幕間 その1
阿由葉七生は本日から神明学園にやって来るという男子生徒に向けて、どの様に対応したら良いか、その感情を持て余していた。
御子神様の弟子である、という話があると同時に、しかも男子生徒である、という話がある。
神を師に持つというだけでも妬みの対象になるものだが、それが男子であるという事実もまた、その感情に拍車を掛けていた。
男子というのは一等下に見られやすい。理力総量は女子より低い事が圧倒的に多いので、それにつられて弱いというイメージが付き易かった。
それ故に、弱い男子が神に目を掛けられたという風に見られており、悪感情とまでいかないまでも、良いようには見られていない。七生自身、その彼が御由緒家から絶縁された者の息子として聞いているから、同時に同情も感じている。
彼自身に問題が無くとも、親の所為で正当に評価されないというのは悲劇だ。
本来なら御由緒家の末席に連なる者として、幼い頃から理力の修行や剣の鍛練など、多くの学びの機会があった筈なのだ。
それを奪われていた訳なので、もし違う未来があったなら、転入などという形でなく順当な形で入学していただろう。幼い頃から互いの屋敷を行き来するような間柄であったかもしれない。
そして、この半端な時期であるにも関わらず転入を許されるという事は、それだけの理力や武術も、彼は有しているという事になる。
姉が指揮を執っていた事件の折にも、彼は神宮勢力と敵対する形で参戦していたという。
遠目ではあるが、かつて一度だけ結界内へと侵入した姿を見た事がある。
その時の事は、他に居た者たちの――後にそれが御子神様と知った――印象が強すぎて、男子については記憶が薄い。小鬼に対して剣は振るっていたものの、大した力量ではない、という薄っすらした記憶のみ残っている。
そのチグハグに思える印象が、七生の感情を複雑にさせていた。
単に偶然目に留まって贔屓にされているだけなのか、それとも実力を見抜かれ、そして見事に開花させた者なのか。
――実際に見て決めれば良い話だわ。
七生は自身にそう言い聞かせ、今や教室の話題を独占している彼を思考の隅に追いやる。
担任の鷲森が教室に入って来て、僅か数日前に急遽転入が決まった男子生徒の紹介を始めた。
「……という訳だから、お前たちも余り騒がしくしないように。それでは由喜門、入ってこい」
鷲森の合図で入室してきた生徒を見て、七生は思わず息を止め、身体が硬直した。
本当に男性なのかと疑い、そして体付きを見てそうだと認める。明らかに鍛えていると分かるのに、その肉体を内側に閉じ込めたような細身をしていた。
顔付きは、そうと知らなければ女性にも見える程に男には見えない。だが、その緊張を讃えた凛々しい目付きは、七生の心を引き付けるには十分な破壊力を秘めていた。
あるいは、と不敬にも思える邪推が心の奥底で燻る。
その容姿故に、神に目をつけられたのではないか、という気がした。古今東西よくある話だ。その容姿を気に入られて、神にちょっかいを掛けられる、というのは。
――だとしたら、私は。
いやいや、と慌てて七生は頭を振った。
単なる想像、憶測で決めつけるなど有り得ない話だ。しかもそれが神に対する不敬となれば尚の事、真偽などこの先いくらでも知る機会があるのだから、結論を出すのはその時でいい。
「由喜門、暁です。不慣れな部分でご迷惑おかけする事もあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします!」
声まで中性的な、よく通る音だった。
周りも呆けた様な顔でパラパラと拍手をしている。七生と同じように、思い掛けないアイドルの様な男子の登場に面食らっているのだろう。
誰もがこれを期に、お近づきになりたいと思っている筈だ。男子生徒の数が異常に少ない当学園では、魅力的な男子というのは相当に価値が高い。
容姿さえ良ければ実力など評価しない、という者もいるが、やはり少数派で、アキラは御由緒家という看板がある所為で、その部分もクリアしている。
引く手あまたで争奪戦が起こるだろう事は、想像に難くない。
だから、アキラの世話役を任されたのは役得としか言い様がなかった。
鷲森から任され、それが下心の見えないように返事をするのは、大変な労力を必要とした。
「勿論です、お任せください」
声が上擦ったり、変に緊張した声を出さなかった自分を褒めてやりたい。
自分のすぐ後ろがアキラの席というのも、また嬉しいポイントだった。これなら授業の時も、休憩時間中も、何かと声を掛けたり自然な接触が出来る。
思わずニヤけそうになる口元を隠す為、手で口を覆った。
七生はクラスでも、お固い委員長だと思われている。御由緒家の一員としても、そういうミーハーめいた気持ちを表に出すべきではない。
そう思ってやり過ごし、鷲森からの御子神様が既に御来臨されている事などの注意点を聞いて、HRが終わった後はどのように彼へ話しかけるかばかりを考えていた。
だから、そのスタートダッシュに圧倒的な出遅れをしてしまった。
女三人寄れば、とは言うが、クラス全員となれば半端な威力ではない。
アキラは早速揉みくちゃにされて玩具にされている。挙げ句、その柔らかくも手触りが良さそうな髪に触ったり、腕に手を回して抱き着くような恰好になっていたりした。
何と羨ましい――いや、はしたない真似をするのか!
七生自身、他の女生徒から押しやられるような形になっていたが、そこへ強制的に割り込み、人の波を泳ぐようにしてアキラの元へ近づく。
「――ちょっと待ちなさい! 待ちなさーい!!」
中々、人垣を分けて進めないので、声を張り上げながら前へ進む。
そうすると、ようやく割って入ろうとした者が誰なのか分かったようだ。そこから推測するに、もしかしたら単に男へ近付きたい誰かだと認識されていたのかもしれない。
ライバルを一人でも蹴落とそうと、近付く者は一人でも少ない方が良いという行動だったのだろう。
だとすると、現状既にアキラ人気は凄まじい事になってしまっている。
これが一過性のものなのか、それとも今後の成績次第で下落していくのかは分からないが、その動向には注意を払っておく必要がある。
特に戦闘技能において、その方向性は強く出るだろう。
他のクラスにいる男子も最初は良く見られてはいた。しかし、理力が自分たちより弱かったり、理力自体に文句はなくとも、戦闘センスがイマイチだったりで、その関心が離れていく事がある。
学園に在席している生徒達の多くは、強い男性を望む。
他校における、単純にスポーツが得意な男子生徒に人気が出るのと似たようなものだが、今から将来を考えるような目敏い人は、強い男性と結婚を望む。
理力が強い者同士との間に生まれた子供は、母と同じかそれ以上の理力を持って生まれてくるのだという、一種の迷信を信じているからだ。
御由緒家が正にそれを続けて来た家系で、だから今でも一般組とは隔絶した理力を持つに至る。女性の半分程度しかないとされる男性ですら、御由緒家は一般組の女子よりも高い理力を持っている。
その事実が、まだ誰の手垢もついていない男子――アキラへの積極的関心と繋がっているのだろう。実力は不明でも御由緒家の名を持つ男性を、おいそれと捨て置く事など出来ないのだ。
既に在学中の御由緒家、漣や凱人なども最初は人気があったのだが、結婚相手は家が決めるので、自由恋愛は許されていない。
その事を知って、未だに中世の世界観で生きているのか、と愕然とした彼女らの顔を今でも覚えている。だが実際、本当に自由恋愛を許されていないか、というと、それには少し語弊がある。
彼らは次期当主として確定しているので、どこの馬の骨とも知れない相手との婚姻が許されていないだけで、その身元と理力が認められれば、余程頭の硬い当主でなければ普通に婚姻まで持っていける。
そもそも男性でかつ高理力保持者というのは相当に希少なので、名家以外から嫁を取らなければ存続できないという無情な事実がある。
当主の子が必ず家を存続する世襲制ではなく、最も優れた理力保持者が、その人格までも認められて収まるものだから、普通に当主の姪や甥が当主の座に収まる事もある。
それを思えば、御由緒家なら誰もが優れた理力保持者を欲しそうなものだが、そもそも特別優れた男子の希少性を考えれば、妥協せざるを得ないという部分があった。
あまり締め付けて婚姻が遅れ、子が生まれない方が余程まずい。
だから姉の結希乃はともかく、七生はそれほど婚姻相手に強い者を求められない。その自由があればこそ、目の前にあるアキラは七生にしても垂涎の的だった。
最悪、戦えるだけの理力さえあれば良い、と思っていたのに、そこへ将来有望で、且つ七生の心を鷲掴む男子がやって来たのだ。
この千載一遇のチャンスを、七生は逃がすつもりなど無かった。
周りの女子も狩人気質だが、本当の狩人がいかなるものか、思い知らせてやらねばならない。
そして何より、七生は一目で恋に落ちた。
七生の初恋は遠い昔で、そしてご多分に漏れず呆気なく破れた。
二度目の恋、そして学生の恋となれば、それは色々特別なものだ。狭い寮で暮らす生活は、新たな出会いも潤いも少ない。
だがもしも……もしも恋叶うなら、この学園生活は大変特別なものになるだろう。
その特別を手にしたい、という気持ちがフツフツと湧いて来た。
何かとアピールし、近付く機会は多い筈。それを少しでも、一つでも多く接すれば、あるいは……という算盤を弾く。
七生は群がる女子生徒を御子神様のお題目を持ち出して蹴散らしてから、その下心が少しでも露出しないよう、細心の注意をしながらアキラへ微笑む。
「ごめんなさいね、このクラスはちょっと……元気過ぎるみたいで」
「いえ、大丈夫です。助けてくれて、ありがとうございました」
そう言って握手するように差し出された手を見た時、その心境をどう表現したものだろう。
早速チャンスが、という気持ちと、早すぎるガッツキ過ぎるな、という二つの気持ちで揺れ動いた。安易に握るようでは余りに
それを不審に思ったのか、あるいは待たせすぎて不安になったのか、困った顔をして引っ込めようとする手を、慌てて握り返した。
少々不自然だったが、直接手を握れるチャンスをみすみす逃がすのは惜しい。必死すぎないように見えたなら良いのだが……。
そう思って感触を楽しもうと、少し違和感があろうと構わずニギニギ動かして、それから皮の厚さに気が付いた。
両手でその手を包み込むように握って、筋肉の厚みを確認する。
――間違いない、これは剣士の手だ。
普段から木刀を握る、勤勉な修行者の剣ダコを持っている。七生自身、そして多くの人と握手した経験から分かる。剣ダコには、その者の為人が出る。
勤勉な者は幾度もタコを潰し、回復してはその度に何度でもタコを作って皮を厚くさせるものだ。才能ある者でも、その鍛練を怠るような人を七生は決して認めない。
そこから考えると、またもアキラは七生のお眼鏡に一つ叶った事になる。惚れ直した、と言い返しても良い。
恍惚と手の甲を撫で、手の平の厚みを感じるのを止められないでいると、アキラが困惑した声を出してきた。
「あぁ、ごめんなさい。……あなたの手、剣士の手ね。それも相当鍛えてる」
慌てて手を離し、取って付けたような言い訳を述べた。その感触を名残惜しく思いながら、自分の掌を揉みつつ小さく頭を下げる。
ここで手の平を握っては恍惚としていた変態と思われる訳にはいかない。殊勝な態度が表れていれば良いのだが、と思いながら頭を上げた。
「楽しくなりそうね。……私に付いて来られる剣士って、あまりいないの。あなたはそうでないと期待するわ」
彼は優れた剣士だろう。
努力は必ず実るものではないと、七生も知っている。しかし努力は裏切らない。仮に実力が伴わくとも、それでも努力し続けられる人間は、間違いなく尊敬できる。
――楽しくなりそう。
その言葉に偽りはなかった。剣士としても、一人の男性としても、七生の心を掴んできた。
実に楽しい学園生活になりそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます