御影神宮 その5
特定の一宗教としてオミカゲ様を崇めているという認識はないが、しかし同時に信仰なくして奇跡を享受する事もできない。
感謝という強い思い、信仰なくして治癒は働かない。
だが同時に彼らは羨む。彼らは病気平癒の神徳を受けられない。普段は仏教で病気をしたら神道という、都合のいい切り替え方は許してくれないのだ。
信仰の自由は許されているし、オミカゲ様自体が推奨している事だが、実質神道一択という常識が意識の根底にあった。
「ふぅん? まるで健康を人質に取られてるみたいねぇ」
「……そういう声は実際ありますね」
アキラは困った顔で頭を掻いて、本殿とその後ろ――御神木へ顔を向けた。
「だからオミカゲ様は本当の神様ではない、という声もあります。特に海外では多いですね。海を挟んだ向こう側で信仰されたところで、その加護は得られないんですから。選んで治し、海の外には意識すら向けない、日本人の壮大なプロパガンダと言う者たちもいます」
「神が自分の信徒にしか加護を与えないのは当然だけど、日本人だけっていうのは本当なの?」
「そうですね。ただオミカゲ様を筆頭として、神道は海外への布教には熱心じゃありませんから。そもそも、そういう宗教じゃないですし。分社を海外に建立させる案も過去にはあったそうですけど、オミカゲ様がわざわざ声を上げて白紙に戻したという話もあります」
「信徒を増やす気がないっていうのは、不思議ね」
ユミルは眉を片方だけ器用に上げ、隣合わせになっているルチアの顔を覗き込む。
ルチアもやはり不思議そうにしながら頷いた。
「ええ、信徒の数――というか信仰から受ける願いの総量は、神の力と不可分ですから。ここまでで十分、これ以上は必要ないって考えはない筈なんですけどね」
「あればあるだけ良いって事なんですか?」
「人間と同じですよ。どれだけお金を稼いでも、これだけで十分、これ以上は必要ないとは考えない。ある時偶然空から落ちてくるように手に入ったお金じゃなく、最初から稼ぐ気でいる人にとって、百万稼げばそれで終わりとはならない。それを元手に、更に増やそうとするものでしょう?」
アキラは少し考えて、それから首を捻った。
宝くじを当てた人なら、それで仕事を辞めて余生を過ごすという話はよく聞く。しかし企業の社長となれば、そもそも稼ぐことが目的なので一億も利益を上げたから後はもういい、とはならない。
しかしそうなると、神の信仰とは営利目的という事になりはしないか。
「神様って、純粋に信徒の数が増えると喜ぶとかじゃなくて、利益があるから信徒を増やしてるんですか?」
「当たり前でしょう? 単に他の神から信徒を奪いたいから増やしている訳じゃないんですよ。さっき言ったじゃないですか、神の力と信仰は不可分なんですよ」
「……信仰の数だけ力が増す?」
アキラの呟き程の小さな声にも、ルチアは律儀に頷いた。
「力を増やし、信徒を増やそうとするのは神の存在にも関わる事です。普通は、そこを疎かにはしません。だから不思議だと言ったんです」
「……つまりオミカゲ様は、そこのところを十分弁えてる神様という事ですか?」
「何でそうなるのよ」
ユミルが重い溜息と共にアキラの背中を叩く。
彼女にとっては軽い力かもしれないが、それは重い衝撃としてアキラの腹まで伝わり、思わず息が詰まった。
「そもそも神として可笑しいって話をしてるんじゃない。ま、単に世界が違えば神の考えも違うって話かもしれないけど……どうも引っ掛かるのよね」
「ホラ、ここ……」
言ってルチアはパンフレットに書かれた神徳の一部を指差した。
「教育、子育て守護ってあるじゃないですか。これって、まだ信仰心の芽生えてない子供でも、加護を与えるって意味なんでしょうか」
「芽生えてからの子供って意味じゃない?」
「いえ、違います。七歳までの子供なら、信仰心を持たずとも治癒してくれますから。だから子育て守護の御神徳をお持ちなんですよ」
そしてだからこそ、オミカゲ様は七五三とも関係が深い神様でもあるのだ。
信仰を持たねば得られぬ治癒の加護だが、物心つく前にそういった強い思いを持つ事は難しい。だから七歳までは神の内、懐の内といい、オミカゲ様から庇護が与えられる。
この年までは無条件で病と怪我の治癒を得られるので、その感謝を示すのに三歳、五歳、七歳と神事に合わせて感謝を示す。
それ以降は自分の意志、自由信仰を与えられ、親の信じるものに従うもよし、他の神を信じるもよしとされるのだ。
その事を説明すると、ルチアはやはり首をひねった。
「それじゃあやっぱり、信仰心を獲得するのに熱心に勧誘してるって事じゃないですか」
「そうよねぇ。七歳まで病気も怪我も治る加護を与えられて、別の神へそこから捨てられるものかしら。一度でも病気を経験しておいて、その加護を捨てるのは無理よ。やっぱり健康を人質にとられてるってアタシの考え、間違ってなくない?」
「単に子供が好きな神様なんですよ。子供はすぐ病に罹りますから、放置してるとすぐ悪化しますし。だからきっと、放っておけなかったんですよ」
アキラが神を思っての抗弁にも、二人は懐疑的な気持ちを崩さなかった。
パンフレットを読み進めるにあたり、その気持ちを強めていっていくのが表情から分かった。
アキラの手を取りページを捲らせて、それですっかり最後まで読むと――最後は流し読みだったが――アキラの傍を離れてミレイユの元に戻った。
それでアキラもパンフレットをズボンのポケットに仕舞い、同じくミレイユの元に戻る。
しかし結局、ミレイユが何を思って不機嫌になったのかは分からなかった。
一読した限りでは、どれも不自然と思える部分も、引っ掛かる部分もない。ユミル達と同様、神格神徳が多すぎるのが不満だったのかと思ったが、それなら彼女たち同様、呆れた声を出すに留まる筈だ。不機嫌になるというのは違う気がする。
それはユミルも同じく気になった事のようだった。
傍に戻った彼女は、相変わらずむっつりと口を曲げるミレイユに、気を留めたような感じもなく訊いている。
「それで、どうしたってあんな態度見せたのよ? ケチは付けたい部分はあったけど……でも、それぐらいでしょ?」
「あぁ……」
頷いて見せたものの、ミレイユはそれ以上何を言うでもない。
帽子のツバを摘んでは横へ撫で、珍しく言い淀んでいるように見える。しかし、しばらくしてから再び口を開いた。
「名前がな……」
「はぁ、名前……?」
ユミルは眉を持ち上げてアキラを見る。
何のことだと聞きたいのだろうが、それはアキラに取っても同じこと。ただ黙ってミレイユの隣に佇んでいたアヴェリンすらも、同じような反応だった。
もしかしてと思いながら、パンフレットを再び取り出し、最初のページを開く。
そこには大きく、オミカゲ様の名前が記されている。
覗き込んで確認したルチアは、そのページの上から下まで貫くように書かれた名前に眉をしかめた。
常用漢字ぐらいなら既に読み書き出来るルチアだが、流石に当て字のような物まで読むことは出来ない。特に神様の名前というのは、現在とは違う読み方をする場合も多い。
だから最初、それが名前であるという認識すらないようだった。
「これ、どこに名前があるんですか? まさか、その長い奴じゃないですよね……」
「そのまさかです。日本の古い神様は、こういった名前を持つ事が多いんですよ」
「それはいいけど、何て読むのよ?」
今度は顔を突っ込んで来る事こそなかったが、ユミルは横から口だけ挟んで聞いてくる。
アキラは書かれているままに、その御名を読み上げた。
「みかげとよふつおおなむちのかみ様です」
「……何て言ったの、今?」
「ですから、みかげとよふつおおなむちのかみ、様です」
言いながら、パンフレットの名前とご尊顔が乗ったページを見せる。
そこには『御影豊布都大己貴神』と太い筆文字で書かれた名と、ミレイユによく似た赤眼白髪の女神が描かれていた。
「ふぅん? みかげ何とかっていう名前だから、短くしてオミカゲ様って呼んでるワケ?」
「まぁ……そうですね、或いはもっと砕けた言い方で、ミカゲさんって呼んだり、地域によって多少異なりますけど。やっぱり普段からフルネームで呼ぶには、不便な長さですから」
「まぁ、そうよね。舌も噛みそうよ」
わざとらしく舌を出して、ユミルは笑う。
しかしやはり、それでミレイユが名前に対して思うことがある理由が分からなかった。アヴェリンやルチアに顔を向けても、やはり分からぬようで首を横に振る。
視線がミレイユに集中して、それで彼女は振り払うかのように手首を振った。
「気にするな。私に似ているという共通点が、また一つ増えたというだけの話だ。難癖つければ、それ以外の神格も神徳なんかも関連付けられそうだが」
似ている、と言われてまず真っ先に思ったのは、パンフレットにも描かれるご尊顔だ。写真ではなく絵なので、目の前の彼女と全くの同一という訳ではなかったが、しかしそれでもよく似ている。
それ以外に名前も似ていると言われても、アキラにはまるでピンと来なかった。
ミレイユと共通する部分など、最初が『ミ』から始まるという点しかない。
他に神格や神徳については、彼女が何をどれだけ出来るのか知らないアキラからすれば何とも評価し辛いし、口を挟める事でもない気がした。
彼女がいつか雷の雨を召喚出来ると言った点は雷神として、アキラに刀を打ってくれた点は鍛冶・刀工神として見られるが、それは彼女の言ったとおり難癖に近い関連付けだ。
「でも、そうですね。……日本だけに限定して見ても、他に鍛冶を司る神はいるし、雷神として有名な神は他にもいます。自分と似てる部分が嫌だと思っても、そこはあまり考えない方がいい気がしますね」
「……そうだな」
アキラがそう締めると、ミレイユの表情も幾分緩やかになった。
口の端に笑みを浮かべて、帽子のツバから指を離す。その雰囲気が周りにも伝播して、どことなく漂っていた緊張感も薄らいだ。
再び移動しようという空気が出来上がって、ミレイユは首を廻らし本殿を横に置いて境内を見渡す。
拝殿にも多くの参拝客がいて、近づくのは難しそうだ。
中央ちょうど賽銭箱の真上あたりに、真鍮製の大きな鈴が吊られており、この鈴に添えて紅白に染められた荒縄が垂れ下がっている。
参拝者たちはそれを振り動かして鈴を鳴らし、笑顔を時折見せつつ真摯な態度でお参りをしていた。
中には顔を赤くした親子がいて、罹った風邪を治癒してもらおうとしている。
アキラもそこに参加したい気持ちはあったが、何しろ今日は単に参拝しに来た訳じゃない。
ここはミレイユが警戒を強めて侵入した場所でもある。アキラの信仰心を慮って許してくれたが、両手を清めようと皆から離れたのも失敗だったかもしれない。
ミレイユがぐるりと見渡して、最後に目を留めたのは一つの特徴を持つ建物だった。
本殿の隣には刀殿があり、オミカゲ様が打った国宝指定の神刀が展示されている。
鍛冶・鉱物の守護の神徳を持ち、刀工神としての神格を持つとなれば、他の神社には見られない当然の特徴だった。
「神刀、ね……」
「気になりますか?」
「そうだな。何を持って神刀とするのか興味はある」
「有名なのは、鉄をも斬れるという特徴ですかね?」
オミカゲ様が打った刀は多くあり、その一つ一つに別の神性を秘めると言われているが、有名なものを一つ上げろと言われれば、やはり斬鉄剣が真っ先に名が挙がる。
アキラが顎に手を添えて言えば、ミレイユは吐き捨てるように返してきた。
「そんなものは神刀とは呼ばない。同じ事なら、お前にやった刀でも出来る」
「え、出来るんですか、あれ……!?」
思わず口から
「出来るかどうかは、お前次第だ。大体、あの刀は不壊の魔術が付与されているんだぞ。打ち負けて刃が折れる事がない以上、そこからはお前の力量が物を言う」
「な、なるほど……」
アキラが頭を下げて納得を示すと、ミレイユは一歩踏み出し、それから一度振り向いてから刀殿に向かって歩き出した。
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