御影神宮 その4

 参道を再び歩きだして、今度は左手に手水舎ちょうずやが見えてきた。

 楼門の直前に設置されているので、ここで拝礼の前で手を清めて入る事になる。他の神社よりも場所も広く取られ柄杓の数も多くあるが、参拝者の数が数だ。

 長く待たせないようにと手短に簡略化させて次に渡す者もいるが、中には作法に則って両手と口を洗ぐ人もいる。


 待たせてしまうと分かりながら、神前に赴くとなれば疎かにしたくない人もいるのだろう。

 アキラもその気持ちはよく分かる。混雑しているからといって、身を清めずに楼門を潜るのは躊躇われた。


 しかしミレイユは全く気にしていないらしい。

 手水舎を横目に通り過ぎようとして、思い出したかのようにアキラへ振り向いた。


「お前も、ああいうのやりたいのか?」

「それは……はい、出来れば」

「じゃあ、好きにしろ。私達は門を潜った先で待ってる」


 言うだけ言って、ミレイユは門の先へ向かってしまった。

 アヴェリン達は言うに及ばず、ミレイユと一緒に着いて行く。誰か一人くらい残るつもりはないのかと思ったが、それより長く待たせて不機嫌にさせる方が拙い。

 最後尾に並んで、アキラは門の先で待たせるミレイユ達をヤキモキしながら順番を待った。




 作法に則って両手と口を清め、アキラは改まった気持ちで楼門の前に立った。

 この楼門は『日本三大楼門』の一つに数えられる名門で、高さも大鳥居と変わらぬ程もある。

 構造は三間一戸、入母屋造の二階建てで、総朱漆塗りが目に眩しい。彩色はわずかに欄間等に飾るぐらいで、控え目な意匠であるものの、それが逆に品位を浮かび上がらせている。


 何度見ても――まだ数える程しか見てないが――、その門扉の面構えに背が伸びる思いがする。

 気負いすぎだと周りから笑われようと、アキラは背を伸ばし顎を引いて門を潜る。そうして歩くこと数十歩、左側にミレイユ達が待っていた。


 この集団はどこにいても目立つ為、探す苦労がないのは有り難い。

 今も誰か見知らぬ男性のグループに話しかけられ、そして離れていくのを見送っているところだった。

 アキラはその男性たちの背を見ながら、ミレイユ達に合流した。


「あの人達、知り合いですか?」

「先に待たせた事を詫びんか、馬鹿者」


 アヴェリンに指摘されて、そこで初めて自らが非礼を働いた事に気づいた。

 慌てて腰を折って頭を下げた。


「す、すみません! お待たせしました……!」

「別にいいけどな」


 ミレイユは帽子の向こう側から笑ったが、アヴェリンの機嫌は変わらない。どのような事態であれ、ミレイユを蔑ろにするような事をアヴェリンは好まない。

 しかし言い訳させて貰えば、ミレイユが許可した事でもあるのだ。信仰する神に対する礼節は大目に見て欲しい、という気持ちが湧いてくる。


 そこにユミルが、笑いながらアヴェリンの肩を叩いた。


「いいじゃないのよ。少し待つぐらいなんて、あの子が許した時点で折り込み済みでしょ?」

「……そうだが」

「機嫌を悪くしているならともかく、それなら煩く言わないの。……それで、あの男達だっけ?」

「ああ、はい。すぐ離れて行ったみたいですけど……」


 あれね、とユミルは笑って男達の遠ざかる背を見た。


「いつものやつよ」

「いつも? ……ナンパですか?」

「そう、それ」


 ユミルはアキラに人差し指を向けて片目を瞑った。

 ルチアはあからさまに眉を寄せて皺を作り不機嫌顔だったが、他の三人は大して気にもしてない。随分おおらかになったな、とアキラは心の底で安堵した。


「ああやって、断わられてすぐ引き下がるなら可愛いものよねぇ」

「でもあれ、もう三組目じゃないですか。いい加減、辟易しますよ」

「あともう一声でも掛けられていたら、私は相手の腕を折っていた」


 アヴェリンが物騒な事を言い出して、アキラは即座に前言撤回した。

 やっぱり彼女達は彼女達なんだな、と再確認できたところでミレイユに向き直る。楼門の壁を背にして立っていたミレイユは、その遣り取りを楽しそうに見守っていた。

 話も終わったと判断すると、皆を率いて歩き始めた。




 楼門を抜けた先は社務所など、おみくじや絵馬が売っている斎館などがある。軒下には端から端まで繋ぐ長く白い布が引かれており、その中央を括る事で湾曲する線を作っている。

 白布の左右どちらの中央部分にも、オミカゲ様を象徴する紋所が印字されていた。

 どれも古く年季と歴史を伺える施設で、心が引き締まる思いがする。


 アキラはおみくじを売っている社務所にパンフレットが置いてある事に気づき、隣の注意書きから無料で貰える事を確認して手に取った。

 それを見ると、主要社殿は本殿・石の間・幣殿・拝殿からなるようだ。これらは国の重要文化財に指定されていると書かれていたが、正当な評価だと思いながら頷く。


 拝殿の後方に建てられているのが幣殿で、本殿と幣殿の間を『石の間』と呼ぶ渡り廊下で繋がっている。この本殿の背後には杉の巨木の神木が立っており、樹齢約千年と言われている。樹高四十メートルを越え、根回り十二メートルもあり、オミカゲ様の降臨と共に植えられたと伝えられていた。

 その杉は今この場に立っていても、頭一つ抜けた大きさのせいもあり、アキラからも良く見えた。


 熱心に読むアキラに感化されてか、ミレイユもパンフレットを読みたい気持ちに駆られたようだ。断りを入れて来たので素直に渡せば、最初の数ページ読んだところで眉を顰めた。

 一度顔を上げて辺りの様子を伺うと、人通りの邪魔にならない場所へ行ってしまう。


 アキラもそれについて行って、ミレイユが足を止めた傍に立った。

 ミレイユはサングラスの奥からでも分かるほど険しい目つきでパンフレットを読み、それから疲れたような息を吐いてアキラに返してくる。


 受け取って、ミレイユが読んでいたであろう場所を探していると、横からユミルも顔を突き出して来た。邪魔だと邪険にすれば、返って面倒になるので好きにさせ、そのページに目を通す。


 そこに書かれていたのは、オミカゲ様についての詳細な説明だった。

 その御神名であったり、ご神徳であったり、神社で奉られる神ならば、どれも説明と解説の入る部分だ。ミレイユが気に留めるような事はないように思うが、一体何が気に障ったのだろう。


「しっかし、まぁこれ、随分色々持ってるのねぇ。ちょっと節操なくない?」

「何がですか?」

「神格、神徳に決まってるでしょ。普通、一つの神格に一つの神徳ってのが基本じゃない」

「そうなんですか? 複数持ってる神様というのは珍しくないですが……」


 二人の発言に興味を引かれたルチアまで覗き込んできて、アキラはパンフレットを目の高さから胸の高さまで下ろした。見やすくなって、ユミルと二人左右から覗き込むような形になる。


「神格が……剣神、武神、雷神。へぇ……鍛冶神、刀工神まで? 被っている部分もありますから、詰めれば半分には減るんじゃないですか?」

「まぁ、剣神、武神ってのは、敢えて別けなくても良い気がするわねぇ。鍛冶と刀工は……どうかしらね、鍛冶は何も刀鍛冶だけってワケでもないし」

「それだけ考えても、十分破格ですけどね。これ……神格の基準、壊れてません?」


 ルチアが聞くと、アキラも困ったように苦笑した。


「どうでしょうね。他の神様はよく別の神様と同一視されたりして、糾合されたり習合するのは良くある事なんですよ。その結果、幾つもの神格を有したりする訳で……」

「糾合? それじゃもう片方の神は死ぬってコト?」

「いえ、そういう意味でもなく……。結局信仰する民族が滅んだりで失われるような事もありますけど、合一して共に生きるという感じです」

「そんなコトある?」


 ユミルが驚愕した視線でルチアを見て、ルチアもまた眉に皺を寄せて首を横に振った。


「聞いた事もないですね。普通神格を奪われるってなれば、神はもう生きていけないと思うんですけどね。何というか、恨みを買わない為のお為ごかしって感じに見えますけど」

「そうよねぇ。忘れられたところで神は気にしないでしょうけど。代わりを用意すればいいし」


 ユミル達には一種のカルチャーショックだったのかもしれないし、理解できない事だったかもしれないが、アキラにも彼女達が言う事は理解できない。

 所詮、干渉せず、干渉されずの神と人間の関係だから、人がしたいよう思うように変換させられてきたという側面もある。

 神の成す事に口出し出来ない人達からすれば、こうして神格を勝手に付けたり合わせたりというのは異常に映るのだろう。


 ユミルは不可解なものを見る表情そのままに、ページ下部へと視線を移す。

 そこにはオミカゲ様の神徳が書かれていた。


「成功勝利、教育、子育て守護? ……鍛冶・鉱物の守護、武道守護、芸能上達?」

「何でもかんでも守護しますねぇ……。そして病気平癒、延命長寿? ここに来て、ようやく話によく聞く病気治癒が出てきましたね」

「でもまぁ……」

「……ですね」


 二人はアキラを挟んで顔を見合わせ、そして同時に頭を振った。

 その声には呆れが混じっている。


「ちょっと幾ら何でも盛りすぎというか……。これ本当にオミカゲサマとやらが授けてくれるんですか?」

「延命って……つまり長生きするってコトよね?」

「はい、まぁ……そうです。病気に関しては、もうそれは誰もが恩恵を受け取ってる訳ですから。結果、長生きし易いという感じでして」

「まぁ、確かに病気が治るというなら、長生きし易いと言えるかもねぇ……」

「それにホラ、オミカゲ様自体が千年を日本の歴史と共に歩まれる方ですから、それにあやかりたいと言いますか……」


 ユミルは首を傾げてアキラを見た。


「つまり、別に長生きさせる力はないってコト? 百年以上寿命を伸ばすような、あるいは寿命そのものを失くすような……。そもそも生き返らせたり」

「流石にそういうのは無理です。あくまで人間には寿命がありますし、それを逸脱するような事は起こりません……!」

「ふぅん……。案外、普通なのね」

「いやいや、病気が治るっていうのは凄いじゃないですか!」


 アキラの熱弁は二人に届かないようだった。お互いに顔を見合わせ、やはり首を傾げて頭を振る。

 そういえば、この人達は魔術のある世界の住人なんだった。別に怪我も病も、自然に任せて治癒を待つなんて事はしないのだろう。そこに神徳があると言われても、大した事はないと感じてしまうのかもしれない。


 世界各地を見渡しても、オミカゲ様の信者になりたいと願い出る人達は多くいる。

 しかしオミカゲ様はあくまで神道の中の一神であり、別に自ら宗派を作ってその上に降臨する神という訳ではない。


 オミカゲ教という宗教は存在しないのだ。

 だから入りたいというなら神道になるが、だからといってその威光に触れ奇跡を受け取れるかというと話は別になる。だからこそ、外国人は羨むと同時に糾弾し、そして乞うのだ。

 あまねく苦しむ者を救い給え、と。


 日本人として生まれただけで享受できるのは、大変幸運であると共に有り難い事なのだが、この二人にとっては全く心響くものではないようだ。

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