幕間 その4
アキラの周りには既に多くの女生徒が取り囲んで、その傷を治療しようとしていたのだが、しかし同時に諍いも起きていた。
「ウチがやるから、あんた引っ込んでなよ!」
「何言ってんのよ、治癒術ヘタクソな癖に、こんな時だけ出しゃばらないでよ!」
「はぁ? あんたよりマシですけど!」
「どっちも似たようなもんでしょ、下手な治癒されたらアキラ様が可哀想よ。私がやるわ」
「何がアキラ様よ、さっきまで失望するような目で見てた癖に!」
「でもアキラ様って呼び方はいい」
「それね、それはね。でもあんたはお呼びじゃないから、どっか他所いってなさいよ」
今はピクリともしない気絶したアキラを巡って、誰が治癒するかで大いに揉めている。誰がやるか言い合う暇があるなら早く治癒してやれと思うのだが、そこに浅ましい下心が加わる事で、熾烈な争いとなってしまっているようだ。
七生は盛大に溜め息を吐きながら、治癒術士以外の、輪になって様子を窺っている生徒達へと分け入っていく。
「いいから早く治癒してあげて! 崎守さん、あなたにお願いするわ。このままじゃ、いつまでたっても終わらないもの」
「お任せ下さい」
七生自身が使えれば、有無も言わさず治癒しに走ったのだが、この場面ではそうもいかない。心配そうであるものの、争いに加担しなかった一名を指名した。
役得とでも思ったのか、頬を紅潮させてアキラへ近付いていく。
あれも要注意だな、と思いながら施術されていく姿を見守る。
傷は実際、酷いものだった。打撲に裂傷、骨折まで、およそ一日の訓練で受けるような怪我ではない。理術士は頑丈で、治癒によるサポートがあるとはいえ、ここまで過酷な訓練は課されないし、進んでしようとも思わない。
実際、骨折の一つも自覚したなら、まず棄権を申し出るだろう。
だが、アキラは戦い続ける事を選んだ。傷を受けても、骨を折られようと、戦う意思までは折れなかった。これが鬼を相手にする際、どれほど勇気づけられる行動であるか、言わなくても伝わる。
実際、彼女らの熱狂的支持は、そこにこそあるのだろう。
御由緒家二名による私刑とも取れる試合に、あそこまで果敢に喰らいついた。終わってみればアキラの完敗でしかなかったが、その試合内容を見ればアキラを見直すには十分すぎるものだった。
先の試合の失点など、あってないようなものだ。
とっくに取り返して、アキラの株はストップ高まで急上昇している。
ギリィ、と七生の奥歯が音を立てた。
朝の段階でも、既にその人気は高かった。実力不足でもまぁ顔は良いし、というミーハー的考えをしている生徒も多かったのだ。
しかし、あの戦いぶりと熱気に充てられて、アキラ自身に熱を向ける者も多くなっている。
ライバルの数が大幅に増えた事に、危機感を覚えずにはいられない。じっとりと熱に浮かされた顔を睨み付けていると、背後から凱人と漣がやって来た。
「怪我の方は大丈夫なのか」
「……まぁ、一応は。もっと早く着手してくれていたら、と思わずにはいられないけど。でも所見に寄れば、そう深刻な怪我でもなく、後遺症もなさそうよ」
「呆れた頑丈さだな……」
「ハッ、凱人に言われる程たぁ、アキラの奴も相当だな」
今も目を瞑って時折うめき声を上げるアキラへ、半ば感心するように言った凱人を、漣は鼻を鳴らして笑った。
だがそれは、実際七生からしても同じような感想だった。
あれだけ勝ち目のない戦いに身を投じられるというのもそうだが、傷付きながらもそれを感じさせない動きで戦い続けられるというのも、頑丈の一言で片付けて良いものではない。
一体どれほどの訓練と薫陶を受ければ、あのように動けるのだろう。
真似するべきとも規範となるべきとも言えないが、これが新たな仲間だと思えば、実に頼もしいと言わざるを得ない。
漣が傷だらけの身体から、徐々に回復していく姿を見ながら言う。
「けどよ、俺ぁアキラを見直した。コイツはやる奴だと思ってたぜ」
「そうだな。本領発揮してからは凄まじいものがあった。だから最初は、あんなものかと拍子抜けしてしまった訳だが」
「エンジンあったまるのが遅いってのは、まぁ問題だがよ。けど、あれだけ戦えるなら、まず文句ねぇだろ。誰だってそう言うぜ」
「……そうね。あの女子どもを黙らすのは骨が折れそう」
なるべく気軽と思わせる調子で同意しようとして、しかし意思に反して声が一段低くなった。
漣と凱人がギョッと顔を向けてくる。七生がそれらを睨み付けるようにして見返した。
「……何よ?」
「いや、別に」
「そうだよな、別にアレだよな」
「……言いたい事あるなら、言いなさいよ」
七生の声がまた一段低くなって、凱人と漣は慌てて首や両手を横に振った。
「いや、何も? だよな、凱人!」
「勿論だ。それよりも、あれだ……ほら」
「何よさっきから、あれあれと指示代名詞ばかりな連中ね」
今度は指を差し向け七生の後ろを指し示す。いい加減しびれを切らしそうになったところで振り向くと、鷲森が苦言を呈する様相でこちらを見ていた。
そして気づく。
本来なら全ての試合が終了したところで、御子神様へと観覧に対する礼をせねばならないところだ。気絶する程の怪我人が出た事で有耶無耶になるところだったが、本来なら怪我人は誰か治癒術士に任せ、他の者は整列を始めていなければならない。
七生は声を張り上げて、生徒達の尻を叩いて訓練場へと戻す。
礼を失するような真似は決して出来ない。
そうして万事滞り無く授業のスケジュールを消化すると、七生は大きく安堵の息を吐くのだった。
怪我の治療は無事に済んだからといって、気絶から目の醒めないアキラは保健室へと運ばれていった。今日は一日ベッドの上か、あるいは途中で寮の方へ運ばれるかすると思っていたのだが、昼休みよりも少し早く復帰してきて、クラス中の度肝を抜いた。
回復力が早いという問題ではない。
単に傷が塞がっていると言うだけで、内蔵へのダメージは残っているだろうし、何より体力や理力までは回復しない。今日一日はダルさが取れず、何をする気にもなれない筈だった。
そして、それを怠慢だと糾弾する者はいないだろう。今日一日と言わず明日いっぱいまで休息を取っても、誰も異議を唱えたりしない。
そして現在昼休み、食堂で同じテーブルの対面という良席を手にしながら、七生は気遣わしげにアキラを見た。小さく目立たない青痣程度はあるようだが、内臓系の痛みなど苦にもしない様子で食事に手を付けている。
四人がけのテーブルには、七生の隣には漣、アキラの隣には凱人と、珍しい取り合わせで席を囲んでいる。アキラの近くに座りたがる女子による争奪戦が行われようとした時、七生が咄嗟に機転を利かせて御由緒家のみで話し合う事がある、と遠慮して貰ったのだ。
多く乱発できない手段だが、何事も最初が肝心とも言う。
ここで煩わしい女子どもを近づかせる訳にはいかなかった。
それに実際、このメンバーで聞きたい事があったのは事実だ。特に凱人や漣などは、今日の試合の事で何かと聞きたい事もあった筈で、声を掛けられて渡りに船と思った筈だ。
その漣が自分の食事を手に付けず、呆然とした様子で次々と胃袋に収めていくアキラを見つめた。
「お前、よくそんな食えるな……。健啖家とか、そういうレベルじゃないだろ」
「そうだな、あんなにしこたま殴られて、よく食事を胃が受け付けるものだ。普通はもっと……消化に良いものにでもしないと、戻してしまうと思うのだが」
凱人からの助言とも常識への訴えとも言える発言を聞くともなく聞きながら、アキラは食事を続ける。そこは少しでも栄養を補給しようと無理する姿ではなく、ごく普通の自然体――腹を空かしているから食事を摂る、という風にしか見えなかった。
「ほんと……凄いわね。私だったら、もう口元抑えてしまいそうだけど……」
「師匠との鍛練では、あのぐらい痛めつけられるのは当たり前だったから。試合中に気絶して、でも起き上がって戦うというのは、正直過去にも無かったと思うけど……でも多分、師匠は出来て当然くらいのこと言ってくるんじゃないかな」
「マジかよ……。お前んとこ、そんな厳しいの?」
漣は顔面を蒼白にして聞き返す。さっきからまるで食事の手が動いておらず、想像だけで食事が喉を通らなくなってしまったようだ。いたずらに箸が容器の底を叩くだけで、口元に運ぶ気配がまるでない。
とはいえ、七生としても似たような感想だ。
食事が喉を通らない程ではないにしろ、アキラの話を聞く限りでは、それは鍛練ではなく拷問の類だ。むしろ師弟関係を解消する為、自発的に辞める事を期待して行ってきた虐待にしか思えない。
嬉々として鍛練の様子を語るアキラには、同情以前に正気を疑う破目になった。
「気絶するまで転がされたり、殴られるのなんて日常だよ。痛みは慣れなきゃ耐えられないっていうのが持論で、耐えられない方が悪いっていう論法だから。それにさ、耐えられなければ鬼の食い物にされるだけじゃないか。一種の優しさだと思うよ」
「いやいやいや、正気に戻れよ。痛みに慣れる云々は良いとしても、だから気絶するまで殴るっていうのは、現代じゃ有り得ねぇ修行法だからな。時代錯誤も甚だしいだろ」
「あー……」
その指摘は的を射ていると思ったのか、アキラも言葉を探して黙ってしまった。
御子神様に仕える従属神だから、世の常識と違うところはあるにしろ、現代に在るなら現代の在り様というものも学ぶべきではないか。
何より、その端正な顔が傷つく様は見たくない。というより、傷付けるなら自分以外は許せない、という気持ちが湧いてくる。
七生はアキラの顔を改めて見つめた。この様に近い距離で観察する機会があれば、それを逃すつもりはない。
そして思うのは、女顔でありつつ中性的な雰囲気があり、そして時に凛々しくも雄々しい姿を見せるという事だった。肌のきめ細かさや睫毛の長さなど、とても男性的とは思えず、だからクラスの誰かが王子様だと評した表現は実にらしく映った。
七生の心を掴んで離さない男性が、目と鼻の先、息の届く範囲にいる。
その余りに近く遠い距離に、七生はもどかしさを覚えて身悶えした。
アキラの視線が七生を向く。
見つめていた事がバレたのだろう。七生に視線を合わせ、そして困ったように笑った。
その笑みに当てられて、七生は思わず顔を伏せる。そして伏せると同時に拳が動いた。
「――フヌっふ!」
「ばっ……! いっでぇな、おい!」
どこに放出して良いものか分からない感情の爆発が、七生に暴力の発露という形で発散させた。隣に座っていた漣の肩を殴り付ける形になったが、それがなければ目の前の笑顔に飛び付いてしまっていたかもしれない。
「お前、七生! なんでいきなり殴り付けて来たんだよ、おい!」
「……黙って。必要な事だったのよ」
「必要な事って、何言ってんだ。これ人によっちゃ、骨折れてたからな!?」
「だが、見事な制御速度だったじゃないか。飯時でも油断しない姿勢は、俺も見習わないといかんな」
「そこじゃねぇだろ、凱人。突然暴力振るった我らがリーダーに、もっと言う事あんだろが!」
涙目になって腕を擦る漣に、ズレた発言をする凱人。その気兼ねない態度に、アキラが声を上げて笑った。その笑顔が眩しくて、顔を真赤に震わせた七生の、再びの拳が漣の方を襲う。
悲鳴が上がり、そしてそれに輪を掛けた笑声が上がった。
学園生としての貴重な時間が、笑顔と共に過ぎていった。
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