちは尊いものだが、……既に終わってる話だ。今更それを第三者に持ち出されても、だから何だ、としか言えない。まだ若い命だし、簡単に投げ捨てる真似をするな、とも言ったんだが……。アキラも生半可な覚悟で、決意した訳じゃなかったしな……」


 そう言って向けてきた視線は、今度こそ感情を隠しきれず、アキラの目でも読み取る事が出来た。

 困った奴だ、仕方ない奴だ、と諦観にも似た色が浮かんでいて、しかし同時に感謝めいたものも感じ取れる。


 アキラがこの数ヶ月で培い、上昇させて来た技術は、何も魔力制御に限った話ではない。

 言語の学習、刻印の使用方法や効率的運用。

 魔物に対する知識や対応方法、武術の鍛練。

 そして魔力総量の上昇と、数えて挙げればいとまもない。


 それら全て、単なる思い付きや、やる気一つで出来る事ではなかった。

 それほど強い思いがあればこそ、腐らず続けて来れた事でもある。

 ミレイユはその成果全てを知っている訳ではないだろうが、しかし敏感に感じ取ってくれていた。


「元は何の力もない、非力な少年に過ぎなかった。それが一端の戦士の面構えをして、身命を賭したい、と言ってるんだ。受け取らない方が、非礼に当たるというもの……だろうな」

「ミレイユ様……!」


 一端の戦士として認めてくれた事に、アキラは身震いする程の感動を覚える。

 アキラはいつまでも、一人前として認められないと思っていた。

 彼我の実力差を思えば、それが当然と諦めに似た気持ちを持っていた。

 だがミレイユは、アキラの意を組み、志を鑑み、帯同を許すと言ってくれたのだ。


 ――それが何より嬉しい。

 自分自身の事だ、鍛える事が苦労と思った事はあっても、苦慮と思った事はない。

 いつか届くと夢見た事はなかったが、追い縋る努力だけは止めなかった。

 その労苦全てが、いま報われた様な心地になる。


 アキラが感動に打ちひしがられている間に、イルヴィがスメラータの肩を叩く。

 普段は見せない、実に優しい叩き方だった。


「まぁ、こう言われちゃ諦めるしかない。そもそもアキラの意志を捻じ曲げてまで連れて行く、って話でもないんだ。一人の男が戦士として決意したもんだよ、他人が止める権利なんてないのさ」

「分かってるよ、分かってるけどさ……!」

「ハッキリ言って、この四人に着いて行くなら、アキラであっても実力不足と言われちゃ納得するしかない。そして、それに見合うだけの危険もあるんだろうさ。この四人には耐えられたとして、アキラにも耐えられるとは限らない。……でも、帰って来るつもりがあるんだろう?」


 イルヴィが顔を向けて、期待と確信に満ちた表情を向けてくる。

 アキラはそれに頷いて応えた。


「うん、そのつもりだよ。ミレイユ様の盾として動くからには、きっと大怪我は免れないだろうし、死を覚悟して挑む必要はある。でも、死に場所を求めて着いていく訳じゃないから」

「そうかい、それなら安心だ。あんたは約束を破った事ないからね」


 そう言って、からりと笑い、イルヴィは顔を逸した。

 アキラ自身も、かつてはミレイユに自殺の同意を求めるな、と言われた事があった。

 決してそのつもりがあった訳ではないが、そうと言われて仕方がない実力しかないのも事実だった。


 今も実力十分と思わないし、進んで死ぬ気もないが、アヴェリン同様、その時が来たら厭わないだけの覚悟はある。

 そして同時に、約束したからには生きて帰るという、明確な目標も生まれた。

 相反する目的だが、最後の最後まで生を諦めない。

 アキラは、その覚悟を改めて誓った。


 それが見ているミレイユや、スメラータにも伝わったのだろうか。

 互いに睨み付ける様な形だったものが、相好を崩して力を抜く。

 スメラータはいっそ自棄になったように笑い、天上を仰いで息を吐いた。


「まぁ、仕方ないかぁ……! 最初からそういう約束だったもんなぁ……! あーあ……、こっちも最初は単に強くなるだけで良かったんだけどねぇ……。長く居れば情も移る……ホントだよ!」

「スメラータ……」

「あんたまでそんな声出さないでよ、アキラ。勝手をしてゴメン。あんたの気持ちを聞いてた筈なのに、自分勝手な振る舞いだった」


 謝罪の言葉には、僅かな声の震えが混じっている。

 上を見たままなのは、単に顔向け出来ないという理由だけではない気がした。


 何と声を掛けたら良いか分からぬまま、スメラータの様子を伺っていると、不意に顔を戻してアキラを見る。

 にっかりと笑った顔はいつもどおりの彼女に見えたが、やはり無理をしている事は分かってしまう。


 基本的に感情をストレートに表現するスメラータだから、隠したいというのなら、気付かぬままの方が良いかと、それを指摘しない。

 スメラータは殊更、上機嫌に聞こえる声音で言う。


「突然の事だったから、驚いただけだよ! 何でか、もっとずっと先の事だと思ってたもんね。でも、アキラは帰って来るし、チームも解散しない。……そうなんでしょ?」

「……うん、解散しないし、帰って来る」


 スメラータの声は明るいが、同時に縋る様でもあった。

 だからアキラは、イルヴィと約束した様に、その保障もないと分かっていながら頷くしかなかった。

 その返答に気を良くした――あくまで正面情はその様に見える――スメラータは、笑顔で頷き席を立つ。


「それじゃ、アタイはそれまで適当に、依頼をこなしながら過ごしてるよ。きっと再会は、遅くならないだろうしさ」

「え、スメラータ……」

「そうだなぁ……、今日の所はちょっとひとっ走りしてくるかな。身体を動かしておかないと、どうにも落ち着かないしね」


 最後は視線も合わせぬまま、手を一振りするなり背を向けて歩き出してしまった。

 彼女らしからぬ粗暴な動きで、肩でぶつかった相手に見向きもせず行ってしまう。


 アキラもそこまで鈍い訳ではない。

 彼女が今、どんな表情と思いをしているのか、分からない筈がなかった。

 放っておけず、アキラもまた立ち上がり、後を追おうとしたが、それより前にイルヴィがアキラの手首を掴む。


「止めときな、座っとけ」

「でも、……放っておけない」

「それであんたが思い留まり、ここに残るってんなら良いさ。でも、違うんだろう? 何て慰めを言うつもりだい」

「それは……」


 アキラはただ放っておけない気持ちばかりが空回りして、何かを考えていた訳ではなかった。

 しかし、どうしても放っておく事だけは出来ない。

 スメラータが情を結べば、と口にしたが、アキラにだって当然同じギルド員以上の情を感じている。

 戦友であり、弟子であり、教師でもあった。


 だから、このまま別れるのも薄情な気がしてならない。

 そう思ってイルヴィの手を振り切ろうと動かしたが、しかし彼女は更に握る力を強め、決して手を離そうとしなかった。


「言ったじゃないか、アキラには何の慰めも出来やしない。さっきの言葉以上に掛けてやる事なんてないだろ? スメラータは自分一人で、その感情に決着つけようとしてるんだ。邪魔するな」

「それで……良いの? 一人にさせて……、薄情じゃないか」

「薄情というなら、ここに残って一緒に続ける以外、解決策はないだろうね。何を言っても謝罪の言葉しか出ないっていうなら、傷に塩塗るようなもんだ」


 そう言われては、アキラにも言葉がない。

 そもそも人間関係において、ご立派な経験を持っている訳ではなかった。

 別れと言うなら、かつてクラスメイトとの別れ、そして隊士達との別れがある。


 どれも突発的なもので、惜しむ暇も別れを言う時間も無かった。

 今回もまた、突発的には違いないが、別れを惜しむ時間はある。

 かつての後悔を繰り返さない為、何かしたいという気持ちにもなった。


 ――いや、とアキラは思い直す。

 何かしたいという気持ちに嘘はない。

 だがむしろ、少しでもましな選択をしたのだと、自分に言い訳したいだけなのだ。

 そんな感情に、スメラータも付き合わされては堪らないだろう。


 アキラはやるせない溜め息を吐いて、席に座り直した。

 そうすると、イルヴィも手首から手を離して鼻を鳴らす。


「慰めが必要なら、あたしがやるよ。舐め合うんなら、同じ傷を持つ者同士の方が、まだマシだ」

「ごめん……」

「謝るな。アキラは戦士の生き様を、貫く為に動くだけだ……だろう? それに謝られちゃ、同じ戦士の、あたしの立つ瀬がない。……良いから行って、そして帰って来な。そん時に、口付けの一つでもくれりゃあ、それでいい」

「いやー、はは……。口付けは約束できないけど……」

「馬鹿だね。そこは嘘でも言っとくもんだよ」


 イルヴィは、チラリと笑いながら顔を向ける。

 椅子から立ち上がり、アキラの隣までやってくると、その頬を両手で掴み、間髪入れず額へ口付けた。

 それから左瞼、右瞼と順に唇を当てて身体を離す。


 突然の事に、アキラはフリーズして身動き一つ出来なかった。

 されるがまま顔中に口付けされて、喜びよりも困惑の方が強い。

 何を、と声に出すより早く、イルヴィは悪戯に成功した子供のような笑顔を見せた。


「あたしの部族に伝わる、戦勝祈願のまじないだ。額と両目それぞれに行う強い戦士の口付けは、それだけ強い加護が乗る。……無事を祈るよ。いつでも祈ってる」


 それだけ言うと、目尻を指先で擦る様に動かして背を向ける。

 何も言えず、何も返せず、アキラはその背を呆然と見送るしかなかった。


 思考が完全に停止してしまったアキラは、その背が見えなくなるまで動き出せない。

 そこへアヴェリンの声が降ってきた。


「……好い女、そして良い戦士だ。男女に限らず、ここぞと戦意を高めた相手に、水を差すのは無粋とされる。余程、あの戦士は弁えてる。面倒な事になるようなら、さっさとお前を置いて、行ってしまう事も進言しようと思っていたが……」

「女のキスで見送られたんなら、そりゃ帰って来るしかないでしょうよ」


 ユミルがいつもの三倍増しで嫌らしい笑みを向けてきて、揶揄する様に言ってくる。


「アンタも命の使い所ってやつを考えてたでしょうけど、約束を守ろうと思えば力が湧くでしょ? それが最後の一線、ギリギリで耐える力になってくれるかもね。あの女戦士には、感謝しておいても良いかもよ」

「それは……はい、勿論」


 イルヴィはアキラとスメラータ、両者の間を取り持ってくれた。

 根底には戦士としての矜持を元にしているものの、スメラータを蔑ろにするつもりはないと言ってくれている。

 彼女の慰めも買って出てくれ、約束の重さを強めてくれた。


 何があってもミレイユを護る、必要とあらば己の身を盾にする気持ちに翳りはない。

 しかし、生きて帰ろうという意志は、前より数段強くなった。


 口付け一つで現金な事だ、と我ながら顔を赤くさせていると、ミレイユが不審な動きをしているのに気が付いた。

 身体を僅かに震わせて、胸を抑えては拳をきつく握り締めている。


「ミレイユ様……? どうされたんですか……?」

「……いや」


 ミレイユは視線をアヴェリンとユミルへ素早く動かしてから、つまらない冗談を口にした時の様に笑った。


「年若いカップルの情事を見せられて、胸に刺さっただけだ。私にも、あぁいう青春があったら良かったが」

「いやっ、あの……っ、止めてくださいよ、ミレイユ様! そういうヤツじゃないですか、あれは……!」


 笑みを強めるミレイユだが、反して胸を抑える力は強まった様に見える。

 その不思議なアンバランスさを不審に思っていると、不意にミレイユが立ち上がった。

 何処へ行くつもりにしろ、彼女が立てば他の者も後に続く。


 アヴェリンが気遣う様にその背へ庇う仕草は、尚のこと不審に思えた。

 だが、その不審が何かに繋がる事なく、アキラもその後へ続く。

 後には、その場を見守った冒険者の、緊張を伴う音なき溜め息が残された。

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