神と人の差 その5
制御の調整、あるいは矯正については、実に順調に進んだ。
元より敬意を向ける存在である事や、オミカゲ様と良く似た容姿が信仰の混同を産み、それが労苦を与えてはならない、という風潮を呼び起こした。
一矢乱れず整然と並び、実に心得た動きでミレイユの前に跪く。両手を差し出し、制御を奪われたにも関わらず、己を差し出すように全て任せる。
本来、制御を奪われる事は本能的に拒否するものなのだが、信仰の賜物か予想以上にすんなりと進んだ。既に一度、その制御を受けている御由緒家の者たちが説明して回った事も、それを後押しする結果となったのかもしれない。
ミレイユの前に一列に並ぶ者たちは私語もなく、整然と受けていく様は一種異様にも映ったが、背後に佇むアヴェリンとユミルが睨みを利かせているとあっては、軽はずみな行動も取れないだろう。
ともあれ、事情はどうであろうとスムーズに事が運ぶのは喜ばしい。
都合三日は掛かると予想していたのに、その半分で終わってしまい拍子抜けした程だった。折角時間が余ったのだから、後は自力で慣れろ、と済ます部分を急遽変更し、制御指導もする事になった。
これについてはアヴェリンにもユミルにも出来る指導なので、一緒になって生徒の間を見て回ってもらう。
今現在、ミレイユ達は訓練場にて三列で並ぶ生徒達の間を、個別に練り歩いては気になった点を逐一指摘して修正させていた。
「そうだ、基本は循環。それを念頭に置けば問題ない」
最初は御子神様を歩かせる不敬などさせられない、と強弁に否定されたのだが、一人ずつ前に出て制御させるでは時間がかかり過ぎる。矯正の時はミレイユが慣れて来た事もあって、非常にスムーズだったが、まだ新しい制御法に慣れない生徒では苦戦する場面は多いだろう。
それを逐一指摘していくでは時間が掛かり過ぎるし、あちらが立てばこちらが立たず、という不器用さ見せる生徒だっている。自主訓練はさせるが、その訓練基礎を染み込ませるには適切の指導があってこそだ。
「頭のテッペンから爪先までを意識なさい。漏れることなく隅々まで、それを心がけると違うかもね」
「素早ければ良いというものでもない。丁寧さがいる、丁寧さが。慣れぬこと、辛いことは雑になる。しっかりと意識しろ」
それぞれの指摘は的確で、本来は簡単に見えるはずもない理力の動きを、的確に掴んでは的確なアドバイスを与えていく。
それは概ね好評で、時に指導の違いでアヴェリンとユミルが対立し合わない限りは、実に有意義に生徒達の平均値を底上げしていった。
生徒の中にはアキラもいて、彼はそもそもアヴェリンが付きっきりで指導していたので今更言うことはない。ただ、それだけにアヴェリンの視線は厳しく、少しの乱れがあれば厳しく叱った。
「その程度の動揺で制御を乱すな! 平常心と冷徹なまでの心が何事にも負けない制御を生む! ――違う! 流れに拘りすぎるな、時に練度を優先しろ!」
「はいッ!」
時に容赦なく殴りつけるアヴェリンだから、それを見た他の生徒はすっかり萎縮してしまっていた。いっそ理不尽なまでの指導だったが、そうなるのはアキラだけで他は小さな指摘をしていくだけ。
周りからは、いつもあんな目に遭ってるのか、という同情と憐憫の目が向けられていた。
「三分間、休憩とする。しっかり休め」
生徒の疲労状況を見て、ミレイユはそのように宣言した。
途端にほぼ全員が座り込み、荒い息を吐いては理力の回復の努めだす。立っているのはアキラと凱人だけで、その二人にしても膝に手をついて息を整えようとしている。
アキラは回復する時も立ったままでと指導されているので今更だが、凱人まで出来るというのは意外に感じると共に称賛を浴びせたくなる。
一般組と違って御由緒家は特に厳しく指導するようにしていた。だから七生も他の生徒同様座り込んでしまっているが、それは別に七生が不甲斐ないという意味ではなかった。それだけ凱人もタフネスが高いという事なのだろう。
その間はミレイユも椅子を出現させて座り込む。いつも何かとあれば用意する高級感溢れる椅子で、ユミルにも同様の物を用意し、一応アヴェリンにも聞いたが案の定固辞された。
今の授業では監督役として教師も付いているが、ミレイユの方を見て唖然としている。大方、どうやって椅子を用意したのかとか考えているのだろう。
教える気は更々ないので気付かない振りをして、生徒達を見渡した。
額からは汗が噴出しているし、中には天を仰いで疲労の限界を見せるもの、座るどころか倒れ込んで休む者と、中々死屍累々の有様だった。
それらを見やりながら、ミレイユは傍らのユミルに話しかける。
「初日から飛ばし過ぎたかな……」
「まぁ、あの様子を見ればね。手心は加えてたつもりだけどねぇ……、そんなに難しいこと要求してないし……」
「少しアキラ基準でモノを考え過ぎた可能性は?」
「アタシはアキラ基準なんて、ロクに知らないから該当しないわね」
「つまり普通にやり過ぎたという事じゃないか、それは?」
ハッと鼻で笑って、ユミルは顔を逸した。何が面白いのか、次いでケタケタと笑い出す。不審なものを見る目でユミルを見つめていると、顔を戻して更に笑みを深くした。
「なんだ、一体……」
「アンタの時を思い出してたの。アンタほど教え甲斐のある者も、同時に教え甲斐のない者もいなかったなって」
「それは褒めてるのか?」
「……微妙なトコロね」
ユミルは魔術士の師匠で、主にその制御法を伝授して貰った。それまでは何となくの勘頼りで使っていたものを、ユミルの方から見兼ねて押しかけ師匠となったのだ。
言われたことを言われたとおりにやらないのに、何故か結果だけは出すという、ユミルにして頭を捻る状態となり、最終的に匙を投げられた。
だがそれでも、ユミルから教えられた基礎はしっかりとミレイユの中で生きている。
問題は応用の方で、何故そうなるか、何故そうしたいかをミレイユは上手く言語化できなかった。そのせいでユミルには大いに不便を掛けたが、結果として大成した魔術士として認められるに至る。
たった一年半前の事なのに、酷く昔の事のように思われ、その時の事に思いを馳せていると、横合いからアヴェリンが遠慮がちに声を掛けてきた。
「そろそろ三分です。準備を始めた方がよろしいかと」
「ああ、ありがとう。アヴェリン」
小さく手を挙げて礼を言うと、アヴェリンも一礼して一歩横へ移動する。それを合図に立ち上がり、続いてユミルも立ち上がるのを待ってから、制御を一瞬で完了させて椅子を消した。
ミレイユ達が立ち上がった事で、休憩時間が終わった事を悟ったらしい生徒達は、それでノロノロと立ち上がって自然体に身構える。
ミレイユが生徒達の顔を左から右へと見渡して、それから手を叩くのと同時に制御を各々開始していく。上手くやれば三分であっても十分な回復が見込めるものだが、新たな制御法に矯正された昨日の今日で、上手くやれる方が少数派だった。
さっきとは全く比較にならない速さで脱落者が生まれてくる。
それを見て、今日はもう無理そうだと見切りを付けた。倒れた生徒を介抱するよう伝えて、その日の授業は終了とした。
二学年には御由緒家が多いという事から、何かと目を掛けてしまいがちだが、他の学年も疎かにする事は出来ない。大体一日おきに学園に来ては制御法の効率化、運用法を伝授していく。
伸びの大きい者には目を掛け、また基礎理術しか身に着けていない者には、現在の実力に見合ったもの、その能力に見合う理術を教えていく。
由井園で行った時もそうだったが、成長するに従って能力の伸びに変化があって、結果得意とする術が変わる者もいる。そうした生徒には説明してやった上で、新たな術を教えていく。
変わるといっても方向性が真逆になるような事はない。流石にそこまで見誤るようなオミカゲ様ではなく、単純に適正が固まっていなかった時期に見た事が原因だろう。
そうして各々の実力が伸びていき、つい先日の自分とは雲泥の差であると理解する者が出てくるに連れ、愚かなことを口走る者も出てくる。
そしてそれは、間の悪い事にミレイユの耳にも入ってきた。
『これだけ急激に伸びたんだし、いずれ神様にだって届くかも』
いち生徒の無邪気な冗談だったかもしれないが、看過できない言葉もある。
過ぎたる力は己の命すら脅かす。
それを教えていなかったのは、果たして教師の怠慢か、それとも勘違いさせたミレイユの責任か。オミカゲ様が懸念したとおり、大きな力は人の心を狂わせる。
急激に伸びる力は麻薬に等しい。
まるで全能感を得たように勘違いし、それが多幸感を呼び起こす。ミレイユが底上げしてやる以前の御由緒家レベルまで実力を上げたとなれば、己の湧き上がる力に勘違いしても無理はない。
たった一週間でこれ程ならば、ひと月後では、一年後では、と妄想を広げてしまうものだろう。
その勘違いは正さねばならない。
始めから想定できていた事だ。馬鹿な事を言い出す者は全体の一割にも満たないが、それでも捨て置けばいつかの背信者のような者が生まれる可能性がある。
それは断固阻止せねばならない問題で、そしてそれを見越していたオミカゲ様は、教導役を頼む際、既にミレイユへ指示を出していた。
本日はミレイユが教導を終える最終日。
ミレイユは全生徒が立ち並ぶ第一訓練場で、整列する生徒達を前に薫陶を述べていた。元より教導役として派遣されて来た様なものだが、同時に長期間行うものでもなかった。
基礎と理術を教えれば、後は自己研鑚に任せる。最初からそういう約束で、長期間拘束されるものではないと明言されてもいる。
ミレイユは緊張した顔つきをする生徒達を見回し、僅かな間にも関わらず確実に上昇した実力を見抜いて満足気に頷く。一年生はその上昇幅が少ないのは仕方ないとして、二年生以上は最低でも倍は力量を増したと感じただろう。
外向術士にとっては、与えられた術が段違いに優れた術だと気付いた筈だ。その事に感謝もあるだろうが、同時に試してみたいとも思っている。座学や講義で見聞きしている相手など、恐るるに足りないと気炎を上げてすらいた。
それについては結構だが、大海を知らないままの蛙でいてもらっても困るのだ。
今ミレイユ達がいる場所は、第二訓練場と比べて古臭さがある。しかし何しろ広くて遮蔽物がなく、壊すようなものがない、という特徴があった。そこへ一度に生徒を集合させたのは、単にお別れの挨拶をする為ではなく、勿論別の理由があった。
ミレイユは生徒達の前に立ったまま、無感動に見える表情で最後に一つ、衝撃の言葉を口にした。
「これから、お前達対私一人で模擬戦を行う。私からの置き土産だ、頂きの高さを知っておけ」
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