招待 その4

「魔術を外に向けるという事は、体内で生成した魔力を外に出すという事を意味する。そしてこれは物理的な穴ではなく、魔力の生成によって同時に生まれる防御膜に穴を空けるという事だ」

「よく分かりませんけど……、生まれながらにバリアーが張られているとか、そういう感じですか?」

「その理解でいい。穴といっても、その空ける数にも個人差は出る。どういった種類の、どういった系統の魔術を使うか、それを絞ってそれに対応した数を決めて空ける。物理的な穴ではないから、開けた場所による有利不利はないが、しかし開けたものを塞ぐことは出来ない」


 何故という疑問は置いておいて、そういうものだと理解するしかないのだろう。

 穴を開けねば魔力は膜より外にはでない。だがそれは、本来魔力とは自身の内側にしまっておくべきもので、外に出すべきものではない事を意味しないか。

 単純な危険行為を技術に落とし込んで利用している、そういう感想になってしまう。


「それって危険じゃないんですか? 防御膜っていうのが自然に生まれるもので、後から穴を空けるなら、それって自然的な事じゃないって意味ですよね?」

「その認識は正しい。魔力を外に出すのは危険行為だが、危険と便利を秤にかけて、どちらに傾くかという話になる」

「それは……でも、酸素ボンベに穴を開けてから、海に潜る人なんていませんよ」


 アキラの感想を聞いたミレイユは、手を叩いて喜び破顔した。


「その例えは大変正しい。だから、魔術士は穴を塞ぐ技術を最初に体得する。それ事態は難しくない。さっきの酸素ボンベに例えれば、穴に指で蓋をするような気軽さだ」

「それで、酸素の流出を防げるんですか?」

「一つか二つならな。ほとんど本能的に、無理なく難なく成功するだろう」

「それなら……」


 アキラは安堵して息を吐いた。そしてミレイユの言った事が引っ掛かる。

 ミレイユは一つか二つと言ったのだ。では、それが通常の穴の数なのだろうか。どうもニュアンス的に違うように思えた。


「じゃあ、普通は幾つなんですか?」

「種族によって違ってくるが、一般的な人間の魔術士なら三つか五つ。多くても十は越えない。国に一人しかいない宮廷魔術師レベルでも、十より二つか三つ多いくらいだ」

「ああ、そうなんですね……。片手で塞げるような数にしていると」

「そうだ。無理なく便利に使うことを念頭に置けば、自然とそういう数になる。大魔術の行使となると、体外に出す魔力が足りなくて無理だが、人の魔術士はそもそもそういう使い方をしない」


 アキラは首を傾げた。

 杖を持って長い髭を生やした老魔術士は、何か壮大な魔術を使うようなイメージがあるのだが、実際のところは違うのだろうか。


「ヒトは数を頼みに挑むからな。一人で大規模な炎の雨を降らすより、百人なり千人で炎の矢を一発ずつ放つ」

「あー……」


 ミレイユの言わんとしてる事はよく分かる。

 ファンタジー世界において多種族が暮らす世界なら、人間のポテンシャルはそれ程高くないというのはよくある話だ。

 しかし人口数は大抵トップクラスで、知識的文明的優位に立ち、大量生産した武器と兵数によって、それを最大限に活かした作戦などを用いて勝利する。

 一人で見ると弱いのに、世界に覇を唱えるのは人間だという話は多いのだ。


「だから、そもそも多くの穴を開けないし、開ける必要もない。冒険者パーティのような少数チームでも、強敵ならチーム数を増やして挑むのが普通だった筈だしな」

「冒険者パーティ!」


 出てきたファンタジー要素にアキラは声を上げたが、それよりも今は重要な事がある。

 ちらりと視線を向けてきたアヴェリンにも、その不機嫌さは見て取れて、今は目の前の事に集中しようと思い直した。


「えっと、じゃあ、穴を多く開けるメリットは、実はそんなにないんですか?」

「大いにあるが、扱える者が少ないという話だ。多くの魔術、大規模魔術を扱いたいと思えば、穴の数が少ないと、却ってそれが枷になる。だから、穴の数は魔術士の格を示す指針ともなる」

「でも、同時に危険なんですね?」

「そう、己の分を超えて魔術を覚えても、使えなくては意味がない。そして穴を増やしても手が足りなくては、塞げなくて自滅する。何事も程々がいいと言う事だろう」


 そこに揶揄するようなユミルの声が割って入る。


「己の分を知れ、って事よ。行き過ぎた力は己が身を滅ぼす、とも言うわね」

「確かにそうです。どんな事でも言えますよね。そういう意味じゃ、自業自得ってことになるんでしょうか」

「魔術士っていうのは、確かに強いし、覚えた魔術によって利便性も増す。努力して身に着けたという自負から自己肯定感も強いのよ。そして次々に他の魔術に手を出して、更なる万能感を得る」


 そこまで緩やかな笑みすら見せていたユミルが、そこで一度言葉を切った。

 表情に笑みがなくなり、平坦で感情を感じさせない声で続ける。


「――だから、己を過信する。まだ自分は行ける筈。自分の力はこんなものじゃない筈。まだまだ高みへ、更に高みへ」


 言いながらユミルは手を挙げて、階段を一段一段上がるように手振りを加えて、頭の上に持っていく。


「そして己の限界に気付かず、足を踏み外し、真っ逆さまに落ちる」


 挙げた手を真っ逆さまに落とし、テーブルの上に手の平を叩きつけた。予想以上に大きな音が立ち、思わずアキラは身を竦めた。


「……魔術っていうのは、ただ便利っていう訳じゃないの。必ずリスクがその身に伴う。己の身を飾る道具でもないし、他者を圧倒する為に会得するものでもない。世界に向き合う学問なのよ。戦争の間はそうも言ってられない事情もあるでしょうけど、欲しいからという理由で手を出すものじゃないの」

「……耳が痛いな」


 ミレイユは苦笑して目を逸らしたが、ユミルは肘を立てた手でぷらぷらと横に振った。


「アンタはねぇ、ちょっと他の奴らと一緒くたに出来ないところあるからね。今のは凡人に対する忠言よ。特にアキラ、アンタ自分の限界まで追い込むのが義務とでも思ってるところあるから」

「う……!」

「まだ行けると思ってる内は止まれないでしょ? そう言う奴こそ身を滅ぼすの。勤勉である事は美徳だけれど、引き際を間違えずに進むっていうのは、存外難しいのよ」


 アキラはその言葉を金言として受け取った。

 素直に頭を下げて礼を言う。

 武道において途中で投げ出すことは恥だと刷り込まれている部分はある。限界を知らねば己を越えられないとか、底が見えてからが始まりだとも言う。今は届かなくても、明日の挑戦で一ミリ、更に翌日の挑戦で一ミリ、その積み重ねでいつか届く、とも教えられた。


 武道であれば、それで良いのだろうが、この思考は魔術の会得にはむしろマイナスに働くのかもしれない。もう駄目だと気付いた時には、既に開いた穴の数に手が回らず、遠からず窒息してしまう事になる。


 そこでふと思い立つ。

 穴を空けるとか塞ぐと言うが、指で抑えるという表現もあくまで例えで、実際には別の何かで行うのだろう。だが、その方法をまだ聞いていないことに気がついた。


「あの、魔術が単に便利でもなく危険がある事はよく分かりました。魔術に溺れると死んでしまう事も。でも、さっきから出てる穴の塞ぎ方については、まだ聞いてなかったと思いますが……」

「その魔術に溺れるっていう表現、誰かに聞いた?」


 ユミルの愉悦を含んだ指摘に、アキラはただ首を横に振る。

 単に口から出た言葉だったが、どうもユミルはそれが気になるらしい。


「何か不味いこと言いましたかね?」

「いいえ、こっちでは昔に流行った言い回しだったから。主に馬鹿にする表現としてね」


 そりゃあ馬鹿にされるだろう、とアキラは苦笑した。

 魔術に傾倒し没頭した結果、魔術に殺されてしまうというなら、何の為の努力だったのかという話だ。


「魔術を含んで水を含まず、とも言いますね」


 次に魔術士を馬鹿にする表現に参加してきたのはルチアだった。

 同じ水を使った表現なのに、使い方が真逆なのが面白い。これも文化や種族の違いだろうか。二人が盛り上がって更に時代を経た表現を披露し始めたところで、ミレイユが異を唱えた。


「……話が脱線しているぞ。それで、穴の話だったか」

「はい、文字通り指で塞ぐ訳じゃないのは分かるんですが」

「そうだな。それは当然、魔力で塞ぐことになる。穴を作るのも自分なら、塞ぐのもまた自分だ。これはつまり、常に十割の力を発揮できない事を意味する」


 言われてアキラはハッとした。

 最初にボールの例えを出した時、外向の魔術士は穴が空いたボールと言った。複数の穴が空いたボールを空気が漏れないよう、常に魔力で蓋をするという意味なら、常に魔力のロスが発生する事になる。

 では、穴の数が多ければ、それだけ多くの魔力を蓋をする事に割かなければならない筈。そして、そのリソースが不足した時、漏れる魔力を止められず自滅する。

 そういう事だろうか。


 アキラはそのまま伝えると、出来の良い生徒を褒めるようにミレイユは頷いた。


「なかなか理解が早いじゃないか。穴を増やさねば、より多くの魔力を消費する魔術は使えない。しかし増やした分だけ、使わない時は塞いでおく事に注力しなければならない。穴の数を無闇に増やすと、それだけで魔力総量の半分を維持に使う、などと馬鹿馬鹿しい話になる。とはいえそれもまた、やり方次第だが」

「半分……! 常に実力の半分しか使えないという事ですか……」

「戦闘中なら抑えに回す魔力を使えるから、むしろ瞬間的には全力を出せるんだが……」

「ああ、それなら。いやでも……」


 まだマシかと思ったが、むしろ危険だと思い直した。


「気づいたか。戦闘中もずっと磨り減っていく事になるわけだ。継戦能力は相当低くなるし、己の命を維持するため、下手なやつは半分以下まで魔力を減らせない。習得した数が多くても、習得難度の高い魔術を持っていても、それでは意味がない」

「それこそ、学者として生きていくしかないような……」

「それも生き方だとは思うがな。しかし何事もやり方一つで、どうとでもなるものだ。基礎は大事だが、それを詰め込むだけなら、己の首をただ締める事になる」


 アキラは神妙な顔をして頷く。

 憧れだけで魔術に手を出して良いものではない、という事はよく分かった。自分に向いていないかもしれない、という事もまた同じく。


「結局は魔力総量の問題でもあるんだがな。仮に総量百の者が半分を費やして五十の力しか使えなくても、総量千の者が半分使っても五百だ」

「そもそもの総量差が十倍なら、減っていても減ったように見えないと……」

「それだけの総量があるなら、そもそも魔術制御も下手なはずがない。もう少し上手くやって、六百か七百まで使えるんじゃないか」

「なるほど、それなら……!」


 アキラはまたも目を輝かせたが、そこに醒めた目をしたユミルから辛辣な言葉が投げつけられた。


「いやいや、その千っていう数字が、そもそも現実味ないじゃないの」

「あ、やっぱり……。最初に持ち出した百っていう数字が、そもそも現実味のある数字って事ですか?」

「それは知らない。どの時代、どの種族、どの国かによって変わるものだし。ただ、千はない。それは間違いないわよ」


 ねめつけるようにミレイユに視線を向け、ミレイユも困ったように目を逸らした。

 

 今までの話を聞いて、アキラは非常に迷っていた。最初は使えるものなら使えるようになりたい、という羨望があった。しかし覚えるまでの苦労、覚えてからの苦労を思えば、憧れのまま仕舞っておいた方がいい、という気もする。

 アキラは難しい顔で腕を組み、じっと考えを巡らせる。

 そして、最後の判断として、一つミレイユに聞いてみることにした。

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