決意と表明 その7

「そうとは思えません」


 キッパリと断言したのはルチアだった。

 形の良い柳眉を逆立て、項垂れようとしていたミレイユの目を射抜く。


「ユミルが言っていたじゃないですか。それならどうして、ユミルさんが生き残っているんです。一族全てがユミルさん一人を生き残らせるよう、動いていたのかもしれませんけど、全てが計算通りなら、それさえ不可能だった筈でしょう?」

「それは、そうだな……」

「何よりミレイさんを世界から逃した。使い勝手の良い始末屋として、利用する側面があったのだとしても、有力で有能である事は認めている訳じゃないですか。世界を超えて取り戻そうとすらした。全てが掌の上だったら、こんな失態犯しませんよ」

「それも、そうだな……」


 ミレイユの同意を得て、ルチアは満足気に一度頷き、更に続ける。


「ユミルさんはこうも言ってました。ミレイさんほど優れた素体はいなかった、と。神に至るまでもなく、小神を下すというのも相当な話ですよ。あの時戦った小神の権能を考えると、決して戦闘向きではなかったとは思えませんし」


 それもまた確かな事だった。

 共に死力を尽くして戦った『堕ちた小神』は、何度となくもう駄目だ、と思える程の強敵だった。明らかに戦闘に長けていて、ミレイユを残して他は全員膝を付くような状態だった。


 相手が本気であったのか、今となっては想像する他ないが……それでも本気だったと思う。火の粉を払う程度というのではなく、その全力を持って力を振るっていたように感じていた。

 だが、ミレイユという素体はともかく、アヴェリン達が生存を許されていた事を思うと、その命を奪う事までは消極的だったのかもしれない。


「もしもですよ、昇神まで至れる事だけが重要ではなく、その力量までが加味されるなら……。ミレイさんは他の誰より、類を見ないほど強力な小神として生まれ……、そして他より類を見ない炉の役割を果たすのではないかと……。そう思う訳です」

「馬鹿な! その為に世界を超えて追い回すというのか!」


 アヴェリンが遂に堪忍袋の緒が切れて、立ち上がりざまルチアに怒鳴りつけた。

 ルチア本人も恐縮した素振りを見せたが、怒りを向けているのはルチアと言うより、その先にいる神に対してだ。


 だからルチアもすぐに冷静になって、アヴェリンへ接する態度にも変化がない。

 そして、ミレイユは思う。その推測が全くの間違いだとも思えない。


 小神という種別の中にもランクがあり、それによって炉の出来上がりにも差があるとするなら……。あるいは炉から生成される世界を存続させるモノに差が出るなら……、より良い炉を欲するのも当然かもしれない。


 ミレイユはアヴェリンを落ち着かせ、隣に座らせて肩を撫でる。

 アヴェリンの憤りは尤もで、ミレイユもまた同じ様に憤りを感じていた。感情が爆発するより早く鎮火したように感じていて、それもまた精神調整が、神への怒りを鎮めた所為なのかもしれない。


「どこまでが狙いだったのか……、それは分からない。だがユミル、お前はこうも言っていたろう。神々は娯楽を求めてる」

「言ったわね。……ちょっと待って。もしかして、そういうコト?」

「予め計算立ててはいたんだろうさ。だが、そこに遊びを混ぜていた。魂一つ、素体一つ、それがどう転ぶか見て楽しんでいた部分があったんじゃないのか。最後の最後、『遺物』を使って選ばせるなんて、その最たるものだろう」


 驚愕するような呆れるような表情で固まっていたユミルは、それから数秒してからようやく再起動を果たした。ミレイユのように頭をガリガリと搔いて、それから乱暴に息を吐く。


「そうよね、もっと確実な手段はあった。そして逃がす手段なんて用意する筈も、理由もなかった。……ああ、そう。遊び心ね。はいはい、なるほど。自らに対して脅威かどうかは二の次、良い駒が出来たからそれで遊ぼうとか、その程度の理由だったって……!?」

「それなりにルールはあったんだろうさ。自分達が楽しく遊べる範囲でのルールは。だが、駒が盤外へと飛び出してしまった。それは許せない、認められない。……そういう事なんじゃないのか」

「あり得ます」


 ルチアは胸の前で両手を組んで、それを顎の先に押し当てて頷いていた。寒さから身を縮める為に行った動作なのだろうが、それではまるで敬虔な信者の祈りのように見える。

 だが、この時の心情と動作では、そこに齟齬がある気がしてならない。


 神々が自ら何かを行う事は少ない。水害などを始めとした猛威から守ってくれる事はないが、猛威を振るった事はある。

 その原因は神ではなく、地上に住まう全ての者にある、という考えを持つものは多く、だから日頃の平穏に感謝を示して祈りを捧げるのだ。


 世界の真実、神の真実を知ったルチアからすれば、その神に対して祈りは向けられない気分だろう。実際この世界しか知らない者たちかすれば、他世界から魂を拉致しようと自分達の利益になるというのなら、それを煩く言う者はいないかもしれない。


 だが、その裏で嘆き悲しむ人がいると知ったらどう思うだろう。

 やはり見知らぬ他人、知った事ではない、というかもしれない。だが、ルチアにとっては当事者、そしてミレイユの事でもある。

 到底、冷静ではいられない。


「神の傲慢さは、それが自然で当然だと思っていました。山の噴火、津波に恐れても、怒りを向ける事はない。病さえ治癒していれば務めを果たしている、という按配です。それを祝福と思って感謝もしていました。でも、正しく民を守護して導く神も、実はいるのだと知りました……」


 そう言って、ルチアはミレイユの顔を見た。

 ミレイユというより、ミレイユの奥に見えるオミカゲ様に対してのものかもしれない。


「日本での暮らしは衝撃でした。多くの刺激を受け取りましたが、神への敬意と感謝の違いが何より大きい。あそこまで幾つも神社を作って、それに祈り、そして笑顔で信者同士が語り合う。そんな信徒を持つ神は、こちらにはいません」

「……それもそうね。神社……神宮の中は笑顔で溢れてた。誰もがオミカゲ様に敬意を抱いていた。畏れも無かったワケではないけど、陰りない尊崇を向けていたわね」

「ああいう神が私達の上から見守ってくれているのなら、そりゃあアキラみたいなのが生まれますよ」


 突然水を向けられ、目を大きく開いて自らを指し示す。

 それにルチアは頷いてやりながら、自分もまた指差す。


「だってあなた、実際オミカゲ様の為に命を張って守っていたでしょう? あなただけじゃない、他の隊士達も、巫女も女官も、あの戦いに参加していた」

「そうね、頼りないとは思ったけど、でも大したものだとは思ったものよ」

「それって一部の狂信者が勝手にやってた訳じゃないですよね? 誰もが自らが積極的に護りたいと思って動いていたんでしょう?」

「勿論、そうです」


 アキラが断言して頷くと、ルチアは眩しいものを見つめるように目を細めた。


「こちらに同じ様に動ける信徒は多くありませんよ。神から勅命を受ければ別ですけどね、声を掛けずに自主的に動けるのは狂信者だけです。それも一等頭の可笑しい類いの輩が……」

「そう……なんですか? 沢山の神々がいるのに」

「数がいるのが問題なのかもしれませんけどね。自己保身的で、全ての神が仲良く手を繋ぐ訳でもありませんし。敵対する間柄だと信徒同士で代理戦争もありますね。なんというか、頭上に頂いて安心できる存在ではないんですよね……」


 ルチアが苦い顔をして言うと、似た表情でアヴェリンも頷く。


「それが当然と思っていれば不満もなかったが、オミカゲ様の在り方を知ってしまうと日本国民が羨ましくなる。神の機嫌を伺って供物を捧げるのではなく、感謝と尊崇から捧げられるというのは私達の部族になかった。それがミレイ様と知ってしまえば、尚の事……!」


 話している内に熱がこもり、握った拳がふるふると震えた。

 アヴェリンがミレイユへ向ける忠誠心は本物で、そして仕える事を誇りと思っている。その主人が神として民の上に君臨し、そしてその民の大多数から尊崇を向けられているとなれば、感動の一言では言い表せないものらしい。


 ミレイユは話を聞いている間に、むず痒くなって背中を揺らした。

 口元を両手で覆いながら、意味もなく頬周辺などを擦る。

 そんなミレイユを見ながら、小さく笑ってルチアは続けた。


「話が脱線しましたね。その実態が見えてくる程に思ってしまうんです。正しい神がいたら……もしかしたら、こんな事態にはなっていないのかもしれないと。献身を向け、そして向けられる健全な上下関係があったなら、こんな殺伐な世界にはなっていなかったんじゃないかと……」

「つまり、ルチア……お前はこう言いたいのか」アヴェリンがその目を射抜く。「我々には正しい神が必要だと」

「何を言ってるんだ? どういう事だ?」

「それは……」


 アヴェリンが口元を覆ってミレイユを見る。その目には熱く輝く期待が渦巻いていた。

 ユミルからの視線を感じてそちらを向くと、新事実を発見した学者のような目つきがあった。


「なんだ……。どうした、お前ら。何だか怖いぞ」

「ねぇアンタ、この世界……どう思う?」

「言ってる意味が分からない」

「そうね、広義が過ぎたわね。神の数がちょっと多すぎると思わない?」

「いや、元より日本には八百万の神という信仰もあるしな……。十数の神々はむしろ少なすぎるぐらいで……」


 日本に限らず世界には様々な神がいた。

 それは真実世界に根を下ろし、人を支配し導く存在でなかったかもしれないが、しかし多くの神話が実在した。そこに登場する神々の数や種類は豊富で、とても十数で収まるものではない。


 それを思えば、確かにデイアートの神々は多くないのだ。

 だが、そんなミレイユの言い訳染みた返答を、切って捨てるようにユミルは言う。


「はぐらかすの止めてちょうだい。実在する神々が、己のシェアを奪い合っている現状が不健全で、そしてだからこそ自己保身と信者の奪い合いなんて発生してるのが問題なのよ」

「……そうか? そうなのか?」

「世界の存続……御大層なお題目に思えるけど、これって本当だと思う?」


 聞かれたところで返答に困った。

 地球に生まれ日本で育った身としては、世界とは即ち惑星だと理解している。その惑星の存続に、エネルギーを注入する必要があるとは思えなかった。


 資源の枯渇、環境汚染から始まる諸問題、惑星寿命を縮める原因は幾つもあるが、それを外からエネルギーを与えて存続、と言われても疑問に思える。


 だが、神々が実在し、魔術が存在し、マナが存在する世界では、これが当て嵌まらないとも思うのだ。魔法的エネルギーは何でもありだ。そういう事もあるのかも、と漠然と納得できる。

 とはいえ――。


「……今となっては疑わしい。何もかも嘘だとは思わないが、何かを信じるというには、神は私に牙を向けすぎた」

「そうよね。アタシはね、さっきこう考えたの。世界の存続ではなく、神々の存続に必要だから、炉を求めたと」


 その一言は、まるで物理的な衝撃を持つように、ミレイユの胸を打ち抜いた。

 もしかして、まさか。それならば、或いは――。

 そう言った考えが頭の中を巡り、そしてルチア達はその言葉に大いなる賛同を示しているようだ。


「ねぇ、そう考える方が自然な気がしない? 世界なんてあやふやなものより、自分達の存続を優先させる方が、凄くじゃないの」

「だが、それじゃあやはり、遊び心について疑問が残る。幾らか駒に選択肢を与えるのは理解出来ても、必要な炉を逃がす手段を用意するとは思えない」

「それは確かに……。えぇ、同意するわ。まだ全てを読み切ったワケでもないでしょうし、他にも何か思惑が隠れていたりするのかもしれないわよね。もしかしたら、全く違う別方向に考えが向いていたりするかも……」

「そうだな、その可能性も十分ある」


 何を言いたいのか、言い出すつもりなのか、それとなく察したミレイユは、その決定的な言葉を口に出来ないよう逃げ続ける。

 どうにかはぐらかせないか、と思っていたし、いっそこの場は一時退散しようと思った程なのだが、腰を浮かすより前に隣のアヴェリンが肩を捕まえてきた。


「な、何だ。離せ、アヴェリン」

「いえ、ミレイ様。ここはどうか、お聞き下さい。持って回った言い方は止しましょう。――貴女様には、どうか我らの神になって頂きたい……!」

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