衝動変革 その9
そして森の民強化計画は、ミレイユが想像しているより、遥かに早い形で結実した。
元よりデルンとは、いつ戦闘が再開されてもおかしくない状態である。傷の治療も、そして治癒術士の確保も大事なことだと理解していたし、里の皆からすれば常に不足し、望んでいたものでもあった。
そこにルチアという、かつて伝説と共に歩んだエルフと、その類稀な制御術を目の前で見せられたとなれば、エルフからすると羨望の的でしかなかった。
ルチアは鬼族や獣人族を手早く治癒してやりながら、実戦形式で制御方法を見せていく。若いエルフの中には、自分とルチアの差を思い知って落胆する者も散見された。
「項垂れている暇はありませんよ。出来ないと思って俯く様な人は、必要としていませんから。高みを知ったのは幸いと知って下さい。ミレイさんが求めるのは、それを修得し、使いこなしたいと強く思える人です」
その様に発破を掛ければ、エルフというのは現金なもので、直ぐ様やる気を見せてくれる。
これもまた、ミレイユが見せた力や、カリスマから来るものなのかもしれない。
そしてルチア自身が扱う治癒術や、その制御力を見せつけつつ、その力に近づける手助けをミレイユがしてくれる、と教えれば大反響となって里の中を駆け巡った。
真偽を確かめて屋敷へ突撃する者まで現れ、その為広場に立て札を作り、告知を読んでもらう必要に迫られた。
そうすると、まるで広場に全ての民が集まったのではないかと勘違いするほど賑わいを見せ、その日に向けて誰もが積極的に協力を申し出る様になる。
里でやる事は基本的に助け合いだから、どういう事をするにしろ、大なり小なり助けの手が入る。多くは十分な人手のある所から借り出して、何とか融通を付ける、という形に落ち着くものなのだが、今回ばかりは勝手が違った。
むしろ、誰もが積極的に関わりたくて仕方がない。
広場中央に設置された天幕や、そこでミレイユが座る椅子。長蛇の列となる事を想定し、どういう順で並ぶのか、その人員整理は、と持ち上がる問題や必要なものの調達を、我先にと手を挙げていく。
彼らはミレイユがやること成すことに、関わりたくて仕方ないのだ。
そして出来栄えを気に入ってくれ、そして褒められる言葉の一つでもあれば尚嬉しいと思っている。かつてはエルフばかりが口にするミレイユという名前は、里長という枠を越えて、今やもっと偉大な者という認識になっていた。
ミレイユにとっては悩ましい事でもある。
エルフ以外からは、人間だから、人間なのに、と排斥される可能性すらあったものを、好意的に受け入れられる事は喜ばしい。
だが、それも度が過ぎると怖くなる。余りに強い感情は、時として洗脳という頸木を外す切っ掛けとなるものだから、単なる好意で収まらない情動は困るのだ。
だが同時に、ひとの感情を制御し切るなど不可能だと思っているので、これは無い物ねだりみたいなものだった。
異例の早さで完成した、広場の最奥に作られたテントには、真新しい椅子が用意されていた。背もたれに肘掛けにも、刻み装飾がされていて豪奢さを演出されているし、塗装と装飾も見事なもので、執務室にある椅子より数段豪華だ。
テントへは背面から入ったのだが、今は正面となる入り口は閉められている。ちらりと見た感じでは、既に多くの住人が今や遅しと待ち構えているようだった。
長蛇の列が何度も折り返して、広場を右往左往していたのは見えていた。中には子供の姿も見えていたが、今回強化を施すのは戦闘要員や、あるいは補助要員に限られる。
子供だからと戦えない事はないだろうが、今回に限って単に幼く見えるだけ、という訳でない限り、強化するのは止めておく。
この里の基準では戦闘要員として数えられるのかもしれないが、まるで自ら戦場へ背を押す気がして居た堪れない。
それに何より、数が数だ。
学園の事もあったので、我ながら慣れたものだと思っているが、流石に里の住人全ての面倒は見られなかった。ある程度、除外する者も出さないと、自分の方が先に参ってしまう。
ミレイユは用意された席に腰掛け、事前に声を掛けていたテオへ顔を向ける。
この場にはアヴェリンやユミル、ヴァレネオとルチアも付き添っているが、敢えてこの場に彼を呼んだ事には、勿論理由があった。
「……テオ、頼むぞ。怪しい奴を見掛けたら、容赦なく使ってくれ」
「それは別に良いが、大丈夫なのか? 下手に露見したりすると、厄介な事になるんじゃないか? この前の広場の時とは訳が違うぞ。誰も彼も、お前に頭を下げてたりなんかしない」
「だから良いんだろう。誰も彼も私を見ているなら、お前に意識を向けたりはしない。傍らにべったりと立っている訳でもないんだしな。それに、ユミルの幻術も掛けさせる。それでカバー出来るだろうさ」
住人達が向ける感情に、ミレイユは懸念が拭えなかった。
だからここで、一挙両得の策として、テオに改めて洗脳を施して貰おうというのだ。広場の時は広場の時で、あの場で施さなければ、信仰心が芽生えそうであった。
だから急遽テオに動いて貰ったのだが、やはり一度に多くの洗脳は雑さが出るし、効果が十分でない者も現れる。そこで、対面する事を良い機会と考えて、強い感情を向ける者には改めて洗脳して貰おうと思い立った。
ミレイユのみならず、力自慢の戦士たちと格付けを行い、その頂点に立ったアヴェリンや、傷の治療で見せ付けた魔力と制御で、エルフ達の注目を集めるルチアもいる。
目移りする者には事欠かなく、その中でテオを幻術で隠したなら、まず見つからないと踏んでいた。
「とにかく、お前が目立つ行動を取らなければ問題ない。頼むぞ」
「まぁ、そりゃ……分かったけどさ。でも、あの人数だろ? うんざりするんだが……」
「それは私も同じ気持ちだから、うんざりするだけなら諦めて腹を括れ」
「言っとくけど、アタシたちの方がやるコトない分、うんざりしてるからね」
ユミルが半眼になって見つめて来て、ルチアも思わず苦笑する。
アヴェリンやヴァレネオは、臣下として傍に侍る事は当然、と思っているので不満など見せない。だが、ユミルは別だ。ただ退屈な時間が過ぎるだけなのは、我慢ならない、という構えだ。
アヴェリンなどは、今すぐにでも物申してやりたい気持ちでいたようだが、ミレイユが椅子に深く座り直し、手を振った事で動きを止める。
代わりに椅子の正面へ回り込み、カーテン状に区切られた入口を開く。
「――わぁぁぁっ!」
それと同時に歓声が上がった。
誰も彼もが笑顔と興奮、そして期待をミレイユに向け、惜しみない賛辞を上げていた。森の民全員が来ている、と錯覚したのは間違いではない。こちらへ顔を向ける者の中には、子供と言わず老人の姿まで見受けられた。
今回こうして対面する意図は、戦闘員の強化なのであって、ミレイユと対面する事が主な催しという訳ではない。
彼らを見ていると、村に初めてのサーカスがやって来たかの様な興奮ぶりだった。
ミレイユは一瞬で頭痛が沸き起こるような錯覚を感じ、傍らに立つヴァレネオへ問い掛けた。
「一応聞くが……。告知板には、どういう意図でこの様な事をするか、きちんと書いていたんだよな?」
「無論です。ミレイユ様の意図を曲解など出来ない、簡潔でありつつ明瞭な文言を載せさせて頂きました」
「……明らかに、戦闘員では無さそうな者までいるが?」
ミレイユが視線を向けた先には、まだ小さな赤子を抱いた母獣人が咲き誇らんばかりの笑顔を浮かべていた。腕の中でぐずる赤子をあやしながらも幸せそうで、到底戦場へ駆り出される人材には見えない。
彼女もまた戦力を有してはいるのだろうが、赤子を置いて戦場へ出ろ、などと言われないだろう。それとも獣人とは、その様なものなのだろうか。
「いえ、決して、その様な事はございません。しかし、次の機会がいつかも、そしてあるかも不明瞭な為、この機会を逃すまいと出てきた可能性はありますな」
「あぁ、それは……確かに。だがそもそも、その
「まさしく、そのとおりです。ですが、自分達が生まれる前よりあって、そして生まれてこの方、戦争が継続している里なのです。次がない、と想像するのは難しいところでしょう」
「あぁ、それもまた、分かる話だ……」
彼らからすれば、外敵から脅かされない平和な世、というのは想像し難いだろう。
ミレイユはこれを最後と考えているが、この里の者にとっては、続いて当然という認識であっても可笑しくない。それこそ森から出て暮らすなど、環境からガラリと変えなければ、実感できないのではないだろうか。
「まぁ、分かった。流石に戦闘に適せない年齢は省くが、それ以外は極力見るようにしよう」
「はっ! ミレイユ様のお心遣いに感謝いたします!」
「……うん。それじゃあ、始めようか」
その一言が開催の宣言となり、人垣を止める役割も担っていた整理員が誰かを促す。そうして意気揚々とやって来たのは、灰色の髪を鬣の様に広げたフレンだった。
以前見た時は毛先も揃わず、身嗜みに気を使わない雰囲気だったが、今は良く梳かして肌も綺麗に磨かれていた。
それだけではなく、戦化粧までされていて、着ている者も戦闘用の革鎧だ。使い込まれ年季の入った一品で、修繕された後が幾つも見受けられる。極力動きを阻害しない作りで、守る場所も最小限、急所を補う形になっていて、より実戦向きという気がした。
手に武器こそ持っていないものの、明らかに戦場へ赴く様な姿格好だった。
やる気に満ち溢れた気配といい、これから何をするか勘違いしているのではないか、と不安になる。これから改めて、殴り合いでも申し込まれそうで訝しんでいると、フレンはその場に膝を付いて頭を下げた。
「ミレイユ様! この度はこの様な場を設けて頂いて、ありがとうございます! より強くなれる可能性があると聞いて、誰もが感動で身を震わせております!」
「あ、あぁ……。それは本人次第だから確実な事とは言えないが……。しかし、どうした。お前、そんな奴だったか?」
「我らが戴く至上の里長に、相応しい敬意を向けているのです! ミレイユ様は、それだけの偉業を成し得た御方!」
随分な豹変ぶりに、ミレイユは思わず目を剥いて凝視する。
以前は敬語の扱いすら覚束なく、それどころか敬語を使うべきか迷う様な素振りすらあった。ミレイユからも敬語はいらない、と伝えてあった筈だ。
腕を組んで妙に何度も頷くアヴェリンを見れば、これがその原因ではないか、と疑いを向けてしまう。
何かと執務室の外へ遣いとして出すアヴェリンだから、その際にあれこれと言ったり聞かせたりしたのではないか。
彼女はミレイユの偉業を広く伝えたい、という欲求を常に抱えている為、どこで何を吹聴して回ったものか分かったものではない。
アヴェリンは決して嘘も誇張も言わないが、里の住人からすると、誇張としか思えない内容を真実として聞かされたのではなかろうか。
それがこの畏敬の表明、という気がした。
――こいつは洗脳直し決定だな。
心の中で決定を下し、テオにだけ分かるよう指示を下す。そうしながら、注意を引き付ける意味でも、少し話題を振る。
「それにしても、少し意外だった。お前が一番手なんだな」
「ハッ! 殴り合って勝ち取りましたので!」
「殴って……? 力で黙らせたという事か?」
「お上品な話し合いだけで解決しないのが、我ら獣人族というものですから。言うこと聞かせるには、力の誇示が最も重要です!」
「あぁ、うん。なるほど……、そうか」
誇りを持って瞳を輝かせて言ってくるものだから、彼女たちにとって実際、それが大事なのだろう。これを見ると、よく森を一つに纏めてきたものだと、改めてヴァレネオに敬意の念が湧き上がって来る。
ミレイユの時みたいに力を誇示する訳でもなく、空中分解させず二百年も維持して来た事は、事実驚嘆に値する。どういう手管を使ってきたのか、少々気になるところだが、今となっては必要ないものでもある。
ミレイユは改めてフレンの手を取り、魔力の制御をするよう促した。
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