幕間 その4

「……それって、お前の主観の話だろ? 本当に上手く封じ込めておけるのか、それ程までに脅威の相手なのか不明じゃないか。誰だって手を嚙まれたくない……そりゃ当然だが、それで確実に脅威を拭い去れるものかねぇ……」

「贄として、価値ある存在という事実も、忘れられても困るわよ」


 それまで黙っていたシオルアンが、小さな声で言って来た。

 元より大声を出さないタイプの女神だが、今回は殊更小さかった。

 ルヴァイルやグヴォーリの主張を、小馬鹿にする態度のせいでもあるかもしれない。


 ひと柱の態度を許すと、他の者も同様に我を通そうとするのが神というものだ。

 常に控えめな態度のオスポリック以外が、ここぞとばかりに会話に混ざり始める。


「だったらやっぱり、射掛けてやって危機感煽りゃ良いじゃねぇか。強いらしいってのを認めない訳じゃないが、そうは言っても素体でしかないんだろ?」

「じゃあ、それに誰が付き合うと言うんです。指先どころか腕の先まで食い千切られると分かって、穴に手を入れる馬鹿はいませんよ」

「だからやっぱり、『鍵』を捨て去る方が可笑しいんだって。多少危険でも、掴む価値はある。だって、それで全て解決するんだろう? 固執する必要ないって意見も分かるが、だからって惜しまない、という話が正論とも思わない」

「一度は納得したんじゃないのかい。好き勝手言うんじゃないよ」

「誰も納得したなんて言ってない、不満だらけだ。次の素体で成功させれば良いって言うが、それ本当に成功するのか? 今回の素体に辿り着くまで、一体どれだけ失敗した? 都合よく次も上手く転ぶのか? そんな事にはならねぇよ」


 ひと柱が勝手をした事で、喧々諤々けんけんがくがくとした様相になって来た。

 これもまたいつもの事で、止めようとして止まらないのも、またいつもの事だ。

 途中で遮られると不機嫌さを増す者も多い。


 ルヴァイルはインギェムに目配せすると、即座に察知した彼女が面白そうな口調で口を開く。


「だったら、それぞれ話を進めりゃ良いじゃないか。いつも通りさ、我らが纏め役が、上手く話を纏めて、次善の策ってやつを作ってくれるだろ?」

「そうですね、いつだってそうして上手く切り抜けて来た方ですから。今回もまた、上手くやってくれるに違いないでしょう」


 ルヴァイルもそれに乗っかると、グヴォーリは頭痛を堪える様な顔をして目を向けて来る。


「それもお得意の、見て来た光景って訳かい?」

「見て来たところで、話は変わらないでしょう。彼らは己の意見を引っ込めません。下手な争いになる前に、纏めるものを纏めてしまえば宜しいと思います」

「下手に手を出せば、危険だという話だった筈だが?」

「これも放置すれば危険に変わりありません。どちらを取るのか、という話になると思います。逃がす前に挑戦させるも良し、逃がしたところで鍵を奪いに行くも良し、そのまま果てるのを期待するのも良いでしょう」


 ルヴァイルが幾つかの献策を告げると、ラウアイクスは大いに顔を顰めた。

 その間にも、彼の頭の中では目まぐるしく計算をしている筈だ。

 そして結果として、全ての者が、そこそこ納得する折衷案を導き出す。


 ルヴァイルはホッと息を吐きたくなって、意志の力で押し留めた。

 今もグヴォーリは、細かな動きも見逃すまいと、つぶさに分析しているところだ。


 ルヴァイルの良く知る流れに戻って来られたのだから、このまま押し切ってしまうのが得策だった。

 ここから先となると、最早本当に自身の知識は当てにならないが、それは既に覚悟していた事だ。


 後は彼らを引っ掻き回しつつ、ミレイユへと攻撃したい者の足止めをするなり、デイアートからの追放を後押しする作業を手助けすれば良い。


 既に次のループはない、と考えているし、これを最後とも考えているものの、最後の最後の隠し札を用意していても良い筈だ。

 ミレイユは望まないだろうが、昇神の切り札は用意しておきたかった。

 ここから先が分からないからこそ、彼女の為に、本当の最悪を回避する策は用意しておきたい。


 ――その時の事だった。

 慌ただしい足音が聞こえたかと思うと、議場の扉がゆっくりと開かれる。

 急いでいる事は分かっていても、神々が一同に集う場所での狼藉は控えたいらしい。


 兵士の一人はその場に片膝を突くと、こうべを垂れて返事を待つ。

 どの様な場であれ、礼儀を失わないのは素晴らしいが、嫌な予感が胸をよぎる。

 一刻の無駄も出来ないから、彼の兵は会議が終わるのを待たずに入室したのだろう。


 だが、直答を許される前に発言しないところを見ると、切羽詰まったものではないのかもしれない。

 この様な状況にあって、神々の機嫌を損なう様な振る舞いをするからには、相当な変事である事も窺えた。


 それは、今日の議題にも上ったミレイユ関連という気がしたが、それにしては可笑しい。

 ルヴァイルはミレイユと話し合った、その翌日に神鳥を派遣した。


 人語を解し、その命令に忠実という神造の鳥だが、そちらからは何の報告も上がっていない。

 もしも何か大事――攻め込む前兆などがあれば、その報告をして欲しい、とも伝えてあるので、まだ作戦決行前と分かる。


 だが、報告がまだ無い以上、ミレイユ達ではないと推測できる。

 では一体、何があったのか……。

 ルヴァイルは気が気でないまま、思わず右手を胸に抱き、ラウアイクスが返答をするのを待った。


「直答を許す。この様な場にあって、何を理由に押し入って来た。返答次第では容赦せぬ」

「ハ……、ハッ! 予てから申し伝えられておりましたとおり、デルンにて異変ございましたので、そのご報告に参りました!」

「……デルン?」


 ルヴァイルが思わず声を出してしまったのも、無理からぬ事だった。

 あの場は監視されている、と伝えていた筈。

 行動を起こすにしろ、それは神々から余計な横槍を招く事になり、益となる部分は少ない、とも伝えていた。


 神々の鼻を明かしてやりたい、という意志は透けて見えていたし、機会があるならやるかもしれない、とも思っていた。

 だが、これからドラゴンとの交渉もあるという段階で、その介入を招く様なやり方は、自滅に近い無謀行為だ。


 まさか、という思いでルヴァイルは言葉を待つ。

 理性的で、知恵が回り、物事の先々まで見えるミレイユ、と思っていただけに、歯噛みするほど悔しい思いが胸中を駆け巡る。


 そして同時に、いいや、と否定する気持ちも駆け巡った。

 ミレイユは、正しく物事を見極める視点を持っている人物だ。

 あの時、言葉を交わし、信頼できる人物という思いを新たにした。


 無謀行為などする訳がない、と自分に言い聞かせて、食い入る様に兵を見つめる。

 そして、ラウアイクスから兵に向けて、厳かな声が降りた。


「……確かに、デルンにて何事か起きる可能性があり、その為に良く見ておけ、とは言っていたな」

「それ今、起きたってのかい?」


 グヴォーリから訝しげな声が上がる。

 そうして兵に目を向けながらも、ルヴァイルとインギェムへの注意は怠っていなかった。

 どこかに関与していると疑っていて、そしてそれがどこに及び、どこまで繋がっているか、まだ分かっていないのだろう。


 ルヴァイルにとっても、それが分かったのは収穫だった。

 もしかしたら、自白を引き出すまでもなく、大まかな所まで把握されているのかも、と思っていたのだ。


 だが実は、むしろ疑心が強いだけ、という段階なのかもしれない。

 それが分かれば、シラを切り通すのも楽になる。

 事前にインギェムと相談していたとおり、知らぬ存ぜぬで言い逃れる見通しも立ってきた。


 グヴォーリは些細な機微からも洞察する分析力を持つので、それが表に出ないよう、極力注意しながら息を吐く。

 兵がもたらす情報に、不自然さや不可思議さを感じているのは本当だから、その疑念を素直に出すのは苦労しない。

 そこへラウアイクスが、兵に向かって重ねて問うた。


「異変というのは、どういう事か。森からエルフどもが攻め込んだか」

「ハッ! まさしく、仰るとおりにございます! 一気呵成に攻め込み、そのまま城内へ侵入、守り切る事が困難な状況と察せられます!」

「ふむ……? そこまで深刻な状況になるまで、黙って見ていろ、と言った覚えもないが……。早すぎるな……、ミレイユが手を下したか?」


 圧倒的戦力を持っていれば、オズロワーナの城壁など有って無いに等しい。本隊が進軍するより早く、城門を予め落としておく事も可能だろう。

 一人二人が先発したところで簡単に出来る事ではないが、それもミレイユの手勢ならば容易く遂行してのけるだろう。


 ――しかし。

 それが意味ある行動かと言われれば、首を傾げざるを得なかった。


 これまでの森が受けてきた不遇や、彼らの意義を思えば、それを手助けしてやりたい気持ちは理解できる。

 だが、多くの前提を理解しているミレイユが取る行動としては、あまりに無駄が多い。


 神々に対しての嫌がらせや腹いせ、というにも、やはり稚拙だった。

 神々の真意を知っているミレイユからすると、そこに意味がない事も理解している筈だ。

 デルンは便利な駒だったが、スルーズが居なくなった今、固執する存在でもない。


 これまでどおり不都合な王であるなら排除して、新たに王族を立たせ、神々の恩寵を感じさせて転がせば良いだけだ。

 その当たりはグヴォーリやラウアイクスが上手くやるだろう。


 何千年と繰り返して来た事だから、彼らにしてもお手の物だ。

 ここ数百年、少し楽が出来ていた事実はあったにしろ、喪って痛い損失ではない。


 この件を持って、ミレイユを世界の敵に仕立て易くなったので、攻め立てるには便利な構図になっている。これを扇動する事で、この世にミレイユの居場所なし、と思わせる事も出来るだろう。


 ルヴァイルはチラリ、とラウアイクスへと目を向ける。

 彼はミレイユを世界から追い落としたいと思っているので、これを上手く利用できないか考えている筈だ。

 どこかのタイミングでタサギルティスと一戦させ、不満の解消を手助けさせてやりつつ、追放できれば良いとソロバンを弾いている。


 その後は、『鍵』として使いたい神に、自分で取り戻せれば好きにして良い、とでも言い包めるだろう。

 自分に損がなく、そして周囲にも損がない形に落ち着けば、神々はとりあえず納得してくれる。

 元より完全な形で了承できると思っていないので、現実的な妥協案が提出されれば、それで納得するのが常だった。


 現在の流れは、ルヴァイルの知る流れに良く似ている。

 だからきっと、それに近いものとなるだろう。

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