第六章
嵐の前の その1
それから三ヶ月の時間が流れ、秋は終わり冬が訪れた。
雪が降るようになり、奥宮の広い庭園も一面白く染まった。春には春の穏やかさ、夏には夏の晴れやかさ、そして冬には冬の侘しさを表現するのが、この庭園らしい。
ミレイユの居室から窺える風景も、窓という枠の中に収められた情景が、ちらほらと降る雪と合わさる事で、何とも言えない物寂しさを表している。
ただ寂しいだけ、悲しげに感じるだけけでなく、雪をコントラストとした美がそこにあった。
ミレイユはアヴェリンと共に窓の外へ視線を向けながら、お茶を飲んではその情景に思いを馳せていた。室内は温かいが、窓辺付近は冷気がやんわりと届く。
その冷気すら楽しみながら、冬の美しさを堪能していた。
ミレイユが過ごす室内と、その周辺にも音らしい音はない。
その静謐さがまた、外の光景をより一層引き立てているようであった。
ミレイユとアヴェリンの間に会話はない。時折視線が合っては、ちらりと笑みを浮かべるぐらいだ。二人にはそれで十分だった。
沈黙を苦としないのは、お互いの心の距離が近いからだ。沈黙ですら一つの娯楽として受け入れるだけの度量がある。
しかし、その時間も長くは続かない。
冬の沈黙と静謐を、無遠慮に打ち壊す者があった。
控えめに戸が叩かれ、入室の許可を求める声が上がる。室内に待機していた咲桜が動き、その取次を行った。何事かを囁き合うような会話の後、しずしずとミレイユの元へやって来ては頭を下げる。
「ユミル様がいらっしゃっております。お通ししても宜しいでしょうか」
「あぁ、通してくれ」
ミレイユは鷹揚に応えて頷く。
程なくして案内されて来たユミルが、近くにある小卓の席へと座る。ミレイユとアヴェリンも窓の景色を一望できる
程なくしてお茶と茶菓が運ばれて、ミレイユがそれに目礼してやってから口を付ける。それを見届けたユミルも、同様に口を付けてはホッと息を吐いた。
「まぁ……、何だか随分ゆっくりしてるわね」
「何だいきなり、開口一番。ここ最近は忙しくしていたんだ、少しの余暇を楽しむぐらいは構わんだろう」
アヴェリンが鼻白んで反論すると、ユミルは苦笑しては面倒そうに、手首をプラプラと動かす。
「別に文句を付けてるワケじゃないってば。忙しいのは事実だったしね」
「神という立場が、それほど忙しく働かせないという話だった筈だがな。……結局、アレコレと理由を付けて、動かされていた感じだったな」
ミレイユが嘆息してお茶を口に運ぶと、ユミルも鼻を鳴らして頷く。
「時間的余裕がない、という理由も分かるけどね。孔の拡大は強まるばかりで、結局オミカゲサマの言うとおりになってるし。戦力の強化や充足は必須だったんでしょう」
「まぁ、そうだな。だからこそ今でも結界は維持出来ているんだろう。以前のままであったなら、到底持ち堪えられなかったろうし、そうなれば私かオミカゲの出番だったろうな」
だが御由緒家は護国の
それを恥とすら思っている節があり、救援要請を出すのは玉砕覚悟で突っ込んだ後に出すものだと思っている。
それを考えると、ミレイユが呼ばれた状況は随分特殊だった。年若い者たちばかりがいた状況が、柔軟な発想をさせた原因かもしれない。
ミレイユとしては、それで正解だと言いたいのだが、軽快すぎるフットワークで神が動くというのも、それはそれで問題があるらしい。
何より安易な行動を取ると巫女達がうるさい。神の為に死ぬのが人の定めだとでも言いそうだし、オミカゲ様至上主義が行き過ぎているきらいがある。
オミカゲ様に仕えている、その身近さがある種の特権意識を持たせるものらしく、傲慢さの様なものが見え隠れしていた。
直接、神と意見を交わせるだけに留まらず、オミカゲ様もまた多くを呑むからこそ、今のような形になっているのではないか、という気がする。
何かと巫女連中に甘いのだ、オミカゲ様は。
抗弁すれば幾らでも我が通るというのに、それをしないのは甘さだけが理由ではないのかもしれない。とはいえ、そんな事はミレイユに取ってはどうでも良かった。
ユミルはどこかつまらなそうな表情で言う。
「別にさ、戦闘に引き摺り出されるのは良いんだけどね……。あっちじゃ珍しくない事だったし。それより問題は、間に合うのかって事でしょ」
「……そうだな」
ミレイユ達が戦力強化として動いたのは、何も学生たちのみに行っていた訳ではない。むしろそちらはオマケに近く、御由緒家だけを強化するよりも、同じ場所にいるのだから他の生徒も、と同時に行おうとなっただけに過ぎない。
むしろ必要なのは、現在主力として動いている御影本庁の一般隊士たちの方で、こちらは学生たちと違って日夜、鬼と戦っている。
現学生の御由緒家に救援要請を出すのは、あくまで緊急事態に限った事で、基本的にはこの隊士達が鬼を処理する。
だから、その隊士達を強化するのは当然だったし、学生よりも数の多い隊士へは、より一層力の籠もった指導が飛んだ。
学生と違って遠慮の必要がない、というのが理由の一つだが、吸収力が段違いだった、という理由もある。普段から戦っているだけに実戦経験豊富で、学生よりも基礎力も高い。それはやはり訓練時間の差から生まれる、如何ともし難い部分だろう。
学生は当然ながら勉学に勤しむ時間が在るが、隊士達にはそれがない。基本的に一日中訓練している事も少なくないので、その基礎力の差は学生とは歴然としている。
鍛えに鍛えた基礎力は、ミレイユの指導で花開き、今では以前の御由緒家と並ぶ実力を持つ者も出るようになった。
だからこそ、とも言えるが、鬼の強化が日毎続く中、今でも水際対策が保たれている。
「まぁ、ギリギリ間に合った、という事かもな」
「間に合ったとは言えないでしょ。魔物の強化度合いに付いて行けてるのは事実だけど、早晩崩されるのも目に見えてる。延命処置が功を成したのも認めるけど、延命は延命でしかないワケよ」
「うん……」
ミレイユは重苦しい息を吐き出して頷いた。
現状の強化曲線は、鬼と隊士はほぼ同じ動きを見せている。
しかし鬼の強さというのは、時として曲線ではなく直線的に上昇する。
次の直線強化が起きた時、その戦いに付いて行けるのは、やはり御由緒家を始めとした一握りだけ、という事になるだろう。初めて
だが一つ救いがあるとするなら、一般隊士の成長著しいのと同様、御由緒家の面々もまた、その成長具合に舌を巻く事だった。
「この前、学園の方まで足運んだんでしょ? どうだったの?」
「……そうだな。予想よりも遥かに実力を増していた。正直なところ、意外だった。嬉しい誤算と言えるかもしれないが」
「へぇ……? 何かあったの?」
ユミルが興味深げに聞いて来たが、しかし学生の身であれほど伸びた理由が、ミレイユにも見当がつかない。
御影本庁の隊士からすれば、喫緊の問題だから本気で取り組むのは分かる。七生を代表とする御由緒家たちも、自分たちが学生だからという理由で安全地帯にいるとは思っていない。
幾度も緊急招集を受けているから、いつだって動けるよう、そして戦えるよう準備しているとはいえ、その実力の伸びは予想を遥かに超えるものだ。
ミレイユとしては、何故と首を傾げるしか出来ない現象だった。
そこへアヴェリンが、ミレイユと共に見て感じた自論を口にした。
「あれに関しては、アキラが程良く焚き付ける形になっていたのが原因かと思われます」
「焚き付ける?」
「……というと、語弊があるでしょうが。アキラ自身も良い刺激を受けていたようです。やはり同年代で同じ様な実力者との手合わせは、良い成長を与えるものですから」
それでミレイユも得心がいった。小さく頷きながら顎に手を添える。
「アキラは最後の一絞りまで動く事に慣れていたからな……。そのアキラに感化されて他の者も同様に絞り込むようになり、それが相互に働いた結果、著しい向上に繋がったと……」
「そうだと思います。ライバル意識なんぞも、あったかもしれません。それが良い結果を生んだのでしょう」
「まだ若い彼らだしな。向上力だけで言えば、一度火が付けば宜なるかな、といった感じか」
「真に、左様ですね」
アヴェリンが薄く笑むと、ミレイユも更に得心顔になって頷く。
そこへユミルが、つまらなそうに鼻白んで話を戻した。
「戦力の向上が予想以上であるのは喜ばしい事よ。全体の底上げという、当初の目標は達成できた。そして御由緒家を始めとした一握りの実力者もまた、その向上著しいというのも目出度いのかもね。でも結局……、でしょ?」
最後は言葉を濁して言わなかったが、何を言いたいのかは理解できる。
それはユミルが先程言った、延命は所詮延命でしかない、という言葉に繋がる。
あちらの魔物の強さや種類を知っているミレイユ達からすれば、現在出現している魔物がどの程度の敵なのか理解している。御由緒家を始めとする現世勢力は、いま必死に食らいついてはいるものの、実は中級程度の相手に苦戦しているような状態だ。
個体差には違いがあるから、上位種が出たとしても喰らいつける可能性はあるが、更にもう一段階上がった時点で瓦解が始まると見て良いだろう。
そしてその時になって、御由緒家ですら戦力になれるかというと……。
難しいと言わざるを得なかった。
「時間は残されていないな」
「そうね。この短時間で実力を伸ばした事は評価するけど、結局……中の下止まりでしょ? 元から対策としては、その場しのぎだと分かっていたじゃない。解決を計るなら、孔を縮めるか、それとも開けさせない方法を探らないと意味がないって」
「それも分かってるが……。開けさせない方法なんてあるなら、とっくに何かやってる筈だろう。千年放置していた問題というからには、そんな方法はないんじゃないのか」
「ま、そうね……。未来のアンタだもの、オミカゲ様だってバカじゃない。アタシの助言がなくても、アヴェリンの手助けがなくとも、ルチアと二人三脚で対策を講じたコトでしょう」
聞き咎められかねない単語が口から出て、ミレイユは小さく眉を顰める。口にしたユミルも、自身やアヴェリンの事を言うに当たって、何とも複雑そうに顔を歪めた。
だがいずれにしても、ユミルの推論が間違っているとは思えない。
「……つまり、孔については後手にならざるを得ない、臍を噛んで開く孔を見続けるしかなかった、という事なんだろうさ」
「それでこそ、なのかもしれないけど……結界術を上手く活用したわよね。その手腕は褒めてあげたいけどねぇ……」
ユミルは流し目で窓の外へ視線を向け、それから舞い落ちる雪を眺めてから元に戻す。
「結界の方は――ルチアの方はどうなってるの?」
「芳しくないらしい。元より分かっていた事だ。本人たっての希望だから聞き届けたが、そもそも圧倒的に時間が足りないというのは、最初から言われていた。もしかしたらという期待が無かったとは言わないが……」
「そうね、……一度行ってみる? 進捗状況も確認したいし、それに何より……、そろそろ決めるべきでしょ」
ユミルの言いたい事は分かる。
しかし即座に返答するのも難しい。難しいというよりは、踏ん切りがつかないのだ。それを決めるには、ミレイユにとっても相当な覚悟がいる。
ミレイユは窓の外に視線を移し、陽の高さを確認した。今は昼を少し過ぎたばかり、冬の空と雲に覆われて陽の光は見えないが、その明るさから察する事は出来る。まだ陰るには早すぎる時間帯で、動くに動けないという訳でもない。
何より移動には転移があるから――転移室への移動は面倒だとして――、外出時間に関して神経質になる必要はない。
ミレイユは咲桜を呼び付け、支度の準備を進めるように言って、大社へ訪問する旨も同時に伝えるよう指示した。
余りその必要はないが、アヴェリンにも準備を進めるように言うと、ミレイユは残りのお茶を喉の奥に流し込んだ。
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