エピローグ その2

 奥御殿の中庭にて、オミカゲ様は一千華を伴って歩いていた。

 最近の一千華は特に細くなり、寝たきりになる事もしばしばだった。


 深い皺と皮、骨ばかりになるのは、年老いた者ならば当然ではあるが、親しい友が弱っていく姿を見るのは耐え難い。

 一千華の体力は筋力と共に衰え、それに準じるように魔力も低下していった。


 本来ならば車椅子でなければ身動き出来ない身体の筈だが、曲がりなりにも歩行できているのは、その魔力による補助があるからだ。

 それでも一人での歩行は危なっかしいからと、一千華には付添い人が居たのだが、今日ばかりはオミカゲ様自ら申し出て、その手を引いて歩いている。


 触れる事で他者の制御を奪い、より効率的に動かしてやれる、というのも一つの理由だが、何より一千華の為に何かをしてやりたかったというのが理由だ。

 細い――細すぎる手首に触れる度に思う。


 既に一千華は己の死期を悟っている。

 背後から忍び寄る影を認識し、それが実際いつ自分の肩に手を掛けるか、それを正確に把握している様な気がするのだ。


 だから、ここのところ寝ている時間が増えるに当たり、オミカゲ様も覚悟を決めていた。

 つい最近も、二日の間、昏々と眠っていたばかりだ。


 ようやく目を覚まし、そして意識が鮮明になるにつけ、オミカゲ様との面談を希望した時は、遂に来たかと思ったものだ。

 しかし、一千華の口から出た言葉は、共にお茶を飲む事を希望するものだった。


 周囲から安静にしているべき、と諭されても、頑強に己を曲げない。

 一千華が望む事は何なりと叶えてやりたい。

 だから、オミカゲ様は中庭に野点のだての準備を整えさせ、今はそちらに移動している最中だった。


 今日は日差しも良く、それに合わせて二人も夏に向いた着物だった。

 単衣ひとえに仕立てた着物の中でも、薄くて透け感のある薄物うすものと呼ばれる物を着こなし、と呼ばれる染め着物の下生地を用いていた。


 オミカゲ様は薄い桃色で、子どもの成長を願う竹と、邪気を払う菊の柄が入っている。

 一千華はそれより随分と大人しめで、薄緑と水色の色使いがヒンヤリとした感じを演出してくれる縦絽だった。

 さりげない花の刺繍が、ひそかな豪華さを添えている。


 今は夏の盛りも迫ろうとする時期で、気温も高い。

 空の陽は高く、空は薄い水色で、雲がぽかりと浮いていた。

 風の流れは穏やかに、さわさわと遠くの木の葉を揺らしていて、涼やかな風は肌を撫でる度に一瞬、暑さを忘れさせてくれる。


 二人が同じものを目で追い、そして視線を戻すと自然に目が合う。

 互いに微笑を向け合い、止めていた足を再開する。


 そうして歩を進めてややしばらく、目的地へと到着した。

 中庭の中にあって人工的に作られた小川が傍を流れ、綺麗に整えられた芝の絨毯の上に、綺麗な赤い毛氈もうせんが正四角形に切り取っていた。


 近くに植えられた梅の木が木陰を作り出しているものの、そこへ一本、本式と呼ばれる野点傘が刺されている。

 趣ある赤の色合いと『直の端』と呼ばれる、傘の端まで直線の美しいシルエットを持ち、『段張り』と呼ばれる技法で、赤白の二色張りにされてあるのが特徴の傘だ。

 格式高い伝統工芸でもあり、晴れやかな日に相応しい用意だった。


 一段高くなっている毛氈の端で草履ぞうりを脱ぎ、茶道具の前まで案内する。

 本来ならば互いに茶人が淹れたお茶を飲む立場だが、今日ばかりはオミカゲ様その手ずから点てて供する予定だ。


 夏の日差しは暑くとも、二人にはそれを制する魔術がある。

 オミカゲ様がそのフォローをしているとなれば、二人の間には朗らかで涼やかな空気しか流れない。


 オミカゲ様は釜の横に座り、対面には正客として一千華を招く。

 一から点てるとなれば、実際に茶を口に含むまで、結構な時間を要する。

 釜に火は入り、湯の準備はされてあるが、最低限の準備だけだ。インスタントコーヒーの様に、ただお湯を淹れて混ぜて終わり、という話にはならない。


 茶碗に予めお湯だけ注いでおき、茶筅も共に温めておく必要があり、その間にも必要なものを用意する。

 一つ一つの所作は緩やかに、優雅であるべきで、その段取りや順番においても、不躾な真似は許されない。


 気安い仲とはいえ、だからこそ敬意を見せる相手には、その段取りと所作が重要になる。

 そして、実際にお茶を点てる段階になっても、互いに会話はない。

 一千華は背中を伸ばして正座しているが、その瞼は閉じられており、互いの間に流れる音は、茶筅で茶碗を掻く音だけだ。


 そして時折、虫の音や風が木の葉を揺らす音、鳥の囀りが耳を楽しませる。

 互いの会話は無粋というより、それ以上を必要としないから無いものだった。

 こうして対面しているだけで、何より雄弁に対話しているとも言えた。

 オミカゲ様が茶碗を差し出すと、一千華はそれを膝の前に置いて、頭を下げて挨拶する。


「お点前、頂戴いたします」


 それが今日、この場で始めて発せられた声だった。

 必死に正常を取り繕うとしていたが、その声は震え、必死の我慢をしていると分かる。

 茶碗を左手に乗せ、右手を添えて押し抱き、二度回してから口元へとそっと運んだ。


 静かに嚥下し、最後の一口を啜って音を点てるのが、感謝を表す作法だ。

 形式ばかりではない、真心の感謝が一千華から伝わって来る。


 茶碗で隠れていた顔が、飲み干した事で明らかになる。

 ほぅ、と細く息を吐き、皺を深く刻んで笑顔を向けた。


「あぁ……、満足です。何もかも、恵まれた人生です……。貴女と共に在れて、光栄でした……」

「こちらこそ、光栄だった」


 呟く様に発する一千華に、笑顔で返礼と共に言うと、その手の内から茶碗が落ちた。

 腕も力なく垂れ、身体が傾くより前に、茶席を蹴って受け止める。

 ひどく細く、そして軽い身体を、胸の内にそっと抱き留めた。


 その表情は実に満足げで、満ち足りたまま旅立ったと分かる。

 一千華もまた、全てにおいて遅きに失した、全てが手遅れだったと、共に絶望した間柄だ。

 それをミレイユが覆し、今の安寧の世で余生を過ごせた事は、確かに幸福だったに違いない。


 日毎痩せ衰え、寿命が迫っていたも、そこに苦慮はなかった。

 オミカゲ様を残す事についても、既に話し合いは終わっていた事だった。


 一つの命として、終わるべき時はある。

 一千華はオミカゲ様の知る、他の誰より長かったが、やはり同様に終わりは来た。

 そしてそれを、穏やかな心で見送る、と決めていた事でもあった。


 布団の上の老衰ではなく、こうした場を選んだのも、一千華に出来る最期の気遣いでもあったろう。

 覚悟を決めていても、目覚めないまま手を握って別れるような場面を作りたくなかったから、こうして無理をした。


 もしも寝たままだったら、あるいはあと三日……もしくは五日、幾らかの延命は出来たろうと思う。

 最期に出来る、一千華なりの気遣いに、改めてオミカゲ様の涙腺が緩む。


「そなたは逝った……。だから良かろう。もう、泣き顔を見せても……」


 一千華の細い身体を抱き、その頭を優しく撫でながら、オミカゲ様は涙を零す。

 頬を濡らし、顎から落ちるのを気にせず、ただ自然の音に身を委ねた。


 木の葉が揺れ、虫の音は遠く、空は青い。

 そこに小さな嗚咽が加わり、風がそれを攫っていった。


 ◇◆◇◆◇◆


 かつて『ミレイユの森』と呼ばれたその地は、多くの罠が張り巡らせた天然の要害だった。

 しかし、戦争が終結した後、それらは全て取り払われ、単に深い森となっている。

 その森も今では商業路が作られ、馬車が三台横並びになれるほど太い道が、里まで貫いていた。


 デルン王国は滅び、その代わりに森の民が大陸の支配者へと収まった。

 しかし、これは現在形式的なものに過ぎず、オズロワーナを支配する者が世界を制する者ではないと、公に周知されている。


 今はまだ時期が早く、その体制も整っていない。

 未だ準備期間という形で、それを実現させる為、今も王城にてテオが辣腕を振るっていた。


 共生と共和、平穏と平和、誰もが不当に虐げられない世界――。

 それは目指すに相応しい志だが、神の横槍が無くとも簡単に実現できる事ではない。

 しかし、テオと周囲の努力が実を結べば、支配構造の終焉も決して遠い夢物語ではなくなるだろう。


 そして現在、王城は慣例に従い森の民の専有地となっているが、森の民しか出入りしていない、とはなっていなかった。

 かつてエルフが居を移し、そこを拠点として生きるようになったように、やはり森の民全てが移居したかと思えば、実際そうはならなかった。


 多くの民が、森の中で生きる事を選んでいる。

 森の中に閉じこもり、森の中だけで完結して生きているわけではないし、今となっては都市へ遊びに行くことも、決して珍しい事ではない。


 だが全てではなく、官吏としての能力がある者は残り、あるいはテオの熱意に賛同した者が、王城で執務を手伝ったりしているのだ。

 希望者は移り住む事も出来、その為の新たな住宅地を作ろうという案も浮かんでいた。

 だが手筈は整えても、実際に移り住むとなればハードルも高い。

 だから拒否する者が多かったのか、といえば、実際の理由はそうでなかった。


 この森には、神が御わす。

 人の目に触れず、地上に居を持たないとされていた筈の神が、この森にだけは起居しているのだ。

 だから彼らは誇りを持って、そして玉体守護の使命を持って、森の中で生活し続ける事を選んだ。


 今はまだ畏れの方が強く、参拝という程、遠方から通う信者は少ない。

 だが、神は心穏やかに過ごす事を望んでいるので、その意を尊重する為にも、森に残る事を選んだ者は多かったのだ。

 今も森の民は、誇り高く森の最奥を眺め、感謝と敬意を持って頭を下げた。


 そこへ、森を覆う程の巨大な影が頭上をぎる。

 雲とは明らかに違う異質な影は、太陽の明かりを浴びて、颶風ぐふうを巻き起こしながら降りて来た。


 これもまた、この森にあって最近見慣れた光景だった。

 見上げる程の赤い巨大なドラゴンが、神処へ訪れる事は珍しくない。

 その為に、今ではすっかり森の一部が剥げてしまった。


 ドラゴンが収まる場所などなく、神処の近くを勝手に使った結果、樹々はなぎ倒され、その巨体がすっぽりと収まる空白地帯が生まれたというのが理由だ。


 本来ならば、ドラゴンという存在は恐ろしいものだ。

 只でさえ街一つ、国一つを滅ぼす事も簡単な魔物でもあった。

 だが、森に御わす神は、それをまるで犬のように手懐けていて、心従させている。

 森に限らず、その周囲で被害が出たという話も聞かなかった。


 ドラゴンさえ、正しき神の前では従順である事を選ぶのだろう。

 それ程の信頼を寄せられている神であるのだから、信奉出来る事を喜びとも思うのだ。


 それがまた、森の民にとって誇らしい。

 だから、畏怖こそすれど、森の民はドラゴンの存在をいつしか当然のものと受け入れていた。


 ――


 そして、その神処――ミレイユの邸宅にて、その主は億劫そうにテラス席へと移動していた。

 ドラゴンが……ドーワがやって来たとなれば、顔を出さない訳にはいかなかった。

 なにしろ、家の中に閉じ籠もったままだと、彼女は何かと口喧しい。


 それで仕方無しに、いつもと同じ場所、用意された椅子へと腰を下ろせば、後を付いて来たアヴェリン達も席に座る。

 いつのも指定席に着くと、今となっては召喚するまでもなく現れるフラットロが、ミレイユの肩に止まる。

 両前足と顎を乗せ、特等席と言わんばかりに、我が物顔で縋りついて来た。


 それに微笑を返して鼻先を撫で、そうして、当然の様に空いている椅子へ座っているルヴァイルへと、冷たい視線を送った。

 自分で用意したお茶を、綺麗な所作で口へ運び、その隣では粗野な所作でインギェムが音を立てて茶を啜っていた。


「……おい、なんでお前達までいるんだ。ドーワが来たからにはお前達も呼ぶ予定だったが、呼んでもいないのに既に居るな」

「良いではないですか、無駄が無くなったとでも思えば。それに、来てはいけないとも言われてませんでしたしね」


 目を合わせる事もなく、しれっとルヴァイルが答えた。

 ここ半年で、随分と面の皮が厚くなったもので、最近では遠慮というものが全く見られない。


 それどころか、何かと理由を付けて接触を図ろうとしており、今では理由さえ適当に誂えてやって来る始末だった。

 天上の神処は当然無くなったが、新たに所在地を定めて、予め逃がしていた神使達とそこで共に暮らしていると聞いている。


 彼女らも神として願力を受け取り、それを振るう理由があって、だから以前より精力的な信仰活動をしているという話だった。

 信仰を得る事は、今後の事を踏まえれば大事な事だ。


 ミレイユもまた、精力的な活動というものを始めなければならないだろう。

 それこそ、オミカゲ様の様に全国へ伝わるネットワークの様な、信仰と循環システムを作る事は必要と考えている。

 だが、それはそれとして、無作法な珍客を持て成してやるのは癪に触った。


「アヴェリン、つまみ出せ」

「ハッ!」


 常と変わらぬミレイユの守護者の立場を大いに発揮し、神相手であろうと遠慮せず二柱を掴む。

 乱暴な手付きで引き摺って行き、その姿が見えなくなるまで見届けると、ミレイユも改めて茶器を手に取り――そして、面前に出来た孔を見て息を吐いた。


 次の瞬間にはインギェムとルヴァイルが現れ、素知らぬ顔で再びお茶を飲み始めている。

 それを見て、ミレイユの横に座ったルチアが鼻白み、その逆側に座ったユミルは大いに顔を顰めた。


「アンタら、ほんと遠慮ってモンがないわね」

「大体、神がそんなフットワーク軽めに、お茶飲みに来るものじゃないと思うんですけど……」

「まぁ、よろしいではないですか。共に世界を再生しようという仲間。……そう、仲間なのですから」


 そう言って、ルヴァイルは熱意の有りすぎる視線をミレイユに向ける。

 決して間違いではないので、ミレイユが否定せずにいると、受け入れられたと思ったルヴァイルの顔が花咲く様に華やぐ。


 両手を伸ばしてミレイユの片手を握り、その感触と温かさを確認しようと撫で回そうとした。

 そして、即座にユミルが叩き落す。この一連の流れは既に出来上がっていた。

 そこへアヴェリンが走ってやって来て、実直に頭を下げる。


「申し訳ございません、ミレイ様! 奴ら……ッ!」


 ギリィ、と奥歯を噛みしめる音に目を向けると、怨嗟が見えるかのような目付きでルヴァイルを睨んでいる。

 当の本人はそよ風を受け流すかの様に、アヴェリンの方を見向きもしない。


「いや、いいんだ、アヴェリン。本気で逃げようとする神を、拘束し続けることは私でないと無理だ。……私も、とりあえず言ってみた程度の気持ちだったしな」

「物事を正確に把握するのは良い事です。大神として唯一顕現する神として、実に素晴らしい素質です」

「何が素質よ。当たり前のコトを口にしただけじゃない」


 ユミルが虫でも払うかのように手を振るが、これにもルヴァイルは無反応だ。

 去年まではいつものメンバーで暮らしていたのだが、今はそこに、ルヴァイルたち二柱が加わる事も多くなった。


 半年前に起きた、あの大戦――。

 あの時、大神から言われた、この世が砂上の楼閣であるという言は真実だった。


 本当に砂のように崩れ去るという訳ではなかったが、その放置は世界の終焉を招く。

 それにただ絶望し、足を止めるなど、初めから考えていなかった事だ。


 これを修復し、あるべき姿に戻すのはミレイユの使命――新たな命題だ。

 滅びを迎えるといっても、惑星が割れて崩壊するような、手を出せない問題でないのは救いだった。


 それはまるで虫食いのように現れ、一部地域をまるで灰の様に崩していく。

 同時にそれは予兆の様なものに過ぎなかったが、その時点で食い止める事が出来れば延命が可能だと、既に判明していた。


 そして、これには神力を当てる事で改善する事は、既に幾度も行ってきた結果として知っているのだ。

 だが、それは場当たり的対処に過ぎず、根本的解決には程遠い。


 虫食いが発生する場所も決まっている訳ではなく、予め何処で発生するかも予想がつかない。

 まるで、かつてオミカゲ様が、孔の侵攻を食い止めていた時の焼き直しの様だった。


 ――何処かに現れ、そして後出しで対処する。

 だが、彼女がやれていた事だ。不毛に思えても続ける意味はある。

 そして、いずれ半自動的な対処法も、構築できると考えていた。


 そこもやはり、オミカゲ様が作り出した結界のシステムを構築すれば、可能だろうと見ている。

 この問題には、解となる前例がある。全く同じではないものの、応用で対処可能、という心構えが出来ていた。


 ミレイユがその自信を全面に出した態度を見せているからこそ、真相を知ったルヴァイル達も絶望せずに済み、それどころかよりミレイユへ信頼を寄せるようになった。


 今は場当たり的対処しか出来ない。

 しかし、神力で解決する問題でもあり、いずれ解決する目途が付いている問題でもある。

 そして大地に水を注ぐかのように、少しずつ改善していく問題でもあるのだから、長い目で見れば良いだけだ。


 未だミレイユは、神として受ける信仰は少ない。

 だが、他にも頼りに出来る神がおり、それらと協力するのなら、虫食いを止める事は難しくないのだ。

 

 そして、ミレイユが神として成長し、より広く信仰を集め、より深く神力を扱えるようになったなら――。

 そこでようやく、改善へと乗り出していける。

 今は焦る時ではなく、その成長を考える時だ。


 そして、ドーワが現れたというのなら、一つの問題を発見し、報告しに来たという事になる。


「それで、見つけたのか?」

「あったよ、今回は虫食いが三箇所だ」

「それはまた……、長丁場になりそうですね」


 ルチアが同情するように言って来て、ミレイユは元より、ルヴァイルまでもがげんなりと息を吐いた。

 指先を向けてチョイとやって終わりではなく、虫食いを鎮めるには長い時間が必要になる。


 その間には魔物の襲撃も皆無とは言えず、だからアヴェリンを始めとした護衛の存在は必要だった。

 今更魔物ごときに遅れを取るミレイユではないが、虫食い一つに集中できる方が、やり易いのは言うまでもない。


 当然、そうなればルチアやユミルも同行する。

 だから彼女らにとっても他人事ではないのだが、掛かる労力が段違いなので、そういう言い方になってしまうのだ。

 ミレイユはドーワに労うつもりで手を挙げ、思わず大きなため息を吐く。


「何にしても、報告ご苦労だった。その三つは固まってあったか?」

「いいや、全然別だね。結構離れてるよ」


 辟易した気持ちを抑えきれず、またも大きく息を吐く。

 ドーワには虫食いの発見を任せ、世界中を飛び回らせているから、苦労というなら彼女の方が苦労には違いない。


 だが、大神の手足として、その目として動ける事が嬉しいらしく、その事で文句を言って来た事は一度もなかった。

 それどころか、発見した後はその背に乗って移動する事になるので、大神唯一の翼として己の在り方に誇りを持ってしまっている。


「苦労が無いとは思ってなかったし、苦労するつもりで帰って来たが……。私としては、もう少し……こう、違うものを想像していた。こんなにあくせくと、世界中を飛び回って汗を掻く真似をするとは……」

「何だっけ? 木陰で茶を飲んだり、無為に過ごす時間を望んでたんだっけか?」


 インギェムが揶揄するように言うと、ルヴァイルは肩を竦めて言葉を返す。


「現状、それと似たようなものにはなってます。つまり、妾はそれを上手に提供できているという事ではありませんか」

「……恣意的に事実を曲解し過ぎでは?」


 ルチアが半眼で見つめて口をむっつりとへの字に曲げた抗議も、ルヴァイルには些かの動揺を誘えなかったらしい。

 ユミルが努めて無視して、ミレイユへと指を向ける。


「まぁ、それもカミサマの仕事と思って、アタシ達の為に頑張ってよ。……ねぇ、ミレイユ神?」


 悪戯が成功した子供の様な笑みを浮かべ、次いでユミルは片目を瞑った。

 再び溜め息を吐きたい衝動に駆られたが、それをグッと飲み込む代わりに紅茶を飲み干す。


「その呼び名は止めろ言ってるだろ。……何かこう、しっくり来ない」

「あら。じゃあいっそ、新しく名前でも付ける? 神は真名を隠すものらしいし?」


 ユミルがルヴァイル達へと流し目を送ると、はぐらかす様に肩を竦めた。

 単なる冗談として口にしたものかもしれないが、それも案外悪くない事の様に思われた。

 まるで他人事の様に感じるというなら、いっそ違う名前で呼ばれるというのも、アリなのかもしれない。


「まぁ、良いのがあったら考えてみても良いな……」

「じゃあアタシ、張り切って考えちゃうわよ。ホベンベとテペロベ、どっちがいい?」

「……お前に名付けのセンスがないのは理解した。もう二度と考えるな」

「やぁね、冗談よ」


 ミレイユが盛大に顔を顰めたのを見て、ユミルは満面の笑みを浮かべた。

 そこへ、我慢し切れなくなったアヴェリンが口を挟む。


「ミレイ様の御名というならば、当然お前一人の案が採用されるなど有り得ない! もっと気高き、美しい名でなければ!」

「単に美しい響きってだけじゃダメですよ。名前そのものに、最低二つは意味が含まれてませんと、箔ってものが付きません」

「なるほど、もっともだ」


 そこへルチアまでもが参戦し、場は一気に喧々たる様相を呈して来た。

 更にルヴァイルまで参加を表明し出し、最早まとめるのは不可能と悟って強制的に中断させる。


「話題を横道に逸らした私が言うのも何だが、お前たち、その辺にしておけ」

「そうとも。虫食いの対処に赴くって話、してた筈じゃないかい」


 ドーワからも苦言が飛んで来て、アヴェリン達はとりあえず矛を収める事で同意した。


「確かにそうでした。一分一秒を争うほど切迫したものでないにしろ、対処が早いに越した事はありません」

「そうよね、まず準備よ。それこそ空の旅の間、丁度良い暇つぶしになると思えば良いでしょ」

「暇つぶしで、私の名前をオモチャにするな」


 ミレイユが渋い顔をすると、ユミルまたも笑みを浮かべた。

 今度は何も口にしなかったが、指先を向けて、二度指す様なポーズを取る。

 最近は、何かとミレイユの嫌がる顔をさせると喜び、何が楽しいのか機嫌が良くなる傾向にあった。

 彼女なりの愛情表現なのかもしれないが、もっと別の形にしろと言いたい。


「ともかく、手早く準備をしろ。終わり次第、即座に出発だ」

「了解よ」


 アヴェリン、ルチア、ユミルが席を立ち、言われるがままに装備を取りに邸宅へ戻る。

 準備の必要がないミレイユやルヴァイル、インギェムは準備が終わるまで待機だ。


 ミレイユは待っている間、椅子から立ち上がり、テラスから出て顔を上げた。

 そして、空の向こうに故郷を思う。


 結局、忙しくてあれから一度も故郷の土は踏んでいない。

 神の理として世界を越えられないのではなく、この虫食いへの対処方法などを確立するまで、安心出来なかったから行けなかった、という実情がある。


 どうやら、二つの異なる世界から、別々に願力を得た事により、どっち付かずの神が誕生したらしい。

 他の神とは違い、デイアートと地球という異なる世界に対して、ミレイユは行き来する事が出来る。


 だから、地球と――日本と隔絶される事なく、今となっては孔を継続的に繋げられ、そして危急の問題があれば繋げる事も許される。

 それが一種の拠り所で、だからミレイユはこの世界で、腐る事なくやって来れた。


 ミレイユは、この世界で神として生きる。

 それは誓いでもある。

 この世界を助けると、一度決めた事だから、それを最後まで貫く。

 何年、何百年、何千年掛かろうと、オミカゲ様がやり遂げたように、ミレイユもまたやり抜く所存だった。


 それを辛いとは思わない。

 何しろ頼りになる仲間がいる。

 

 今も振り返れば、装備の点検をしながら戻ってくる顔ぶれが見えた。

 彼女らが共にあるから、ミレイユはどこの世界だろうとやっていける自信がある。


 その彼女らが、席から立ったルヴァイル達とも合流し、気安い態度で接しながら歩いて来る。

 嫌な顔、煩わしい顔、それを意に介さぬ顔に、むしろ面白がる顔――。


 ミレイユには仲間がいる。

 ミレイユという新たな生で得た、最高の友だ。


 それを思うと、何故だか無性に笑いが込み上げて来て、それを隠したくて空を見つめた。

 不意な笑顔を見せるのが気恥ずかしくてやった事だが、上向くだけでは到底足りない。


 両手を重ね上に顎を乗せる姿勢で待つドーワへ近付き、その頬に手を当てる。

 その恰好で隠せないか試みたが、当のドーワにはしっかり見られた。

 微笑ましいものを見るように瞳孔が細くなるものの、ドーワは何も口にしない。


 ミレイユは改めて顔を上げ、その視線の先には、透き通るような空が見える。

 白々とした雲が流れ、それを突っ切る様に鳥が羽ばたいた。


 空の色は、どこまでも優しさをたたえていて、どうにも感傷的にさせられる。

 ミレイユは優しい水色から視線を切って、やる気万端のアヴェリン達へ向き直った。

 結局、笑顔は隠し切れなかったが、彼女達から驚きつつも受け入れる笑顔を返されて、一つ頷く。


「さぁ、出発だ!」



                  神人創造 ~無限螺旋のセカンドスタート~

                               終

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【完結】神人創造 ~無限螺旋のセカンドスタート~ 海雀 @umesuzume

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