幕間 その5

 しかし、続いて兵の口から出てきた言葉に、ルヴァイルの困惑は更に増した。


「いえ、ミレイユめは、その数日前に都市を訪れ、当日の内に去っております。軍の中に、その姿が無かった事も確認済みでございます」

「確かか……?」

「はい、間違いございません」

「……行き先は?」


 ラウアイクスの質問には、少しの間があってから返答があった。


「申し訳ありません、途中で見失っております。幻術による目眩ましも警戒しての監視でしたが、暫くのあいだ東へ移動した後、森を通過した辺りで……」

「なるほど……。東進は確実で、そしてそこから姿を隠した……が、再びオズロワーナへ戻った訳ではないのだな?」

「は、間違いございません。周辺にて、転移による魔力波形も確認できず、一足飛びに戻ったとも考えられません」

「ふむ……」


 ラウアイクスは息を一つ吐くと、そのまま黙り込んでしまった。

 ミレイユは転移できる術を持っていた筈だし、それを知っている事に今更驚きはない。

 そして高度な魔術ほど、マナに多きな影響を与えるものだ。


 転移ほど高度な魔術なら、周囲のマナに何の影響も与えないで行使するのは不可能で、これは早く動く物体が空気の抵抗を無視できない状態と似ている。


 だから、森やその周辺で強い魔力波形が観測できなかったというのなら、それは転移が行われなかった、と判断できるのだ。

 だが、忽然と姿を消したというのなら、何かしらの作為があったと見るべきでもあった。


 他の神々も怪訝な表情をしていたが、頭脳役として動くのは、常にラウアイクスとグヴォーリだ。

 だから視線も自然と、その二柱に集中する。

 全員の視線を受け取りつつ、グヴォーリはそれらを無視して、兵に質問を投げかけた。


「見失ったからと言って、城攻めのエルフ達に合流したって事でもないんだね?」

「ハッ、ございません! まず真っ先にそれを疑いましたので、それについてはしかと確認いたしました!」

「……あぁ、そうだろうね。だからこそ、東進は欺瞞と見るべきだ。本当の目的は別にある」


 ラウアイクスは一つ頷き、ルヴァイルに目を向けながらも兵に問うた。


「『遺物』に、何か変化は……? 特別な事情でもない限り、この段階で使うものではないだろうが……足取りを見失ったとはいえ、向かう先は限られてくる」

「申し訳ありません! 森とその周囲の探索、そして都市への潜入を警戒しておりましたあまり、そちらの方面には注視しておりませんでした!」

「あれの監視には、複数人を当てていただろう。それでもか?」

「ハッ! 森まで移動していた速度からしても、それほど速く辿り着けないと見て、周辺や都市内の探索に注力を傾けました。現状でも動きは見られません」

「――移動速度なんて、何のアテにもなるもんか」


 グヴォーリが吐き捨てる様に言って、そして実際、兵に向けて蔑む視線で射抜いた。


「全く呆れる……。見られている事を自覚しているからこそ、森での隠蔽工作だろう。視線を切って、どこかへ移動するつもりだった。騙すつもりでいたんだから、それまでの移動速度は誤認させる為に、わざと見せた移動だったに決まってる」

「――では、君はどこへ行ったと思うね?」


 ラウアイクスが尋ねると、グヴォーリもまた、ルヴァイルをちらりと見てから声を発した。


「この段階で、『遺物』に行くというのは道理に合わない。ミレイユは現段階で、使用可能にあると知らない筈だからね。それならむしろ、『ここ』を目指して移動している、と考えている方が理屈に合う」

「確かに、オズロワーナから東進すれば大瀑布が見えてくる。だが、越える手立ても無いだろう。仮に越える事だけ出来たとて、水流の対策とて疎かには出来ない。魚であろうと魔獣だろうと、その背に乗って辿り着けるものではない」

「ミレイユ一人なら、辿り着けるかもしれないでしょう?」


 それまで黙して語ろうとしていなかったオスボリックが口を開き、誰にも視線を合わせず、手元に固定したまま続ける。


「グヴォーリも、いつか言っていた筈です。自死の危険を悟った時、最後に行うのは自滅覚悟の暗殺だと。ひと柱でも道連れに出来れば上々、という考えの元に攻撃してくる可能性があると……」

「……言ったね。馬鹿でないなら、やらないとも言ったと思うけど」

「君なら分かるのではないか、ルヴァイル。乗り込んでくる無謀を、理解しながら決行しようとするだろうか」


 ラウアイクスから水を向けられ、全員の視線が集中する。

 この質問は一種の炙り出しだ。

 ある程度、答えを予測した上で、ルヴァイルがどう答えるか観察している。


 彼はグヴォーリの方へ顔色を伺うような事はせず、ひたりとその相貌を向けていた。

 それがどういう心境の表れなのか、向けられる視線から想像がついた。


 だが、この程度の質問なら問題はない。

 可能性の一つとして挙げるだけだし、信じようとしない神々が多いのは事実だが、嘘を言うつもりもなかった。


 神々はミレイユの設計思想を知っている筈なのに、その結果どれほどの力量を持つかを正しく認識していない。一種の傲慢さの現れでもあるのだろう。

 愚かだと思うが、だからこそ、付け入る隙が生まれている。

 傲慢とは、どれほど肥大しようと限りがあって止まるものではないらしい。


「えぇ、ミレイユは攻め込んで来る可能性があります。大抵はタサギルティスが先走って攻撃し、仲間の誰かを損失させた場合に、そうなりますね」

「俺が……? いや、そいつは別に良いが、だったら何だって止め刺してねぇんだ?」

「逃げられるからです。本気で逃げようとするミレイユは、方法も選ばないので捕らえるのは困難を極めます。仲間の内から、必ず逃がそうと身を挺して庇う者も出ますしね」

「それが……仲間を失った怒りが、それの原動力になっていると? 乗り込んでくる、とはにわかには信じられないが……」


 ラウアイクスが訝しげに首をひねると、ルヴァイルはしたり顔で頷いた。


「あくまで可能性の一つとして起こり得る、という話です」

「そうだろうが……しかし、現段階でも不可思議な動きをしているのは事実だ。森から動き出したのは別に良いとしても、前段階では余りに大人しく森に引きこもり過ぎていた。それは思う壺だから文句もないが、移動と同時に姿を眩ましたのは、由々しき事態だ」

「この段階で、どう動くかは理解してるかい?」


 グヴォーリから質問が飛んで、疑念に満ちた視線と合う。

 嘘を言っていない事は分かっていても、それだけで疑いが晴れるものでもないのは、十分理解している。事実を述べるだけで良いとはいえ、あまりに露骨な情報は別の疑念を生む。

 その匙加減が難しいところだった。


「時期は前後しますが、動き出すのは大抵、タサギルティスかブルーリアが仕掛けた場合です。お二柱が何をしたしたかで、結果は変わりますね」

「ほぅ? ……という事らしいが、何かしたのか?」

「いやいや」


 ラウアイクスから顔を向けられ、二柱の神は同時に首を横に振った。


「ミレイユについては、色々ゴタ付いているのは知ってるんだ。あんた主導で動かしている計画だ。それを知ってて、勝手に動いたりするかよ」

「先程は、先走りしそうな雰囲気がありましたけどね」

「雰囲気だけだろ、何もしてない。それに、信徒をけしかける程度は、例えそうであろうと物の数には入らねぇだろ?」

「……したんですか?」


 オスボリックから蔑むような視線を向けられ、タサギルティスは手の動きまで加えて否定する。


「いや、例えだ、物の例え。やろうとしてたし、止められてもやろうとしてたのも事実だけどよ……でも、それぐらいなら許されるだろ?」

「神使を無駄にしたいだけ、というなら止めはしないが……。実際、神使ごときでは、十人揃えたところで太刀打ち出来まいしな。だが、未だけしかけていないというのなら、やはり動きに不自然さは残る」


 そう言って何かを疑う仕草で顔を向けてくるが、ルヴァイルは何処吹く風という態度を取った。

 というより、他の反応を見せる訳にはいかない。

 疑われる事を不本意に思いながらも、出せる情報は出す、と思わせなければならなかった。


「とはいえ、まずはその動きを捉える事から、始めなくてはならないか。――おい、ミレイユを見失ったのは何日前からだった」

「四日前からでございます!」

「そして、今の今まで再補足できていない……。『箱庭』を持っていない今、場所を特定するのは簡単ではなかろうが……。まだ四日目でもある、それで何を出来る訳でもない。少し腰を落ち着かせてやれば、間もなく見つかるだろう」

「というか、四日も前に見失って、報告なしの方が問題だと思うけどね」


 グヴォーリが兵を睨み付けると、恐縮しきって頭を下げる。

 身体が僅かに震えているのは、神の勘気に触れれば、容易く命を落とすと知っているからだ。

 そして、だからこそ、報告がなかったとも言える。


 その詳細を尋ねられるより前に再補足してしまえば、見失っていた事実を無かった事にも出来ただろう。

 叱責を恐れるが故の事だと分かるが、そこに同情する神などいない。


 ルヴァイルが、そう胸中で考えを整理している時だった。

 先程の焼き増しの様に、慌ただしい足音が響いたかと思うと、開かれた扉に兵が駆け込んでくる。


 礼儀を弁えているので、入室するより前に膝を付き頭を下げていたが、その口からは煩わしい程の息切れが聞こえて来ていた。


 流石にその様な態度を見せられては、いち兵士の糾弾など後回しだ。

 何事かとラウアイクスが尋ねれば、顔を上げた兵が泡を食った表情で告げた。


「ど、ドラゴンです……! ドラゴンが、ここまで!」

「なに……? あの大瀑布を、滝登りして来たと? 有り得ん話だが……」


 その報告は、ルヴァイルからしても耳を疑う程のものだった。

 ――早すぎる。

 ミレイユにドラゴンを味方にする事が、打開策の一つだと告げてはいた。

 しかし、出発日時や消息を把握できなくなった日数などから、まだまだ多くの時間が必要だと思っていたのだ。


 何をするつもりであるにしろ、それより前に発見できると思っていた事だろう。

 それはルヴァイルからしても同感で、動向の完全隠匿は不可能だと思っていた。


 城攻めについてもそうだ。

 短時間で攻略せしめたからこそ、そこにミレイユがいる事を疑う要因になった。

 だから、きっと現場にいる筈だ、と注力するのは当然だったろう。


 まさか、その四日間で『遺物』まで辿り着き、そのうえ踏破しただけでなく、竜の谷を越え味方に付けたというのはどういう事か。


 ルヴァイルはまさに混乱の極致にあったが、いや、と改めて思い直す。

 まだ、兵の報告全てを聞いていない。

 本当に滝登りをして到達した、何かのドラゴンが出ただけかもしれないのだ。


 ルヴァイルが早合点を自省しながら、しかし事実とは異なると半ば予想していた。

 意味不明と頭を混乱させているのは他の神々も同様で、兵の口から出る言葉を待っている。


「違います、ドラゴンが……空を、空を飛んでいるのです!」

「馬鹿な!」


 発言したのはグヴォーリだったが、誰もが同じ気持ちだったに違いない。

 ルヴァイルもまた同意見で、何が起きているのか見当も付かなかった。


 最早、自分が知っている時間の流れにないとはいえ、ここまで何もかも違うと面食らうだけでは済まない。

 いま起きている事を予想しようと頭を働かせたが、結局それは形にならず、単に思考が停止してしまった。


「それで……まさか本当に、ドラゴンが飛んでいるだけか? 違うよな、他にも何かあるだろう?」

「ハッ! 目についた神処を手当たり次第に襲っております。数も多く、地上にいる神使達だけでは太刀打ちできません!」

「何を馬鹿な……! 空を飛ぶというなら、『遺物』を使われない限り不可能だ! まだそんな所まで行ってないんじゃないのか? 四日前にはオズロワーナ周辺に居たんだろう!?」

「事実だけを考えなよ。ミレイユの動向を見失っていた上、視線すら外れていたんだ。その間に何かしていたんだとしても不思議じゃないね」


 神々の阿鼻叫喚とも言える混乱が、議場に吹き溢れた。

 無理もない。ルヴァイルもインギェムと顔を見合わせ、呆然としてしまっている。

 ルヴァイルは確かに道を示した。最も成算の見込みがある方法は、ドラゴンを活用することだと伝えた。


 だが、これほど素早く達成し、これほど鮮やかな奇襲を仕掛けられるなど、夢想だにしていなかった。

 最古の四竜も共に来ている事は想像に容易く、そしてそのアギトで食い潰してやろうと、憎悪を煮え滾らせているのも間違いない。


 それが分かるから、戦闘が得意でない神などは顔面を真っ青にさせてしまっている。

 鳥以外から空を奪った過去が、ここにきて兵たちも反抗する手段を奪われているのは皮肉な話だ。

 ラウアイクスにも僅かな動揺が見られて、その彼が傍らのグヴォーリへ声を掛けた。


「どう思う、グヴォーリ」

「何があったにしろ、ルヴァイルは違う。インギェムもだね。あれは取り繕った感情でも表情でもない。あいつらも知らなかったのは確かだよ」

「シロと断言できる材料ではないが、何れにしろ――ここで座視している訳にはいかないか」

「アイツらの目的は明白だ。暴れまわりたいだけだね。そして復讐を果たそうしている。神処自体はどうでも良いが、落とされる場所次第じゃ、ちょいと困った事になる」


 オスボリックは既に動き出していて、己の神処に引き籠もろうとしているのが分かった。

 彼女の権能は防衛戦に向いているし、何よりグヴォーリが言った、落とされて困る場所の筆頭だろう。

 ルヴァイルとしては、素直に帰らせる事も防ぎたいし、他の神々が協力して戦う状況も防がねばならない状況だった。


 インギェム、と声を掛けて、頷きを一つ見せるだけで、彼女も即座に理解を示す。

 それ一つで意思疎通できるほど、ミレイユが攻め込んで来た場合の話合いは済ませてあった。

 現在は予定と違う様相を呈しているものの、その時の作戦は流用できる。


「ラウアイクス、これを迎え撃つ形で動く、という事で構いませんね」

「あぁ、そうするしかないだろう。……が、ルヴァイル。ここで君を自由にさせるのは怖いのだがね?」

「言ってる場合ですか? 手が足りる状況とも思えませんが」


 ラウアイクスは暫し考える仕草を見せてから、ルヴァイルから顔を背け、別の神へと言葉を投げる。


「タサギルティス、ブルーリア、一先ずお前たちが先行してくれ。特に射術と自在の権能を持つタサギルティスには、やりがいある相手だろう」

「その様だな。――勿論だ、任されよう」


 獰猛な笑みを見せながら、胸を張って答えたタサギルティスだが、身内の中にある毒の味というものを知らないらしい。

 それをとくと教えてやる、と最後にインギェムと視線を合わせ、ルヴァイルは胸に抱いた右手を握る。


 今も掌の中に残る温かな感触が、ルヴァイルに勇気を与えてくれていた。

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